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kotaroのブログ一覧

2022年03月30日 イイね!

自動車の趣味や遊びに終わりは来るか

自動車の趣味や遊びに終わりは来るかいきなりこんな
タイトルになったが、
このところのガソリン高騰だけでない、
社会情勢の変化には、
着いて行けない
高齢者の手前の自分が居る。








もう何回も言って来て、狼少年なのだが、個人がクルマを所有して
プライベートに用いて、遊びと買い物などに使用するのは、もう限界かなーーっと
最近は特に強く感じるようになってきた。

それを感じたのは2年前のコロナの最初流行時に、地方移住と、自動車生活の
新展開を夢想して、構築しようと挑戦したが、地方の寂れようの、
レベルのきつさに、結局一年で撤退したことがある。

地方では自動車社会なのだが、もう遊びや趣味車を乗る人は、田舎ほど、
ほぼ絶滅状態になってきている。
私の850クーペを見て無かった頃と違い、15年前の頃を思い出して、
ああいいですねえ、という人はたくさんいた。



地方が一気に寂れたのは、2005年前後の、「平成の大合併」の頃から
急速に衰退が進んだ。
町や村をみんな一つにして市に統合して、地方は一気に小さな「市(いち)」が
無くなっていったのである。

そして村役場のあったあたりから商店とガソリンスタンドが消えて、
人はまだ高齢化して住んでいるが、小中学校がなくなり、
今度のガソリン高騰は、年金生活者のムラの存続が危うくなったと思う。





私は都会に最近戻って来た。

しかしクルマに趣味性や、男の浪漫を感じたり、求めていられる時間は
あと僅かだと思う。

プラグインハイブリッド車とか、電気自動車になったら、もう趣味や遊びでは
ない。
それは必要なときに借りればいいだけの”移動手段”に過ぎない。

今でも軽は一台古いのを親子で共有しているが、そんなもんに趣味性は持たない。



私たちは日本にいて、ウクライナのような紛争地帯や戦場になってはいないが、
自動車に趣味やエンスーを語れた時代はまあ、90年代と2000年代の前半くらい、

それはまだ地方に移住して、活路が残っていた時代だと思う。

電気自動車を進めれば、否が応でも原子力発電再稼働の問題は避けられない
テーマになってくる。
そこでお花畑みたいな、環境に優しいエネルギー転換に進められるなら、
もうとっくに変わっているだろう。2010年代までに。




私は焦って、ものを書いているつもりはない。
現実的なものの見方と、少しだけ、シビアな言い方をしているくらいである。

生活と営みは続けられる場所では続いて行く。
それだけのことなのである。
Posted at 2022/03/30 13:13:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2021年12月01日 イイね!

我が終活を思う

我が終活を思うネットにいろいろな投稿が可能になり20年以上になる。

初期の手製のホームページの時代から、
いろいろあったが
自分の写真と記事を投稿出来るようになり、
すべての人が昔の新聞記者の特権を
手に入れられるようになった
ようなものである。


私はもっと前からそれがしたくて、狭き門をくぐり新聞社に入ったが
書かせて、記事が載るにはさらにその部署に配属されて、「言われた」
記事を書かねばならない。
他部所を転々と回されているうちに年月が経ち、塔が立ってしまった。

そんなもやもやしていた年齢の頃に、コンピュータとインターネットが手に入り
今日まで私的な記事を書く趣味を、確立したのである。



今は誰も、感動も無く
「あー記事をあげるのが面倒くせえ」
なんて思っているが、こんなことは昔は
針の穴に糸を通すより
困難だったことなのである。


そんな私も、もう60歳をとうに過ぎて、人生の終わりが少しずつ見える
年齢になってしまった。

何の財産資産も作れなかったし
自叙伝みたいな本も書けたりしていない。


ただ、私は自分のやりたいことがはっきりしているし、
いつも好きなことばかりやってきた。

だから大抵記録に行った先の写真を撮っている。

そのモノクロ時代からの半世紀の写真アーカイブを、2004年頃から
せっせとコンピューターに入れる努力で、スキャンとコンピュータ内の
デジタル整理を、生前整理で15年以上続けて来て、今は9割が終わっている
状態なのである。





こういった1970年代に地方の私鉄に行って記録して来た写真を
テーマに沿っていつでも、「ぽん」と投稿出来るようにしている。

こういう鉄道の記録とかを、過去のブームなどで、撮っている人は
少なくは無いが、デジタルアーカイブにしている人は少ない。

私は新聞社という、総合情報産業にいたから、逆に個人の生き方を
よく考えていた。

個人は「強き蟻」だという考えがある。
アリの一人一人は無力でも、ムーブメントや、力を合わせたら、社会を
変えられる。

私は趣味のものの考え方を、いつも考えている。

私に取っての「終活」は遺品ならぬ写真の年代とテーマ整理で
これを使えるようにしておけば、いつ亡くなっても、ネット上の誰かが見て
使えたら良いと思っているだけである。

玄人、プロでも無い人に限って、著作権のことを主張したり、
自分の写真の一部に個人名を入れるのは自由だが、
その部分が見えなくなるという、写真の毀損をしていても気付かないのは
滑稽だなと、思うことがある。

Posted at 2021/12/01 05:52:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2021年11月27日 イイね!

トヨタのクーペは今の時代的にどうなんだろう

トヨタのクーペは今の時代的にどうなんだろう先日の運転の際に、私の前を
86が走っていた。

うーんと、もう9年になる2代目86、
今は最新型になるのか。

これって、一定の支持があり、人気車として
定着というのか、
どうなんだろう。






私は長いクルマ人生的に、今の時代は、スポーツクーペが本当に
どんな意味が有るのか、ちょっと興味があっても、
新車のクーペに乗りたい気が起きないので、眺めている自分が
クーペ好きなのに、なぜだろうと考えていた。

トヨタが無理をして、この車種を作っていることは、社長が豊田章男で
道楽というより、会社が止められなくなっていると見る。

同じ時期にホンダがCRZを出したが販売的に不振でとうに廃盤になった。
満を持して出した2代目NSXも数年で引っ込めた。

つまり国産スポーツクーペは、量産車パーツを使い安いコストで作っても
ワンオフで高級路線でやっても、採算以前に売れなくイケてない時代なのである。

トヨタのスポーツクーペの歴史と名車について考えてみることにする。





歴史的に見て2000GTとスポーツ800に尽きると思う。




その後を飾るのが名車レベルになると、45年のセリカ1600GTだと思う。


この辺りの車種は、歴史必然性が強い。
カローラSRにツインカムを積んだTE27を入れて欲しい人もいると思うが、
私は2ドア1400のSRがオリジナルと思うので入れない。

また1981年のソアラ2800GTも準名車と思うが、これは豪華車の類である。

その時代以降のセリカXX、スープラ系列、それからフェードアウトしていった
歴代のセリカの後継が86だと思う。カローラレビンAE86の後継ではない。

スポーツカーの灯し火は消して欲しく無いが、残れるのはフェアレディZと
マツダのサバンナRX7系列とライトウエイトのロードスターであるが、
いずれも苦戦中で、ロータリーはほぼ歴史を終えている。

そんな中で最大メーカのトヨタ86に乗れるのは、正社員で40−50代の男性、
それと60代でも収入の減らない職業の、車好きまでだと思う。



AE86の時代は遠過ぎるし、あの時代の跳ね上がった若者なら、大学生が
60回ローンを組んでセリカXXやソアラの1G-Gの2000を新車で買っていた。

86はズバリ、ヤングの車だったから、今の86は違い過ぎて、セリカや
カリーナクラスのクーペの乗り手を意識しているのかもしれないし、
後の方のセリカやカリーナは「おっさんの車」である。



なんでこんな記事を書いたのかというと、現行のトヨタ86に乗る人は
未来型思考でもないし、旧車好きのカーマニアの濃い人たちともちょっと
違うと感じるからである。

なんでトヨタがこれを作っているのかというと、企業メセナでもなく章男会長が
勘違いしていて、それを信奉している人が、トヨタが作るのだから間違いは
ないだろうという、自民党の支持者的な傾向でないかと思う。

いや、悪い車では決して無い。でもこれをディスりと今時は、ややこしく
言って来る人も一定いるのが、今の世の中のややこしさである。

私の前を走っていた他府県ナンバーの86は、スポーツカー的な挙動はせずに
排気音だけは、どこかで買わされた社外の高そうなマフラー音を出していたが
複数車線区間に入ったので、私はシトロエンの商用バンで抜き去った。

私のエンジンは、テンロクの106ラリー系のエンジンで、こちらは5速である。


Posted at 2021/11/27 17:02:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2021年10月19日 イイね!

商業デザインの時代

商業デザインの時代









僕らはなんのために生まれて来て
そこからどこへ行くのだろう。

もう60年以上生きて来て、特に釈迦やブツダになれる訳でもないが、
自分の好きな物というのは判っている。

デザインの良いもの。好ましいデザインと機能の二つを備えたものである。



この個人が集めた切手収集に昭和33、34年の年賀切手が目に付いた。

1958−59年というと、私が生まれた時代で、まだ高度経済成長は
始まったばかり。銀座に路面電車が走り、両国駅の高架線の上を総武線の
C57が煙を吐いて客車を牽いていた。そんな時代の田町あたりの遠景では
東京タワーが建設中で、みんなモノクロームの写真と、新聞記事からの
印象である。

所が商業デザインのポスターや広告、パンフレット類は、新聞広告以外は
オールカラーになっている。
この時代の色遣いが、この2枚の切手から窺えないだろうか。





最近の世の中を見て一番気になるのが、コスパ(コスト&パフォーマンス)とか
旧車で言えば稀少価値と相場、なんでもかんでも拝金主義になっている。

つまり「自分の眼」というモノサシが無いから、情報をすぐに検索して
答をどっかから引き出そうとする。

それが教育も経済も、工業生産まで行き渡っていないか。

良いものを選ぶのは、人間の眼で、いいなあと思うのには、製品デザインと機能、
最後に買える価格帯である。

こだわりと妥協の話に少し近いが、人生は生きて行く上で、その人の価値観が
あり、それに沿ったライフデザインとライフスタイルが伴う。

それには家庭の教育とか躾という物があって、家庭環境はちょっと貧富とは
本来違う育ちの良さとかを、他人が感じるものだ。

「親ガチャ」という言葉が流行している。
ゴキブリの産卵管からはコオロギは生まれないのに、すごく最近の世相は
間違っていることを、大人が気がつかずに先に行こうとする。




商業デザインの時代があり、次いで広告の時代が長かった。

広告は良いものをよりよく見せないと買ってもらえない。

そういう時代に、広告の戦線で闘う戦士らは、ごり押しで売れないことを知り
いかにアトラクティブにものを見せ、理解して周知させるかに腐心した。

私は時代は変化するから、今のように、Amazonでものを買い、
ダウンロードで音楽や映画を鑑賞すると言うのも有りだと思う。

今はサブスクと言って、先にその情報とソフトの基盤の会社に資金を預けて
そこから出資した見返り以上の、取り引きを期待する時代状況にある。

そういう時代に、商業デザインは、動画と違うので、イメージ先行になり、
デザインや売り方に、粗さが目立つ。



私は新しい物に興味が無い。できれば自分の基準で選んだ物で充足されて
残りの人生を送れたら、他に変な例えだが、新車のプリウスに乗るような
人生は送りたくない。

それは理由があり、老人には似合わない。
服装もトラッドやコンサバなものを、若い時から好むので、それで良い。

尚かつ、商業デザインという概念で見た時に、これは元からカッコイイものだと
思える物で、日常が満たされていれば、何も新しい最新のものを欲しがらなくても
いいのじゃないか。

Posted at 2021/10/19 13:01:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | 趣味
2021年10月12日 イイね!

MTとFR

MTとFR












つい最近、自動車評論家の私より年齢が少し下の清水草一氏の
「もうMTなんてATに比べてメリットなんて残っていない」というような記事を
読んで、あーこの男も言っちゃったか!と感慨を新たにした。

AT率99%で世界一! 日本人はいつからMT嫌いになったのか?

此の所のガソリン高騰もあり、自動車に対する欲求、要望はずいぶん、クルマの
趣味性やプレジャーから遠のくばかりで、こんな記事を有名人が書くと、
実も蓋も無い気がする。



話はここからジャンプする。
蒸気機関車の写真の次は、1970年代に大量に作られた、ディーゼル機関車の
写真である。

記憶に沿って書いて行くと、1964年の東京オリンピックの頃は日本中に
3000台以上あったSLを11年後の1975年までに全廃するという、すごい宣言を、
当時日本中に列車を走らせていた国鉄が言い切った。
それは、強烈な動力エネルギー改革であった。

データが見つかった。昭和36年(1961)4月時点で国鉄の蒸気機関車保有台数は、
C10からD62/E10まで3942両。私鉄にその頃は100台以上いたと思われる。

これを実際にエネルギー革命で、その間に東海道新幹線も成功させて、
北海道以外のSLは1975年3月の山陽新幹線全線開業までに国鉄は全廃させた。

その時代の猛スピードな産業改革は、石炭産業に従事する者を大量失業させて、
その代わりに日本中の臨海工業地帯は猛スピードで建設されてフル稼働。

高度経済成長は数年で国民所得を倍増×倍増させて、日本の姿は変わって
行ったのである。



その頃の10年は、信じられないくらい生活の変化が速かったことを覚えている。

私は子ども期から、少年時代のことで、もっと上で存命の世代の人は、
どう感じていたのであろう。

超過酷な石炭のカマ焚きをしていたSL機関士が、数年後には新幹線の
運転士になるようなことも、実際に在った。

その頃のいろいろな出来事を思い出して書くのがきょうのテーマではない。


もうMTとATのどっちが優れているか、とか、クルマはやはりFRがFFを
上回るっていうような議題は、1980年代ならともかく、2020年になっても、
内燃機関が、これだけ残り、石炭石油類の化石燃料で道路の上を何百万台も
走っている姿に、エミッションコントロールと言っても、根本的に解決策が無く

そんなことの課題と命題も解決出来ないのに、MTとFRの存在価値を書いて
みることは、どれだけのことだろうかと、よく悩んでいる。




でも、ガソリンエンジン車の終ろうと言う時代に、何が良かったとか
あれこれの思い出を、こういう場所に、長く書いてきて、ときどき古い記事を
読んでくれている人があることに、じわっと感激することも多い。

そう、クルマ好きにとり、今は「神々の黄昏」の時間であり、だからこそ
最後に好きなことをしても許される、ワイン色の至福のときなのではないだろうか。




最初の方に書いたSL蒸気機関車を駆逐した、DLディーゼル機関車も疾うに姿を
消して、今は機関車方式の編成列車は貨物列車くらいである。

その貨物車両の入換えには、ハイブリッド方式のディーゼルエンジン+
電気モーターの機関車が活躍している。


いつしか時代はもう、21世紀半ばの見える頃になり、私はその頃存命している
可能性はある。

しかし、MTのクルマを今2台持ち、私のMT率は100%である。
路上のAT率99%の時代に、敢えて”逆張り”人生を楽しんでいるのであろうか。

今はRRとFFの2台であるが、FRは過去に初代のランサーから、近年所有の
アルファロメオ75までいろいろと乗り継いだ。



私は今、思い出の話ばかり書いていることに気が付いた。

すでに自動車そのものが、単なる移動の手段としての道具だけなら
社会主義のように、共有で使用する方が負担が楽だと思う。

思い出話は楽しくなって、つい長くなってしまったが、きょう書き切れ
なかったことを、いつかまとめてみたい。



Posted at 2021/10/12 13:14:41 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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