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2020年05月20日 イイね!

徳大寺有恒を今思う。

徳大寺有恒を今思う。

もう2014年の急死から5年が過ぎて、懐かしい思い出になったが、
最近、ラストソングであるこの本を思い出して、読んでみた。

徳大寺さんが、「間違いだらけの車選び」を最初に出したのが、昭和51年版である。
西暦1976年で執筆は75年頃からである。

彼が日本車のあり方と売り方に疑問を持つきっかけは、働く女性である
パートナーの奥さんの1台の愛車、レモンイエローのゴルフ1型からだった。

初代ゴルフは、あの30年以上作られた「ビートル」、フォルクスワーゲンの
跡継ぎだったが、180度転換した自動車設計は、保守的な層からは、冷ややかな
目で見られたが、当時の若き日の徳さんは、このクルマに近未来的な予感を
感じたのであろう。

「コレは何だ」と思ううちに、ヨーロッパ車を改めて見直し、乗ってみて
FFのフィアット128や、少し前の125の良さに気がつく。



私は45年前に、30代半ばの当時では若いと言えない、中年期にさしかかった
徳さんが、その頃の日本車…、スーパーデラックスとかラグジュアリーといった
エンブレムと内装変化の素人だましのレベルで、バンバン売っていた時代の
底の浅さに、我慢が出来ずにこの本(間違いだらけの)のペンを執ったと見ている。

大半の日本人、成人男性は、日本車が国内+海外で多いに売れて稼ぐことは正しい
ことだと思っていた。しかし日本車が売れていたのは、価格の安さと、壊れにくさ
だけで、自動車の何たるかを判る日本人は非常に少なかった。

こんなレベルの代物が「欧米車キラー」といって売れているだけの現象に
「おいちょっとしっかり目を開けて、外国のクルマを見ろよ」
徳さんは陶酔していた日本人に、そう言いたかったのである。


ちょうどその頃は、1973年末に起こったオイルショックで、世界が一斉に
不景気な時代を迎えており、それに加えて日本車にはマスキー法の遵守と言う
排ガス規制のタスクがかけられて、日本車の実際も、息が上がらなかった時代だ。




しかしそれでも、日本車は恐竜のようなアメリカ車を、追いやり、米国では
特に売れて、現地の自動車労働者たちが、レイオフ(雇い止め)になると言うので
日本車憎しで、火を点けて燃やすと言う憎悪の対象にすらなっていた。

こんな当時の時勢のなかで、徳大寺さんは覆面作家として、超辛口の国産車批評を
やって、びっくりした読者は覚醒することになったのである。

一方自動車メーカーや、大手広告代理店は、徳大寺は誰だ?という「犯人」
探しや、この本の出版元である草志社の広告にまで圧力をかけた。
推理作家の何人かは、とばっちりをくったという。
また広告媒体への圧力なんて、今と変わらない体質だと思う。

私は5年前に亡くなった故人へ、讃美と言うより、こういう時期に
もう一度読んでみると、コロナ騒動の後で、何をしたら良いのかが
少しイメージ出来るように思えたのである。



エッセイの集大成の本なので、1970年代から晩年の2010年過ぎまでの
長い執筆生活の本であり、その中で、晩年の自動車社会の未来に対する
不安や不満は当たっており、日本の自動車環境は、趣味や人間性、持ち物として
格のある存在にはなれていないし、傾向はよくなっていない。

ところでなぜ私は、この時期に徳大寺有恒を読もうと言う気になったのか。
私は近いうちに、41年間暮らした関西圏を離れる決意をした。
この40年間に大学に行って社会に出て、その後家庭も営み、生活人としていろんな
経験をした。しかしもう60の還暦を迎えた。

一方この長い時間のうち、34年間を1台の自動車を手に入れて、道具として
生活に使い、趣味の世界にも顔を突っ込んで、人生の大いなる彩りとなった。

このクルマを近年どうしようと、何度も迷った。
しかし九州に持って帰ろうと思う。
今では40年前に無かった、マニアックな自動車を見る工場もあるし、
ガソリン車をのんびりした環境で走らせる、最後の時間でないかと考えた。




そんな訳で、荷物をまとめているうちに、蔵書の整理も必要となり、
読み返すこととなった。それと、コロナの騒動は、本来別の出来事だったが
偶然の重なりで、私は3末で仕事を辞めたが、海外旅行も出来ずに、自宅で
日々を過ごすことになった。

この非常事態宣言は、出口が見えつつ有るが、まだ予断は許さない。
しかし私は、急転直下で新しい人生に立ち向かおうと思う。

必要なことは、常に現状を把握と認識して、疑問を持ち続けること。

維持は、何のためにしているかを、考えた方が良い。

Posted at 2020/05/20 10:53:35 | トラックバック(0) | オンザカー | ニュース
2020年02月23日 イイね!

2年ぶりの上京

2年ぶりの上京2年ぶりのマイカー上京をして、親戚訪問などの用事をしてきました。
2月8〜11日です。









昨年1月の最後のニューイヤーミーティングを資金不足で見送り、
諦めた後も、なんだか気持ちがもやっとしていました。


昨年の秋以降に、長年遭っていないいとこからメールが度々来るようになり、
2月に親族の法事をするとの招待です。
今回の連休中の1日を使って行くなら、他にも用事をしようと決断しました。
月曜日に有給をとってです。




昨年夏に、満60歳になったこともあり、車も新造50年近い。
ハードスケジュールで関西から東京に往復するのは、今回かなり不安がありました。
結果から言うと出来たのですが、今回でこのような旅は終わりにしようと
思っている部分もあります。

自分自身の体力の衰え、眠気を感じた時にパーキングエリアまでの時間との闘いも
年々厳しくなっています。事故を起こしてからは遅いのは判っています。

1日目の500キロの行程を終えて夜の7時に、定宿にしている三田の讃岐会館に
到着しました。




2日目の予定は昼からの法事の参加です。
場所は千葉の流山と言うところで、中心地でなく郊外の霊園でした。
そのために車を出して常磐道を北上します。

道は空いていたので、割合と早く着きました。時間が余ったので利根運河と言う
地図上で気になるポイントに行ってみました。




小春日和のような風景の写真ですが、実は空気はかなり冷たく、ビル街で無い
本来の土地の有る所の気温だと思いました。また北関東の気候に近いのでしょう。



法事は1時から滞り無く終わり、打上げの食事に参加して夕方の手前に出ました。

この日も同じ宿が宿舎です。

南西に向かって走ると富士山が彼方に見えます。こういう風景は関西に無いので
遠くに居るなあと感心も致します。




スカイツリー、東京タワー、この3つを短時間に運転中に見ると、もうお腹
いっぱい。御馳走さまでした。







前日より、20分くらい早く、夜の都心に到着して、宿に車を停めました。

Posted at 2020/02/23 23:38:57 | トラックバック(0) | オンザカー | 日記
2019年10月23日 イイね!

18年ぶりのセルモータ交換

18年ぶりのセルモータ交換









今850クーペは修理に出していて、セルモータを交換中です。
部品はネットで入手しました。

セルが回らなくなったのは、過去にもあり、2001年の1月末のニューイヤーミーティングに向かう、東名のパーキングで発生しました。
結構致命的なトラブルに成り、横浜の手前の藤沢に宿をとったのですが、この年は降雪になり脱出までに、たくさんの知人の手を煩わせました。

あれから18年経ち、またセルモータが逝ったのですが、今日の祝日に、頼んでいた部品が届き、修理工場に持参すると、kotaroさん、運が良かったね。この部品、もう限界寸前で、バラバラに壊れる直前だったとカバーを外した部品が破損しかかった状態で、工場に置いてありました。

こういう旧い車を何気なく乗り続けるには、いろんな人の支援があり、可能となります。オーナーの個性だけでなく、クルマに対する知識と理解も要りますし、そのスタンスは、何でも自分でやっちゃう派から、様々です。

何でも自分でやる人は立派ですし、コストも最小限です。
私は学生時代からクルマをいじり始めて、20代はソレックスツインキャブの分解までやりましたが、今は工場に出しています。
いろんな考え方があり「餅は餅屋」というのが私の持論です。

自分でやったソレックスツインは、調整が出来ず、本調子になりませんでした。
前オーナーに返したセリカは、ちゃんと調整されて、数年後に、上まで回るエンジンになっていて、「ああ損した」と思ったからです。

それとこういう個人ユーザーの個性的なクルマを直せる工場は、昔に比べて減りましたが、工場を潰さないためにも、仕事を発注する客がいないと続きません。
私たちは自動車のホビー要素の強いおいしい空間に住んでいるマニアですが、ホビーや趣味は一人で相撲を取るものではありません。

私は割と早くから、マニアの世界で生きて来た人物なので、濃い遊びが好きです。
その濃い遊びを楽しむためには、人を育てて潰さないことが大事だと思います。

私も完璧な人間ではありませんが、よく同じ趣味の世界で間違った人間に牙をむく人を見かけます。「お前は間違っている。私のやり方が正しい」と言わんとすることは判りますが、言われた側はビギナーでこれから入門して、大成する可能性があったのに、入り口でもう御免になりますよね。

私の旧車趣味は、最初の車から数えると40年近くになりました。フィアットで33年です。

他の趣味の人たちのライフスタイルは様々ですが、私が憧れるような人は滅多にいません。

どうしてもカタログ雑誌的な本の影響を受けたり、本来の海外の趣味のあり方の亜種的な日本独自の発展に影響を受けています。
しかしそれを否定するのでなく、包容力のある人は、趣味のセンスや持ち物が何であっても、ああこの人は付き合えるなと思ったら、友達付き合いが一生続いて行きます。

最近の世の中は、すぐ下の足元まで貧困が接近するような時代になりました。でも趣味は、いろいろな人にとり、心を養い、育て、人間的な成長を伴走する第3の教育だと考えます。

私は考えたら幼少の頃からずーっと、好きなことばかり追究してきました。
還暦の60歳になって、成功や栄達とあまり縁がなく、この世に名前を残すこともおそらくなかろうと考えますが、多分趣味を続けて来たから、絶対という評価(会社の社長や重役とか、ノーベル賞みたいな)がなくても、相対的に幸福な一生だったと思っています。

無名人の生き方は、なかなか教えてくれる先生がいません。
私にとりホビーや趣味は、その「先生」に当たるものであり、それを無意識に導いてくれた母は、よい親だったなと、今考えています。

Posted at 2019/10/23 04:17:10 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2019年10月07日 イイね!

再び丹波

再び丹波










75に乗って居た頃、借りていた畑のある農家に
最近戻りました。
また「別荘」ライフに戻ったのかは疑問ですが、
時々アップできるネタが増えました。

雑誌は買わなくなり長いのですが、近所の本屋の兄さんが
余った付録を、私の行く立ち飲みに、よく「捨てに」来ます。
その中から、「オプション」のDVDをもらい
丹波の農家にはテレビが無いのですが、DVDは見られるので、
試しに見てみました。

フジツボと、柿本レーシング、HKSの最新マフラーの比較を
飯田アキラとシャークなんとかという人がやっていました。

走り屋はとうに卒業したのですが、良いですねえ。
シャークという人の「マフラーはこうだろう。
低音は『ヴォオオオオン』、高音は『クォーーーン』」の
例えに笑ってしまいました。

確かにそうで、私の850にも大音量のスポーツマフラーが着いており
五月蝿いことをいつも気にしていたのですが、
高速で長距離トンネルを駆け抜ける時の音は気持ち良く、
「マフラーは楽器だ」という文章を書こうと思いました。

私の場合、フェラーリと一緒で、背中の後ろにエンジンがあり、
その先からダイレクトに音がします。

それはマエストロの気分に似て、さすがにイタリア人は
判ってらっしゃると、思ったりもします。
Posted at 2019/10/07 03:58:21 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2019年09月21日 イイね!

北陸旅行の思い出

北陸旅行の思い出













久々に北陸を回る旅をしてきました。
福井・富山は、20年弱として、能登半島に行ったのは
40年ぶりです。
今回は息子と一緒に運転しながら。それと先週までは暑かったので
アルトで回りました。


Posted at 2019/10/07 04:00:05 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「ハイブリッド車の税金割引を辞めて欲しい。旧型車の税金を過重に重くするのを、時代錯誤ということに国交省と財務省は気づいて恥じるべきである。https://bestcarweb.jp/newcar/1313994
何シテル?   09/05 00:38
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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