
ということで、車庫の変わった雨の週末に
距離の近くなったガレージの利点を考えて
動いてみることにしました。
今度のガレージも昔の設計なので
あまり大きなクルマは停められない。
75でもギリギリかなと思う。
いま、大阪ナンバーのアルトを置いて見ている。
ところで私は長年、ライフスタイルがひじょうにややこしかった。
まずカードは嫌で、常に現金主義を長く続けていた。
それから電話はぜったい携帯は持たない。
クルマはマニュアルミッション。
レコード(CDの次の時代だよ!)は、手でトーンアームを持って行き
針を下ろすタイプ。
アンプは真空管。
カメラはフィルム式で、それも白黒写真を自家現像する。
フィルムは長尺100ftのを一缶買って来て、自分で36コマや20コマに切り
さらにパトローネに巻き取って使う。
時計もネジ巻のボンボン時計が柱に掛かっている、等々である。
アナログとアナクロの好きな、こんな偏屈な男でも、よく嫁が見つかったと
感謝するが、気の毒なのはうちの家族である。
1970−80年代には、アナログって社会の主流だった。
時代遅れもまあいいさ、野風僧って、歌えた時代だったから。
90年代ー2000年超えで社会の近代化、オートメーション化は、一気に進んだ。
97年生まれの一番最後の子供が、小学校前の2000年半ばに
「うちには何で親戚のところのような(セレナ、バネット等)ふつうのクルマが無いの?」
ああいうのが乗りたい!という末っ娘に、
「あんなんはクルマじゃねえ、『荷車』っていうんだ!!」(オーナー様、恐縮)
と強弁を吐いていたくらいである。
そういう私も、インターネットがやりたくなり、嫁のお下がりのMacLC(ローコスト、
それでも30万くらいしていた)をもらって、ダイヤル回線につないでプロバイダー
というやつに月々いくらかを払わねばならない。
その時いくら探しても、カード決済しか方法が無いことを知り諦めて作りました。
その後も、オートマのクルマに乗るようになったり(fiat131sが初)、
パワーウインドウやパワステに驚いたり感心したり、原始人も近代化し始め
4年前から息子に「ひとりになるのだから、連絡用に俺の携帯あげるわ」と言って
持たされたり、クルマにETCとナビまでもらって着けるようになりました。
このアルトが家に来た由来は、82歳になった叔母が自動車を止めると言い出し
それなら貰いますと言って、岩国市から回送して来たら、10年弱で6000kmしか
走っていませんでした。
このアルトにETCとナビを着けて雨の中、福島区の住宅街に写真展を見に行った
とき、あまりの便利さに感嘆したことを嫁に話すと「私たちの苦労は今まで
なんだったの!」となじられたエピソードがあります。
しかし50歳の峠を超えた辺りから、私は偏狭に拒んでいたものも徐々に
受け入れるようになり、今に至ります。
私のファッションも、ちょっと贅沢で、365日外出には帽子を被り、アナログ中心の
カメラを持ち、外国製のノンブランドもののクロースを身に着けてでした。
だから末っ娘が何年か前に、クリスマスのプレゼントを買って欲しいと、いうので
心斎橋か梅田に行きたいのかと思えば、なんと箕面のドンキホーテ。
一歩入り、俗悪な倖田來未かエグザイル(失礼3連発、汗)みたいな世界に
私はのけぞりました。
そんなにうちはお金持ちという意味じゃなくて、保守的な価値観、ただし
右傾化していない伝統的な生活が好き、でした。
でもすっかり暮らしも地味でコンパクトになってきました。
クルマは好きですが、外国製のレアな輸入車(私はディーラー車で、昔から
日本に入っていたものしか求めません。ヒストリーの日本に無いものを
求めるのは、ちょっと「野暮」だと感じる方なので)、を探し求めたような、情熱は
ずっと温度が下がりました。
軽自動車なんて、と思っていたけど、付き合い始めて、ミラと2台にしたり
今なら農作業用に、少し古いハイゼットあたりも良いかなと、思うようになりました。
結局筋金入りの復古主義者ならラッダイト運動でもしますが、私も人並みに
歳を取ると気力も衰えることを知りました。
しかしまだ普通の人とはだいぶ価値観が違うので、それがたまには面白く
読んでもらえているのではと、思います。
近くなった駐車場には、個室な屋根もついています。
自転車で行く距離ではありませんが、置くこともできます。
雨の週末昨日はまず、川西の加茂にある食品スーパーまでクルマに乗って
行ってみました。
池田だと対面販売の市場が複数残っています。
川西も昔はあったらしいが、駅が高架になり、高速が出来た頃に消えたようです。
兵庫県は西宮市と宝塚市が、モダンライフの見本のように、阪神大震災後に
古い生活スタイルを、一掃しました。
しかし川西の万代百貨店(スーパー)は、野菜は圧倒的に池田の市場の勝ちです。
鮮度と安さに、今は消費税を取っていないので。こちらに来たら驚くでしょう。
肉は川西の方が理由があるのか安いと思います。肉を買うのも見て買います。
カレーのルーとかの加工材料は工場出荷なので、万代は安いと思いました。
しかし、バターが雪印メグミルクしか置いていません。池田ならスーパーで3種類
普通置いているので、食生活の贅沢度が違うのでしょう。
まあ、今までなら雨の降る日と日曜は、買い物を避けていたのが、改善出来ました。
これもオートマ+エアコンの楽々・軽のおかげでしょう。
私のクルマ好きはどこにいったのか。
実際にこだわりなライフというのは、体力等に余裕があると、する良いと思います。
私は近年このジレンマに取り憑かれて、悩みました。半分苦しみました。
カッコばかり気取っていても、もう私は若くもない。妻も東京に行きひとり。
なんか50代でも不慮の事故で、大切なものも失ったらと思うと、どんどん不安が
募り、不安定な心境が続きました。
昨夜の最大の心境の変化は、雨の夜に裏の銭湯に行き、まだ飲み足らずじゃ
なく、乗り足らずに、そのまま洗面桶を持ったまま、アルトを再び動かそうと
いう気持ちになり、夜も遅い10時半過ぎに、クルマを動かして国道に出ました。
どうしたんでしょう、オイラは。
国道の大きな橋を渡り、ずいずい行くと夜間にそびえるのはアフォの殿堂(失礼
4回目。自分もアフォを認めています)DNQホーテです。
するすると軽自動車は、夜なので空いている真下の駐車場に入れて、蛍光灯に
集まる夜の虫のように店内に入ってみました。
なんか、あっかるいなあ。
夜になると火が消えて、漆黒は大袈裟だけど、数軒の飲み屋以外は闇の池田に
住んでいて、こんな世界があるなんて。
実は前にも来たことがあるのですが、その頃は私の心のツッパリが、まだ従順を
許さず、こんなとこ、と思っていたのです。
まあ私が、半パンTシャツで、真夜中(池田時間)のドンキに居るなんて!?と
思うだけで、笑いたくなりました。
元々「ラテンでゴメン」を謳いながら、いつしかコンサバな思考回路の迷路に
迷い、いろんなことがあったなあと思うこの年までの道のりも、
もう一回リセットに近いところまで、戻ってもいいのかもしれません。
軽は軽、下駄は下駄、まあそんなもんでしょ。
今度のガレージは実に渋い昭和チックなところなので、それも小型車向き。
360ccのフェローマックスか、アルファも昔入手しそびれた、プジョー205オートマの
5ドアみたいなクルマに替えた方が、似合うかもしれません。
夜のドンキ往復で、ちょっと愉快な気分になれました。