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kotaroのブログ一覧

2012年03月23日 イイね!

瀬戸内の島

瀬戸内の島本籍地とは何であろう、と、今回の旅は考えた。




下関方面から高速に乗らず国道をひたすら広島方面へ。
前述の長沢湖畔で朝食を10時台に摂った後、私は正午過ぎに
山口県下にある山陽本線柳井駅前で、岩国から電車で来ている
叔母と落ち合った。

叔母は昭和3年の早生まれで、誕生日を迎えたばかり。
まだ頭も抜群に回転がよく「こーちゃん、ダイヤ改正で
時刻も変わっているから、注意してね」と今年のこの日からの
3.17春の列車時刻改正のことも、頭に叩き込んでいるのには
舌を巻いた。

オセロの中島問題でも、地元岩国の基地問題でも、ちゃんと
自分なりの考えを持っているから、会話が面白い。
私は、父方の血を引いていると思う時は、母系の趣味人や
工作好きとは別に、クールにモノを考える瞬間によく思う。

戦前にムラや一家の誉れのように旧国立大学に入ったが早く
他界した父の頭脳より近年は、大学は行けなかったが地方都市で
OLの生涯を送り、今でも抜群の回答力を出せる叔母の頭に
H家の秀才ぶりを感じることの方が多い。



山口県大島町安下庄(あげのしょう)。
本籍地はここではないが、車で対岸の島に渡り、周防大島をくるっと回ってみることにした。



昔の大島の中心地だったところである。
「アゲ」の庄というから、内海の物資の陸揚げ中継基地として、
江戸から明治にかけて栄えたところなのであろう。
私の先祖たちも、毎日海と向かい合って暮らしていたのか。
このように、干拓をして、水路を巡らせ、家屋敷をつくって
一家は富を蓄積していく。一族の繁栄を願いながら。

今は静かに過ぎ去った時代の記憶の片隅の中で、
何かを語ろうとしているだけなのかもしれない。



神社の鳥居は河に沿い、海に向かって建っている。
遠い時代に「神」が海の方角から来たことを物語る。
神とはどのような集団であったのだろう。




島の道に辻がある。
その辻に店が建ち、商いの営みがあった時代が続いていた。
この日は物故者があったようで、「忌中」の張り紙が
夕日を映してきらめいていた。
また一つの時代が去って行ったことなのであろう。



しばらく行くとここだけ現代のように有料温泉があった。
福山ナンバーのローバー75の横に、玩具のような
850スパイダーを停める。

入り江の向こうに島山が見える。
低気圧が通過して、雨雲が上がり、漁に出た男たちが
もう直ぐ帰ってくる。

私は先祖たちが観た、何百年も前からの風景を眺めながら
不便でも本籍地は動かすまい、お墓の土地も守って行こうと思った。

その夜は、岩国の叔母のマンションに泊めてもらいながら、
母と同い年の彼女の思い出話に付き合った。
あと時間がどれだけ残されているのか今は考えまい。




びっくりするような叔母が出して来た若い頃の写真を見ながら
ビールを飲み、青春の日々を、鑑賞する。
戦争の影大きく、結核で戦後次々と家族を亡くしても
遅れて来た『青春』を力一杯楽しんだ人生。
いち早くクルマの免許も取り、仕事のあとは仲間とドライブに行き
夏は毎日のように海で泳いだと言う。

叔母はずっと年上で、私の記憶にある姿は、本当ならこの写真の
時代も少し知っているのだが、あまりに幼過ぎたのだろう。

今夜はこの女(ひと)も恋に悩み、人知れず泣いたこともあったのか
なあと、初めて思った。
生涯独身になってしまったのは、いろいろな理由があったのだろう
けど、言わなくても良い。
免許も持たない3つ上の兄よりずっと活発な人生を選び、半世紀
ハンドルを握った貴女の血は、私に流れていたのだと、少し思った。

まだまだ、思い出を作る為に、自動車でどこまでも
走ろうではありませんか、元気でいる限り。













Posted at 2012/03/23 04:52:30 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2012年03月21日 イイね!

帰帆

帰帆4日間に渡る私のルーツを尋ねる旅が終わりました。
今は深夜の船窓から、この日記を書いています。

今回は体調も快調でない上、直前にあった仕事などの悩み、
天気も晴朗でないなど恵まれた、旅にはなりませんでした。
それでも今は、星降る備讃瀬戸を船は滑るように航行中です。

私の人生のJOYの部分は、ほんとうに近年減りました。
この旅の最中も何度も何度も「こんなに無感動に成ってしまった」
自分に愕然としながら、若き春の日の楽しいことばかり
思い出していました。

最後の日、予定が終わり海辺にクルマを停めて、ぼうっと春の
ひとときをうたた寝しました。



ガソリンスタンドでは1Lがついにハイオクで170円手前まで上がり、
このあとの自動車社会は、どう成るのだろう。
好きなカーライフはあまり続けられなくなるのかもしれません。

時代の変化、それに対応が出来ないと、私の両方の血統のように
「昔話ばかりする」過去の栄光話に半世紀以上、下手すると
親子3代の愚痴になりかねません。

町や都市の繁栄も、良い時代には分からず、終わってからどれだけ
昔を、恋するのでしょうか。町は国に通じると言えます。



私の船旅は、これで、ひとまず終わります。

バルカローレ(舟歌)は哀調を帯びて夜の海に漕ぎ出して行く。

銀の月は空高く、櫂のしずくに煌めいて、夜の海を見守るのでしょう。


Posted at 2012/03/21 03:06:10 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2012年02月04日 イイね!

お台場の1日を振り返る

2012年1月29日 極寒

朝は荻窪から出発した。
前夜は西郊ロッジのご主人に荻窪とプリンス自動車のお話を伺った。
中央線沿線がまだ武蔵野の時代から、軍人の町になり、戦中派になじみの深い
中島航空機から富士重工(スバル)と富士精密(プリンス)が生まれたのである。



このガレージの2台隣には、なんとグロリアが寝ているのだよ。

(参考写真)



さて、首都高に乗るのに、高井戸に出ようとしたらご主人は「新宿に出た方が近いですよ」
と事も無げに言われる。ままに青梅街道を走って行くと高円寺中野と過ぎ、朝の新宿に
程なく出たので、本当に荻窪は都心に近いのに静かな町なので驚いた。



お台場には、個人エントリー車は朝の7時から8時の間に入るのがルール。
7時過ぎに荻窪を出て8時前には難なくお台場到着。結構私も首都高や東京を
走る回数が増えてきた。道に迷っていらいらすることもない。
会場周辺は早朝から、エントリー、非エントリーの2派が異様な空間を演出している。
エントリー車は、真面目くさった旧車、もしくは少数だが外国製の本物のクラシック。
非エントリー組は、ヤンジャンや、ヤンマガの漫画からそのまんま出て来たみたいな
落ちこぼれブルース、いや私は否定はしていないのだよ。むしろこれはエスノロジー
(民俗学)だと思っている、興味ある「標本」がたくさん集まって、そこら中を旋回
してたり、朝から爆音を鵞鳴り上げている。
こういうときにそっちに反応する人も多くて面白い。
「まあ、ええんじゃないの」と私も見に行きたいのだが、今年は寒くて、さらに
再入場が面倒くさい方式に変わったので、行きそびれてしまった。

一般入場前の時間帯は、会場の空気が澄んでいて、エントリーと関係者だけなので
挨拶がしやすい。
私もこの時間が一番好きだ。常連のあの車はは来ているか。面識は無くともお互い
人生まだ生きていて、好きな車に乗れている。これが新年の賀詞なのである。
だからニューイヤーミーティングなのであり、浪速からわざわざ走って参加する、
意義はそこに最大のポイントがあるといえよう。



今年も来ていた大阪ナンバーのワンオーナーのジャガーXJ6のシリーズ2モデル。
まだ三角窓の残っている時代の70年代後半あたりの車だ。
非常に当りの悪い個体の多かったシリーズ2を、ここまで維持するとは並大抵でないと思う。
一度ベテランオーナー氏にインタヴューしたら、「買った値段の数倍かけて、普通に走る
車にしあげた」と仰られた。その通りだと思う。「その後は楽ですよ」、頭が下がる。

私はイベントにエントリーしている車というのは、見てもらいたくて出しているのである
から、ナンバーを不必要に消す理由はないと判断するので、そのままピックアップします。
必要が有る人はコメントいただければ修正します。



隣に124スパイダーがやってきた。この方も何度か会場で並んでいる。



これが2つ前のオールドタイマーに乗っていたサーブ99である。
一見非常に900の初期に似ているので、改名しただけかと思っていたが、実のところは
結構別のモデルのようで在る。
こういう、地味な、平凡な、(不人気な/笑、御免)すっぴんの輸入車を選んで乗り、
もちろん「ディーラー車」の誇りを矜持しつつ、乗るオーナーは、俺は漢(おとこ)
だと思う。「花の慶次」に出て来る漢というのは、そういう野郎たちのことではないのか。




サーブ99の“たまらない”ところを、何パートかピックアップしておく。

今年気になったのは、いすゞフローリアンである。



この横浜ナンバーのグリーンの綺麗な個体は、記憶では10年以上前から来ている。
この車が、「だんだんと仲間を」集めてきて、今年は3台の花(フローリアン)が咲いた。
岩5ナンバーは前照灯が変形角2のオリジナルデザインに近い初期の後期モデルである。


ところで、東北には昔はフローリアンがたくさん走っていた。なぜだろう。
駅前タクシーには非常に多くて、私は1981年に初の東北旅行をした時に考えた。



その答えは、天然ガス車よりディーゼルの方が、寒冷地では強いからでは、と
推理した。
その頃ディーゼルを日本で作っていたのはいすゞである。
鈍重で不格好なフローリアンタクシーが、そう思った瞬間、実に頼もしく思え、
一度学生旅行なのに乗ってみた。まさにこれだ。それが「来ていた」のである。



構内タクシーの標章。「仙」は仙鉄局。日本国有鉄道仙台鉄道管理局の管轄駅に
乗り入れの可能な登録車両だ。



何か、当時物の補修ペイントとか、新聞や雑誌から構内タクシーの写真とか転載して
室内に並べておられました。こういうプレー(遊び)も有りなのが、このお台場の1日
なのである。へんたいプレーといったら失礼であろうが、根はコミケに近いものがある。

                  ◇



日記も中盤に移ろう。これはTIMEKEEPERさんが「イイネ」の100オシをしていたセミ
ドロップハンドルの通学自転車マニアの方が、Y10の屋根から下ろすところである。
実は自転車のほうは全く目がいかずに、KEEPERさんの記事で知った次第である。
写真を整理していて今やっと、自転車の方にも気が付いたところである。

それにしてもコンドーマッチがこんなもの(失礼!)集めてんの?変な奴だなー(^^



今年のテーマ車は久しぶりに「イタリア車」で2台の旧いビンテージフィアット
スポーツが特別展示されていた。その内の1台を紹介しよう。







これは近年割と有名な個体で、戦前のフィアットの508という形式の小型快作のスポーツ
カーである。私は「バリッラ・スポルト」と認識しているがオーナー氏はシアタのミッレ
ミリア車であることを強調されているがそれはそれで良いであろう。
ただ正面グリルのエンブレムの文字が欠けていて、パリッラになっているのには苦笑した。
そんなことを面白がっている日本人のフィアットマニアは私くらいだろう。

私の車の真っ正面にドイツ車BMWで有名なショップのスタンドが在った。
これはTYPE120さんの記事で良く見掛ける2000CSの、「地味な妻」ともいえる2000
セダン。これ、私は大好きなんだよね。



もう一台持ってきていたのは、新車当時もの凄い高級車であったのに、中古になり
何10年も経つと誰も振り向かなくなった初代7シリーズセダンのフラッグシップ
745i。 値段の付け難い車であるが、今見ると一番威風堂々としている。



「どうだ、渋いだろう」。マルニや初代6シリーズばかりがカッコ良いなんて口先で
言っているだけの「ケツの蒼いガキは来なくていい」と言わんばかりのチョイスに、
私はニヤニヤ。
「不人気車」という言葉を逆説的に取る自虐な表現も嫌いだし、良い車はもともと良い。
私はこういうスタンスで、或る意味判っている人だけを対象にするのが本来の外車屋で
あったと記憶する。



こんなもの誰が探しているんだ!と2000セダンTiiのグリル。(ツーリング
インターナショナルインジェクション)

これが最高、745のふっくらしたドイツ製のモケットのシート。ババリアンの
エッセンス見たり。革シートとバカの一つ覚えみたいに言っていると恥を書く。





しかし745は本来当時憧れのアイテムであった、ヘッドライトウオッシャーが
標準装備であったと思うのだが、現車にはなかった。聞いてみたかったが、
軽薄そうな青いイタリアクーペから降りてきたオッサンが相手にされることは
ないだろうと思い、やめときました。

                   ◇


平凡なシビック4ドア。前夜にいた荻窪で飲みに行った鶏料理屋のおやじが
懐かしそうに話していたっけ。



三菱ギャランGTOとトヨタセリカ この二つは新車当時、2派に分かれるライバルで
あったと記憶する。
そうするとカリーナ2ドアGTやSR、ギャランA2(2はギリシア文字)HT GSが
脇役配置の好敵手同士、そうして27レビン・トレノに敢然と挑んだ“鉄騎兵”が
A73ランサーGSRだというシンボライズが、よく判るでしょう。

大トヨタの尾を踏んででも、真っ向から仁義無き戦いに挑んだ三菱。
最大手の企業が一番給料が良いだろうから、そこを選ぶ。そんな若者が大半の
今の社会に敢えて言いたいのは、45年くらい前の日本には面白いヤツがいっぱい
いて、三菱もホンダも、マツダでさえ眼をギラギラ光らせた狼であった時代が
あったということ。それを知って欲しい。
僕らも子どもの世代や若者に伝えて行く。そのために旧車に乗り続けているのだと。


そろそろ振り返りをまとめてみよう。
NYMは、何のために開催され続けているのかと考えると、この国の車好きは
ある程度歳をとった。
クルマが無くても生活ができるし、社会も脱自動車を進めているようにも
思える。それは正しい。
ただ、車を持ち、それに乗り、何がしらかの行為をする。
音楽を聴く。ドライブに行く。
そういった時間の合間合間に、いろんなインスピレーションが湧く。
恋人のことを気にする。次はどうやって誘おう。
歳をとれば古い思い出の詰まったタイムマシンが恋しいのかもしれない。
人間の人生なんて、長い歴史のヒゲのほんの先っぽにも満たない。
でも、ここにある、なにかを求めて人は生きている。
車の興亡は社会の歴史の一瞬に過ぎない。
俺はあれに乗った。
あの車には、こんな思い出がある。ただそれだけなのに。

こんなイベントは止めてしまえば、あとには何も残らないかもしれない。
でもここにくれば、話したい話題がある。友もいる。初めて知り合う
人もいる。

今年も私のクーペの後ろに立ち、初老の婦人が殿方に対し、
「私18の時に850クーペに乗っていたのよ」と懐かしそうに話して
おられた。
来年も元気だったらここに来よう。

私も積極的に皆さんの姿を探す努力を怠っていたかと思います。
お会い出来なかった方々、また次回はよろしくお願いいたします。

最後に、
今年は何かもらえるかなー、と虫の良い期待が空振りになった私を最後に
訪ねてきた大阪時代からの友人が、こんなものをてみやげに。


あのねー(^^;;;;;;
でも家に持って帰ったら、ふ女子の高3とジャニオタの中2にウケました。
オタクの友人に見送られながら、お台場をあとにいたしました。

イタタタタターーーー、イタ車の祭典とは、このことだったのかー(苦笑)




Posted at 2012/02/04 03:39:11 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2012年01月25日 イイね!

車よあれが東京の灯だ。

週末からのNYM参加に伴う東京行き、
泊まる宿を決定しました。

折角の年に一度の東京行きです。
毎回迷うのが泊まる場所の選定で、ネットで取るのはいや。
早く決めるのもなんとなく気が乗らない。
在り来たりの所もノー。
中途半端もなんだか。旧いのは好き。
ピカピカは避けて、結局こうなりました。

27日、1日目の金曜日の宿は、ぐっと張り込んでここ。
御茶ノ水の山の上にある文士の宿。



山の上ホテルをおごりました。

この夜は無事に東京まで辿り着くことが1番。
夜は、昔の職場の後輩と会うことにしています。

さて二日目の土曜日は、ずっと自由なので、夜泊まれれば良いやと
ここにしました。



荻窪の西郊という和洋折衷のモダン旅館です。

ここは、以前オールドタイマー誌に載っていたので、存じている
方も多いかと思います。

トイレ、風呂は共同ですが、良いですが?という宿の主人の
言葉にOKと答えておきました。

最終日、日曜日は、朝早くに荻窪を発ってお台場へ。
今回はカーナビも持参して行くつもりです。

お台場で“変態の性典”に出た後は、帰りの支度と最終日に会う
友人と鎌倉で面会。

お泊まりはココにしました。



予備知識は無く、友人の薦めですが、ホテルニューカマクラへ。



3泊とも面白そうな所を選べたのと、すんなり予約が取れました。
春節(旧正月)の東京旅行を楽しんで来たいと思います。

まずは何と言っても、道中の安全と、車が無事走り終えることを願って。

今日明日は、風邪を引かぬよう体調を維持したいと思います。

じゃ〜に〜♪







Posted at 2012/01/25 18:38:09 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2012年01月06日 イイね!

雪見列車



車で無く、この正月は、切符を使ってぶらりと旅しています。
3日に和歌山、4日は京都の福知山までいってきました。

京都駅で電車を山陰線に乗り換えた時から、きびしい冬が待っていました。
列車の遅れ。
このところ不吉な予感がよぎる人身事故でなく、寒さで鉄道が遅れているなと、
何度か冬の山陰本線で経験したことがあるだけに、予感が的中しました。

二条駅で雪が舞い始め、嵐山で雪見の予感。
保津峡、亀岡はまだ序の口でしたが、園部で30分間列車を待っている間、
蕎麦屋に入ったら、みるみる内に雪が積もり始め、銀世界に変わりました。



その後は不思議な気分で雪景を眺めながら、夕刻に福知山着。

鳥取方面から来る列車がべっとり雪にまみれ、15分程度の遅延で
辷り込んで来るのを見ただけで、わーっと興奮するのは、なぜでしょう。

鉄道バカだから? 
そうでなく、こういうときの鉄道マンほど凛々しく見える姿はないと
思うからです。列車も、乗務員も大真面目に任務と格闘している姿は
こんな美しいものはないと思えるのです。

ああ痺れる。冬の鉄道は最高。  

特に残りの人生の短い旧国鉄型の特急電車が
傷んだ姿に、雪を背中に積んで、懸命の旅客運送をしている姿には、
手を合わせたくなるほどです。



雪の中を、ショートブーツ風の短靴を履いて歩いてみました。



寒かったなあ。でも久しぶりに引っぱり出したオリンパスOM−1に
モノクロTryーXをつめて雪の町を撮影して来ました。

正月明けの赤提灯で、おでんと熱燗を飲んで帰って来たのは
いうまでもありません。
Posted at 2012/01/06 00:45:07 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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