
ようやく旅から帰って来て
頭の整理も進みました。
6月は多禍な月でした。そのことから
話しても、良いかと思います。
まずフェイスブックの使い方で、
今回は非常にストレスを感じたことから。
一言で言えば、ただ(無料)のツールほど怖いものはない、
と言うことです。
みんカラも無料ですが、ここはまだ志向性があり、私のブログを読む人に
広告が見せられて、その収入で成り立っているくらいは、理屈が判ります。
Facebookは世界級で、どんな目的と情報収集がされているか、
使っている人の1%も意識していない。そこが怖いのです。
それから、使い方(反対からすれば「使われ方」)が選べないので
向こうのルールに従うと、いろんな不便がある。
私はおじんです。若者と同じテンションでは、疲れます。
例えば「ともだち」というのが、意外にくせものです。
申請すれば誰でもなれるが、自分の世間を設定するようなもので、
家庭の中までのぞかれたりします。
自分の思っていることを書いたりして、それに良いねという
賛同がつくと、共感されていると思い込みがちです。
でも気をつけないといけないのは、フェイスブックは、実名だから
フィクションでなくノンフィクションの世界で、これがストレスに
繋がったりします。
結局、面白さを感覚的に装うために、参加者にかなりの緊張感を
与えていないか。
ネット世界では、私は、なりたい自分を面白く演出します。
上から目線と勘違いされても、君子をきどっています。
反対に誰とでも一緒くたは、イヤなのです。
今回の旅は、出掛ける時から迷っていて、自分の気持ちが判らない。
ただ、娘の誕生日を口実に、東京に行ってみよう。
久しぶりに家族の二人に会うと言うのが目的です。
こんな旅は意外と苦しいものです。東京のようなところは、ビジネス目的が
無い人に、来たって何も、もたらせてくれないかもしれません。
50代半ばで、私のように一見自由、しかし身の置き所のない人間が今は多く、
皆、社会のルールを守りながら、反対に傷つきやすい心と闘って生きています。
旅の目的に宿で気が散らずに本を読むと言うのも、含まれています。
「あわいの力」(ミシマ社)という不思議な本を、読み終えました。
この本は、こころは古代の人には無かった。どこから心の問題が出て来たのか
真面目に考えて追究した哲学的な本です。
また久しぶりに藤田宜永さんの本を、買って読みました。
昔のような冒険とアクションの話でなく、淡々とした普通の60歳前の
男の気持ちを、軽やかにほろ苦く書いており、旅枕の好い友になりました。
横浜に泊まったのは久しぶりで、ニューグランドの隣にあるスターホテルに
泊まりました。ニューグランドは旧館が今改装中で、泊まれません。
あののんびりした、昭和の贅沢な宿に時代の風が吹いているようです。
山の上ホテルも、小火を出し、ビジネス向きの新館を止める決意をしました。
朝のヨコハマ、港を散歩して、非常に気持ちがよかった。
ニューイヤーミーティングに来始め、ニューグランドに泊まったのは、
子どもが生まれた頃だから20年前です。
藤田さんの小説集は、旧題が「還暦探偵」、改題されて「通夜の情事」と
なっていますが、夫婦ものの小説が中心です。
私も今は会うだけの妻がいて、不思議な独り暮らしをしています。
男として自分の部屋も空間も「城」も無い。そんな男たちだが
不思議と車を持ち続ける主人公が多く、学生時代からのベレGや
フェアレディSRが、孤独な男たちのシンボルになっています。
私も長いフジタファンですが、気がつけば最初に買った外車、FIAT850
クーペに、付き合って28年。妻より長く続いている私の7不思議です。
ああそうか、と思うこと。今回の旅の途中で何度か感じました。
850クーペで限界に近い真冬のニューイヤーミーティングへの、
関東往復をした時のことなどがフラッシュします。
男のアイデンティティーって、成功した人も、そうでない人も
みんな抱えていながら、現実に合わせて不器用に生きているのでは
ないでしょうか。
断捨離なんて普通簡単にできませんし、自分を見失いがちな時は
旅に出るより然るものはありません。
この写真は駒込にある、川越藩主柳沢吉保が作った六義園という庭園です。
この場所を知ったのも、前述「あわいの力」の中に書いてあることからでした。
六義というのは詩経に出て来る六つの原理、風・賦・比・興・雅・頌から
採っているそうですが、この中に私の名前につけられた文字が含まれており、
偶然たどり着けたことに、深い興味をおぼえました。
きょうは大阪と東京の比較はしませんが、こういった庭園の趣は面白く
関東のルール社会を守る、歴史の起こりを考えるのに、良い機会となりました。
このあとは早稲田の森に初めて足を入れて、そのあとは世田谷線に乗り
三軒茶屋を目指したり、最後は池上線沿線の、とある場所の勉強会に
参加して、遅くまで歴史や、国際関係の見方で、いろいろと語り合いました。
五反田のホテルで朝を迎えて、頭は痛かったけれど、自分がどんな人間か
もう一度、頑張るなら何をすべきか、考え直す良い機会になりました。
もう旅日記もそろそろ終わりにします。
東海道線の普通乗り継ぎで朝から帰るパターンに一旦しましたが、
お昼は静岡の焼津と言う駅で降りて町を一周、もうひとつ面白くなかったので、
その先の浜松で、午後から、面白そうな場所を見つけて行って来ました。
浜松楽器博物館という新しいミュージアムです。
楽器と音楽の好きな私は、ここで虜になりました。
平日で空いていた上に、市制記念日で入館無料と言うこともあったのですが、
ここで私の最後の持論を、また書きます。
京王技研(コルグ)やローランドが出て来た時は、私はリアルな
同時代の人だったので、よく覚えています。
もちろん高校生や学生に超高価なシンセは買えませんが、意味を理解
しようと努めました。
ヤマハは戦後に、川上源一という大社長の時代に、楽器製造から音楽文化
までを含めた教育産業のような大会社になります。
そんな時代のことは、歴史探訪的にまた書いてみたいのですが、
この世界の楽器コレクションが、また面白かった。
大阪の千里の民博にもコレクションはありますが、ここは「死んだ」楽器
類の展示です。
浜松のは、殆どが音源が聴けます。
ツールも3通りくらいあり、精査なのはイヤホーンモニターを持って歩くと
案内が聴けます。
ピアノとチェレスタ系のコレクションは、発達史的にも面白いものでした。
そこで思ったり感じたことは、音楽も1960−70年代頃は、新しい電子楽器
を作ったり、発明する人が世界中にいた。日本人も含めてです。
その頃は新しいことをするのが、ムーブメントだったこともありますが、
世の中は今みたいに、カネ中心に回っていなかった。
もっと面白いことが世の中に満ちていたのは、証言できます。
あとピアノはショパンのような優秀な演奏者であり、音楽家がいると
楽器メーカーも三位一体で発達することです。
フランスパリ中心の楽器の発展史を読むうちに興味が一杯湧きました。
話は脱線しますが、ルネ・ボネ・ジェットとかマトラ・ミシル(ミサイル)
とか、CGとか、今やアルピーヌ110に飽きたような人が会話に平気で
口にするような時代になりました。
私は二玄社の古いブックレット時代から読んでいますが、何だかなあと
ため息も出ます。ちょっと日本人がそんなことを言うのは烏滸がましい。
サッカーでもそうですが、俄にファンになっても、地に足着いてんのかなあと。
いや楽器だって、ヤマハがDX-7を出した頃の日本は、一緒に夢中に
なっていたのに、今音楽は昔よりずっと縁の遠い存在になり、若者が
手にしたりするより、お金を出してDLするだけのものに変わっています。
そんな時代に、旅の途中で歩いていることに気付きました。