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kotaroのブログ一覧

2013年11月07日 イイね!

CarLifeというブランド戦略

CarLifeというブランド戦略




3日に風邪を引いて、ぼろぼろなんだが、
ちょっと変わった記事を書いてみよう。






最近電車の中で、若い女性が持っているファッション関係の
商品の入っている紙袋を見て、「あ、いいなあ」と思い、
こういう日本のブランドがあることを知った。




ネーミングの由来は、調べてみると、中目黒にある「ドライブの
途中に、ふらっと立ち寄りたくなるカジュアルショップ」というのが、
設立コンセプトらしい。

それにしても、女性がカーライフ、女性のカーライフ。

ヤローの18番みたいに思われている自動車趣味だが、よく考えて
みると、この外し方が、すっごくお洒落なように思えて来た。





残念ながら、レディス=オンリーで、今のところメンズは無い。

スピンアウトして男物は、、と考えたが、2003年スタートで
いまやこの会社の主力のようである。敢えて男ものを出さないのが
カッコいいのでは、やや気になる存在感の理由、なのでは
ないか。






男性中心社会は、マテリアルと、でしか自動車のことを
見て行かない。それが自動車趣味雑誌のオタク化とか、
面白くない方に、助長していると思う。

軟らかく見れば、カー+ライフで、僕らはごちる(満足する)
ことが、大半な訳で、知識とデータ偏重な社会の空気は、
なにか面白いことの、本質を見失いがちになっている。

きょうの話題は、単なる女性のファッションの中の
1話題に過ぎないけれど、試しにネット通販のカタログは
ZOZOタウンなどに、結構展開されているので見ると良い。

そこにあるのは、女性的なセンスだが、カーライフを
考える時に、ヒントになりそうなコンセプトがいっぱい
入っている。

こういうヒントや、センスのひらめきを、スズキさん
(元Navi編集長、現GQ編集長)などに啓蒙されるのは
なんとなく抵抗があるのだが、女性の方が一歩先の
21世紀を歩いていると思えば、まだまだ僕らのカーライフは、
カタい卵ではなく、これから熟して行けそうな気がするのである。

Posted at 2013/11/07 14:24:53 | コメント(8) | トラックバック(0) | オンザカー | ビジネス/学習
2013年11月03日 イイね!

左ハンドル5MTな生きかた

左ハンドル5MTな生きかたアルファ75で連休の最終日も運転して来た。

僕の愛車歴には、2リッターDOHCが4回目、
左ハンドル5MTが3回目くらいだと思う。

DOHC/ダブルオーバーヘッドカムは、セリカLB
2000GTと、フィアット131Sミラフィオーリ、
フィアットリトモ・アバルトTC125と
今度のアルファロメオ75である。


左ハンドルの5MTは、最初がシトロエンBX16TRSで、その次が
タルボサンバ・カブリオレの1360cc車である。

自動車のスペックに、貪欲になったことはない。

セリカ2000GTは、音楽活動用のキーボードを運べるクルマなら、
なんでも良かったのだが、たまたま知人の家で死んでいるクルマを
起こしたようなものだ。

その時もコンデションがあまり良くなかったので、自分でキャブまで
オーバーホールをしたが、ツインカム車でなければというような
拘りには達しなかった。

ツインカムだなと思ったのは、やっとリトモアバルトに乗った時だが
もう40代に達していたので、決して速いクルマが欲しいと思った訳でない。




左ハンドル車は初めて乗ったのがシトロエンBXで、これが初期モデルの
MT車だった。
感想より慣れなくて、あっぷあっぷ運転してたら後ろから突然、ぼかんと
追突されて、廃車になってしまった。

あんまり良い思い出が無くて、大分経ってから、間にGSを挿んでタルボ
サンバという珍、レアな仏製のオープンカーを入手した。

これは楽しい車で、パワーステアリングも付いていなかったが、ハンドルも
軽くFFの癖もあったが、ランナバウトな乗り方を大いに楽しませてもらった。

このあたりから、左ハンドルのMTって、面白いなと思うようになった。

それは、輸入車本来の設計が、英国車を除くと、その配列で作られている
からであって、楽しさも、基本に近いからストレートに伝わって来る。

タルボは結構ポンコツだったので、修理の悩みばかり付き纏っていたが、
合計11年間お世話になった。1995−2006年という期間である。

2006年に、私は若い日のもう一つの憧れであった、フィアットリトモ・
アバルトTC125を手に入れた。
しかし、
乗り心地も、運転する楽しみも、おんぼろタルボの方が、楽しいような
気がした。




タルボを里に出し、せっせとアバルトに乗り、入れ込んで行く予定で
あったが、2010年の車検の切れる時に、諦めてしまった。

なんだか辛くなって来たのだ。体力や気力の限界を、50歳になり、
知ったことにもよると思う。

もうクルマを乗り回すには、体力や気力と、もう一つ財力も要る。

3つとも弱くなった私は、リトモを手放した資金で、850スパイダーを
20万円台で手に入れたり、それもいやになり、ただ同然の軽自動車に
ささやかな幸福感を、見出そうとしていた。

でもやっぱり、しっくりこなかった。
平行して持っている850クーペがなかったら、もう、ここみんカラにも
居なかったであろう。





なんだか心の遍歴のような時間が、何年も続いて、私はクルマ不感症に
なりかかっていた。

実際の時代の空気も、どんどん面白くない方向に変わって行き、
何をしても、ため息ばかり付いていたときに、今回の派手でない蒼の
左ハンドル、ミッション車に行き着いた。

何とか残り少ない資産で買える値段であったことも大きい。
それからコンディションの悪いクルマは、かなり気力やゲンキでカバー
出来ないと、たちまち乗り手がウツになってしまう。

その点このクルマは、いきなりサマーバケーションに出る時にファンベルト
1本が切れて、大慌てしたが、その後は今のところトラブルなく走っている。

そして久しぶりの左運転席よりの視界。
右手で操作する5速ミッションの、決まっていく感触と、エンジンフィールの
上り下がりが気持ちよい。

トランスアクスル構造での、若干の気を遣うところと、緻密な運転技術も
要求されるが、なんとか、演奏できている。

そう、イタリア車は楽器だと僕はよく思う。
長年乗っているフィアットは、慣れ親しんだ古い楽器のよう。

久しぶりに、少し上級者向けの良い楽器を手に入れて、吹いてみた。
アルトサックスからテナーサックスの高級品をいま、
味わっている。

そんな感想の日々である。




Posted at 2013/11/03 09:54:13 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年10月31日 イイね!

FIAT車好きにオススメ。

朝からこういう動画を見つけて、喜んでおります。
スペインのSEATの60年史みたいなCMだと思う。
この中に、私が乗ったことのあるクルマが何台か
でてきます。
もちろん今乗っている850クーペも。

パンダもマルベラという名前で売っていたと思う。




80年代にイビーザを出すまで100%ノックダウン工場だった
SEAT。
今はオリジナル色強くなりましたが、やっぱりラテンだなあ
と思いました。
Posted at 2013/10/31 10:12:38 | コメント(8) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年10月30日 イイね!

今年という年

今年という年













また雑誌の表紙に借りて記事を書くのだが、
まさかの大小林彰太郎氏との、別れの年になってしまった。

私たちは、やっぱりクルマのことをより良く理解して、
日本社会の中で、国際的に通じるホビーライフを維持していかなければ
ならないと思う。

カーグラフィックという、情報源を取り上げていうと、
雑誌が発行年ごとに厚くなった、70年代の終わりの方が面白い。

広告が急速にCG誌に集まり出した時代なのだが、前にも書いたが
実は石油ショックで、日本のモーターシーンは、ぱっとしなかった。

しかも国際的には、英国車の凋落、アメリカ車の恐竜のように大きかった
車が衰退し、イタリアはストだらけで、フィアットもアルファも
ぼろぼろだった時代に、カーグラは、国内の小さな部品ショップなどの
広告を集めて、元気だったのである。









それは、普通に考えると70年代の中の奇跡のように思われる。

でも内需は結構あったし、僕やその前後の男の子も雑誌はよく読んでいた。
広告を出していたような小さな部品メーカーは、もう存在しない。
そういった出稿主たちは、この雑誌にきっと共感していたのだと思う。

悲観的に時代を捉えるより、独自の見地で、面白い話題を探して、本を作る。

また、降って涌いたスーパーカーブームを、批判的にとらえて、しかし時を置いて
フェラーリのボクサーエンジンベルリネッタをきちんと、文字と写真で表す。







そういうことが、一番大事なことではないだろうか。




今の時代は、という前提で物を書いたり、語るということは、今時の若者は、
という議論や考え方とあまり変わらない。

インターネットが万能だから、もう雑誌が要らないとは、みんな本心から
思っている訳でない。

面白い記事や、値段に値する原稿が2本以上あれば、僕はお金を出しても
本を買おうとするだろう。
ラジオやテレビも、見たり聴こうと、きっとするだろう。






要は内容なのである。


大切なことは、飽き飽きしないこと。

楽しさを発見する能力。

それから、ひと(他人)と同じことをなるべく考えない。


わずかな差異から、人間は学ぼうとする気持ちや研究心が生まれてくる。

大きな星は、西の空に流れ去ったが、きょうもまた、僕は車を動かしたり
本を読んで感じたり、楽器を触って何かを感じようと思う。


そういう気持ちを、忘れるなよ、ということを空の上から、きっと
語っているような、気がする。



Posted at 2013/10/30 14:44:22 | コメント(5) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年10月21日 イイね!

中之条ビエンナーレ

中之条ビエンナーレアルファのシートポジションが
ベストでなかったせいか、腰が痛い。

1700キロも無理して走ったというより、
好むままだったので、職業ドライバーには、
見習いたいが、やっぱり普段しつけていない、
運動なのか。
それでも月曜日にマッサージにやっと行けた。
昨日よりも腰から下の痛みが、漸く薄らいだ。





寄居町で泊まった旧い宿を朝、出発して今日は群馬県の中之条に行く。
寄居から中之条までは、今は関越道で渋川経由とするのが一番早い。

この寄居町と秩父を源流とする荒川の位置関係が、初めて来た人間には判りづらくて、
出発早々、国道を小川町方面に走り出したことに気付きUターンする。

今度は国道254に乗れずに140号に入って秩父鉄道の秩父の方に向ってしまった。
波久礼(はぐれ)の手前で気がつき、これはいかんと北側に出る山道を抜けること
にする。

円良田湖(つぶらだこ)という高台の釣り堀みたいな池の横を通って美里方面に
出られた。こんな、と思う山の中の池みたいな所でも別荘保養地みたいで、駐車と
人が多いのに驚いた。

というわけで、高速は使わずに、中之条まで走っていくことに、決めていたので
ある。

プランとしては254で藤岡に出て、高崎は大都市なので3連休は道が込むであろう
から、吉井町ー富岡を通り、信越線の安中に出るコースを選んだ。安中からは、
さらに低い山を越えて、榛名町あたりで国道405に乗れば、中之条まで一本で
走って行ける。



大半が平凡な道であるが、走って面白かったのは、安中ー榛名を結ぶ雉子ヶ尾峠
である。





先行するのはローリーであるが、空荷か手慣れた道なのか、なかなか侮りがたく速い。



少々クレイジーなスピード感に、興奮。そう、ここはもう、「頭文字D」の
赤城の国なのであったことに、気がついた。きちがい峠ではないが、これまでの
首都圏方面の交通と違い、走り屋系のクルマが、まだ生き残っているのに納得した。

榛名から中之条までは、国道で北上して行くと、ほぼ一本でいけるが、本当は
榛名湖を回って行ったら気持ち良いだろうと、思う。しかし3連休でそのルートは
混んでいるだろう。ところが国道も、法定速度以下で走る軽自動車がいて、次第に
ストレスが貯まってくる。

倉渕村から中之条に入ったあたりで、ハンドルを右に切り、山道を走ってみる。
上州の山道が走りたくて、来ているのだから、国道のノロノロはきつい。



こういったルートを走るために来ているのだから、我慢も限界である。



3速と2速にダウンしながら、坂道を走る。時には4速まであげてやり、
アルファのエンジンとシャーシを使って走って行く。


この特徴のある山容は岩櫃山という東吾妻町のシンボルらしい。





やがてクルマは中之条町の中心地に到着した。11時すぎである。

ビエンナーレというのは屋外の空いた民家などを使って広域に開催する
現代アートのフェスティバルのことである。とりわけここ、群馬県の中之条町のは
本格的で、評価も高い。

その会場は中之条地区以外にも、周囲の温泉部にも広がっている。
有名な四万温泉までクルマを進めてみた。








最後の建物は、四万温泉のシンボル的な建築で、ここでも一部を使い、会場に
なっていた。



不思議な繭のような現代アート作品(積善館にて)



湯婆は、居ないか。出てきそうな、そんな古風で奇怪な建物。

四万会場を出てから、先行入りしている知人らのアーティスト集団と合流する。



外観はこんな平凡な風景の中で、異空間が広がっているのが、オモシロイ。





作品ではないが、作品の近くに存在する空気が普段と異なる。そんな場面が
好きで、シャッターをいくつも切ってみた。







現代アートばかり見せられても、「どうよ」の人も居るだろうから、こんなのも。
会場周辺に来ていたクルマ。こういうのなんと言うジャンルだろう。
結構年月経った改造車で、2年前のビエンナーレにも見かけたと、友人らが証言。



会場は屋外中心なので、犬好きが多い。このシベリアンハスキーに似た大きな
犬には懐かれて面白かった。この家族と犬とは、別の会場でも遭遇。



ある会場近くの駐車場近辺で、発見。あれはFRセリカの最終型だ!。



そんな道中で、友人グループらと中之条の町を歩いていたら、さっきのクルマが
走って来た。今度はばっちり捉えたが、好きで最終FRセリカに乗っておられるの
であろう。





現代アートそれ自体より、群馬の田舎町に出現した、非日常の方が面白く
僕は時間を忘れて、童心に帰っていた。



さて、夕方になった。彼ら友人グループは、フィナーレを飾るイベントの一つ、
短歌の歌会を始めるので、私は今回は遅くなるので割愛して別れた。
さて、これからどうしよう。



チョコカネゴンとか、見ている場合じゃないっちゅーの。



それにしても、歩いても味わいの深い町であった。



この看板の旅館は現役で、デコボコ館でなくクボタ館と読む。



とりあえずJR吾妻線の駅前に戻って、友人らお勧めの台湾風?ラーメンを
食べて、出発することにした。なじみらとの会話を聴いているとどう見ても
コリアンだと思うのだが、変な気分。

夜通し走ってどこまで帰れるか、賭けてみようと思った。
だが渋川から乗ってすぐに渋滞。高崎をやり過ごして藤岡から上信越方面へ。
下仁田までは、ものすごいカーチェイスを、5台くらいのクルマと繰り広げる。
上州でもこのあたりの運転は、北九州みたいだと思った。
やっと軽井沢を超えて佐久に入り、深夜の信州の夜景を眺める。
疲れたなあと、パーキングに入る度に実感し、30分くらい寝てしまう。

トランクに寝袋もあったなあと、思い出したが、更埴のジャンクションで
このまま伊那方面に行っても、おもろくないやんけ、と右に進路を取り
上越方面に進むことにした。

トンネルが多く、上手くもないのに飛ばして抜いて行く平凡なクルマが多い。
上越まで急いで帰りたいのだろう。と思った瞬間回転灯が回り出し、
平凡なセダンは捕まっていた。先日の自分をプレイバックする瞬間。

新井というサービスエリアに夜遅くクルマを止めて、ここで仮眠かあ、と
一瞬思ったら、SAの外側に、なんとスーパーホテルの電光表示が見える。
明日は平日だから、多分断られないだろうと、携帯電話で検索してコール。
やった!、これでベッドの上に泊まれる。

SAから「ETCなら、道の駅側に出られますけど、門限10時であと数分ですから」
おっと慎重に、ことは急げだ。
ホテルに着いて、まともな駐車場に停めて、フロントの女性に宿泊を告げる。
短時間過ぎて確認がとれるのに一瞬かかったが、支払いもカードで済ませて、
幸運なことに、その夜は付設の天然温泉に入って、広いベッドで眠った。

しんどい旅だった。家族に会うのをキャンセルしたのは心残りだったけど、
いよいよ明日は大阪まで戻れる。クルマも安定しているし、今回のグランド
ツーリングに、失敗はなかったと思っておこう。
航続距離もすでに1000kmを超えているが、愛車と、自分の体を信じて
明日も走り抜こうと思った。








Posted at 2013/10/21 09:41:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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