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2019年04月30日 イイね!

平成最後の日に考えてみる

平成最後の日に考えてみる


平成の30年ちょっとがあと数時間で終わる。
考えてみたら僕の自動車生活は、昭和50年代に始まり
平成の間はずっといっしょに駆け抜けて来た。
それがどうしてこのような変化になったのだろう。




平成の始まった年は1989年1月だった。
そこから1989ー99年までの11年間を三分の一の期間として
この間に私は結婚して、子どもが3人生まれて家族を持つことになった。
この11年間に買ったクルマは
シトロエンBX
フィアット131 4ドア
シトロエンGS
タルボ・サンバ・カブリオレ
ローバーP6と5台になる。
一番多くクルマに手を出した時代だ。

次の2000年ー2009年の10年間は、90年代がバブルの後だったが
ミレニアムで景気が戻る可能性もあった。
日本では沖縄にちなんだ2000円札が出たが、小渕総理が急死、その後を
森喜朗が“談合”で継いだ跡に、ブーイング退場、そして人気絶頂のような登場の
仕方で小泉純一郎の5年間に日本は大きく変わる。

私は、
オペルカデットEシリーズ
フィアット・リトモ・アバルトTC125を買っただけで
ローバーとタルボを維持することに専念した。
850クーペは勿論乗り続けている。
しかしタルボを諦め、やがてローバーも去って行く。

2008年にはリーマンショックというアメリカ発の不況が起きた。
日本は97年からデフレ社会に入り、底の見えない時代になる。
そして人心を一新するかのように、自民党から政権は民主党に交替する。



2010ー19年に私は家族と離れて一人で暮らすようになった。
50代の決断で少しでも世の中の流れを変えたかった。
自分の人生は大きく変わる。
この間に買ったり、来た車は
スズキアルト2003年式
フィアット850スパイダー
ダイハツミラ2000年式
アルファロメオ75
の4台になるが、いずれも残っていない。

今は先住の850クーペ1台きりに戻った。



平成の30年間に何が変わったのだろう。

トヨタの自動車史を歴史エポックな車種で思い出してみると
1969年に登場したセリカ1600GT
1981年のソアラ2800GT
この後は1989年の初代セルシオ
1997年のプリウス
くらいではないか。
ミライは該当しないと思う。
次点でRVクロスオーバー車の走りとなったハリアーも忘れ難い。




昔は新車を2、3年乗っては乗継ぐようなカーライフは普通だった。
だが、日本人の財布は毎年縮んでいき、今は軽自動車を買うのが精一杯の
ひとと、
ベンツ、BMWの新車が買える層に2極に分化した。

中古車は、堅実な人が買うけれど、若者は中古車すら買えず、自動車に
乗らなく(乗れなく)なっていった。
この2010年以降は顕著である。


日本の自動車は、この30年間で成長のピークを過ぎて
車種も減り、メーカーももう4社くらいではないか。

ダイハツ、スバルを傘下にしたトヨタ
合従連衡をしない強さのホンダ
フォードの縁がなくても生きて行けるようになったマツダ
そして野草のように強いスズキである。

日産、三菱は、ルノー・日産の持ち株会社が海外にいくため
今後は日本の自動車企業というより、シャープや三洋のように
海外資本で、ブランド名が残る程度になるだろう。



自分のことと、世間の一般を、ごっちゃにしたような記事でこれは良い記事ではない
が、今日は何かに着いて書いてみたくなった。

そしてこれから始まる新元号は、確実に私は過去の人になるし、
自動車も社会の中心から去る。

その覚悟は出来ているが、せめてあと数時間は、平成の記憶に浸っていたい。

今日はそういうラストの日となった。

Posted at 2019/04/30 20:37:59 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年11月20日 イイね!

日産、ルノー、三菱はこれからどうなるのか

日産、ルノー、三菱はこれからどうなるのか2018年11月19日、月曜の夜に
世界中のマスコミが、カルロス・ゴーン会長逮捕へ
のニュースで騒然となった。


容疑は過去の数年間に、巨額の報酬以外に手にしていた
お金の流れを公表していなかった不正流用である。



毎日新聞の記事より

>日産自動車会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)が19日、同社の有価証券報告書に自らの役員報酬を約50億円過少記載した容疑で東京地検特捜部に逮捕された。

>「ゴーン神話はこうして作られた」の著書がある自動車ジャーナリストの遠藤徹さんに話を聞いた。

>「今回の事件、日産が変化するチャンスに」 遠藤徹さんの話

 >当初は「ゴーン神話」と騒がれたが、彼が来てから国内販売網は
ズタズタにされ、売れそうな車種以外は切り捨てられた。
日本のメーカーとして国内シェアを固めた上で海外に打って出るべきなのに、
目先の数字だけを追い、コストカットと、ルノーや三菱自動車との3社連合による
シナジー効果で数字の見栄えを良くしてきただけだ。
その結果として、飛び抜けた額の報酬をもらっても、理解は得られない。
「(高額報酬は)海外では普通」とはいっても、日本では特異で、トヨタ自動車
社長と比べても段違いに多い。社員に還元した方がまだよかったのではないか。
今回の事件は日産が変化するチャンスになるかもしれない。



国内ニュースどころでなく、ロイター、フランスのAFP通信でもトップニュースであった。
日産ゴーン会長らを金商法違反容疑で逮捕、社長「権限集中が誘因」

日産のゴーン会長逮捕、報酬過少申告か 同社は解職提案へ


なぜ、こういうことが起きたのか、
どうして判らなかったのか、の2点に、とりあえず最大の関心が集まる。


日産の株主会議の風景は、近年異常と言うか、何も問題提起がなかったらしい。

これは私が行ったことのない、株主総会に、日産車オーナーのみんカラ友達の
方が、今年の総会に行かれた時の記事を、レポートされています。

2018年06月27日 「日産自動車の株主総会へ行ってきました」


ゴーン氏(もう「容疑者」になっていますが)が、日産に来たのは1999年で
前世紀末のことである。

20年近く昔のことで、記憶も曖昧になっているが、日産はバブルの後で
急速に経営に失敗し、トヨタがプリウスを21世紀前に出せたのと対照的に
倒産危機に陥った。

そんな時に、仏ルノーの代表に3年前に就任した「コスト・カッター」の別名で
呼ばれるレバノン系フランス人の、カルロス・ゴーンが、「日産の再建を引き受ける」
との大ニュースで、日本企業に乗り込んで来た。

ゴーンがルノーで頭角を現したのは、雌伏の時期から後で、割と短期間である。
ルノーは南米や、中東でも以前からマーケットを持っており、いわゆる本国外で
支配人として、とんとん拍子で実力を発揮。その方法は、情け容赦なく不採算部門
を切り捨てるので、「コストカッター」の名で呼ばれた。

日産は、バブルの後遺症と、1997年に起きた金融恐慌で、深刻な事態に陥り、
それまでに主力工場の一つ、座間工場を閉鎖したが追いつかなかった。

直前の日産は2兆円の有利子負債を抱えており、当時の塙社長(故人)が
ルノーとの全面提携を決め、シュバイツアー会長から、右腕のゴーンを
日産再建の切り札として呼んで来た。その時の回想録が見つかった。

2015年12月23日
ゴーンを日本に連れてきた男、塙氏死去「エピソード・アライアンス」


就任後、矢継ぎ早の「リバイバルプラン」で、日産はトヨタ以上に話題を集める
企業となり、ゴーンの一挙手一投足に注目が集まった。

当時はミレニアム、2000年を前に、まだ日本の政治は小泉時代の前である。

規制緩和の声の元の、大規模店舗法や、派遣法の改正以前で、働く人の
多くは、正社員や労働組合で地位が守られていた、20年昔のことであった。

ゴーン革命、改革と呼ばれた大胆な手法で、日産は生まれ変わった。というか
サニー、ローレル、セドリック、グロリア等の、「昔の名前」はことごとく消えて、
ブルーバードもシルフィになり、やがていなくなった。

残っているのは、ゴーンが気に入った「スカイライン」くらいである。


2016年には、何度も不祥事を繰り返した、三菱自動車が、親会社から見放されて
日産・ルノーチームの一員となる発表があった。



しかし、三菱の再編や再建は、40代前半だった19年前に較べると、ゴーンの
スピードは落ちた。これから三菱は、ルノー・日産と共通プラットホームに
なる可能性が高かったと思うが、車種再編は、まだ始まる前である。

というか、三菱がギャラン、ランサーのセダンを作る必要は、あまりない。
新たには。

そんな中で、円と為替の問題とか、欧州事業が継続安定の日産が、稼げる体質に
なり、ゴーンは高額報酬をもらうのが当然となって、長期間以上、“君臨”してしまった。

身から錆が出るとすれば、この一点であろうし、トヨタや、ドイツ連合の自動車企業
チームから、同業ライバルに攻撃をかけるとすれば、ゴーン個人の資質というか
脇の甘さを探られたとも、言われ兼ねない。

とにかく、フランスはルノーの不祥事と同じことで、大ショックであろう。

「ゴーン王朝」の失墜が始まる。たぶんであるが、イメージ回復への道は図り知れない。

日産と東京地検が告発した、世界級ニュースの影響は図り切れず、年を越えて
ガタツクであろうと思う。

いずれかの会社が、今後数年のうちにもしかしたら、市場から退場する可能性も
軽はずみには予想できないが、フランスと日本の資本だけでは弱い。

大ニュースの数時間後だから、今は見守るしかない、と言っていいのか。




私は「まずかった」なあと思う。感想である。
今年の日産の株主総会の、前に上げたレポートを読んだ時の、感想である。

今はゴーンに誰も、余計なことを言わない。言えない。無謬神話みたいに
日産がなってしまったことにである。

私は自動車メーカーの未来にも、気持ち的な重なりや、盛り上がりを今は憶えていけない。
それは、私が近づくこともない、現実の壁が、先ずあるのだが、
「それにしても」である。

きょうはこれ以上書きたくなくなったので、筆を置くことにする。
Posted at 2018/11/20 03:51:02 | トラックバック(0) | オンザカー | ニュース
2018年07月06日 イイね!

イタリー製の“ゴム靴”について考える

イタリー製の“ゴム靴”について考える「あの…とても言いにくいんですがソレ輸入してないんですけど…」


https://twitter.com/Revo_BL5C/status/1014709767263023104

twitterでこんな面白いリトゥイートを見つけて、最初は笑ってしまった。

私は日本に入っていない「非アバルト」モデルのことでも言っているのか
一瞬カンチガイしかけて、マツダ製「フィアット124スパイダー」は
国内製造で組み立てられたから、厳密な意味での輸入車ではないことを
ようやく理解した。


ところで、こんなことが起こることの背景について、朝からゆっくり考えてみる
ことにした。

一つは「ヨーロッパの終焉」がある。

もうヨーロッパ車と言っても、フランスやイタリア本国で作っても
収益モデルになりにくく、今回のクルマのように、マツダロードスターがベースで
エンジンや艤装がイタリアンなら、組み立ては世界中のどこででも良い。

2000年代に「ブランド」がビジネスのキーワードとして、取り沙汰され始め
フェラーリやポルシェの「価値」が高騰し始めた。

その頃がクルマ好きのクルマ離れのきっかけであったと思う。

サングラスのレイバンとか、ギターのフェンダーと同じで、最初の原産国から
ブランドだけが漂流し始めると、受け取るカスタマーは、有難いのは「ブランド」
だけであり、少しでも安く買えるなら、それに越したことは無いになってきた。



ところで、日本のことについて、たまには書いて見る。

これは私見なので、あまり「間違っている!」、「おれの考えはこうだ」みたいな
意見は、最初に勘弁願うことを書いておく。

ヨーロッパの終焉というのは、ヨーロッパが価値だけの存在になり(さがり)、
今実際に、消費の活発な「現場」は、東アジアが中心だ。


東アジアに風俗や民族の生活文化はあるが、歴史的な値打ちのある商品は
やっぱり先進国に長く伝わった「洗練」といった、ものの見方にあると思う。

ところが、日本と言う国は、先にアジアから飛び出せた。これは戦後の米国との
政治と経済の繋がり方が、いろいろあって、うまくやったことが多いからだと
考える。
(憲法論とか好きな人は、スルーしてください)

日本は空前の市場に一度なり、緩やかから急速な衰退期に、今向かいつつある。

人口の問題と少子化は、複合原因だが、端的な事例として判りやすい。

その日本の価値は、いま、どのあたりなのだろう。








日本はアジアの一部であるが、独特の存在である。

国際的マーケティングの中では、日本という存在は確実に存在するが、
それは1億の市場でしかないのではないか。

その市場だけの奇妙な国には、レベルが高いだけの技術があり、
今回は“イタリー製ゴム靴”の製造を請け負った。それだけのような気がする。

マツダ製フィアット124スパイダーが、世界と日本に、何を訴えているのか。

それがあまり感性(パッション)に訴えるものではないが、マーケティングの理論
では、それほど失敗ではない。

しかし、イタリアンのオーラや、乗った時に来る、エモーションは薄いだろう。

まして、日本人が、日本国内で乗るには「ちょっと」と思う人が居てもおかしくない。


でも、今やクルマはこのジャンルナイズされた商品でしかない。

また、日本について考えると、いま世界中で、ネーションや、民族に基づく動きが
すごく活発になってきている。


これは21世紀に入り、イデオロギーの冷戦が終わってから、新しく21世紀は
レリジョン(宗教)と、その国の立ち位置が、とにかく微妙に変化し続けている。




日本国内で起こっている、やや右寄り旋回な動きに就いても、この世界の文脈に
当て嵌めて書いてみたいが、悩ましくも日本は、先に先進国化しているので、
どうもエスニックな解釈では、落とし所が乏しい。

これに上下分離の経済現象が伴うので、日本で起きていることは
トランプのいるアメリカの方が、私は考える時の参考になると思う。


日本のことを、いろんな人が考える時に、多く陥る勘違いは、唯一無二とか、
日本を「絶対化」することだと思う。

世界の中で相対的に見て、日本はどのくらい、とか、どんなふうに見られているか
そこから内国に立ち返って考えると、時々陥るミステークに気がつくであろう。

今の世界は流動的で、お金と人と、あとは土地や位置の関係で、評価対象が
どんどん目まぐるしく変わって行く。




自動車製造の産業は、初期の目的は先進国では終わっている。

僕らは中期の時代の、一番趣味性が高かった時代の、ほんのひとかけらの
エスプリや、エッセンスを堪能し、素晴らしいとか、これが良いとか言っている
だけだと思う。

「20世紀の残滓」という言葉を僕は、20年前にホームページをつくったとき
クルマ趣味の表現として使ってみた。

まさに今頃、ミニとか、フィアット500、124スパイダーなんて、似て非なる
個体が世に出ることは、残滓文化の表れではないか。


日本で124スパイダーが作られて、イタリア人が買うのと、日本人が買うのと、
中国やアメリカの中流層が買うのとで、受け取り方は全く違うと思う。


たまたまマーケティング的に、日本にFRのオープンカーのシャーシが在った。


信頼性と、組み立てる工場のレベルと、発売単価のコストを天秤にかけると
このプロジェクトで「よし」が出ただけだと思う。


マツダもひと昔前のような、フォードグループで無くなり、時間は長い。
マーケティングビジネスの最たる例だと思うけれど、日本の今後のクルマ
つくりは、これで正解かどうか、答えるのは少し時間がかかるだろう。












Posted at 2018/07/06 14:56:29 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年06月20日 イイね!

変わらなかった日本人の価値観

変わらなかった日本人の価値観今回の写真はこの記事から借りました。

イタリアのクラシックカー雑誌「ROUTE CLASSICHE」記事から引用です。

私が若い頃、老後近くにやりたいと思っていたことは、
ポンコツカーをこつこつと整備して、路上に復帰させることであった。
今を去ること40年前、当時サイクルスポーツ誌を読んで、自転車の再生を
始めたことが、その道程のスタートだったと思う。

私は器用だったから、寄せ集めで、捨ててある自転車から、
カッコよく再生車をつくり、自分の愛用にして乗っていた。
そういう経験もあり、バイクのスプロケットやチェーン交換、自動車も
最初に乗ったランサーのぶつけた板金、さらに抜けた床をFRPで再生したり、
2代目に乗った、ただでもらったセリカも、錆びたりしたパーツは全部
八幡の解体屋で部品を求めて、自分で取り替えたりして、その道を
邁進していた。



私に転機が訪れたのは、女性と結婚したことで、家庭が出来たが
共働きで大変忙しかったことに、さらに子育てが20年続いたこともある。

そんなうちに、年収が上がり、クルマの整備は、馴染みの工場に任せることが
すっかり長年の習慣になってしまった。
それが幸か不幸か、今に至って私は自分の手でクルマをいじる部分は
限定的な日常点検レベルだ。

ところで1989年頃から私はクルマと人生と、自分の将来や社会の予測図を
考え始めていた。
その頃、洋雑誌を見る機会が多く、日本も豊かになり、ホビーに費やす
時間が増えると、自動車趣味の進展で、やがては欧米のようなレストアライフが
充実した時間の使い方の一つとして、定着するであろうと思っていた。



ところが日本では90年代は、バブル経済からの潮が引いて、いろいろな考え方が
反動のように後ろ向きになった。
中でも1995年の神戸の震災、97年の金融機関が次々潰れた金融恐慌は
浮かれていた日本人の、昂揚感を醒めさせるには、必要十分過ぎて、
しっぺ返しのように、日本人はダメだしばかりする、国民性に急転した。

そんな中で私の乗っているような、1970年頃までの旧車に対する理解は進み
1992年に「old timer」が創刊して、やっと私の思っているような、身近な
クラシックカー文化が、日本に訪れたと、私は一瞬そう考えたのだが、それは
実は違っていたことを、今日は書き説いていこうと思う。


何が違ったのだろう。
ヨーロッパやアメリカでは、旧車レストアの腕自慢たちが、1980年代までに
雑誌などを舞台に、ライフスタイルを展開していたと言って良い。

私は、新車礼賛の日本の自動車社会が変容して、旧いクルマへのレスペクトが
起こっていき、海外に近くならないか、かなり熱望していた方だと思う。

1984年頃に、「カー&ドライバー」で当時底値だったアルファロメオのジュリア系を
素人レストアで、どこまで整備再生できるかと言う記事があった。
私が熱視線を送ったのは、そういう珍しい記事や、創刊間もない
「スクランブルカーマガジン」の旧車復活記事であった。



その後の30年近い時間、私はせっせと旧車の面白さを、内外に説いて来た。
身近な友人から、このようなネット媒体にまで。
実践的なイベントも開催したこともあったが、しかし今の気分は、ものすごく
醒めてしまった。

だってお金持ちが、自分の手も汚さずに「雲上人」のように優雅に走らせる
イベントなんて、あっても良いけれど、それが全てではないじゃない。

自分たちは手を汚して、自分の好きなクルマを再生し、いつか路上に復帰、
そんな夢を見ていたけれど、
あまりにも現実は、甘くなかったし、それ以上に、そういう草の根系レストアラーは
盛り上がらなかった。

その訳は複数ある。
まず草ヒロ的な、捨ててあるポンコツを貰って来ても、日本の法律は、規制を緩和
せず、書類無しに対する登録への壁がめちゃくちゃ高い。

車台刻印からなんとか登録が出来ないものか。理由は盗難防止とかいろいろ
あるだろうけれど、状況判断で捨ててあるクルマは、金銭対価のある動産とは
現実的に、思われ難い。そんなものは、司法判断以前の民間レベルのことだと
思うが土地登記並みに、自動車の所有権移動の壁が困難である。
再生自動車の取扱いは、特殊趣味のジャンルとして、管轄の中でも特例でも
良さそうだと私は思う。

あとは、再生自動車でも、保険も税金も、新車と変わらないどころか、
新車より高い課税がかけられる異常な税制体系って、おかしくないか。

また任意保険は、私の主張は、クルマに掛けるのでなく運転ドライバー1人に
掛かって欲しいと、長年主張している。
旧車5台持っていても、運転するのは私一人である。
そんなことも長く言い続けて来たが、もうやる気も無くなってしまった。



社会は緩やかから急速に少子高齢化、人口減に転じ、経済の振幅は、お金持ちと
貧乏人の差を広げて行き、私たちの老後は、父親の時とはすっかり違った
風景になるであろう。

趣味やもの事には、出来る(can , possible)の旬というものがある。

私はクルマと平行して、機械カメラの趣味も、80年代後半から90年代、2000年過ぎまで
楽しませてもらったが、もうフィルムが生産終了するので、これは良い時代に
1960ー70年代製造の機械カメラを楽しませてもらったと、思い出にひたろう。

クルマも1990年代から2000年代前半までが楽しかった。
今は整備の技術や、海外からの情報、パーツ提供がすごくよくなった。

しかし、若い人がクルマ趣味に来なくなった理由、いろんなことがあるが、
さすがにトヨタの会長までが、今の自動車所有、保有に関する諸制度が
制度疲労して、現実に全然合っていないことを含めて、こんな社会を続けていては、
自動車メーカーの存続にさえ、黄信号どころか赤信号になりかねないと、
つい先日、大きな発言をしたことが話題になっている。

http://blogos.com/article/298814/

私は豊田章男氏が、よくぞ言ってくれたと褒めたいが、その前にこれだけ
高負担が続いて来た日本の自動車社会は、民衆である自動車ユーザーが
何も言わない、言えない体質であることに諦めてしまっており、
今日の本題に戻れば、そういったカーレストアレベルのライフスタイルを紹介
するのは、特殊雑誌になってしまった「old timer」でなく、「カーグラフィック」あたりが、
何年も前から提案すべきだったであろうと思っている。

小林彰太郎が生きていた時代は、長老が実践してきたが、今は文芸春秋みたいな
部長さんがよむ「エスタブリッシュ雑誌」になり果てた。初期は自動車版
「暮らしの手帖」みたいな性格であったらしいが。

また「スクランブルカーマガジン」については語る気がしない。
日本の旧車、クラシックカー趣味の性質を、金銭対価や外面評価に変えて
しまったのは、その後の後続雑誌だし、本質的に、クルマを広告や売るものに
しか思っていないのではないか。

それは間違っているとは、言えないが、クルマの楽しさは、30年ほどの間に
ホビーとして成長できず、ビジネスの周縁ゾーンに虚ろにいるカオナシみたいに
なってしまった。



本当は違うんじゃないかと、私は思ってきたのであるが、もう時間は残っていない。

私自身が、これほど興味が醒めてきていることは、自身の加齢と、旬な興味対象の
減退などがあり、社会制度が、今回の豊田発言で、いくらか緩和や良い方向に
向かえば良いのだが。
そんな時にまた投機を煽るような媒体だけは、読みたくないと思う。







Posted at 2018/06/20 07:52:04 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年06月02日 イイね!

若い人たちと旧車

若い人たちと旧車


今の時代はイケてない。
とくにジドウシャはそうだと思う。

僕よりもっと若い人たちは、感性が鋭いからとっくに現実を見抜いている。

このところの時代社会を見ていると、若い人、エッジの立った人たちは
とっくに新車、新型製品に見放して、古いもの、つまり過去の「ナンバー」の
中より、面白いもの、エッジの立ったプロダクトを見分けて、その中から
現実の進行形の生活、場面。つまりリアルライフで使っていく、自分の
パーソナルライフを演出する「小道具」として使っていないか。


いま、
レコードだのファッションだの、カメラやあらゆる分野で「昭和レスペクト」が
起きている。僕も最初はただの“回顧趣味”かと、思っていたが実はそうでもない。

平成末期、2010年代後半の世の中が「つまらなさ過ぎる」から、あらゆる分野で、
「過去の(製品の)見直し」が起きている。


おじさんたちは、若者が使う
「エモい」という言葉を知っているだろうか。


野球選手のエモトではない(古っ)。
エモーション、エモーショナルなの、情動、感情に訴える部分で、
「これっ!」という反応があるものを、若者は求めてる、飢えているのである。

こんなしょーもない、予定調和な、平和社会に、楯突くのは、昔のように
反戦とか、反体制とか、要するに既存の価値観を否定して、レヴォリューション
することは、今は社会的に生きにくいし、抹殺されそうになる。

その代わり、21世紀のこのあたりから、前世紀の見直しや、面白そう探しが
始まって佳境になりつつある。





何でそうなったかを、今日は考えて行く。

まず現代のプロダクトを見て、なぜがっかりするかというと
コストが計算されすぎて、誰が見ても中身が薄いことにある。

そんな新車のプリウスも買えない私が言うのも、なんだが。

アクアを乗ってる人には悪いが、ジドウシャの夢って何だったのだろう。

名前からして水みたいに薄い。

音楽でも、80年代からコンピューター演奏技術が進んで、今度は再生機能が
人がやることが減り、環境変化の進展で、誰も苦労しなくなってしまった。

もう機械に詳しい男性にリスペクトは集まらないし、アタマの良い男性も
そこらへんのお姐ちゃんも大差が無い。

こんな素晴らしい平等社会は、ある意味で「愚民社会」ともいう。

これでは、と思う人も、流れには逆らえない。
私のように、社会と距離をとり、孤独に生きて行くことは可能だが、
それすらも、回り中気がつくと薄っぺらな文化だけになっていく。

もう、そういう時代に絶望して、死んで行った人も多い。(才能のこと)

しかし、天才と盆栽の間に、中間に生きる人もいるから、そこまで尖らずとも
まあまあ、やれる範囲で、オモシロイこともないだろうかというのが、
本ブログの趣旨なのである。






今日使った写真は、昨日探し出して来た、1974ー77年頃の
普通の日本の風景である。
小物に写っている国産車たちでも、今見ると随分個性があり面白い。

これがエモい車かどうかというのではなく、
その存在感がエモいかどうか、なのだと思う。

やっぱり今の時代に当たり前に生きていたら楽しくない。
人生ずーーーーーーーーっと、予定調和で行って、どんな結論(夢)が
待っているのであろう。

そこらへんのおかしさに気付いた人がもっと出てきて、平成より後の時代を
変えて行って欲しい。

若者と旧車というタイトルは、組み合わせが変わっているというより、
何か足りない栄養、今のメニューの食事を毎日繰り返していても、
死にはしないだろうが、これでいいのか? 世の中にはもっと美味しい?
珍奇なご馳走があるのかもしれない。

そんなことを、ようやく時代が気付き始めて、毎日見慣れた日常は、
せいぜい20年くらいの連続であり、それを昭和のミドルエイジまで遡れば、
日本も当時は「なかなかの」国だったことを、知り、ここに面白さを発見!

みたいなことになりつつあるのではないかと、感じている。

で、おじさんたちは、どうすればいいのかは、別の機会に考える。
今日は以上。











Posted at 2018/06/02 07:25:47 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「ハイブリッド車の税金割引を辞めて欲しい。旧型車の税金を過重に重くするのを、時代錯誤ということに国交省と財務省は気づいて恥じるべきである。https://bestcarweb.jp/newcar/1313994
何シテル?   09/05 00:38
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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