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2014年01月28日 イイね!

中古車情報2014

中古車情報2014ちょっと昨日は中古車物件を
見て回ってきました。

寒いけど、日中の日差しは春のように
気が早いけれど感じています。


ジェミニディーゼル現状。
これはもらって来て乗れる地区の人向き?



ベレG 泉55ナンバー維持



ボルボ1800S 神戸5ナンバー



ピアッツア・ネロ ヤナセもの?
ハンドリング・バイロータスだけど3速オートマ仕様。
楽に乗りたい人向き。

 

ベレットGT 最終型のロボットテールじゃない方。
こっちはナンバーなし。



いすゞマニアの工場兼ショップですなあ。
以上は宝塚市より



AW11初代MR2
20万円〜から乗り出し。5MT車



2台目フェアレディZ マンハッタンルーフつき
外観劣 2800じゃない方。 L型エンジンマニア好適。
手こずるけど完璧綺麗にしたら、200万の値打ち車にはなるかも。



コアなマツダファンへ。
80年代ルーチェ。
少し下げてある。フェンダーミラー時代。
80年代原型風に乗るのが1つ。もう一つのやり方は今の若い子にのせてみたい。

ここまでと、次のBMW2002の最初まで、茨木市沢良宜



このマルニは、外観良好。100以下は、東京ではでてこない。



こっちは大阪57ナンバー。塗装は再塗装で我慢して乗れるレベル。
ハンドル式サンルーフ付き。良い意味での70sカー。北摂の人に
乗ってもらいたい。

この車から後は箕面市小野原



不人気2代目マーク2、二態。
両方とも偶然だがグリーンメタリック。
ハードトップの方は驚くくらい綺麗。ピンぼけごめんね。



セダンはそれなり。だが安い。内装はボロ。




いつかはクラウンと呼ばれた山村聡クラウン(クジラの次)
白のピラード・ハードトップ。



室内は、あまり手入れが要らないくらいきれい。
クラウンの好きなどこぞかの方へ。これは風格がある5ナンバークラウン。



これはナニ?



おほほほほ。



おほほほほほほ。



おほほほほほほほほほほ。




おほほほほほほほほほほほほほほほほほほ。






良好なマンタ(オオエイ)発見!



さあ、捕獲するのか、料理するのか。。。

Posted at 2014/01/28 14:54:16 | コメント(12) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年01月20日 イイね!

取材を受ける

取材を受ける昨日10年ぶりに、雑誌の取材を受けた。

旬な話題の大して無い私が
取材の対象に出て良いものか。

インタビューが終わって、一行を送って行き
あとから気になったくらいである。




1台のクルマを27年乗り続ける変わった男。その人生観に興味を持ち、
記事にしていただけるなら本望である。

これで家族をつくり、家族を養い、ここまでくることが出来た、一匹の
山羊である。

とても馬とは言えまい。

ロバというと違う気がする。

今年に入り、いろいろな変化の始まりを感じている。

阪神の大地震のメモリアルデイが終わり、少しほっとした。3年前の
大きな被害と、今に続く原発災害の前に、大震災といつまでも言うのは、
そろそろ抵抗が出てきていた。

僕は、再建や復興というより、その後の20年の方が長い。当たり前に
生きて来た。

最近あるところで、顔見知りの人が、「パニック障害」と言うのを
何かの理由にされていた。

ふん、そうなんだと思うだけである。

私の親たちは戦場に行って、極端に言えば漫画家の水木しげる氏のように、
手や足を失っても、生きるために働いた。

今と昔は、本当に較べられないものなのだろうか。

最近、政治が恐ろしい方向に向かっているという意見を、よく聞く。
ことあるごとに、反対を連呼する人も沢山いる。

私は前の政党も、今もどちらも自分にとって、あまり関係が無い。

庶民は、与えられた環境の中で、自分の幸福を最大限追求する方が、
先じゃないかと思う。


結婚が出来ない。子供が作れないというけれど、お膳立てが先なのだろうか。

変な輸入ガイシャだって、手を出して、乗ってしまえば、人生の半分の
27年間乗れたのである。

ボクが言いたかったのは、やることを先にやって継続し続けたら、
見る者はちゃんと評価してくれるそれだけである。
Posted at 2014/01/20 16:50:12 | コメント(5) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年01月18日 イイね!

第1回Vieni Fiat 小浜で開催になるまで

第1回Vieni Fiat 小浜で開催になるまで開催地をどこでやるか。
それがまず命題であった。

私は当時は兵庫県西宮市。
友人は愛知県の東に近いあたり。
二人が当日駆けつけられて、夕方から懇親パーティー、
1泊して翌朝からツーリングして、昼食をとり
夕方の早めに解散する。そんな内容でいくことにした。

友人の家業は飲食店で、食べることには一言がある。
そこで彼の主張を、表にしてウエルカムパーティーはイタリアンか
フレンチで行く。
店には貸し切り、もしくは半貸し切りで営業してもらうので
事前に調整する。
私はパーティーに行くのが好きなので、日本的な宴会にしない。
パーティー会場で、お互い持ち寄ったグッズ、できればフィアット、
イタリア車関係のプレゼント交換会をやりたいと希望した。



食いしん坊(食い道楽)の友人は「日本海方面でやりませんか?」と
提案した。
パーティーだけなら、大阪や神戸の中心でもやれる。問題はfun to driveな
小型車フィアットの魅力がキラリと光るイベントにするには、適度な距離の
ドライブ&ツーリングがやりたい。それも日曜日のお昼ご飯を挟んで。

「そうか、そちらでいこうか」、日本海側だと、愛知からも近畿の瀬戸内側
からも行きやすい。さらに例年11月の7日あたりが、日本海のカニの解禁日
だという。そのグルメも少し味わってもらえれば、プレミアム性もつくこと
だろう。

ただし第1回は時間も経験も無いので、土地勘のある場所で。私が福井県の
観光特集の広告企画で回った時に、泊まって印象の良かった小浜市にする
ことに決めた。

何しろインターネットもまだ未開通で、連絡の取り合いは仕事から帰って来て
からのファクスと電話である。エナジーな友人からは、郵便でもいろいろな
資料を送ってくるようになった。まずその前に10月の頭に、新幹線の京都駅で
彼を拾って、下見に行くことにした。




この時は162号線の周山街道で素直に小浜を目指したが、途中でネズミ取りに
捕まったり、下見から思わぬ出費もかかったが、レストランを電話帳や、町中を
走り回って探して、実際にランチを食べて味を検分。食後に「実は…」と
切り出すタイミングを見はかる。
グルナビやネットのある時代には考えられないアナログな作戦も、営業で
広告取りに回った経験が活きたのであった。

レストランは「佐の弥」というこじんまりした店が気に入り承諾してもらった。
ドライブコースはどうするか。これも実際に走って距離感と疲労感、満足感、
クルマの性能をミニマム旧500に合わせて、のんびりしたものとした。
企画段階から関西のX1/9のクラブLatinBloodの幹部には協力してもらったが
彼らが走り倒して飛ばすので、当日は苦労したこともあった。

今では考えられない苦労と、細やかな企画内容の綿密な打ち合わせ。
けれど野暮な承諾書を取ることも無く、申込書に書いてあることを読めば、
これはオトナなクルマの集まりと遊びであることは、分かっていただけたと
思う。
初めての経験で、クルマがまとまって集まるのなら、届け出が要らないかとか、
走行コースを警察に事前連絡しておかないと、田舎の警察が驚いて来ないか。
今考えると笑うような心配もしていた。

前述LatinBloodの会長氏は、K西電力で働いているので、「ああ福井県でっか、
あそこやったらワシんとこの会社から言うとき(根回しする)ましょうか?」
とシャレにならないようなアドバイスいただき、冷や汗という裏話もあった。



募集告知は、友人の関係者が二玄社のNAVIに当時おり、前年に私も「エンスーの
知恵袋」という企画で取材を受けたことがあった。
そこでNAVIにイベント告知を載せてもらった。最初の頃は無かったが後に
「エンスー新聞」のコーナーに報告も載せたこともある。
大阪に当時あったカーロードの編集部を訪ねたり、カーセンサー関西版の
編集者も知っていたので、お願いをした。
名古屋に当時「Left」という自動車雑誌があり、そこの編集部にいた上田君
(のちにカーマガジン/ティーポにいった「うえっち」である)に来てもらい
一緒に走ったこともある。

また告知ポスターは器用な友人が毎年描いてくれた。何枚かは保存してあるが
見事である。これをフィアット系ディーラーや私の世話になる修理工場に
貼ってもらい、チラシも別に作った。
信じられないことだが、路上に停めてあるフィアットのワイパーに挟んだ。
フィアットだったら、パンダでもウーノでも、A112でもオッケーだった。
そりゃ850や128が他に来てくれたら嬉しい。当時は私は131も持っていた。

参加者募集に呼応する反応はあった。それはファクスもあったが子どものいる
私の妻が電話を取ってくれた。
家族の協力もあり、11月のX日が待ち遠しくなった。中には遠く新潟から
駆けつけてくれる参加者もあった。どうして知ったのですかと聞くと、
私の友人が、富士高原のギャラリー・アバルトに行った際、その人の愛車の
ワイパーに手書きのメモを挟んでくれて、それを見てぜひ参加したいと
思ったそうである。

そうやって唯一無二の「フィアット車のフィアットオーナーだけの集会」
Vieni FIAT95は当日を迎えた。
Vieniとはイタリア語で「おいでおいで」の意味である。
1時間前にJR小浜駅の前に着き待っていると、次々やって来るフィアット車
たち。
今見ればただのパンダであっても、本当に信じられないことが始まる予感がした。

パーティー会場に移動してちょっきりの時間にテーブルに着くとそこには
一人の遅刻者もなく、盛装した各地から集まったオーナーと家族たち。
この瞬間、私たちは「やってよかった」と思った。滑り出しよければ、
あとはきっと上手く行くだろうと確信したのである。



翌日のツーリングには当日参加者も加わり、20台前後でツーリングに出発
した。新潟から来てくれた参加者はツーリング出発後ほどなくお別れ。
残念であるが、そうでもしないと、当日中に帰れないのである。
彼がこの年乗って来たのはTipoだったと、今ようやく写真を起こし直して
思い出したような記憶もある。







この記念すべき第1回の参加車両は、X1/9が3台、Panda、Y10、Uno、
Tipo、A112、128、850クーペ、500だっただろうか。
新車に近いパンダがまだいた頃である。

私はこの会をクラブ組織にするつもりは無かった。
どちらかというとクラブを作るのは不得意ではないが、しばりがいったり、
相性の好き嫌いが会員間であったりするのが苦手だ。
自由に年1回集まって、楽しんでもらう場が作れないか。そんな気持ちで
始めたのである。

毎回アンケートも取ったし反省会もやった。
概ね参加の皆さんには満足してもらったし、この会ならではのつながりが
でき、オーナー間での情報交換と相互交流という目的も果たせた。
特にネット以前では、雑誌を頼る以外に情報はなかった。

部品と維持のための情報。工場の良いところはどこかなど。
約20年が経ち隔世の感も少しある。

しかしフィアット車のような決してメジャーじゃないクルマを乗り続ける
基本は今でも一緒だ。



この第1回のイベントを皮切りに、来年は場所も変えてもっと大きく、
充実した内容でやりたいと考えた。参加者の満足感とともに、次の年への
助走は始まった。

この年、私は阪神大震災で住む家を失ったが、借家のために損害は最小限で済んだ。
その代わり思いきって活動して、いろんなものを得た。
特に数年間温めたフィアット車のイベントが実現したことは大きかった。

やれば出来るのである。
震災当時35歳だった私は、油の乗り始める時に一番面白いことを始められた。
その年以降、合計5回のVieni FIATを開催して、翌年は舞鶴。97年は毎年
来てくれる中心メンバーのいる敦賀市。そして98年は場所を変えたいという
友人の希望が淡路島だったが、橋が架かる前の年で、宿が少ない理由から
和歌山にした。
この和歌山から参加してくれた中にも、面白い交流が始まった人もいる。

ミレニアム前の99年は疲れていた。
福井県の武生辺りで開こうと下見にも行った。
私は相変わらず仕事の日程で、連休がとれないので随分前から希望を出して
いたのに関わらず、土曜日が手違いで出勤になり、前夜パーティーに主催者
でありながら、出席出来なかった。

その年を限りにVieni FIATの5年の活動は終わりを告げた。



1899年に創業したフィアットが本国では、会社は100周年を迎えた。
ささやかな気持ちを込めて日本のフィアット好きたちは、銘々お祝いして喜んだ。

世界は21世紀を前にして、90年代を総括して、時代の流れは大きく変わろうと
していたのである。

おわり
Posted at 2014/01/18 08:56:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年01月08日 イイね!

アルファと事始め

アルファと事始めなんか雨の朝で、風邪気味です。

正月はクルマに乗ったのは、家内の実家に行って来た
2−3日だけ。

もう7日が過ぎたのですが、修理工場から戻って来た
アルファ75で昨日、スプリングひよしまで、走ってみました。


このところ、3日に信貴山で皆さんの闊達なカーライフに刺激を受けたり

相変わらずハマってしまったFacebookで、こんな動画を見つけて喜んでいたり。



このランボフィリアっていうのは、病気のことで、よくひねったコンセプトに
なっていて、見ていても面白い。
いい大人が馬鹿をやるには、それなりの心構えと覚悟がいるという世界で、
まだ普通の人が多い、フェラーリオーナーたちを、ちょっぴり、いじくっている。

でも、これを見つけたのが、Facebook内のbehind the seatという
コミュニティーです。

そこもたまたま、その前に加入したfiat850のコミュニティーに投稿したら、
それを見ていたカナダ人だったかな。に、招待されました。



最近、自分の今の生き苦しいのは、自分が日本人であろうとする
アイデンティティーと現実との相克、葛藤でないかと思うのです。

フェイスも最初、いきなり、「あかんやないかー」というダイレクト
メッセージがきてびっくりしました。
みんな真面目なんです。真面目だから、ちょっとしたことが許せない。

隣の人がずるい主張をしたら、許せない。ボクは果たしてそんなにイケナイ
人なのダロウカと、しばらく悩みました。

日本人同士の、駆け引きや、お誘いには、どうしても隠れた打算や利害が
ありそうで、好きになれない。
そんなボクも最近はFacebookは世界対象なのだと気付き、これまでの
好きなクルマの知識を生かして、あっという間に5個くらいの
コミュニティーに登録申請いたしました。

その中には渋いfiat1100のサークルとか、英国のルーツグループの
輪なんていうのもあります。

元々好きで、英国の自動車誌も読んでいましたし、高い洋雑誌買うのに
お金がなくても、インターネットから行けるのですが、これまでは手続き
敷居が高かった。

でもFacebookは、その垣根をうんと低いものにしてくれました。



たぶん、ですね、ランボフィリアも、日本人社会的には、ここまでコンセプトが
よく煮詰めていても、もともと“ちゃらい”クルマと思われているので肯定されにくい。

この動画に気付いたのが、外国人だったと言うのも、興味深いでしょう。
それを逆輸入して、私が面白がっている構図を考えてみてください。


昨日の午後は、道が空いていたので、アルファ75・91年式の運転を存分
愉しめました。
まあネット145PSを、グロス換算の国産で言えば160馬力くらいか。
昔のスカイライン2000GTRくらいでしょうね。

国産の4気筒ツインカム、セリカLB2000GTにも乗りましたが、足回りと
エンジンで、遥かにアルファの方がドライヴィングプレジャーが高いです。
そして、22年落ちで、それなりの経たった部分があるので、実際は120PS
も出てないでしょう。

それを運転するドライバーも、それなりにくたびれかけています。
足回りは、かなり柔い。でもコーナースピードは、いつもの850より
ずっと速い。850のコーナーリングが退屈かというと、そんなことは
全くなく、あれはRRの尻振りが面白い、実にユニークな乗り物です。

国産の今時の遅い乗用車を蹴散らすように、能勢路の坂を上る75。
タイトな連続カーブを登るたびに、限界特性に感心し、くたびれ
ながらもしっかり車体を捻らせる、ハンドルとトレッド。

その中で、実はクラシック音楽がかかっているんです。
交響曲6番「Pathétique」



これを聴いていたのは、日吉からの帰り道で、冬の日没の時間帯でした。
一番感心しているのは、ヨーロッパ車の中で、ヨーロッパ発の音楽で
一番クルマと似合うのは、なぜか、クラシック。
アルファのエンジンと、マフラーから出る太いサウンドは車内にも混じり
飛び込んで来るのに、なぜノイズと感じないのだろう。

その研究は、まだ、私の課題として、始まったばかりのようです。




Posted at 2014/01/08 06:36:05 | コメント(8) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年01月04日 イイね!

走り初め2014

走り初め2014改めて、お目出度うございます。
旧年度中は、皆様ありがとうございました。

今年の正月に、乗り馴れた、850は修理中でおらず。
新戦力アルファ75はイブからの入院治療で、完了後も
年末の予定等で引き取りに行けず、工場で年越し。

結局12月にタイヤ4本を新調したスズキアルト
走行15,000kmで、1月3日、信貴山に上りました。



前日から、家内の実家のある藤井寺市に来ていたので、藤井寺ー誉田八幡ー
大和川渡り、柏原付近のややこしい国道区間、それから大和川東岸の関西線
山間区間の下をくぐり、河内堅上の村落を抜けるという難易度の高い区間を
アルトは走って行きます。



青谷地区の狭い村を抜けると、高い場所に溜め池があり、その脇に風情な
神社が見えたので立ち寄りました。金山彦神社です。



朝の寒い時間帯に脇に車を停めて、お参りと写真を撮ろうと歩いていると
初詣の地元らしき男性が「撮影ですか?」と話しかけてこられました。
ええ、と返事をすると、「この上にもう一つ、金山ヒメの神社もありますよ」
と教えて頂き、参拝後、車を走らせて信貴山の方に上って行くとありました。

流石に2回車を止めると遅くなるので、帰りに寄れたらということにして、
堅上の村を抜けて、稜線に上がり、ぶどう畑を見下ろしながら王寺信貴山方面に
向かいます。朝霧晴れかけた奈良の盆地が綺麗ですが、殆どニュータウン風景
なので、半世紀前の風景が見たかったなあ。



あっけなく信貴山上に出ると、有料道路の入り口に入ります。
いつもいくら払えば良いのか迷ううえ判りにくい。高い値段も21世紀の人を
遠ざけているし、いっそ全線無料にすれば、活性化するのにいろんな利権が
絡んで昭和のままなのでしょうか。

さて、鐘の鳴る展望台でなく、暗峠をすぎたサミット部の駐車場に9時半頃
着くと、おお結構集まってきているではありませんか。



発起人のぶーちゃんのP6は。故障なく来れていましたがその横の456は
元の愛車でしょうか。
見慣れないのは、赤い最新車、マツダアクセラスポーツ。これはひょっとして。
ほどなく紺豚氏の紹介で、いつも当ブログにコメントくださる44loveさんと
ご対面することができました。

いやいや、初めまして。
でも44loveさんは大阪のご出身と聞いていたので、山の麓に実家があるということ。
なるほど、いつも鋭く詳しい自動車の知識、有り難うございます。

どんな感じの方かなと想像していましたが、今は普通の現代車に乗られるだけに
トンで、失、びっくりするような方ではありませんでした(笑)。


まいどおおきにです、と言われるのは、神戸の国産小型車系のイベントで
よくお会いするS師匠。え、今日は何で?、というサプライズに、写真の黄色い
スズキのマー坊で来てくれました。


最近、高雄のミーティングで話すようになって以来、ロドキンさんとは
よく喋ります。また大阪126さんとも、志向が合うので波長が近そうです。

皆さんと喋って、今日は碧ちゃんを連れて来ていないぶーちゃん持参の紅茶を
飲んでいると、狭い駐車スペースに次々珍しい車が入ってきました。

奥の方で囲まれているぶーちゃんに代わり、朝から回転“口”径の速いロドキン
さんと早撃ちトークしていると、病だれに4ドア(クアトロポルテ)みたいな
セダンが! あれは、stelvio氏のマセラッティ430。うーん、大変そうだ。(爆)



うちの灰紺色アルファ75の雰囲気に重なる所もあるのですが、やはり違います。
高貴な病人みたいな(笑)、これは弩級のMかな。stelvio氏、大丈夫?

ということでエンジンルームを開帳してもらいました。御礼挨拶もきちんと
言わずに立ち去り、申し訳ありません。放置じゃないのでスツレイしますた。




その内に、156に颯爽と乗る、素敵な女性が現れて、そちらに関心が行きかけたら、
展望台の駐車場が一杯になり、移動しようと声が上がりましたので、2台の
126系の前に、3台で2台分占拠していた私らのクルマは早速移動です。



先の女性もアルファでしたが、75もいっぱい来ていました。
これは珍しい、DTM風のターボ€。



今日は75で来ていなかったので、仲間に入れマシェン。まあいいっか。

しかし、正月3日から集まってくる人たちは、クルマも個性も彩彩でした。



ぽおるぶらっく氏のベンツ220クーペの室内です。
これぞまさにアールデコ芸術です。
私は1950年代のアメリカン・ラジオ・コレクションの写真集を持っていますが
それはマテリアルとデザイニングと、ライフドリームの結実した時空間の夢で
うっとりできる世界なのです。



ここにあるのは、それであり、今も生きているデッカー製のオートラジオ。
オートとは自動であり、自動車のことでもあり。

僕はこういうのを見て、また溜め息が出ました。

オーバーレストレーションは禁物だが、この1950ー60年代前半の“最上の贅沢”を
毎日前にして、運転することは、仮にこの部分だけに100万円かけても、
心の栄養になり、お金の使い途にしては、惜しいものでは、ないのではと。


そして僕は、正月から、ここに来ているクルマたちのダイバーシティ(多様性)
についていろんなことを考えていました。

僕自身は90年代に煩悩のピークを迎えたので、ヤヤコしいクルマはある程度卒業
してしまった。
もっとややこしい世界に、脚を進めるべきだったかと、共通媒体のローバーP6を
前にして、今のオーナーの行く末を見守っている。


よく引き合いに出す、いすゞピアッツアが80年代頭に描こうとした近未来。

昨日は新旧“関係者”2名が来ておられたが、もう現代車にコマを進められた方の
クルマ観も、とっても興味深い。多分、80−90年代の夢って、何よ、って考えてみる。

その方が言われた、今の200ー300万円台の新車。普通の収入がある人が、今の
クルマに何を求めるかということ含めて。これも「安い」と言われた通り、
現代車は過分に数値性能を達成している。しかし、満足するとは、どういう
ことなのであろうか。



極端では、ボトムまで落としてみたカーライフが、どこに楽しみを見つけられるか。

その辺の妥協と諦めの中に、面白さがあるのか。ロドキンさんが非常に興味を
持たれて、2000円ミラとの1年を読んでくださっていたことに感謝している。

今年はロドキンさんと組んで、有吉・マツコやりながら、私は毒舌な“おばさんおじさん”
しているかもしれない。



てなことをしているうちにもう正午。昨日影の薄かった、シルバーゴースト
ならぬシルバーアルトに乗り込んで、帰ることにいたしました。
そして帰り道の途中にある金山媛神社に詣でてきました。



今年は面白い1年が、始まったようです。

Posted at 2014/01/04 07:55:32 | コメント(6) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
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2014/05/11 05:49:46

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