• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2013年10月16日 イイね!

アルファで連休1700km

アルファで連休1700kmイベントの無い秋も深まりました。
26号台風で、私は被害に遭わなかったのだけど、
伊豆大島や首都圏の大混乱、皆様の身の上に降り
掛かった災難を按じております。

ところで土曜日から、大阪を出て、遠く関東や
越後までアルファロメオ75でドライブに出て
おりました。
いつもの自動車を使った旅行記事を、書ける
ところまで面白く書いてみようと思います。


まず12日ですが、朝6時に家を抜け出して、走り出しました。

中国道の豊中からゲートインすると、この時間から自動車の数が多い。
これは、気を引き締めて行かないと、普通の調子では走れないだろう。

京都東ー大津間で最初の軽微な渋滞があり、それをパスしますが、大津ー草津で
新名神方面に分かれるクルマが、跨いで行く高架の上で既に並んでいました。

私は、前日に会食もあり、5時間寝てから出発しました。最初の休憩ポイントは
よく使う滋賀県の菩提寺に決めて、旧名神経由で名古屋を目指すことにしました。


名古屋付近の渋滞も案ずるほどでなく、中央道に駒を進めます。

中津川までのカーブの多い連続上り区間では、交通量が多い日は右車線を
塞いだ不慣れかドキュンなドライバーに、迷惑の意味を教えたくなりますが
アルファのトルク特性が思いのほか良く、頻繁にシフトチェンジしなくとも
上って行けました。

恵那山の手前でようやく前が空いて加速できます。おっともう捕まりたく
ないので、超用心(苦)。



駒ヶ岳で昼食を採り、さあ信州だと思っていたら、伊那を過ぎたとたんに渋滞が。

これは事故かなと思ったら、案の定でした。自動車2台と複数の二輪が絡んだ
事故が10時50分頃に発生。2輪は私も中型ライセンスを持っていますが、
休日に団体で走る神経が、未だに賛成する気になれません。

バイクの自由度は、薄いですし、大体あんまり見た目も、カッコよろしく
ないではないですか。
なんで、あんなにツルんで走る、おっさんライダーは日曜になると涌いてくるの
でしょう。。



この渋滞、伊北を先頭に数キロ程度でしたが、しっかり1時間以上ロス
しました。気温は高地なのに高くて、眠くなるので嫌になります。



高速路線バスもオーバーヒートしていました。
やる気の失せる事故渋滞ですが、ラジオのNHKFMを付けてみると
60年代の黛ジュンの特集で、ちょっと面白くて、彼女が「女版ひとりGS」
だったというのを知り、興味が湧き、知っている曲を口ずさんで眠気と退屈を
乗り切りました。

実兄で亡くなった、作曲家の三木たかしさんとのコラボ活動が興味深く、
古い音源をパソコンにいれて、聴いてみたくなりました。





ちょっと鼻にかかったハスキーボイスで、当時のイメージは、セクシーダイナ
マイトだったというのですが、小学生の私にはみんなおばさんに見えていました。

この時、彼女は21才なんですが、まあいいか。

事故の続報は入らずに、そのままスピードが元に戻り、狐に摘まれているうちに
岡谷JCTを通過して、梓川のスマートICで外に出て、有料トンネルを出て
まずは142号線で上田を目指しました。







上田市内から今度は、144号線で鳥居峠を越えて、嬬恋村を目指しました。






ずっと高速で渋川経由で、最初の目的地、群馬県中之条町を目指さなかったのは、
峠路を走りたい私の我が侭ですから仕方がない。
嬬恋、長野原と通って、鉄道の長野原線が見えてくるようになった頃にはもう、
日も暮れてしまっていました。





中之条ではこの連休まで、屋外で現代アートのイベント、中之条ビエンナーレが
開かれていましたが、到着は夕方の6時を回ってしまい、現地にいる友人アーチストに
連絡を取ります。

彼らが泊まっているアーチストゲストハウスに泊まる訳にもいかずに、そのまま
彼らと別れて、さらに150キロ。ここまで500キロ強、走っていますが、都心に
見つけた簡易宿まで、関越道を駆けて行くことにしました。

夜空に浮かび上がる、スカイツリーを初めて間近に見て「きれい」と感動しましたが
心の余裕もなく、一瞬で通過。



こゝろなしか写真がぶれてしまっているのは、自分の気持ちの迷いもあったのかも
しれません。



夜の22:30頃に、ようやく終着目的地に着きました。

この日の走行は約650キロ。
アルファはずっと快調でしたが、ひたすら疲れました。

宿も、もう一つだったけど、一日目の行程を終わります。

Posted at 2013/10/16 15:59:00 | コメント(5) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年09月28日 イイね!

リクルートの本作りから

リクルートの本作りから本屋に置いてある雑誌を買って来たら
半年以上前に出たのだった。

まあ期限切れだったら悲しいけれど、
タイトル的には及第点かな。

しかしカーセンサーを出している
版元のことを思い出してみよう。

ここは元々出版業は後発だったし
先行組と同じことはやらなかった。

元々は就職活動の情報媒体から始まり、
様々なビジネス分野に、展開して行った。


1970ー80年代は、就職活動の際に、男子学生は長髪を切って
紺色スーツに身を固めて、企業訪問する。
俗にそれを“リクルート”スーツというのが、私は許せなかった。

あれから30年以上か。
そんな旧態が未だに延々と続いていることに、いまの日本の
息苦しさの一端も、垣間見るのだが、そろそろ変わって欲しい。
あれは人に依っては地獄のようなものだと思う。


ところでカーセンサーは、今でも基本は変わらないが、出て来た時に
面白いと思った。

それまでの雑誌というのは、編集方針があり、主観があり、サイド記事がある。
マガジンとブックは、欧米では売っている店が違うのだけど、日本では
どちらも本屋である。

日本の自動車雑誌というのは、少し高尚なところがある。
きっと売文業という仕事に本当は、忸怩たる部分があるのを、明治以降、
もったいぶった「啓蒙」という文明の香りをトッピングして、糊塗してきた
のを、引きずっているからであろう。

ところが、新興企業だったリクルートは、割り切っていた。
最近亡くなった創業者の江副浩正が、学生バイトの副業から発展させた
情報ビジネスだったからである。
だからそこが出した自動車情報誌は、とてもユニークであった。

それまでの自動車雑誌の概念にない、中古車相場と物件価格情報が9割で
記事ページは、申し訳程度についているものであったからだ。

「読む所が無い」といって、古いタイプの本読みは、忌避したと思う。
本屋によっては、今で言う無料のニッセンの通販カタログと同等に思った
書店主人も多かったのではないか。

これは1980年代の前半に登場して、関東首都圏の情報しか、最初は載って
いなかった。
京都の書店で、ある日、電話帳のように分厚いのにやたらと安い、この媒体
を手に取った私は、新鮮な興奮を覚えた。
いや、これこそ読者の力を試している雑誌だ!。

これまでの自動車知識を総動員して、出来るだけマイナーな自動車を探して
いく喜び!。
変態という褒め言葉は、このあたりから、濫觴したのではないか。

80年代、90年代と、カーセンサーは破竹の勢いで、全国を網羅して行った。
類似やそれまでにあった、地方の自動車情報誌の広告を吸い上げ、それらを
駆逐して、日本中が、カーセンサー帝国になった。
今は、Gooと拮抗か、やや押され気味であるが、このGooというのは、
おそらく2番煎じだが、元カーセンサー社員がやめて作った「もどき」から
始まったのかもしれない。

それはさておいて、
リクルートという若い会社は、時代に少し翻弄された。
1988年に子会社のリクルートコスモス社の未公開株式に端を発した
リクルート事件で、思い切り叩かれたからである。

こんなことも、若い人に説明しないと判らない「歴史」になってしまった。
最近の検察の、「初めに犯罪ありき」図式が、ようやくコンセンサスに近い
概念になってくると、リクルートは、ライブドアの先例だというのが
判ってくる。
考え方に時代が追いつくというのは、こんなことである。

さて、無駄な記事が無いのが、カーセンサーと出しているリクルート社の
強みであった。反対に言うと、小林彰太郎のようなエディターもいないし
抱える必要もなかったのである。
その割り切り感に、20代の私は、快哉を叫んだ。だがしかし。

50代からのクルマ選びと題されたこの雑誌に、その面影は無い。
カーセンサーから、エッジという高級車路線の別媒体を出し、それを
フォーシニアと銘打ち、スペシャルエディションと題したこの本に
かつてのリクルート社の、若さはみじんもない。

いや、いい本だと思いますよ。

だが、今の僕ら、50代にいつの間にか、なってしまったが、求めるものは
1000万以上の年収と、ジャガーやもしかして、ベントレーだろうか。
もっというと、ヴィンテージやヘリテージと称する、プレミアムな旧い
クルマを別に所有して、建築家に建てさせた、特製ガレージから引き出して
自慢することが、人生の目標なのだろうか。

私は考え込んでしまった。
日本人は、坂の上の雲がそれだったら、周辺国の国民や財布の中身ばかり
気にしなければ、眠れない。
どうなんだろうなあ。

あの頃の私が考えていた未来は、もっと違った形のようだった気がする。
一部はネットなどで実現したので、私も受け入れている。
しかしリクルート社が古くなり、昔の雑誌に戻ってしまったら、
カーセンサーの斬新さと、全く違って、退行ではないのか。

もっと実情を言うと、カーグラフィック/NAVI等の、この10数年に
消長した雑誌の書き手や編集者の仕事も、おそらく今のリクルート社は
吸い込んでしまっている。
それが、この旧来方式の、見た目は美しいが、何の新しさもない、
50代雑誌に象徴されているのではないのか。

ボクも50歳代半ばになり、そりゃ、肉体も精神も疲れた。
しかし、出版不況や低迷を言う前に、この感覚では、日本は数年後に
アイデアもない国にならないかと心配になった。
体裁の問題もあるが、この歳のボクが、これは新しくて面白いというような
内容や提案が読みたいのである。

最後に乗るクルマなんて、新型車でも、旧車でも、
どちらでも良いようなものなのである。



Posted at 2013/09/28 06:29:42 | コメント(6) | トラックバック(1) | オンザカー | クルマ
2013年09月24日 イイね!

岡崎の先輩の“新車”と、岡山の草ヒロと

岡崎の先輩の“新車”と、岡山の草ヒロときょうは、書きかけの記事と、もう一本
記事をアップしますね。

病で苦しむ人がいれば、僕のような病気は
無いが、自由すぎて自分を見失いそうな
人生の人もいる。
でもまだ車に乗れるし、みんな車の話が
大好きだから、何か書くことが、きっと喜んで
もらえると信じます。


長いことご無沙汰していた、愛知の先輩からメールが。
「拝啓最近は何していますか? アルファの75に乗り始めたそうや
ないの。私は今、80年頃のジュリエッタのほかに166に乗り出しました」

ほう、良い色やないの。

ところで一昨日と昨日は、大山までツーリングの予定が、いろいろあり
広島の親族訪問になりました。

その帰り道で、いろんな車の写真を撮ってきたから、お目にかけましょう。
草ヒロ中心です。

まずこれは、






ジャスティ発見!かと思いましたが、
レックス/コンビですね。
備後地方の山道で発見いたしました。



続いては、府中市の上下と言う、レトロな町並み残る場所で写真休憩。




その町外れの中古車屋さんにありました、鉄仮面RS。




これから手を付けてレストアするか、判断中のような状態です。
中国地方のお探しの方は、こういう物件があるという情報までに。
お店の判る写真も、載せておきます。





一日目は、夕暮れに通った神石町の、呉が峠と名前に引かれる場所と、夜に泊まった津山の風景を並べておきます。





二日目朝、ホテルの小部屋〜♫
じゃ無い駐車場に戻ってみるとご覧のようなお隣さんが♫



朝から気分出して、出発です。



津山市から南に下がって、昔、同和鉱業の片上鉄道が走っていたあたりに
向かってみました。
するとこんなものが、



ちょっと、裏道に入ったところでの発見です。
初代プレリュードで一番好きだった濃紺のXR(最初の最高級車種、
のちにXXRが追加される)じゃないですか♫



コンディションはキビシイですが、これを再生させたいなあ。
イギリスのレストア雑誌級のヘビー物件ですが(爆)。





サンルーフ(日本初)の装備がよくわかる角度からの写真も一枚載せて
おきますね。それにしても、これはひどい(><)でも萌え〜♫

校長先生の椅子みたいな白布のシートカバー♫ シートは生きて
いるのじゃ、ないでしょうか。



さて柵原鉱山資料館に着きました。所在地は元片鉄の吉ヶ原駅の隣接です。

ここにはこんなものが!



アルト初代かフロンテでしょう。550cc時代。再生車ぽくて佳いですね。
はい、後ろの機械式キハと2ショット。



もう一台スズキの古いのがいてました。こっちは検切れみたいですが
すぐに動かせそうな、状態です。



ところで片鉄吉ヶ原駅と言えば、知る人ぞ知るアイドルの聖地です。
まずはこの懐かしいCMを。



1985年秋のCFシーンから。御巣鷹山にジャンボが落ちて阪神が優勝した
その年の秋でした。

桃子は18歳、オイラは26歳、どうでもいいけど、鉱山は平成3(91)年に
硫化鉄砿の需要が減少、閉山し鉄道も廃止になりました。
廃止の年はまだバブルの余韻で、私が乗ってきた車もその年の登録です。

桃子がいた駅舎と、桃子が抜けた改札。




こんなだめなヲジサンを許して(爆)。

さて旅は続きます。

次の発見も、脇道に入っての偶然から。
これは、


ファミリア(FF第2世代)のカブリオレと思いますよね。
なんとよく接近してみると、フォードレーザー(オートラマ扱いの兄弟車)
でした。





これはタイヤが凹んでいるだけで、すぐに動かないかなあ。
80年代レベルの車検なら。
思わず「レーザーショック♫」(←違うってば!!)を口ずさむ
駄目なヲジサンを叱って、もっと。



まあそんなふざけたことばかり書きながら、ずっと旅していたかというと
最後の方は、岡山藩ゆかりの学問所、閑谷学校に行ってきました。



それにしても片鉄に、ずっと前に行った1985年頃、草むらで偶然見つけた
S54スカイラインの写真を創刊したての芸文社の雑誌に送って投稿したら
採用された思い出もあり、岡山と草ヒロは、私にとって、切れない縁の
ようです。

きょうも書く元気をくれた先輩と、愛車のアルファ166に感謝いたします。(おわり)


Posted at 2013/09/24 16:54:47 | コメント(9) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年09月19日 イイね!

大阪56ナンバーのセリカ

大阪56ナンバーのセリカいつも世話になる修理工場に
車検らしい古いセリカがきていた。
そのナンバープレートにびっくり。
大阪56ナンバーである。


写真は少し加工していますが、だいたいの雰囲気がつかめると思う。



スピードスターのホイル。



ショックは今でもガブリエルなのだろうか。



特徴あるフロント周り。このモデルは最初期の赤1テールではなく
オレンジの混じった昭和48年以降のタイプだ。
またGTVというモデルは、最初になかったグレードで、
ラジアルタイヤを備えて、レビン/トレノに呼応したスパルタン
仕様ということ。



エンジンは、80年前後に名を馳せたチューナー、クワハラ自動車で
1850にアップされているらしい。



現オーナーは、新車時から乗られているのでは、とのこと。
2年間で数十キロしか動いていない。嗚呼勿体ない。
Posted at 2013/09/19 16:38:55 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年09月05日 イイね!

近況

近況この夏は暑かったけれど、いっぱい
収穫がありました。

また、批判、お叱りもいただきましたが、
丁寧に考えて、回答を出して行くしか
ありません。

私の生き方は、オリジナルなので、同じことを
したいと思わないからです。



さて、850クーペですが、昨日ワークスの大将に会って来ました。
見事に、腐った部分を見つけて、そこから剥離し、次に補修するために
叩き出しと、折り曲げ加工の済んだ自動車鋼板類を見せてもらい、唸りました。

本物の職人の熟練技術は、すごいです。
これまでの27年間に、ぶつけたり、修理した跡も、ちゃんと剥がしたり
技術のレベルについて、おっちゃんの会話に聴き入っていました。
職人は、これは巧い、これは駄目って、ぽんぽん説明してくれます。

私も過去にお世話になった何十もの作業現場に、文句はありません。
若い頃は金が無いから、数万円や十数万の板金で済ませて来ました。

ぼくはそれは、身の丈で850を維持して来たので、青春だと思います。
しみじみ昔の事故跡を見て、懐かしさが込上げました。



人間だって、病気や怪我をします。命を無くすより、生きることの
方が大事です。
今は余生に近いから、この際、延命をやることと、決めました。
5年、10年経ったら
またやらなきゃいけないのは、オールドイタリアンの宿命です。

夏が終わり、この秋のイベントは、久しぶりに850の出動は、無しに決めました。
その分、もう一台の若手中堅イタリアンが、活躍してくれそうです。

アルファの75に至るまでも、紆余曲折がありました。
セダンは良いと思っていても、手を出せない窮地の心境だったのでしょう。

しみじみと、この歳になって、長く乗り続けられた幸運に、感謝します。
「お前何やってんだ」とお叱りの方は、私のいくつかの顔をご存じない。
それは不安定な自信のようなものです。
日本人の美徳からは、ずれているからです。


アルファも昨日は、破裂の危険のあったサブタンクを交換致しました。
今回のこの車は、長く乗りたいですね。
心の中では、メインをアルファ75にして、予備機や晴れの日用に850を
使いたい。



大井川鉄道や遠州鉄道で、SLや予備車両を見て来て、私はヒントを
もらえたと思います。

明日以降は、久しぶりに鉄道の記事と、私なりの交通論を書いて行きたいと
思います。








Posted at 2013/09/05 15:14:58 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/12 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation