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kotaroのブログ一覧

2025年03月23日 イイね!

日産ショックから見る日本凋落の歴史の流れ

日産ショックから見る日本凋落の歴史の流れ日産の合併騒動からホンダとの破談となりあれよあれよのうちに年度末の3月である。
日本の国内の景気がさっぱりになって長い。従来メディアはタワマンや人の集中する東京の話題ばかり書いて誤魔化して来たが、今、昔は交通の拠点だった国鉄時代にデパートが建ったような駅前に行くと、地方の衰退は現実を通り越して住む人が、未来に絶望したくなるほど、寂れきっている。
そういった現実は2000年からの四半世紀の間に顕著になった、現在の国土の姿なのである。

日本の舵取りの失敗は、政治と行政の二重構造的に計画がうまくいかなかったことが長い。

私は今年66歳になるが、30代だった1990年代にバブル経済の過熱が途切れて、そこからポッカリと日本の未来にブラックホールが出来て広がったように記憶する。

その90年代の10年に子供を3人作って育てた。
本題と違う話だが、少子化社会はなんとなく空気で予想したが、私は父親より子供の数が多い。これはある頃から生涯賃金は父親に負けるだろうから、子供の数くらい勝っても面白いとやってみた。
老後の今は年金でも全く負けて、とても貧乏だが、息子が時どき心配して、釣りで釣った魚を片手に遊びに来てくれる。それでも子供がいないよりいいやと自分を慰めている。



90年代途中からは日本がバブル経済の反省と言って、不良債権の存在を目の敵にし、バブル時代に乱脈経営だった企業潰しを奔走した。これは今に至る自己責任の発想で、そのときに日本を代表するような山一證券や、長銀、日債銀といった国の政策で作った金融機関も潰した。今から考えると日産のような状態と異なるが、金融経済が乱高下したのは、1985年のプラザ合意を日本政府が受け入れて、為替が暴騰して日本に大量のマネーが流入して、日本企業の時価評価額が軒並み世界のトップにいきなりなった。

競争力がついていない時代にいきなりそんな「現象」が起きて、ネットもまだ無いような時代に、国も国民も現実を理解できず、お金が湯水のようにあるので、会社の経費で高級輸入車を買いまくったような伝説が一人歩きしただけである。

それが一部の人や会社が踊ったバブルの正体である。
バブル退治と当時は言われ、本来は「退治」するような化け物ではなく、経済の急性病への対処が解っていなかった。
そのバブルがいきなり弾けたのでなく、1995年1月、関西の神戸で関東大震災以来の大地震が起きて、国民は「何かが終わった」ような気持ちになった。
同じ年の春先の今頃にオウム真理教が地下鉄で毒物テロを行った。これは流行作家の村上春樹が「アンダーグラウンド」という小説を書き、人々の心の中に急速に未来に対する不安が黒雲のように広がって行ったのである。ちょうど30年前の春はとても不安な日本の春であった。

そして1997年後半になると企業経済の破綻が顕著になり、北海道の拓銀や、山一證券などが、救済しきれなくなり潰れて行ったが、庶民の人々は、平家物語のように栄華の終わった企業は「自業自得」と感じていたのではなかったか。



所で私は個人的な見解であるが、日本の経済が段階的に悪くなった主因は、消費税制度の段階的導入の結果で、その結果が、これほど大きいのは、日本人の国民性と真逆だからと、ずっと考えている。


まずバブルが崩壊目前のピーク、1989年は平成元年に4月から3%の消費税が加算された。
この話をするとすぐに昔は高額な買い物に物品税が付いていたじゃないかと反論される。しかし庶民や国民は、昭和の時代は高度成長期が終わった昭和50年代でも、旺盛な消費意欲があり、要らないものでも新製品に敏感に反応して、国内経済は成長の一途だった。石油ショックが1973(昭和48)年秋にあった。

自動車の値段もガソリン価格も1975(昭和50)年までに大幅に上昇したが、日本の自動車産業は魅力的な新車を開発して、1981年のトヨタソアラの登場で高級車市場のブームが起きて、黄金時代が始まる。



消費税の税率改定、アップは第2弾が1997年4月であった。
山一倒産、北拓の消滅は今に至る北海道の経済の運命を暗示したのであるが、消費税を春に上げると秋の頃から資金繰りに苦しむ企業が表面化して、97年は金融恐慌の年と言われる。私も新聞社時代の暗鬱な記憶が残っている。

ここで日産の危機と苦悩に付いて再録すれば、”コストカッター”、ゴーンが来たのは日産の業績の急速に悪化した後の1999年春である。
日産を大甘で救済すれば良いという記事を書くのが真意でないので、順を追って説明すれば、日産は1960年代、70年代、トヨタに比肩できる会社であった。
特に北米輸出で大きく売上を伸ばして、日本の商社マンのように、日産はイメージ戦略でも国際ラリーでブルーバード、フェアレディZが活躍して「技術の日産」という企業イメージも定着した。

しかし日産は民業ながらここまで大きくなったトヨタとは対照的な、組合トップが天皇と呼ばれたり、社内の抗争が本業の製品開発に影響しやすい、アキレス腱の多い会社であった。
魅力的な商品が生まれると息を吹き返す。これは自動車に限らず、1億人の国民を抱える国内市場でものが売れると、大きく儲けを伸ばすことができる、大国の長所でもある。今の中国が羨ましいのは、10倍の市場で、制限付き国家でありながら、消費をコントロールできたから、あっという間に日本を追い抜けた。これはアンチの人も解ると思う。

日本が景気が悪くなったのは、国内消費経済の動向に冷水を浴びせ続けた消費税の改定である。3%が5%になった1997年に金融恐慌が起きた。今から見るとたった2%の上昇でも国民は「ノー」と言って財布の口を固く閉ざした。

5%ショックの記憶は強烈で、その後の総理内閣は消費税アップは封印した。
しかし2回も消費税をアップしてしまったのは、安倍一強と言われた第2期安倍晋三時代である。2014年と2019年に引き上げを行なっている。
総理の支持率の高さに税率を決める国の中の財務省が、上手に一体化を演じて5年間で2度も消費税を上げた結果は、財務省解体デモまで起きるような今の社会状況と冷え込んだ消費経済である。



財務省を「解体」したって何も良いことはないが、この消費税と一緒になって国民負担の増えた、保険料や年金等の色々な問題は、みんな地下で繋がっており、問題の本質は、政府が官僚をコントロールしているように見えるのだが、どうしたらこの重苦しい空気を変えられるかである。
「官邸主導」で安倍政権時代は、目覚ましい国際的なプレゼンスを成し遂げたという言論や評価は多い。
しかしそれは参謀の存在とシナリオを書いたのを演じ切ったように私は見る。
消費税は安倍政権以前から始まっているのだし、それを廃止や別税にすることは勇気がなかったら、上げる方をことある度に言ってくる官僚の意見に耳を貸したまでである。
2度消費税を上げた総理は泉下の人になった。
戦前なら例があったが、戦後総理経験者が狙撃で死んだ例は初だと思う。
そして2020年代は半ばになって、沈み切った国内の国民消費力は、重税の前にただ喘ぎ、ものが売れない時代はまだ当分続きそうである。
Posted at 2025/03/24 03:27:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2025年02月13日 イイね!

日産と松下パナソニックの危機に思う

日産と松下パナソニックの危機に思う
昨日の朝に別の場所に書いたが、日産や松下が潰れかける時代が来るとは思わなかった。これを基に独自で書いてみようと思う。それがジャーナリストの仕事だと思うので。


世間の空気の趨勢というものを作っていくのは、一方で政府や国家が。一方で大新聞や全国キー局のテレビの仕事だった。昔からと言っても戦後の昭和の40年代以降だと思う。テレビの方は。

最近ではネットがこれらの地位を揺るがせるようになった。だからさっきの空気のことを作るのが醸成と呼ばれるまで、市民が冷静になってきたと思う。
日本国内の消費経済の平均購買力が落ちに落ちて、日産もパナソニックも1億2000万も人口がいる国民の国内需要で食っていけなくなった。私がトッドやピケティならそう分析をするであろう。


なんとなく、このトップ企業2社の落日は自己責任で仕方がないって、多くの国民は思わされて、思い込んでしまっていないであろうか。これは完全に政府の政治のミスである。消費税を上げ続けて、今や10% 1割昭和の時代より余計に取られる。
また会社員や働いて暮らしている人の保険料、税金、公的年金等の負担が、昭和末期の景気の良かった頃に比べて、正確なデータをとっていないが2倍以上だと思う。老人医療が無料でやっていけたから当時は。それが社会福祉と堂々と謳われて、厚生省は「いい仕事をやってくれるいい官庁」の代表みたいな顔をしていた。


今泡を食っているのは、政府の税調と、税金をセッティングして取り立ててきた大蔵省や後裔の財務省であろう。まさか国内消費がここまで冷え込んで、松下や日産が潰れるなんて。彼らにとっても大量の税収入が見込める日本の一番上にあった巨大民間企業である。その影響たるや大変な恐慌が出現するかもしれない。


ではなぜここまで国内消費が冷え込んだのか。それは匙加減のミスである。
一方でマスコミの大罪は、なんでもかんでもバブル経済の破綻やそのツケと、嘘を言い過ぎてきた。実際はバブルの反動は10年もない。その後の不況は、政府の金融ミスや、政治上の舵取りで、日本はミスをし続けて繰り返したからである。特に特定世代を放置した、就職氷河期世代問題の長年の置き去りで、少子化が進み、老後の希望も持てない大量の国民を産み、ライフプランを全く無策にしてきたことは、政治の大ミス以外に他ならない。


高齢者が激増する、団塊世代の60歳到達や75歳到達が、どれだけ喧伝されてきただろう。マスコミも罪が重い。

これだけ国債を発行して一時調達して国家を維持でき、新幹線も3、4本で終わりにしなくても国が破綻してないのなら、団塊世代対策は、国債発行と償還期間設定で乗り切れた筈である。
消費経済が低迷していなかったなら。


とにかく今の財務省のお粗末に尽きるのではないか。国の活力を奪い続けた結果は。
団塊世代のうねり、ショックは、彼らがもうすぐ死に絶えたら、それを収斂したら良いだけである。しかし団塊世代、と言っても10歳下の僕らの1.5倍程度の人口が多い人たちのことで、政府はずっと危機が来ると言い続けて、消費税を導入しパーセンテージを上げ続けてきた。1987年から安倍政権時代に2度も。
その結果がどうなったであろう。この生活苦である。

で、悪い事がチエーンリアクションになって、保険料も、各種の税金も増え続けたのは、うまくいっていた昭和戦後の逆進に完全になっている。政府と自民党政治の無能は、もう誰の目にも明らかになった。
今日はこういうことをみんなに気づいてもらいたくて、どうやったら、口先だけでない良い政府や良い国家になれるだろうか、考えて欲しくて書いた。野党のどこかが政権奪ったらなんてレベルの話題ではありません。
日産や松下が消えるって「国家的危機」だということを、見逃して欲しくないのである。兵庫県の知事やフジテレビと芸能人の話題なんか、全くどうでもいいと私は思っている。


Posted at 2025/02/13 07:14:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2024年11月29日 イイね!

走る”違和感”とオワコン交通機関の行方

走る”違和感”とオワコン交通機関の行方久しぶりにブログを書く。
クルマを久々に動かした。

11月の頭に、山陰の方のツーリングに参加して以来である。

あまり長く乗らないと老人なので、ボケが始まるのではないか。
今は冗談だがもうそんな歳になっており、滅多に開けないみんカラの蓋を開けたのである。





突然、話は40年前に戻る。
フェラーリテスタロッサが40周年のニュースが、外国の記事で出ていた。



1980年代に、このクルマと、その後のF40が出て、フェラーリのシンボルに、
若い自分らは幻のクルマに対する憧れや、それが非現実から現実に出た時の
衝撃に、一気に頭に血が昇って、可能になれば「死んでもいい」みたいな
興奮の時代に突入した、懐かしい記憶が蘇ってきたのである。

それで当時のことを、若い日のことを思い出して見た。
この漫画を知っている人もいるだろう。




この作者にすれば、いつも”描かされている”柔道漫画やネコの可愛い系漫画では
なく、人気が出だして、成功者になり、お金を得てからの日常の延長を
ちょっと面白い視点で描いた快作だったと思う。

バブルの戸惑いと空気を描いた、コメディコミックとして、私も強烈に覚えていた。

作者の思い入れと、ほぼ同世代なので、老後と言っても元気なうちにこんな
コンテンツを無料で公開してくれていたので、数分間を一気に上映して見た。

実に懐かしいし、ストーリに飛ぶと、秋田から出てきた若い女性が大学に進学するも
ちょっとアルバイトで、銀座のホステスになり、そこで見染められた各界の著名人
成功者から求愛されて、とんでもないプレゼントが、このピンク色のテスタロッサ
なのである。

ピンクの高級車は米プレイボーイ誌の、最高点ピンナップガールに贈られる
夢と憧れの象徴であることを、知っている人はニヤッとするであろう。

ぽっと出のハローちゃんがいきなり、故郷の秋田から、東京の銀座の世界に出現
して戸惑うギャップが面白いし、今の堅実な若者には、”信じられない”
シンデレラストーリが1980年代の東京には、これに近い話は実際にあったと思う。

私も今と40年前のタイムラグより、社会の空気のあまりの変わりように
ちょっと目眩がしそうになった。
主人公の故郷の秋田には、当時は新幹線も開通していない。

奥羽本線を走る特急や寝台列車に乗って、長時間の旅の後に着くのが
花の東京である。私も九州から東京の大学を目指したが、2年連続で受からなかった
から、関西に留まって45年になる。

その頃の秋田には地方の空気はもっと明るい、長閑な生活の空気が満ちていた。
今や日本でも、最も人口減少と過疎化が進み、沈みゆく故郷のことを
このハローちゃんの続編を描くなら、故郷のことを越後出身の漫画原作者は
どう描くであろう。



昨日のテスタロッサ40周年のニュースを読んでいると同時に、
国内ニュースで、青森の弘南鉄道大鰐線が27年度で廃線になる記事が、
千葉県のJR久留里線の鉄道事業を見切った話と一緒に飛び込んできた。

嗚呼という感傷はあれど、よくここまで持たせてくれたものだと思う。



大鰐線と一緒に1990年の12月の終わりに訪ねた秋田の大館から出ていた小坂鉄道の
シーンもお目にかける。



ハローちゃんが東京で”テスタ郎”を乗り回している同時代の秋田や青森は、
こんな世界だったのである。まあ今もあまり変わってないのは気の毒だが。



ところで、私も40年近く同じフィアットを乗り続けてきて、近年は
街を走るシーンもとても違和感が走ってるように見えるのでないかと、
外側から見た時のイメージをずっと考えている。

40年前のハローちゃんの漫画で、いきなりプレゼントされたテスタロッサで
街を走り出すシーンがとても面白い。動画で見てほしい。



私は2020年代になり年齢も60代になった。
1980年代には20代の若者で、初めてフィアットを走らせて街を行くときの
ソコ除けの痛快感は、今や一歩間違えると痛い老人の高齢車運転に近い。

漫画の女性がテスタロッサの操作を間違えて点灯状態で首都高を
ドドドドっと走り出すと、前方の車が一斉に道を開けるシーンは笑う。
今テスタロッサに乗っていたら、40年維持出るのは至難だろうが面白いだろう。

しかし地方の交通線が、限界に近い状態で走っているのと、我らが旧いものを
維持して走らせているのと、あんまり考えたら、大差はないのではないか。

みんカラをそんなにしょっ中、端端まで今は見ていない。

自動車のタイム、自動車のエイジは確実に終わりが近くなるような気がしているが
書くとこの場が荒れるので、私自身もそんなに毎日クルマのことを追いかけて
いないのと、ネットでは趣味の範囲のみ目で追う程度である。

40年前は自分も若かったし、楽しかったなあと今は思うだけである。
テスタロッサの夢は、一時期安かったけれど、また高騰してとても遠い縁になった。
しかしマンガの世界とはいえ、一時期は銀座のアルバイトホステスでも乗れそうな
ところにあった。
それと、この書き方と目線は、今はジェンダーの考え方で多分駄目だと思う。
小林まことのチャンネルは面白いと一瞬思ったが、個人的な回想の日記の範囲だと
私は思う。

そんなことを広い発想でまだ考えられるので、私は旧いクルマに乗りながら、
まだ未来に少し生きられているような気がする。
Posted at 2024/11/29 04:02:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2024年01月17日 イイね!

日本の音楽産業と自動車産業は文化の域になり得たのであろうか

日本の音楽産業と自動車産業は文化の域になり得たのであろうか正月ムードも一段落
きょうは神戸の震災から29年が経った朝である。

今年は神戸をテーマになにか活動をしようと決めて
友人と賛同者でグループを昨年の写真展のあとに作った。

その中で1980年代の神戸のことを取扱うことにするのが柱である。

先日のこと、元町を歩いていると85年のカーグラフィックが美本で
3冊出ていて、1冊200円だったので重いけど買って来て読んでみた。

私が社会人になって3年目。アウトビアンキA112がまぶしくて
欲しくてしようがなかった頃である。
フィアットパンダも149万くらいでその頃は物品税はあったが消費税は
まだなくて、「定価でものを」買えた時代である。


震災がこの10年後に起きるのだが、日本中がやたら明るくて
若者が弾けまくっていた時代だったと記憶する。
もう40年くらい昔のことだ。



この時代のことをバブルだと否定せずに肯定的に捉えて価値を考えて
行きたいと言うのが設立の趣旨である。

その頃の日本はサブカルと言わずに、社会現象をカルチャー的に捉える
努力をいっぱいしていたと思う。
自動車産業の脇にカーグラのような社会的影響力を持つ雑誌が揃い、
そこに高尚な文化論や消費生活の意味まで書くような人が多くいて
読者にもそれを受け止める許容力が着いていた時代だと思う。

私も青二才ながら薫陶のようにそれらを嗅ぎ取ろうとしていた。

自動車産業の隆盛もあったし、音楽の世界は百花繚乱であった。
レコード店はCDにシフトし始めていたが、発売される新譜は聖子ちゃん
からユーミンまで、社会をゆり動かす力があり、そこに食い込もうとする
新人歌手とアーチストが芸能音楽産業入りを目差す予備軍で、ひしめいていた。

そんな時代が昔あったんだよと、息子世代に言わねばならぬ私も辛いが
過去形は過去形で嘘は言えない。

日本の社会影響力が最も強かった時代は、1980年代だと今でも思う。



自動車産業と音楽産業の本質は異なるが、その周辺に趣味の雑誌のような
存在がいくつも出来て書店も盛況な毎日が在った。

いま本屋に行ったら判るが老人だらけで若者は姿を見ない。
メインの産業が活力的だから、周囲に文化を語る人が生まれて、それが
雑誌発刊の原動力になっていき、次から次へと後を追うものが生まれた。
こういう時代がさらっといえば1980年代の特色だったのである。
そこまで言わないと今の若い人には伝わらない。

当時の20代の若者だった私が60代になり過去を振り返る時代になった。
ずいぶん長い時間が過ぎて行き、20世紀は懐かしい思い出である。
その頃は確かにこれから文化が生まれて、未来はきっとあると思っていた。
しかしその夢とか思いは続かなかった。
神戸は95年に震災が有り、日本はバブル崩壊で社会の空気が変わってしまった。

このところ、失われた30年はなぜ?とか意味を問い直す若い人の学説を
よく見かけ、読むことがある。
結局のところ、日本は政治のミスで、オウンゴールを繰り返している間に
世界中から追い越されて遅れをとるようになったというのが当たっていると思う。

産業も経済もぱっとしなくなり、自動車雑誌も大幅に休刊した。
音楽は一見隆盛に見えるが、国民的な共有と文化はもう少ない。
年末の紅白歌合戦とその前のレコード大賞は高校野球以上に過去の遺物と思える。

私や多くの人々が見たかった自動車文化を語れる国から、今は遠い所にいる。
音楽関係のしごとで食っていきたくて就職を夢見た私であったが、最終で落ちた
大手レコード会社のことを思い出す。
あの時代が続いていたら、今も産業と文化論はどんな形で進展していただろうか。
私はだから、違う形で40年間歩いて来た道について語って行こうと思う。



Posted at 2024/01/17 09:49:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2023年06月12日 イイね!

30年間の時代の空気の変化を考える

30年間の時代の空気の変化を考える今から30年前の1993年というと平成5年で、私は33歳から4歳であった。
同じ学年の今の天皇陛下が結婚して、令和の時代のルーツがある。
当時バブル経済のピークは過ぎていたが、依然日本はアメリカのすぐ後ろに着いた経済大国であったし、2年前の湾岸戦争でアメリカがフセインを悪者に仕立てて、多国籍軍を編成した際に、日本はお金を出しただけで「金持ちケンカせず」を地で行って世界中から「なんやこの国」と思われたことが印象深い。



しかし日本はその後の30年間に大きく社会の中の構造や仕組みは変わってないが、世界一空気の変わった国家になったと思う。
ちょっと今日は今に至るクルマ文化の凋落や価値の変化に交えて書いてみたい。



30年前はまだ新幹線でタバコが吸えた時代であり、若い男女が煌びやかな服装で毎夜遊んでいてトレンディドラマが首位であった。
しかしその裏では日本の社会の構造が変わり始めるのは、この辺りからだろうと思う。
自動車の話をすれば、1989年の日本が世界を圧倒した新型自動車を取り揃えたドッグイヤーから4年。70年代ならモデルチェンジの年だが、ロードスターもNS Xもみな好調を持続させていた。しかしマツダや三菱、ホンダといった中メーカーがマルチ販売チャンネルを持続するのに疲れが出始めていた。
自動車雑誌は依然販売が絶好調で、NAVIなどが時代の空気感を取り込んでいた。
その頃のNAVIでは確かアルファロメオ75、ローバーMG R V8とかジャガーのXJSコンバーチブルとかが持て囃されていたと記憶する。



当時は音楽では小室サウンドと、その少し前にビーイング系が結構市場を支配していた。
そんなことを30年後にどう評価するかは、ここでは書かない。
問題はブックオフとかで、30年前のCDを買ってきて今聞けるか、とかその時に楽しいかとかだと受け止める側の人間の気持ちの態様の変化だと思う。



フィアット131、WRCマシンのラリーの人気は今も高いが、そうでない4ドアセダンの人気は低かった。93年に私は18万で手に入れている。





3枚目の131とクロマが並べられた会場は、神戸で開かれたランチアランチである。
会場にはこんなモンスターも置かれていた。



しかし私が今頃に思うことは、90年代の自由な空気がだんだん冷えていき、日本人社会はシビアになり、脇の甘い、ユルい人が減っていったが、それが今の社会のスタンダードや、やたらとコンプライアンス重視みたいな社会は形成されたものだと思っている。

この間の30年間には、日本は数えきれない試練を受けた。
でも古い写真を見ていると、ユルい空気の乗り物が安く買えた時代って、例えば交通死亡事故の激減につながったというが、それは結果論でここまでクルマを戦車みたいに頑丈にしないほうが良かったのではと思う。



30年後の私たちは車から一部の人は結果的に離れた。
1980年代みたいな猫も杓子も男女もクルマ好きという時代が異常というならそれで良い。
高くなったし、昔は嫌われたベンツSクラスの任務は今はトヨタのアルファード・ヴェルファイアが務めていて、あんなクルマが前後に走っていると、本当に自動車で道を走る快適な快感が半減する。



自動車のある風景って昔はとても好きだったから、私は今も古いフィアットで旅行をする。



131を18万で買った店で後年オペルカデットを5万で買ってきて、2000年頃
家族旅行によく使った懐かしい記憶が蘇ってくる。
こんなクルマ誰が買うんだろうというような車を探し出してきて、私はユルいカーライフを長年維持してきた。

私たちはもうガソリンでも電気でも、水素でも何でもいいが、もっと楽しく
お気楽にこの地球の上の、日本という国で生きられないものかと、この頃は
よく思っている。

Posted at 2023/06/12 14:11:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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