• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2011年07月02日 イイね!

灼けたハイウェイ 風はどっちから吹いてくる



山陽自動車道の福山か、もしくは三木のサービスエリア。
この日の広島県は、茹だるように暑い日であった。

大阪駅行きの高速バスを逃した私は、15時発の難波行き
南海電鉄のバスに乗り込み、たった二人の客で運転手と
3人、大阪へ向かったのである。

広島のバスターミナルは、都心から距離が近い。
八丁堀交差点の、そごうのすぐ裏にある。
その隣が、今は役目を終えた、広島市民球場である。

九州にいた、私の母が一人暮らしが出来なくなり、
姉のマンションで同居し始めて、6度目の夏になる。
いまは毎月広島まで、往復700キロの旅をすることも、
苦痛でなくなったが、スタートした頃は、よく対立して感情的に
なったものだ。

あれはいつの年であったのであろう。
姉の家を出たが、むしゃくしゃした気分であった私は、
バスセンター経由、広島駅行きの路線バスの乗客であった。

バスセンターに近づくと「4番・サード新井…」という
アナウンスが聞こえてくる。

おや、と思いバスの窓を見上げると、センターバックの
スコアリングボードに先発メンバーの名前が。
そうか、ここは市民球場の隣だったのだと、初めて気が付いた。
時刻は夏の宵、午後6時にかかるころだ。

ふらりとバスを降り、随分長いことプロ野球観戦もしていないなと
思った私は、外野席に上がり、ビールを飲みながら腰をおろした。
阪神に移る前の新井や、栗原健太、広瀬純といった若いカープの
主力選手のプレーを、ぼんやり眺めているうちに、気分も変わる。

あれから何年か経ち、使われなくなった元の市民球場からは
もう、快音は聞かれない。
半分解体の進んだグラウンドには、遠く夏草が揺れている。

広島の夏は暑い。

そのバスセンターから大阪行きに乗り込み、もっと熱い灼けた
ハイウェイの上をひたすら、バスは目的地を目指すのである。
途中の窓から見える、ドイツよりも黒々とした山の森や、日本の
原風景のような棚田を耕す人生を、想像しながらバスはゆく。

やっと辿り着いた高速休憩所は、さながら砂漠のオアシスだ。
建物までの100数十メートル。とにかく熱い風と照り返しのアスファルトに
顔をゆがめながら足を運ぶ。

夏の夜が来ても、ここはきっと明け方まで、熱い放射熱でこのままだろう。
夕暮れの始まり、遠くから単調を一閃するかのように
ハーレーらしき大型バイクに乗った二人が進入してきた。
荒くれた旅にも、オアシスは必要なのだ。

私はこの暑さのなか、旅をする連中の、命運を乗せた大きなエンジンに
そっと旅の安全を、願っていた。


Posted at 2011/07/02 12:03:27 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2011年06月13日 イイね!

海を見にいった日曜日

海を見にいった日曜日2011年6月の高雄には、京都市内に生息する
1955年式のDKW、ゾンデルクラッセ。900ccの2スト3気筒の4座カブリオレ、カルマン製ボディと言う、
国宝のような貴重な車がオーナーと共に来臨された。

会場が判らなくて、有料道路の他の駐車場で、休憩中の
所を発見したのは、この私であった。



そのとき私は、昔からの存じている方の、ランチアフルヴィア
ザガート1600のハンドルを握るという、この上も無い幸運に酔いしれて
恍惚として運転していたのであるが、別の駐車場に停まっていた
小豆色の旧い車に目が止まった。

ん、ヘブミューラー?、ワーゲン? いや違う。ディーケーだ!

そこで近くにフルヴィアザガートを停めて、挨拶をさせていただき
この車とのご対面になった。
アウディの前身、アウトウニオンの4つのワッカの一つがDKWで
あり、その中で、戦後の2スト3気筒車の傑作の一つがこの車だろうと
拙い知識で書いておく。

高雄は京都ゆえ、珍しい車が来られるが、これほど珍しい車も
いないのでは。
私もいろんな車を見てきたが、やはり1200年の都は底知れない。

初フルヴィアの感想も、非常に良かった。
FFの癖も、ハンドルの重さも、全く苦にならずに、運転でき、
RRのフィアット850クーペと、非常に好対照だが、
エンジンフィールの違いも、これがFFランチアだ、と納得した。

車の振り回し方は全く違うが、良いなあと思う。
狭角V4の噴け上がりと回転の下がり方、OHV903のフィアット
のエンジンが庶民のバイオリンかギターなら、ちょっといい
セロを弾くような感じである。
イタリア車は楽器だなあと思った。

大変結構な一日で、会場の最後の4台まで残っていた私は
憑き物が取れたようにパワーが戻ってきた。

周山街道に出ると、南丹や市内に戻らずに、一気に小浜まで走ろうと
いう気力が湧いてきた。
眠さ怠さもあまりなかったので、これなら850と一体になって
若狭小浜まで、18里、70余キロの道を駆けることに決めた。

エンジンOH後の馴らし運転も重ね、調子は良い。途中杉坂を回り
栗尾峠、広河原を抜けて、旧名田庄村の刈田彦神社で参拝した。
その前に土御門ゆかりの地付近の名田庄の道の駅で遅い昼餉をとる。

このところの自分の体調と気力に、ヒントになったのは一冊の本、
細野晴臣の「アンビエント・ドライバー」という近著である。
音楽家の本であるが、難しいことを判りやすく書いてある。
何となく何が足りないか、どうしたら精神力が戻って来るのか、読んでいる
うちに、思い出してきた。

楽しい日、楽しいドライブは、少しハイにさせてくれる。
疲れを飛ばしているうちに、少々のことで怒ったり感情を募らせたり
するより、許すことの方が上品なのでないかと思い始めた。





福井県下は、雨であった。小浜市の海の果てまで一気に走って
何のことは無い6月の雨の日の海を眺める。
しばらく海の側にいた後に、小浜市内を抜けて、旧い町並みに
辿り着いた。

ここでまたしばらく時を過ごす。
お宮やお寺の中でゆっくりしていると、尖った感情が少しずつ遠くなる。
旧い墓や伝説のある磐座を見ていると、いろんなことが甦る。
小浜の町で一番の発見は、モリアオガエルの卵であった。

古刹の、大きな水盤の上の木にあぶくのような卵が産みつけられて
いたのである。
ここから多くのオタマジャクシが生まれて、下の水に落ちて育ち
蛙になっていくのである。それを何年も何年も。何千何万年も繰り返し
ここにあるのである。

私は輪廻のおしえがそこにあるように思えた。


Posted at 2011/06/13 07:15:41 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2011年06月05日 イイね!

河口にて

河口にて弱い人間は、弱い自分と向き合って生きるしか無い。
晴れた6月の休日に、そう思いながら街を歩いていた。


大阪の海に近い河口に、今でも渡し船が残っている。
梅雨の中休み。暑い日差しの土曜の午後に、
写真友達らと、大正区あたりを歩いてきた。

それにしても、こういう下町というより、もっと外れのような
所をとぼとぼと歩く。
時代遅れの、古いフィルムカメラを肩から下げて。
好きなんだから、しようがない。
そんな同好の仲間らと、昼間から、ぐいナマを飲みながら。


月も変わったが、気分はどうしようもない。
晴れる日もあれば、雨の日もある。
せっかく温度も上がった、
情けないムシのような気持ちだが、少しは羽ばたいて
外を飛んでみるのもいいさ。

私は弱い人間である。
いやな事はできないし、努力や根性論とは、縁がない。
ただ好きなこと、自分が楽しめることにおいてのみ
わずかなエネルギーを惜しまない。


子供の頃は病気が近所にあるような人で、体力もあんまり
なかった。だから、病院の中でしか生きられないような、
より弱い子供の存在も、その歳から見てきた。
弱い人間の生きる価値ってなんだろう。

お涙頂戴のヒューマニズムでもない。

大人になることは、競争社会に入って生きることかもしれない。

競争社会に残ることは、結果として、お金持ちになり
良いクルマに乗ったり、社会的に高い地位になったり、
良い所から奥さんをもらったりすることかもしれない。

大学などに入るまでに、その「幸せ論」が始まっているのかも
しれない。


僕は思う。
幸せになれた人が、そうでない人を、見下ろしたり
変に思っちゃ、いけないのではないか。
社会運動家にもなれない自分が、正義漢めいたことも
言えないが、社会篤志って、お金でなくて
人を傷つけないことだと思う。
イクオール、人の気持ちが判るようになることではないか。

人を救うようなことは、まだ今の僕には出来ていない
のかもしれない。
しかし50才という線に届いて、少しでもそうなろうと
思って生きている。


車もそうだ。
乗り手を選ぶと云う言葉には、
お金持ちになるから高級車に乗るという意味より
誰かがこの車を使って、本来出せる味を出して欲しい
そういうことなのではないか。
生活、場面、本来のポテンシャルは、性能数値よりも
どんなシーンで画になるかというような。

僕は難しい人間なのかもしれない。
繊細さと感受性が、ときにあだとなり。
50にもなった人間は「鈍感」でないと生きられぬ。
そう教えを説く人もいる。
家人には「貴男は弱い」と遠ざけられ、
大人になった長男とは、親子というより
1ファンのような関係で、付き合っている。

弱い人間は、弱い車の気持ちが判るのかもしれない。

世の中がすっかり嫌になると、
自暴自棄に走ったり、
悪いことに走る奴もいるかもしれない。
それすらできない弱い私には、
自分なら何が出来るのか、そこから始めるしか無い。

人の上に立てないし、逃げてばかりいるように見えるけど
私は私の生き方で、きょうもとぼとぼと、路地裏を行く
ばかりである。




Posted at 2011/06/05 23:56:44 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 日記
2011年05月22日 イイね!

広島、思い出を巡る旅から

広島、思い出を巡る旅から月一の介護手伝いで、母と姉のいる広島県に来ている。
昨日、昼間の山陽本線を6時間以上かけて、最後は
芸備線に乗り換えて到着した。

こんな旅を何年も続けている。昨年からは毎月に頻度を上げた。
恐らく母が亡くなるまでは続くであろう。

新幹線を使わないのは、たった2時間の旅に1万円払うの
が癪だからだ。
車窓もそれほどでなく、乗り換えの情緒も新大阪と広島の
二ヵ所しかない。
高速バスは安いが、ずっと山中を走り、休憩箇所は
決められており、時間帯も窮屈だ。

まだ、高速を使い、自分の車で旅するのが楽しいが、これは
高コスト多リスクのうえ、ワンパターンになり安い。往復700km
走るとそれなりに疲労も残る。

そこで、車窓風景が良い、在来の山陽本線を時々気分転換に
利用している。
運賃は5400円台で高速バスと大差ない。体調が良いときは、
車窓眺めて飲食する楽しみに尽きない。

勿論、自動車趣味には、ドライブと言う最大の楽しみがあるの
だが、介護訪問のような目的性のある通所旅行には、本質的に
相容れない。

なぜなら、私のクルマは自分の羽みたいなもので、翔んで行きたい
所へしか使いたくない。

私はなんて我が儘で、贅沢な人間なんだろう。
もとよりこんな人間なので、時間にできるだけ追われたくない。
Posted at 2011/05/22 09:43:20 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 日記
2011年04月01日 イイね!

今週末は

今週末はクルマのイベントが、飛んだので延期したお墓参りに行きます。

岩国の叔母様、お土産は妻の会社で買ってきた、明るい紫のカーディガンを持って行きます。

1年前にもらったアルトは大切に乗っています。

Posted at 2011/04/01 06:55:01 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
345 6789
10111213141516
17181920212223
2425 2627282930
31      

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation