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kotaroのブログ一覧

2014年04月19日 イイね!

春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて

春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて岩国の叔母はまだ介護の支援が要らない
80代であるが、少し体調が悪く
山口県中南部にある墓参りには
一人で行くことに決めた。

今回は先祖に報告できることは長男が就職が
一応決まったことと、姉の病が少しでも平癒する
よう祈るだけだ。
叔母のマンション近くで、古い国産のピックアップを
見かけてカメラを向ける。



いつも市内の目抜きで見かけていた山口銀行の支店が、解体されるのだろう。



岩国から少しだけ欽明路バイパスに入り、由宇付近で国道181に出ていつもの
海に沿った道を柳井市方面に走る。




今朝のテレビで話題になっていた、若者が移住し始めた周防大島を横目に走る。





柳井港の駅前に間違えて入ったが、せせこましかったので、直にスタート。
旧駅のはずれの踏み切り近くの柳井園芸で、菊の花と緑の葉をまとめて買い
トイレ休憩する。



この山陽線の昔の主要駅は、駅裏に昭和40年代までSLの機関区があった。
それを廃止にして40年、跡地はココイチやダイソーなどの組み立て店舗が
仮設パビリオンみたいに並んだ、安っぽい風景に変わった。
昨春に訪ねて自転車を借りて回った三原駅も同じような町が海側のバイパス
沿いに広がる。



それが悪いとは言わないが、どこに行っても同じような色と造りの店ばかり。
それしか知らない若い人が、故郷にどんな感情を持つのだろうか。
いや、やめておこう。



先祖の墓参りを午前中で済ませて、明日はイベントなのでクルマに着いた泥類を
バケツに汲んだ水でお寺の前で洗い落とし、さてロング走行に出発しようと
思ったら、お昼の大きなサイレンが鳴り渡った。

お昼ご飯をどこで食するか、考えながら走って、大畠のジョイフルに
クルマを停めて、小雨の中をレストランに向かう。ここは全国のファミリー
レストランのなかで、最も景色が良い方ではないか。昔須磨にあった
ウエザーリポートも顔負けなのである。





お昼をここにしたのは、もう一つ、大畠から玖珂に抜ける道を、来る時に
看板を見つけていたから使ってみたかった。岩国まで戻る用がないのだから、
早速、食後は左に進路をとる。



海と山の間の距離の近い、山陽線沿いの地勢はいきなり上り坂がつづく。
私が選んだのは本当に古い昔の生活道で、山陽線を踏切で渡ると、家屋が
途切れるまで、離合が困難そうな幅員だ。そこをFRのアルファで上って
行くのが実に具合がいい。
FRといっても、テールが流れるのもあるし、弩アンダーで曲がらない重ステも
ある。私は様々な方式のクルマを選んで来たが、RRの、ジェットコースターの
上りのような不安なクルマのハンドル捌きも知っている。
しかしこのアルファ75というクルマの完成度は、左ハン、5速、パワステ付き
セダンの理想比に近く、しかも地味なクルマである。



例えば911に30年近く乗れる幸せな人生だって、最新のものが良いと、信条
を押し売りしてしまうと、最後はメタボなRRに去勢されないか。
私は「足るを知る」を車是とするので、絶対速度より体感の感興が勝れば
クルマに多くは求めない。いや評論家諸氏も「FRがいい」と言いながら
やっぱり時勢はオールFFになり、気持ちをどう切り替えて、仕事するのか
選んだ仕事の苦労に同情を禁じ得ない。

さて玖珂インターに行く途中で伊陸(いかち)という町を通った。
先ほどまで居た墓に眠る父が、周東地方には響きの汚い地名が多いことを
飲む度に自慢(自嘲)していたことを思い出す。
イカチ、ヤカイ(八海)、バサラ(馬皿)、タブロギ(田布呂木)等。

そのいかちは想像していたのと違って、少し高地にある平野部の中の、道の
交通が交差する場所であった。





牧歌的な所も、横溝正史や岩井志麻子に書かせると、「淫靡な」場所になる。
親爺の屈折した愛郷心も困ったものだと思った。



玖珂インターから山陽道に乗り、宮島付近を通過して、広島ジャンクションで
中国道に乗り換える。昨日下りた広島インターは通らない。心の中で、そっと
病の床にあるふたりに手を合わせる。

アルファは時々ウオーターの警告灯が点くが、クーラントと水を、交互に
足してやれば200kmは大丈夫だろう。

三次を通過し、庄原で高速道を下りた。ここから芸備線に沿いさらに陰陽国境
の山間部を通り、米子を一路目指すのである。



庄原市は亀井静香・国民新党、元代表の出た所である。

静香の兄が、私の母の腹違いの弟である叔父の一中(広島)時代の同級生で
エリート話の好きな叔父の自慢のひとつであった。この叔父は佐藤元首相の
政治家コネクションで、八幡製鉄(現新日鉄住金ホールディング)に入ったが
サラリーマンの後の方は子会社を転々として、都会に留まらずに広島に
帰ったが、国泰寺高校(元広島一中)同窓会役員をして、気勢をあげて
良かったと思ったら、間もなく病に斃れて60代で亡くなった。

庄原を過ぎると、次に家屋が続くのは、西城という地区である。
ここでも桜が見事であった。



西城にも親戚が眠っている。ここの出身の男性と結婚した母方の一番上の姉で
この伯母は私が大学を卒業する間際に、60ちょっとで亡くなっている。

この芸備線の奥地の町に、当時行きたくて、「参列する」(当時は京都で下宿)
と名乗りしたが、旅費が大層かかるから両親に押し止められた。
今、觔斗雲のように自由にクルマに乗って旅する私が、ここまで来ていることを
伯母は気付くだろうか。

さて西城から芸備線に沿って走っていると、長閑な風景と左手の
小学校の桜に見とれ、休んで行こうと言う気持ちになった。





庄原市西城町の美古登小学校という学校らしい。
綺麗な桜を見ていると、入学・新学期を迎えて心が張るようである。







ちょっと昭和な、こんな音源がMDに入っていたので聴きながら再び走る。

やっぱり昭和な風景、昭和に近い愛車、運転しているのも昭和な男である。





さらに奥地に向かい国道183号線の標高を上がって行くと、再び長閑な
小さな駅のある風景が目についた。平行する芸備線の駅、比婆山である。
無人駅なのに実に手入れが行き届いており、美しい。







この駅の佇まいを維持するのは、隣にある消防分団や、無人駅になって40年
以上、手入れする向かいの駅前商店を利用する近所の客、そして貨物列車も
無くなったが、私が撮影中にも宅急便の配送車が駅前に停まり、商店の人と
会話していた。
そう、ちょっと休んで行くという場所を大切と思う気持ちや心配りは、必要だ。
私のような自動車旅の人間でも、気が張りつめていると事故を起こしてしまう。

この後に続く区間は今でこそ、改良されたが、鉄道、道路とも難所中の難所
である。
冬期は本州西部と思えぬ積雪に覆われて、古の旅では行き倒れも多かったで
あろう。
暫しの休憩後に、備後落合に向かう急坂をアルファは駆け上がって行く。
備後落合の駅が間もなく右手の高台に、へばり着くように建っている。
道路側から見ると駅前にあった古い木造建築、おそらく宿屋であったのではないか。
人煙が絶えて倒壊寸前まで崩れ落ちていた。

ここで鉄路は、島根側にスイッチバックするように木次線として下がって行く。
私の行く国道は間もなく左手に折れて、道後山を越えて鳥取県の生山方面に
下りて行く。
水系は日本海に下りる日野川水系に変わり、今度は日南町、そして生山に向かう。

日の陰る時間となり、山桜を見る余裕は無いが、慎重に車を飛ばして行く。

やがて183号線が終わって伯備線と並行するうちに180号線は再び山を越え
法勝寺の方に向かって緩やかに下る。



もう米子まではあと10数キロだ。西伯地区も桜祭りの週末だが、目標6時の
米子の入りまであと30分を切った。



日が西に傾き、山が途切れた頃に米子市に入る。
約束は守れた。
今夜は友人に甘えて、泊めてもらうことにしよう。

最後の撮影地は、再生が完了したばかりの村野藤吾が設計した建築の
米子市公会堂である。
ここで友人一行と落ち合い、この日の長い旅は、ようやく終わりを告げた。

岩国から約300km走り終えた愛機(マシン)の横顔。


Posted at 2014/04/19 11:31:33 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2014年04月12日 イイね!

春のグランドツーリング実行中

春のグランドツーリング実行中たくさんの前記事へのコメントありがとうございます。

PCを持たず、木曜日から旅に出ております。
今年は寒かったので、彼岸の墓参り兼ねた大旅行の途中です。

1日めは大阪-宝塚から淡路島を渡り、高速で香川県の丸亀へ。

2日めは、今治まで下道を走って、しまなみ海道を使い尾道-広島と移動して、山口県岩国市に来ています。

明日は山口県から鳥取県の米子市まで走り、日曜日のイベントに参加の予定です。

今回の相棒はアルファロメオ75TSです。
大阪を出て500Km以上。
春の日本列島の旅は最高に美しい。

気をつけて、参りたいと思います。

Posted at 2014/04/12 04:07:44 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2014年04月10日 イイね!

50代の人生

50代の人生
過去を振り返ると未来は見えるのか。

5年前までは同居していた私の家人は
過去を振り返るのがとても嫌いで
話題にすることも憚られていた。





40代の頃は、まだ半分は、身体が新しくなれる気持ちが残っていたから
大きな買い物や、消費するエネルギーが残っていた。
無理も出来て当たり前だと考えていたのかもしれない。

ところが消耗するのは肉体と精神、同時進行である。
私は55歳の前になり、ようやくいろんなことが見えて来たり
判ったような気がしている。
40代で燃え尽きる人生は、実際見て来たし、身体を壊し働けなくなって
社会支援で生きるようになった例もいくつか知っている。

今年は39年生まれの人が50歳。東京オリンピックと東海道新幹線も
半世紀前の歴史になった。



50代って、もうちょっと世間や仕事から、距離を置いて眺められる年齢なのに、
最近の世の中は、無理矢理その年齢を、60や70の下に置こうとするから、
不協和音が出る。
もう50から先は、選びようで生きてもいいのではないか。

49までで寿命が燃え尽きる例は少ないが、無理とストレスを貯め込むと
そうなる。
50代は山をある程度登ってしまったのだから、下山したっていいし、
もっと高い峰に行きたかったら練習・訓練すればいい。
50って良い数字なのである。100の半分でもあるが。

最近の私は、クルマは好きだが、ストレス貯めてまで乗るもんじゃないと
感じ始めている。
相変わらず壊れるクルマに乗っているが、信号を発してくれるクルマは
自分の良き伴侶であり、それは焦げ付いた心境になるような場面が
かなり少なくなった。

自動車社会も、オールフリーを目指すか、メンテナンスレスの反対の
メンテナンスフルな物を選び乗る、メンテナンスプレジャーだって、あって良い。

その辺の所の付き合い方が、判って来るのが50代だ。





ところで、昨夜は何十年かぶりに酒場でカチンと来て、「不快です」といって
帰ってきた。ケンカはしない主義なので。

なんだったかというと、くだらなくもないが、くだらないのである。

年金のことである。もう受給をもらっている人が、まだ開始数年目だが
私の年齢のことを言い、職業的に公共機関に再就職している人が、kotaroさんの
年齢はどうなるかわからん。新聞に書いてあったと知識だけをひけらかし
(情報に過ぎないが)
私が呆れたのは、一部でももらっている人が、下の世代に「お前らもらわれ
へんで」みたいなことを平気で口走ったことである。

しれも元、大きな企業グループの系列の社長まで務めた人物が、こんな人徳の
ない発言するようでは、と思って憤りかけたのである。


そのくらい、私は下の世代が持つ不平等感について、神経を使っている。
私が開示して書いている、人生の生き方論は、避けられないことに対し
「仕方ない」とか「運命」みたいな無責任は極力とらない主義である。

それを何とかするのが、大人の、先人の役割だろう。
戦争が始まって、仕方ありませんでした、と言ってるのと同じだ。
ということで、私が考えている50代論は、なんの手本ができるのか、に限る。

最近読んだ哲学と経済の新著には、近現代の終わりについて
淡々とした分析と見解が書かれてあった。
私もそうだと思っている。

90年代から私は、産業社会は徐々に終わって行くと感じていた。
脱産業社会というワードは、たやすくマスコミなどでみかけたが
そんなにすぐに出て来るものではない。

つまり成長を固定したポジションで見ることは通用しないし
景気とか言う言葉概念で括っても、それは出て来なくなったに等しい。
かといって閉塞感と言ってしまうのも、結果を投げているに過ぎず
何を考えて行動していくかである。



いま一番してはいけないのは、現状に苛立ってしまうことだろう。
自殺が多かったりするのも、不安もあるが、答えの出せないときの
感情爆発の方が大きい。
50代はなぜ、こんなに昔より余裕が無くなったのだろう。

お金と景気ーデフレ遠因説を、勤めていた時代に新聞社説で読んで
なるほどそうかなと一瞬考えたことがある。

側面的に昔のナイスミドルやシニアの語感に、年金や投資の運用がうまく
いっていた時代の空気は覚えている。
じゃあ、いまのミドルは、何も持っていないかというと、金融資産評価
の部分だけでは、対照にならない。

精神的にゆとりを持つのは、気分も整えていないとできない。
精神論以外に、それを実現するのは、脱経済資本主義的な視野や視点も
要るのである。

私は極論だが、50代は「3年働いて、1年休む」くらいで良いのではと思う
ようになった。
それは非現実なのかと言うと、今の自分がそれを実践しつつあるのである。
よく考えると、住宅ローンと子どもの進学費用、それも2、3回考えると
旧来社会の因習に囚われているに過ぎなくはないか。

子どものいない人がフェラーリポルシェの1台くらいは買える。これも
おかしな反対逆説論みたいな見方だ。
いや、とにかく、すべてに金がかかるんです、って言い方も
よくよく見直してみると、なんかちぐはぐだ。
実は、40代までは生活費がかかって行くのは、これは実感でわかる。
しかし50代からあとは、まあ気楽に流していきましょうか、で
普通生きていけないとおかしい。

社会保険とか健康保険とか延命装置のような介護は、どこまでほんとうは
要るのか。これもあるからすがるなんて言うと怒られるが、最低限でも
人間は生きられる。

それよりも、近代社会が人間から奪った自由を取り戻し、観念の呪縛から
どの程度リリースできるかで、人生の残り1/3くらいを楽しまないと
えらく惜しい時間の使い方になっていないだろうか。




その近現代社会がいま、終わりかけてきているのである。
もし本当なら、悲観する人は多いだろう。
しかし歴史の転機はいつもあったが、転機が直接人を滅ぼすことはない。
逆に、そうか、そうだったら違う新しい生き方、価値観を探して
やってみようというタイプが、生物学で生き残れるのである。

諦めたり運命と信じ込むのは普通に生きていたらそうなってもおかしくない。
しかし私は、今日からまた旅にでて、何かを感じて考えて行こうと思う。



Posted at 2014/04/10 05:07:12 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2014年04月02日 イイね!

東京から帰って来て

テストです。
これって、Facebookに入っていない人でも
表示を読むことが出来ますか?



Posted at 2014/04/02 13:21:55 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 日記
2014年03月12日 イイね!

妻が撮っていた1990年イタリア

妻が撮っていた1990年イタリア

1990年というと、
事実上新婚当時で、
会社にも言ってなくて、
密かに1年交際していた女性と
結婚した時のことである。





秋にワールドカップが、イタリアで開かれた年だった。

同居の女性が(甲子園口の戦前の木造連棟を借りていた)、急きょ仕事で
イタリアに出張することに、なった。

彼女は写真も上手に撮るから、きっと私のことだから「なんかクルマとか
電車とか、写せたら撮って来て」と頼んでいたのであろう。

23年も経つと、すっかり忘れていたが、このところの写真整理で、カラー
スライドの入った箱を整理していたら、これらの写真たちに、(再)遭遇した。



旧miniのspecial。



下は古いビートルのコンバーチブル。



驚きである。
いやー、いい写真、撮っているやんか。
基本のしっかりとした写真の傾向は、私の写し方にすごく似ている。

たしかこの年のイタリアは、ワールドカップで、私はサッカー音痴だから
大したことないと、言っていたら、ローマもミラノも、宿が取れなくて
大変だった、とこぼしていたと思う。


電車の脇に、VWサンタナ?とunoが見える。



白いのはシトロエンAXだ。



路面電車はドイツの街角のようです。



1980年代の薫りの残るイタリアと取り巻くEC圏。
ヨーロッパが大きくゆれた、社会主義圏のドミノ崩壊が、前年のことだったが、
まだ西側への移民流入も、影響が顕著になる寸前のことである。

日本はバブルの余韻に酔い、ファッションの仕事は当然、ヨーロッパを
意識していた。





Audi 80と赤いのは私も乗ったカデットEだから、ドイツかもしれない。



明け方の空港に向かって、出勤前の早い時間、当時は伊丹から国際線が出ていた
時代だったから、僕のfiat 850 coupeに、彼女と大きなトランクを積んで
空港の下を走るトンネルくぐって、愛車を走らせた朝、妙に感傷的だったなあ。







まだ妻も、僕も、その時に荷物を積んで走らせた、
小さなイタリア車もみんな生きていて、手の届くとこにあるけれど、
いつの日にかこんな思い出を、アルバムに貼る日がきっとくるのだろう。




   その日の朝は、この曲の気分でした。

Posted at 2014/03/12 14:10:14 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
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2014/05/11 05:49:46

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