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2014年01月23日 イイね!

テイスティーな坂の町・呉

テイスティーな坂の町・呉


昨日、広島県、呉の町を走ってみた。








山あいに1本のワインディングロードがあり、
海がかいま見えたり、ちょっと門司に似ているなと思った。



トリッキーなドライブ感覚があり、アップダウンがたまらない。



75の大きさとパワーが、ほんとうに使いやすい。
パワステ付きのFR、5ナンバーセダンが、よく似合う。



そしておなじみの、旧い建築がいっぱいある。





この町に埋もれるような暮らしが
1年でも出来ないかと、一瞬本気で思った。



たまらなくテイスティー(古い!)





Posted at 2014/01/23 06:57:45 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2014年01月01日 イイね!

山陰紀行/宍道から木次線へ

山陰紀行/宍道から木次線へ新年おめでとうございます。

昨年末でいったん中断した
12月19日の旅の続きを書きましょう。

年を越すと、新しさもないのですが、
のんびりおつきあいください。



米子から松江を経て、乗換駅の宍道まで約1時間。
その間の足は、電化区間を走るディーゼルカーだった。
しかも複線区間になっているので、その昔のキハ82系の「まつかぜ」より
もしかしたら、このキハ47の方が速いのではないか。
湖水を右手に見ながらエンジン音も高らかに走る気動車は、おそらく換装
された動力のおかげで、110キロくらい出ているように思われた。



車内でマフラーを落としたことに気づいた。
多分米子駅だろう。車内を回ってきた女性車掌に相談すると、次の宍道駅で
乗り換えまでの間で、駅員がいるので、申し出てくださいという。
宍道駅で列車が出た後に、出札の駅員に申し出ると、着払いになりますが
良いですかという。




妻からプレゼントされた思い出のあるものなので、というと早速米子駅に
専用線で問い合わせてくれた。
「ラクダ色のマフラー、3番線に落とされていたようですよ」と発見の報。
「イタリア製だそうですね」とさっと駅員の表情が一瞬輝いた。
あーそうですね、と私も照れ笑い。



年末の慌ただしい時期に落としたマフラーは、旅から帰った翌日に、手元に
運良く戻って来てくれた。木次線の列車が出るまでに45分くらいあるので、
歩いて湖畔まで出てみることにした。雨も降っているが首筋が寒い。



湖畔は暗く沈んだ水墨画のような色だった。蜆貝の漁から船が戻ってくる
ところで、岸に近い辺りは貝殻が細かい砂のように山積していた。



木次線の到着列車が入線した。11時21分の発車で終点の備後落合到着は
3時間後の14時22分になる。総延長81.9キロを平均時速27キロくらいで
奥地まで上がって行く旅なのである。




出雲大東方面と駅の行き先票に書かれていた地名は凡そ30分くらいで着いた。
雲南市の中心地区らしい。
ここまでは平坦ではないが一般的な地方に見られる山間区間である。




そこから2駅で木次駅である。この鉄道の線区名発祥の場所であるが、
元々は簸上鉄道が開通させた路線である。





大分山間部でも奥地に来ているが、風景は冬の枯れ木立である。



ディーゼルの速度は時々20キロ台に落ちる。
やがて出雲横田に到着した。
神殿作りの出雲大社を想像させるような駅である。






出雲横田が13時07分、あと28キロくらいの距離を1時間15分かかるのは
最奥地にあるスイッチバックを上って行くからである。



スイッチバック駅の出雲坂根に着いた頃には、車窓には雪が広がり
芸雲国境の厳しい気候が垣間みられたのである。





ここで列車交換もないが、10分近く止まるのはスイッチバックのためでも
ある。



さあいよいよスイッチバック区間の始まりだ。



きた道を分岐してバックして、雪囲いのある部分まで下がって行く。





線路が細くて、元の国鉄とは思えない。



タイフォン一声、今度はまた正方向に向きを変えて、急坂を上って行く。

この間10分弱のドラマである。





木立の遥か彼方の低いところに、先ほどまで車両が停まっていた出雲坂根駅
の建物が100mくらい下に見える。おお、すごく上っているのだなと一瞬、
不思議な感動が起きる。



一気に坂道を上ると、三井野原スキー場という無人駅に出る。
大昔のスキーブームには、中国地方で数少ないスキー場があるので
木次線の乗客増に寄与したのかもしれない。

今は何もないようなところだが。



14時22分、木次線唯一の全線を直通する列車は終点の備後落合に着いた。
山間の、芸備線との接続駅だが、今はもう全くの無人駅である。
10分くらい待つと、新見、東城方面からの列車と、これから乗り込む
広島方面三次からの折り返し列車が着いた。



全部小型のディーゼルカー1両であるが、この区間にも30年前は
夜行を含めて1日3本の急行、「ちどり」が松江−広島間を結んでいた。
深夜の2時台に駅員がいて客扱いをしていた風景を一度
見たかったものである。
(この項おわり)
Posted at 2014/01/01 12:03:40 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 日記
2013年12月27日 イイね!

山陰紀行/朝の米子駅にて

山陰紀行/朝の米子駅にて朝になりました。
今日は山陰線を宍道まで乗り
そこから木次線という前から
乗ってみたかった路線で
はるばる広島を目指すことに
します。



朝のラッシュが終わった米子駅。
ラッシュアワーはないのかも。
この駅がこんなに立派なのは、国鉄時代に全国に11くらいあった鉄道
管理局の一つが、このビルの上部に入居しているからです。

最初の写真のモニュメントは、「山陰鉄道発祥の地」と言う意味でした。



昼夜を駆け抜けて、東京からこんな賓客も到来します。
特別急行「サンライズ出雲」



ゆったりとした空間を持つ最新の電車寝台列車。
といっても登場から10年以上経つけど。



ああ素敵です。この電車寝台特急は、あと、四国行きの「瀬戸」に使われ
ています。


0番1番ホームに立って、この優雅な列車を撮影していたら、向こうの
車内の乗客も、山陰まで来ている鉄道マニアが珍しいのか、こちらに
カメラを向けているではないですか。



何だか嬉しくなって、出雲まで旅する女の子たちに手を振っていたら、
撮影対象はホームにいる、“妖怪”たちでした。



「俺になんかようかい?」と、オヤジギャグをかますと、夢のような
特急列車は八雲の国に雲のようにするりと去って行ってしまいました。



朝のホームにひとり佇み、機関区や構内にいる列車を撮影しています。

珍しいのは直流用の大型の電気機関車EF64がいます。



伯備線が電化されて、岡山と米子・出雲市までの区間に棲む山岳機です。
形式名が往年のブルトレ牽引機EF65より古いのは、最初のEF64は、
確か奥羽線の板谷峠がまだ、直流時代にEF16では高速運転できないので
作った形式だったからで、側面窓のデザインの大きく異なる1000番台
は、事実上、最後の方の新鋭直流機のひとつでしょう。



昨日乗ったのと同じステンレスのディーゼルが、待っている女の子たちの
前に滑り込んできました。



彼女らが乗り込むと、ほら、もうホームには人が居ない。
これが山陰のターミナル風景なのです。

米子という駅は、電化区間であり、しかし非電化の車両も多く見られ
そのバラエティが、私が育った1970年頃の大分みたいです。
ディーゼルの向こうに、切り妻運転台をさらした、伯備線各停用の
115系の成れの果ても見えます。



EF64をカラーで見せると、綺麗でしょ。むかし名古屋に居た
スペシャルトレイン用のユーロライナー牽引機みたいです。
不細工な魔改造と呼ばれる115は不遇です。



岡山から、伯備線の特急「やくも」も滑り込んできます。
381系は中央線の「しなの」に続いて紀勢線の「くろしお」と同時代、
国鉄最後の先行投資で、振り子特急化が実現して、30年経ちます。



車両を、そろそろリプレイスしないといけないのですが、JR西はお金が
無いので、ローカル区間はなかなか近代化しません。それにしても国鉄
時代に出雲大社まで行っていたのを、廃止したのは損だった。

その後のブームで、今はすごい人気スポットなのに、出雲市駅からバス
とは情けない。
右寄りの今の政権時代に、鉄道だけでも復活させられないものでしょうか。



これも冬の山陰ならではの風物詩、ラッセルを前後に付けたDE15が
待機しています。



よく見ると、その背景には、綺麗な傘雲を被った純白衣装の霊峰大山が
そっとこの場所を見下ろしています。



これをご覧下さい。
当駅から出ている列車種別に、東京行きの「サンライズ出雲」が含まれて
いる。



昭和60年ころ国鉄最後の時間に、京都の大学関係でやった忘年会で、
酔った勢いで数名の者が、廃止になる夜行列車の「山陰」に乗ろうと
言い出して、そのまま倉吉まで旅をしたことがある。

倉吉で朝一番の倉吉線(これも3月のダイヤ改正で廃線)に乗り
往復で倉吉駅に戻り、頭の上に吊られている国鉄の列車名票を見ていると
「先輩、ここは東京直通列車が出ているのですね」と、後輩が声を上げた。

彼は愛媛の宇和島の出身で、今でこそ「サンライズ瀬戸」が松山まで
走るようになったが、四国は長い間「陸の孤島」で、東京に行くには
飛行機以外は直通が無かった。

彼は今、神戸新聞で働いているが、東京直通があることは、倉吉の方が
宇和島より都会に繋がっていると、それを讃えていたのである。
東京直通の鉄道が、一本のレールで繋がっている。新幹線に置き換わって
行く今の時代には、ナンセンスと言われても、その列車を走らせるまで
先人らの血の滲むような労苦があり、実現したのである。

ちなみに、「出雲」の歴史は、昭和の大典後に走り出した「大社行き
準急」がルーツだ。
僕はこういう歴史のあるものを、易々と廃止するのは、反対だ。

僕も35年前に、東京行きの上り「富士」に乗って東京の大学受験を
しに行った。その時には、「男子郷関を出れば」の漢詩を胸に秘めて
帰り来ぬ時は、引退か死ぬ時くらいの気持ちで、故郷を後にした。
こういう出世列車、上京列車を見ると万感の思いがある。
5分おきに走る「のぞみ」の時代に、なんと古くさいと思われてもよい。

男なんて、浪漫が無かったら、何の値打ちも無い生き物だ。
ホームの向こうの側線には、沢山の列車が並び、ラッシュの緊張の終わった
ターミナル機関区では、きょうも車両を磨いている人たちの姿があった。
山陰の鉄道は、ダイヤが過密でない分、車両が綺麗に思われた。
僕はそんな一昔前の当たり前の風景を見つつ、ここに今立っていることを
ゆっくり味わって、下り列車に乗り込んだ。

(米子駅編おわり)



Posted at 2013/12/27 11:33:13 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2013年12月25日 イイね!

山陰紀行2/非電化区間

山陰紀行2/非電化区間綾部を出て福知山に戻り
15時ちょっとの豊岡行きに乗ります。
まだこの区間は電車ですが、
風景は大分北近畿らしく
雪の降りそうな車窓になってきました。



和田山には明治か大正時代の煉瓦製の機関庫がホーム横に
残っていますが、復元中なのか、屋根が取り払われて骨材が見えていました。



豊岡到着。16:20



浜坂行き発車の58分まで少し時間があるので、駅前のスーパーの
フードコートでカレーを食べました。
出てくるまでに10分以上かかり、都会時間でイライラする自分を宥めて苦笑い。



しかしこの雨の中の何も(愉しみの)ない、田舎町のスーパーのFコーナーで
たむろする普通の高校生を見て、35年前にああはならないぞ、と都会を目指した
自分のことを思い出していました。
今仮に自分が10代でも、何だか嫌なのです。
ああいう仲良しが苦手で、絶対とけ込めない。それは何なのでしょう。

さあここからディーゼルカーです。



18:12、夕方なのに真夜中のように思える眠った町に着きました。
ドラマ「夢千代日記」で舞台になった湯村温泉の入り口、浜坂です。



非電化区間は近畿でも、残っているところは遠いところばかりになり、
朱色のディーゼルを見ると懐かしく思えます。



19:03、鳥取到着。
見慣れない気動車は、智頭急行鉄道の普通列車用です。



ここから米子までは新型ディーゼルの快速列車。
スピードもエンジン音も違いました。



新型キハは、固定クロスシートの4人がけですが、悪くはありません。
JR東のキハ100/110系の変則シートより、ずっとアコモデティが良くて
気に入りました。
たぶんカミンズのエンジンも俊足です。



米子到着、20:46。1時間半の旅は快適でした。
取りあえず今日は、この町に宿を取りました。



米子のビジネスホテル相場は安いので、松江に泊まらなかった理由は
それでです。
山形も安いですが3000円くらい。ここには2500円で個室のホテルがあり
共同風呂は、銭湯ユーザーの私には歓迎です。



ものすごく寒い夜でしたが、宿に荷物を置いて早速出撃。
おでんやでちょいと飲んで女将と世間話するのが好きなのです。



米子駅前の月。雲は大山に雪をつもらせる雪雲です。

こうして今年も旅に明け暮れた1年が、過ぎようとしています。
1日目終了。


Posted at 2013/12/25 07:46:25 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2013年10月26日 イイね!

遥かなる北陸

遥かなる北陸旅から帰って、カメラを無くしてしまった。
この旅行記の写真は運良くダウンロード
していたので、こうして記事が書ける。

ほの遠く離れて行った、機械の触覚の
記憶が薄れて行くことは、寂しい。
でも日記の文は、新たに生を与えることで
他の人が読んでいただけるなら、
それでいいのではないだろうか。



新井の道の駅に近いホテルを出発する。
北陸の朝は鉛色の空になり、昨日まで見ている風景と異なる。
まるで白黒の世界に、自分の気持ちがすっぽり嵌って行く。
それは50を4年も過ぎた男の人生の絵の具のように、似合っている。



妙高から暫く国道を走っていると上越市に入る。
大きな国道から旧街道を抜けて、上越という町の空気を吸い込み走る。

直江津という港町は通らずに高田の方を走って行く。



道路脇の歩道には、民家商家の軒が伸びて、積雪の時期の道を確保している。



道路脇の電柱に、噂には知っていたが「スキー正宗」という日本酒の広告
看板が掛かっている。面白い名前だと思うが、スキーが名物になった時代に
ハイブリッドな感覚で付けられたのであろう。


上越市の構造は、港町の直江津と、古い歴史のある高田の融合体だ。
同様の例は、福島にある。いわきは、常磐線の平と、漁港工業港の小名浜
などが合わさって出来た複合都市だ。
上越にはもう一つ看板がある。上杉謙信の居城だった春日山である。

昨夜の僥倖には謙信公ゆかりのこの地を通るなら、無視も出来まい。まだ
朝のうちで時間もあるだろうから、きょうはずっと高速で帰る予定だから
早い時間に立ち寄れたらと思っていたら、それらしき山の形が見えて来た。



あの山上が、旧春日山城なのであろう。
北国を思わせる街路樹が、雪国情緒を高めてくれる。



連休が終わり平日の朝なので少し国道は慌ただしかったが、公園近い
あたりは、やはりこの時間でも静かである。



道を二度三度曲がって、城跡の近い駐車場まで入って行く。





いきなり胸突きの階段を上って行く。



上りきると、いかめしい神殿が出現する。祭神、上杉謙信公の現人信仰に、
これは明治神道であることを、後から思いついて納得した。神戸の湊川神社
も似た経緯の神宮である。そう言えばどことなく靖国神社の鳥居に似ている。



これもすごい。そびえる石柱に東郷平八郎の名前が彫り込んである。
篤志家の寄贈で、揮毫が大元帥なのである。



僕は明治の時代を否定はしないが、こういう時代であったのである。
おそらくは、春日山は、長い間に忘れられて、城山くらいの古戦場になり
赤松が多いので、付近の村人たちが松茸山くらいで入会利用していたのだろう。
江戸時代までに、お寺と神社は合体していたのを分離した場所も、
今でもたくさん残っている。

それより山上の本物の城跡を見に行こう。





八合目付近にあった直江屋敷のあと。
兼続もここに居たということらしい。



毘沙門堂に、今も祀られている謙信ゆかりの毘沙門天。
本物だろうか。それにしても上杉謙信は謎めいた人で、生涯も秘密めいた
ベールに包まれている。数年前の戦国ドラマでGacktが演じたのも、私は
面白いと思った。



春日山山上にて。
こんな空の色を、武将たちは毎日眺めて、所領の越後や、甲州の武田の
ことを考えて、時には京都に出奔することもあったのだろうか。
私もこの後の長い道程を、一日で駆け抜けられるか、考えていた。



国道8号線に出る。この長い道は、右手に日本海を眺めながら新潟市の
万代橋付近を起点に、越後、越中、加賀、越前と走り近江の草津まで続く
長い長い国道である。

春日山を下りて、湯殿山のトンネル付近で乗って、出たところから海の風景
が始まる。



大型トラックの後を着いて、ずっと走るのも息が切れるので、時々こうやって
日本海に面した漁村の風景等も撮ってみる。



能生付近にて。
北陸本線は親不知の険阻以外に、このあたりの頸城地方で大掛かりな
地滑り災害があり、昭和40年代に筒石駅はトンネル駅に移設されている。
国道の少し上に、現在はサイクリングロードになった旧北陸線が残っている
ようであるが、さすがの自転車族もこの日は走っている姿を見かけなかった。
整備状態も悪いのであろうか。



この信号を左折して、能生から北陸自動車道についに乗る。
その前に手持ちが少なくなったので、金融機関の一つもあろうかと探して
みる。曲がったところに建っていた民家。元は商業建築であったのだろう。
洗濯物の開けっぴろげな干し方が面白い。
こういうのを一瞬見るだけで、旅は楽しくなってくる。



糸魚川信組能生支店駐車場にて。
隣に停めている唯一の同クラスセダン、ランサーセディアの停め方がむちゃくちゃ
ルーズすぎて笑ってしまう。もっと綺麗に写真を撮りたいがさっきから
ぺちゃくちゃ喋っている若い主婦たち3人に警戒されたくないので
隠れてこんな写真になった。



国鉄=JR能生駅の駅舎。おそらく昭和44年の線路移設で建て替えられた
ものであろう。

能生の町には、このあと高速に乗るまでの、一瞬しか滞在しなかったが、
北陸といっても、目の前がだだっ広い日本海に面し、明け透けな性格が
窺えるようであった。



最後にこれ。高速にのるランプに信号機が設置されている。
湖西道路のような一般有料道で、あったような。
よほどアバウトな運転で事故でも多発したのであろうか。
考えれば考えるほど、能生の町は不思議な感じがした。

能生駅の歴史を読んでいたら、1961年に初の特急「白鳥」が走り出した
時に、単線区間の列車交換で、従来から正規でない運転停車でも、この駅は
こっそり客扱いを急行とかでもしていたようである。

能生駅では、「おらの町にもついに特急が来た」と運転開始日に町を挙げ
「ミス能生」まで選出して、花束構えて待っていたら、自動ドアの特急は
無情にもドアは開かず、発車して行ったそうである。面白すぎる。
こんな滑稽映画のような世界が、半世紀前にあり、今もその空気は伝わって
いると私は思った。



ここからは、昨年のフィアットフェスタの帰りにも通った高速風景だ。
糸魚川青海町付近のセメント工場コンビナート風景。
冬場の風景はこんな素敵なシーンになるらしい。



続いてすぐに見えてくる水力発電の揚水ダム風景。



1時間ほど走って小さなパーキングで休息。
まだ時間はお昼前くらいである。



富山、石川と駆け抜けて、福井県に入ると、天気が台風の影響で崩れ始めた。
雨は石川あたりで、ぽつぽつと来ていたが、すぐに上がったりした。



遠くに山が見えて来て、福井県でも越前と若狭、そして近江滋賀県の奥地
との境に、山脈が開けていることがよくわかる。これまでは大阪京都方面から
旅しても、帰るのが夜だったりして、知らなかった風景だ。
福井県の宿に泊まると嶺南/嶺北地方という天気予報の呼称に、旅情を感じる。
しかしこういった目の前に山が立ちはだかる風景を見ると、越(こし)の
国という古い言い方は、山を越して到達する国だからの、地名であったこと
がよく判る。

だんだん目の前に迫り来る山に直進している。







今庄付近まで来ると、ほんとに目の前に山が立ちはだかる印象だ。
名神の関ヶ原越えも、何度も体験したが、北陸道の景色も面白い。



雨は降り止むこと無くブルーグレーの車体を濡らす。
僕はそろそろ休憩を取らないと、と思い、びしょ濡れの賤ヶ岳SAに
滑り込んだ。





旅の記憶はこのあたりまで。
もう航続距離は1600km、1000マイルを超えた。

旅から帰ると大きな達成感とその後の静かな反動がやってくる。

いまは大きな仕事をやっていない僕は、2度目のアルファでの遠乗りで
まさかこれだけ走って来たとは驚いている。

手に入れて数ヶ月。
この歳でロングドライブの記録を塗り替えるような長旅をしようとは
思わなかったが、反省点もある旅になった。
クルマは何のために持つのかといえば、走ることと使うことで、
あまり面白くないモノスペース(ワンボックス)ワゴンに今後も進むことは
ライフスタイル的に無いだろうと思う。



現実に昨日は免許証のことで、講習を受けて来て思ったことは、
もっと楽にクルマに、集中力を切らさずに乗るには、余計なエネルギー
を使わない方が、事故が少ないというのを聞き、早めの夜間点灯は
既に心がけているが、信号で消すことも、特に雨の夜はそれだけアクション
が増えて、ミスをする可能性が増えると気付き、やめてみた。

そんな風に思えば、バックモニターの着いたプリウスに乗ることは
80才でも運転できるのだと、考えるようになった。

この旅と、帰って来てからの感想はそんな風になったが、850から
アルファになっただけで、一度の旅の航続が大幅に伸びた。
今はそのことから次は何をしたいか、考えているところである。


(おわり)



Posted at 2013/10/26 07:56:09 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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