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kotaroのブログ一覧

2023年02月03日 イイね!

節分に思うこと

節分に思うこと年が明けてもう一ヶ月が経った。

今年は1月から著名人の死が相次ぎ、自分と歳の近くなった物故録に、もうそこまで自分の年齢も壁が見えて来たのだとよく思う。

ところでみんカラは自動車の話題が中心だと認識するが、このところの日本の経済や社会の前途が非常に暗い。

そういう部分を観ずに生きて来た時代もあったが、もう無視のできるような他人事ではないと思う。


自動車を個人がパーソナルな主張する道具であった時代が去りつつある。

それは道路を走るクルマたちが無会話な乗りものになり、彩りが豊かだった
時代は大昔の過去の思い出になってしまった。
私は老後になり、古い写真をパソコンで観られるようにデータ化している。
こんなのは2005年頃の出来事で、随分今と様子が違う。



海外の自動車乗りたちの日常をSNSでよく見る私は、日本がいくつもの理由で
楽しいことの無い社会に変わって行っていることを実感する。
その理由は経済の豊かさを実感出来た20世紀に較べて、大きく失われた
充実感と、高齢化した社会の実相があるからだと思う。



なんで今の日本はこういう状態になったのかについて、いろいろな人が
様々な分析を書いて居るが、全体論ではないので、百家争鳴に思える。

私は素人ながら長くやってきた仕事の感覚を持って、今ひとつの答えは判る。

それは社会にとり一番の大きなテーマは「人」であり、人を大切にして
こなかった数十年。とくにデフレと氷河期でロスジェネを見殺していた
2000年頃からの大きな政策の失敗が、18年後の今頃に、とてつもない
巨大な問題の少子化と、全く未来の見えない現実となり、これがコロナや海外の
バトルに気を取られている間に、国内は円安が進行。賃金レベルは
諸外国に追い抜かれて「全く成長のない」現在のような状況にぶつかった
のだと思っている。



人が居なくなった地方の現実を2020年から昨年まで生活しながら実体験もした。

これは何度か書いて居るが2005年頃に平成の大合併で田舎をリストラした
結果で、10数年後の今、予想が着くようになった。
まず鉄道がそろそろ無くなり、代替交通のバスはすぐに打ち切りになる。

地方は議員や市長のなり手が無く、人の減った市町村自治体が無くなる可能性が
もう目の前に見える状況である。



働き生活出来る職場がなく、最後の砦の役場も消えて行っているのである。
それでも生きて行くために少数の若者は、選択肢が都会に行くしかない。

日本は1980年代まで、世界の中で最も上手く経済と社会の歯車が回転する
国家であった。
その日本が30年間給与も上がらずに、反対に転がり落ちるように猛スピードで
後退して行っている現実は悲しいし無惨過ぎる。

そんな今の時代を悲観せずに生きて行くことは、かなり思い切った考えや
メソッドの切り替えが要るだろう。
私はこれまで、いろんな記事を書いて来た。
クルマ社会の未来も語ってきた。
しかし現実は、ごく一部の人が趣味車に乗れて、他の人は興味や共感の
対象では今はない。
どうしたら昔のような楽しい時代に戻れるだろうか。
しかし時代は「今」が一番良くて、過去の時代は悪夢や良く無いと言う
主張の人もいるしその言説を信じる影響を受けた人が一定いる。



ひとの主張は変えられないが、私は今からでも直せるやり方は
どうか人を大切にする社会へ動いて行って欲しいと思うだけである。


Posted at 2023/02/03 05:09:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2022年10月15日 イイね!

鉄道150年と今の日本

鉄道150年と今の日本









西洋から明治の初年以来、どっと文物が入り、日本は完全に
江戸以前の過去を棄てて、人心を一新した。
きのうの10月14日は明治5年に鉄道が150年前に開通した記念日である。
明治4年には日本は郵便制度を開業している。
それを司る逓信省は戦前に国家の重要機関として君臨したが、それを
引継いだ郵政省は3次に渡って解体されて跡形も無い。

逓信省の偉業を伝える逓信博物館というテーマミュージアムが
郵便行政華やかりし頃の、昭和40年に都心の一等地、大手町の産業経済新聞社の
真横に作られた。



この博物館のレトロなのんびり感と、昔切手収集をしていたので、隣の新聞社に
出張で行った際に、無料の展示を何度か見たことが、若い日にあった。
その時は全く「逓信」の重要性を意識してなくて、何でこれが皇居と東京駅の
間にあるのかも、考えたことがなかった。

その考えを改めたのは、2013年8月にこのミュージアムが閉館になる際に
特別展示の数々を見て唸った。
郵便と放送を黎明期からつかさどる省庁として、どんなことをしてきたかというと
情報のプロで、機密を扱い、戦時体制には命を賭けて派遣される任務も
あったのである。
だから大手町の読売新聞、産経新聞両本社の前にこの情報博物館が出来た。
面白いことにこの2社は国よりのマスコミ機関であるし、毎日と朝日の
名門2社は国と対峙するためか、少し国家機関と距離を置いている。

郵政が切手の時代の衰退で弱って行き、最後は簡易保険と郵便貯金の
膨大な資産を狙ったアメリカの資本主義によって2000年代前半の小泉時代に
解体されたことは記憶に新しいが、もう15年以上前である。

逓信省時代は例えば長崎県佐世保に今も残る、針尾の電信塔は海軍のもので
あったが実際にここを運営したのは国家機関であり軍部と帯同していた
逓信省の無線傍受の任務を担った者たちと軍の特務の連携作業である。

戦後の日本の歴史は広過ぎるので今日は書かない。しかし逓信博物館に
最後になって行って、その底力を見せつけられた時は、真夏なのに冷や汗を
感じた。それほど大事な省庁だったのである。

さて鉄道も国家の建設のために作られていった経緯がある。



明治の途中までは日本は江戸時代から転換して、資本主義の国家を建設して
株式を公開して上場企業を作る前だったから、国家に資本と資産が少なかった。

この時代は江戸の名残りで、地方に蓄積された資本が有り、金融機関はまず
銀行法を制定して、各地の元の城下町などに金融機関の原型が生まれて、
都道府県制になると、金融機関の本店は県庁所在地に集まった。

銀行の話に飛んだが、鉄道網は国鉄の前々身の官設鉄道以外は、民間の資本下に
自由に建設が可能だった。
東海道線は国がつくって徐々に伸ばしたが、山陽本線は山陽鉄道。
その先の九州は九州鉄道。東北方面の東北本線と常磐線は日本鉄道が開通させた
のである。

それらの長大私鉄を明治の後期になり、戦争などの有事の輸送を円滑に
するために鉄道国有令が出て、資本家たちの夢は一度途絶えた。
その頃は順調に日本国家に資本が形成されて行ったことがあるから可能であった。
そこを見落として、中学・高校の歴史の教科書の丸暗記では、中学レベルである。


鉄道の国家経営は、国の悲願であったと言えよう。郵便業務も長らくそうであった。

これらは第2次大戦に負けると、まず鉄道省が日本国鉄鉄道に変わった。
国鉄時代は長かった印象があるが、”たったの35年”の歴史である。

3公社5現業と呼ばれた国の経営する企業体は、1980年代になると日本が世界で
指折りの裕福な国になり、いろんな意味で的にされて消えて行く。
国内の民間企業が実に豊かになると、民間から見て改革の矢的になった観が
ある。
しかし指を咥えて見ていたのは、日本を長く仮想敵として見ていたアメリカで
ある。

日本を増長させるな。そう言う声は米国の議会と産業界で1970年代から
数次に渡り繰り返されて、最初は日本はびびったが、びくともしなかった。

それだけ日本の国力は豊かになったのと、日本は軽装備の軍備で済んだので
地上の楽園化していたのである。
そこをアメリカに狙われたというのは、あながちどころか陰謀論でもなんでも
ない。
これはTBSのアメリカ特派員であったベテランのジャーナリスト氏から
直接聴いた話(情報)なので私は信頼性が高いと思っている。



いっきに論文を書いたので”箸休め”にオモシロ写真を挟む。
この切符の利用者は国会議員の前田久吉翁であるが、このおじさんは
東京タワーの建設主であり産経新聞社の一代オーナーであった。
議員切符を秘書に買いに行かせて、これから新幹線が出来る前の最速列車
「こだま」の1等車で帰る際の利用で有るが、どうも籍を離れていた
古巣の新聞社の総会に参加した形跡が濃いのである。


さて元の話に戻るが、何故日本は弱くなり、ちっぽけになり、先の見えない
国になったかというと、国家建設の大局観があった時代は、アメリカや
西洋の横槍にビクともしなくて、郵便も鉄道もまっしぐらに伸びて行ったから
日本は10位以下から7位くらいになり、最後は2位まで地位をあげて
行ったのである。

特に戦後の1950年代後半から1980年代までは奇蹟の成長の時代であった。
ま、汲み取り便所から水洗に変わって行ったのもこの時代だったし、
皆んなが「世界の3大バカ」といった新幹線の成功もあった。

トランジスタからICまで、「半導体の時代」に日本は伸びるだけ伸びて
外貨を稼いだし、ウオークマンやファミリーコンピュータのような”お家芸”で
世界を「あっ」と言わせ続けたのもこの時代ならではであった。

金持ちの余裕が余裕をさらに呼ぶような正の連鎖である。
そこまで考えて行けば、今の日本全体に漂うペシミスティックな悲愴感、
これをどうやったら変わるのか、一緒に考えて欲しい。

話は全然変わるが、昨日は太陰暦の国家が太陽暦に変わったのが150年前だと
書いて、その影響と、こんにち的な問題について考えるのは有りか無しか
考えてみた。
いまちょうど、戦後77年で明治維新から数えて、第2次大戦の敗戦が折り返し
地点で、同じ距離の長さの時間軸が経過したあたりに我々は立っている。

たとえば国家を経営する時に肝要な国営鉄道は、解体民営化されたが、
潤っているのは都市部だけで、地方は鉄道と自治体が並走して衰退と滅亡に
向かっているが、それを見て見ないふりをしているのが都会民、私も含まれる。

郵便もアメリカ好きな戦後育ちの小泉首相時代に完全に終わってしまったが
国家戦略って何だろうか、一般の中から優秀な若い人もいるから、
今日書いたような150年の通史を読みながら考えて欲しい。

Posted at 2022/10/15 15:59:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2022年10月14日 イイね!

陰と陽

陰と陽こんな話はブログだから書けるのだが
個人の頭の中の概念である。

前回も書いたが、日本がうまくいかなくなり長い。
私は家の中に旧い本が膨大にある。それと今はネットの一部が図書館の
ように面白い資料が目に触れられるようになった。
そうやって63歳の私が50年強のことを思い出しながら、昔のことを
振り返ったりしながら、遺したいことを書いている。

日本は明治5年まで太陰暦であった。
今でも旧暦という言葉を聞くが、明治の初めの諸制度改革の中で
一番現在に影響を残している、引きずっているのが実はこの暦制でないかと
近年考えるようになった。

旧暦はいつから使っているかというと、かなり古い。
奈良や平安の頃からではと思う。
歴法が日本に来たのは大陸から渡ってきたのであり、仏教と同じように
この島国の隅まで広まった。
中国と朝鮮半島は日本の国内文化に大きく影響を与えているが、広い中国の
奥地はユーラシアという大陸で繋がり、古代より人の行き来が行われて
様々な文物が日本に到来した。
暦法はおそらくペルシャあたりで始まって、イスラムの文化を形づくった。
シルクロードの紀行が昭和50年前後に空前の大ブームになったことを覚えている。

その旧暦とイスラムの文化は月や星の動きが、いろんなものに影響を
与えているという考えで、田んぼの稲作から女性の生理を月経と言うのまで
あらゆる文化に根強く影響を与えていて、イスラム教の世界は宗教と言うよりも
生活文化なのだと私は思う時がある。
で、きょうは何を書こうというのかというと、
明治5年にイスラム風の社会風習であった太陰暦をやめて日本は太陽暦になった。
そのことで、日本は西洋社会に入った。
西側ヨーロッパの生活風習をまねて、50年遅れで日本は産業革命に突入
したのである。

宗教のキリスト教は禁教で無くなり、日本は信仰自由の国になった。
江戸初期になぜキリスト教を禁教にしたかというと、日本の生活風習が
一変してしまうことを統治者は怖れたのである。
しかし江戸幕府は倒されて明治維新が始まり、日本は西洋風の社会を一気に
導入して、明治、大正、昭和と驀進して、経済大国になれた。
しかし平成の時代に日本はたくさんの欠点が露わになり令和の今も藻がいている。
それは日本式の社会実現が上手く行かなくなり、八方塞がりの理由が判らない
からだと思う。

ということで、明治の初めにキリスト教世界の価値観を是とした社会改革が
今では非キリスト教世界の成長や拡大で、日本式がうまくいかないのではと見る。
今更こよみを太陰暦に戻すのは無理だが、今の日本でいっぱい起きている問題の
解決に、この陰暦スケールな考え方を持って来れないか、時々思っている。

続きます。
Posted at 2022/10/14 07:22:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2022年08月22日 イイね!

タルボサンバの思い出

タルボサンバの思い出随分昔に、日本に正規輸入されたフランスの小型車
タルボサンバ・カブリオレを見つけて10年ちょっと乗っていた。
写真でこのクルマの佳さを偲んでみよう。









タルボブランドは、1980年代初頭に、旧シムカを買収した、クライスラーフランスが行き詰まり、ヨーロッパから撤退。それをプジョー・シトロエンが引継ぎ、シムカの名前を引継がずに、懐かしいタルボ(ット)の名跡を復活させた。
それもほんの数年でプジョーブランドに統合されて、マトラとタルボは消えた。

旧マトラの工場で作られたのはルノーのエスパス、それから変則的に309のネーミングになったプジョー309は、本来最後のタルボになる予定だった。



これはヨーロッパの雑誌に出ていたタルボサンバ・カブリオレの広告で1982年の「MOTOR」より。当時学生時代だったが、私のハートはズギュンと真ん中を撃たれて、いつか乗りたいと夢に見た。そして1995年に乗れたから夢は叶えるものである。



現代のインターネットより
これはクローズドボディのタルボサンバラリー
1990年代までフランスの草ラリーで活躍していた。



こっちは兄弟車のプジョー104XS
これとマスク以外の内容は近いが、104が先に出て、シトロエンLNが弟。
タルボサンバが末っ子の3兄弟車である。
Posted at 2022/08/22 04:59:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2022年07月04日 イイね!

クルマと子育て

クルマと子育て先週の28日、関東にいる一番下の娘が25歳を迎えた。

普段書かないテーマだと思う。
今日は古いクルマに乗りながら、子育て等の家庭生活を
両立出来るかに、ついて考えてみよう。




私が40数年前にクルマに乗り始めた時代は、趣味車と普段車は、未分化の
時代であった。
しかし、若い人は新車のクーペを買い、その狭いリアシートに
家族や子どもを乗せているのは、普通の風景であった。

昭和40年代は、全幅が1300しかないような360ccの軽自動車に
大人が4人乗っているのが普通の日本の風景であった。



私はギリギリ、その狭い規格の軽自動車時代を知っているので、昭和62年に
フィアット850に出あって「小さいなあ」とは思ったが、実用に使うのに
何も不満は無く、そこから始まったクルマ人生で、結婚をして
子どもが平成時代に3人産まれて、子育てや移動を、小さな車でこなしてきた。



趣味のクルマ中心だと、家族車と、足クルマは欲しいと思う。

我家では、長男は言わなかったが、妹が二人出来て、育って来ると
「なんでうちには普通の車が無いの?」という素朴な疑問が出るようになった。




女の子はずけずけと聞くから、他所は他所、「ウチはワンボックスのラルゴとか
あんなミニバンは乗らないよ」、って私は好きでないから、乗らなかった。

私が昭和34年生まれで、青春期はまだセダンとクーペの時代であった。

日本にシビック、海外にゴルフが登場して、FFの2BOXハッチ付きの時代に
なり、それが便利で、お洒落な人気を博すようになった頃に、ファミリアが
空前のヒットになった。その時代は大学生だったと思う。




クルマと生活は、妥協と、ツッパリの間の、”凌ぎ合い”だとよく思う。

お金がいくらでもあれば、何にでも乗れるが、それはあんまり面白いものでない。


私はFF2ボックス車も、オペルカデット、フィアットリトモの2台だけで
ほとんど乗っていないが、今は農作業の往復に貰い物車のアルトに乗るから
パワステ車ならもっと乗ったかもしれない。



しかしクルマってなんだろう。良く考えるが、「男の勲章」みたいなものかも
しれないし、それって、他の性別からみて、アホみたいな「俺自慢」なんだろう。




今の若い子から見て、クルマは一周回ってきて、またオモロい存在に、なりつつある。

最近の雑誌の特集が「自動車」である。
自動車雑誌の特集はつまらない。

上のリンク先の「casa blutes」の自動車特集は、よくぞここまでスタイル本位で
自動車をチョイスしてくれた。
現行車でなくオール過去車で、「今でも乗れるイイクルマ」を紹介するように
なってきたことに、『時代が私に追い付いた』ようで、とても嬉しく思う。

つまり、クルマは80−90年代にピーク期を迎えて、00−10年代に
一気に”ダサイ”乗りものになった。
そしてデカいRVが道路を占領して、乗っているのは小さな人間一人もよく見る
光景になった。
しかし、傍目に見ても佳い風景ではなく、クルマ離れが若い世代に一気に進んだ。



自動車メーカはそのことに気付いて、無視を続けている。
ならば、小さいクルマで、コンパクトでカッコイイライフスタイルで生きたい。
肯定的なライフを追い求めれば、自分だけでなく自分以外にも目が行き
優しい気分になれる。

子どもをつくり、育てるのに、何も馬鹿みたいなアルファードサイズは要らない
のである。



私は一番上の子どもの時はBX、2番目の時は後継者で131セダン、3番目が産まれた
夏は850一台で産科の送り迎えをした。

妊娠から出産。その後の子どもの成長、いろいろな場面でクルマは必要だった。



真夏の家族旅行も小さいクルマでバカンス気分でよく出掛けた。

これから後の時代、ガソリン車はいつまで使えるか判らないが、
ライフスタイルに趣味性のクオリティーが高い要素は、もっと需要が高まる。

先の雑誌のように「スタイルの好いクルマ」で若い内から満足度にこだわる人は
結婚して、子どもが出来たからと言って、ワンボクスに乗り換えること無く
私のような一貫した音楽を聴くように人生を送ると思う。

子育てに、意味のないスペース(荷物運び)ワゴンは要らない。

子育てのとっくに終わったもうすぐ63歳になる男の感想である。



Posted at 2022/07/04 16:12:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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