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kotaroのブログ一覧

2014年10月01日 イイね!

ネオシニアの生きる道

ネオシニアの生きる道私の住むI市というところは良いところだが
もう一つ地域の感覚が自由でない。
少し離れた日本初の団地ニュータウンを持つ
S市から、私の普段の行動と、これまでの活動を踏まえ
何かやっていただけませんかと、3ヶ月前に依頼があった。

打ち合わせに向かい、私を知る施設の女性と、初対面の少し
コワそうな女性所長と面談して、シニア問題より、その手前の
アナタ自身の生き方を語って欲しいと言われた。

そこで思いついたのが、表題のタイトルである。

初めはシニアの手前を、プレシニアくらいで行こうかと思ったが、
何だか、固い。
そこでクラシックカーに入りきれない1980年代車ブームを
ネオクラシックカー、ネオクラと言うのだから、「ネオシニア」でいったらどう?
と、提案すると、所長さんも、それは面白い。決まったねということに。


ブログを休んでいたことは、お詫びするというより仕方ないと想っていた。
この事業は、私の脱サラ5年の集大成である。

その間も毎日働きに行き、くたくたになるまで仕事をして、帰って来て自炊する。
ネットは、もう止めようとか、短時間でちょろちょろっとできるFacebookを見る
だけにするか、悩んでいた。

きょうは再開の記事というより、今後はだらだら書けないと思うが、
まとめ報告の一筆である。

事業はすごくよかった。
私のファンの彼女が、ファシリテーターを務めて司会進行してくれたが
大旨私がしゃべって、進行をした。



内容はこんな感じである。

時間も普段の事業は平日の昼間が多いが、働いている世代や人間に
来てもらおうと、最終土曜日の夕方からにした。

反響も予想を超えて、会場の「普通は10名前後で進めている」が、最終的に
25人聴きにきてくれました。


私は昨年から、シニアネット総研と言うNPOで、様々な取り組みをしている。

この春から、大阪駅前の施設を借りて、4回勉強会をした。
シニア問題は、まだ語れないので、その手前の40代中心の、高齢化社会
予備軍の、問題意識に刺激をかけてみた。
そこの流れからの追っかけ組3人も忙しい中、来てくれました。

実際、今の60代以上は年金も余裕もある。
だが、僕ら50代から後は年金も遠のいた感がある。
支給も5年以上延ばされて、その間の就労は苦痛だし、生活保護と言う
わけに行かない。この不公平感は大きい。

会場には大学生の男の子、20代女性、あとは40代、50代が多く
60代の毎日が日曜日の、施設リピーター数名、70代がおふたり
そのうち一人はうちの理事長も来てくれた。

みんな抱えているテーマは少しずつ異なれど、やっぱり人生は重い。
でも、大変よいテーマで語り合えたと、大きな反響が有った。
「ネオシニア」のタイトルに引かれてきました、という人も多かった。
そのネーミングのセンスの良さは、所長さん以下のスタッフも、さすがは
元プロやなあと感心してくれました。



閑話休題

2時間の講演を終わって、あとは向こうの用意してくれた懇親会に。
8名の席に13人詰め込み押し合いへし合いの宴会になった。



大分飲んでくたくたになったが、女傑の所長と、顔馴染みの1メートル75ある
お姉さんが、「まだ飲もう」ということで同じ場所で3次会。

このアマゾネス二人と飲むのは愉快だが、しんどかったなあ。
もうちょっと若かったら、朝になったら川の字で寝ていただろう(爆笑)。

冗談はさておき、ほんとうにこういうことが私の小さな夢であった。

長い付き合いのある大学の研究者も夫婦で来てくれた。



この2時間(飲んで合計5時間)の自由闊達な雰囲気は、カルチェラタンであり
今の時代に、見られなくなった、本音の自由討議が出来たと思う。

私の評論家デビューではないが、大学の先生から、「kotaroさんが他の人から
「せんせい」と呼ばれるの、初めて見ましたわ」と、冷やかされた。

しかし実際の私は、今は寡黙な一労働者である。

この場所に来れなかった人も含めて、新しい時代は、政府や政治に期待
するのでなく、自分たちで何かそれぞれがテーマを持ち、活動していけば
いつか必ず、花と実になるのではないですかとしめくくった。

実際はすごくアツい話と議論で、固くないかと思ったが、20代の人は
自分の親たちを思って、すごく勉強になりました、と感想を聞けました。


途中、少し持論の旧車趣味の話も交えて、「失われた20年」と言い続ける
のは止めようの提案も。

実際この20数年で日本人の内実ははるかに深度が深まったと思いますし
エンスー趣味はじめ、日本はアジア1のディレッタントな国に成長しています。

またサヨク右翼のこともさらりと触れたり、なぜヘイトスピーチが活発になったり
この20数年のアジア事情で為替の差が急速に圧縮されたことが背景に
あることも説明しました。

欧米の1989と日本の平成元年の意味など、私にしかできない
面白い展開だったのではと思います。

しばらくは、完全放電したので、鳴りを潜めて生きて行きます。

クルマの方は、もう盛り上がりは減るでしょうが、みんカラに来て
書けるのか、これからはもっと離れるかもしれません。

私は社会事業とソーシャルな生き方のほうが今は面白い、と思っております。

ご質問はご自由にくださってかまいません。




Posted at 2014/10/01 01:56:56 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | ニュース
2014年08月27日 イイね!

友人の復活

友人の復活なかなか書く時間が、最近は取れないが、
長い時間ストップしていた友人のクルマ趣味
が復活したことに気がついた。
素直にそのことに喜んでいる。

どの世代でもそうだと言うが、50代は楽ではない。

その限られた人生の残り時間と、まだ未完の
部分との兼ね合いを達して行くのが
今の時代は特に難しい。

楽に流して行けた20年前と、大きく環境が変わって
しまったからである。

彼は模型に、私は古い写真をスキャナー機にかけて、写真を掘り起こすのが
最近のホビーである。

子供の頃から、勉強がどんなに忙しくても、趣味やホビーを持つこと。
それは後々の人生にとり、非常に大切なことなのである。
Posted at 2014/08/27 05:52:28 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年08月22日 イイね!

若者

若者銭湯で一汗流して夕涼みがてら、暑い空気の中で
ジュースを飲んでいた。

夜の11時頃、若い人の集団が通り過ぎた。

ラジカセ(死語)の音量を少し流して、ノって
いるように思えたが、振り向くと自転車が5人くらい
なので、若者がヤンチャなことをしなくなって
どのくらい経つのだろうと、考えてしまった。


今ほど、若い人たちが、身の程を知り過ぎている時代は、無いと思う。

長い長い、不景気な時代に、日本人はとても真面目な国民になりすぎた。

職を失ったり、良い仕事に就けないと言うことが、怖くて、また思いつきで
何かをすることを、起業という大袈裟なカテゴライズされた行為のように
考えるのが当然となり、慎重にするのが作法以前のマナーになった。


ホンダもソニーも大志はあったが、面白そうだから、一丁挑戦したろうか、
最初はそんな動機で、会社が始まったのではないか。

今では経済の計算が先に出されるので、ソニーとホンダの現状や
アップル社の利益配当などを日本人が考えたりすることが増え過ぎた。

何か動く、走り出す前から「こんなことも知らないで」と言われることが
恐くて、動けなくなっているような気がする。日本だけなのだろうか。

若者が無軌道なことをすることは、時には迷惑な結果や影響も起こる。
しかし、それとこれを、繋ぐもの。気というものは、どうしたら良い方向に
持って行くことが出来るのだろう。

僕らは、そのことを問われて、答えの出せないもどかしさも、ずっと抱えている。




自分が、もう少し若かった頃、軍隊とお祭りと、暴走族と、学生運動について
思索したことがあった。

どれも暴発する若者のエネルギーを吸収する装置として、考えてみた。

一番身近なのは、その頃はまだ社会問題として残っていた暴走族だ。
大人たちが手を焼き、若者と大人との間に、大きな溝が残っていた。

学生運動は、私が小学生の時代である。
ゲバ棒という棍棒を持った大学生が、機動隊と競り合いになり、多く負傷した。
一言で言えないが、あれは社会の空気であった。

軍隊と言うのは、ちょっと違うが、民主党のときの幹事長が、暴力装置という
懐かしい言葉を、出して来て、ああこんな概念で解釈するのも、あったなあと
思った。

最後のお祭りは、判ると思う。

無礼講とか、酒の入った男の最後の、勇ましさだったのかもしれない。

昔は、村村に、若者がいて、ケンカもよくしていた(と思う)。
そのエネルギーを、ガス抜きするのに、お祭りが役に立っていた。

これらのどれもが、裏庭(背景)に、死や負傷することへの恐怖を抱えており、
それを飛び越す勇気は、蛮になることであったと思う。

クルマという乗り物は、時間と共に洗練されて行き、最もそういう蛮から
離れることに専心した。

その結果が今の、シーンだと言うのは無責任な説明口調である。




今の若者が静かで大人しいのは、少子化含めて、単位が小さいから
当たり前と、思える。
生徒が多い時代は、育て方も雑で荒いのが当たり前だったが、今は違う。

そして大人しいが弱くなった若い人を、大切に育てないといけない。
スパルタ式なんて言葉が流行った私の時代と異なり、感覚すら時代遅れだ。


若者が、バイクやクルマに行かない時代に、急き立てるのは変だが、
彼らにも興味や好奇心はある。
なぜ、クルマに乗るのか。古い車にこだわる人は、単に流行がノスタルジー
とかでなくて、これが好きなライフスタイルとか、そのツッパリをすることの意味。
それがなぜカッコいいのか、そこまで語れないといけない。

きょうはここまで考えた所で、時間がきたので筆を置く。
Posted at 2014/08/22 00:16:34 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年08月04日 イイね!

kotaroさんドンキに行く(kotaro go to the don quijote)

kotaroさんドンキに行く(kotaro go to the don quijote)ということで、車庫の変わった雨の週末に
距離の近くなったガレージの利点を考えて
動いてみることにしました。

今度のガレージも昔の設計なので
あまり大きなクルマは停められない。

75でもギリギリかなと思う。
いま、大阪ナンバーのアルトを置いて見ている。


ところで私は長年、ライフスタイルがひじょうにややこしかった。

まずカードは嫌で、常に現金主義を長く続けていた。
それから電話はぜったい携帯は持たない。
クルマはマニュアルミッション。
レコード(CDの次の時代だよ!)は、手でトーンアームを持って行き
針を下ろすタイプ。

アンプは真空管。
カメラはフィルム式で、それも白黒写真を自家現像する。
フィルムは長尺100ftのを一缶買って来て、自分で36コマや20コマに切り
さらにパトローネに巻き取って使う。
時計もネジ巻のボンボン時計が柱に掛かっている、等々である。

アナログとアナクロの好きな、こんな偏屈な男でも、よく嫁が見つかったと
感謝するが、気の毒なのはうちの家族である。

1970−80年代には、アナログって社会の主流だった。
時代遅れもまあいいさ、野風僧って、歌えた時代だったから。

90年代ー2000年超えで社会の近代化、オートメーション化は、一気に進んだ。
97年生まれの一番最後の子供が、小学校前の2000年半ばに
「うちには何で親戚のところのような(セレナ、バネット等)ふつうのクルマが無いの?」

ああいうのが乗りたい!という末っ娘に、
「あんなんはクルマじゃねえ、『荷車』っていうんだ!!」(オーナー様、恐縮)
と強弁を吐いていたくらいである。


そういう私も、インターネットがやりたくなり、嫁のお下がりのMacLC(ローコスト、
それでも30万くらいしていた)をもらって、ダイヤル回線につないでプロバイダー
というやつに月々いくらかを払わねばならない。
その時いくら探しても、カード決済しか方法が無いことを知り諦めて作りました。

その後も、オートマのクルマに乗るようになったり(fiat131sが初)、
パワーウインドウやパワステに驚いたり感心したり、原始人も近代化し始め
4年前から息子に「ひとりになるのだから、連絡用に俺の携帯あげるわ」と言って
持たされたり、クルマにETCとナビまでもらって着けるようになりました。


このアルトが家に来た由来は、82歳になった叔母が自動車を止めると言い出し
それなら貰いますと言って、岩国市から回送して来たら、10年弱で6000kmしか
走っていませんでした。



このアルトにETCとナビを着けて雨の中、福島区の住宅街に写真展を見に行った
とき、あまりの便利さに感嘆したことを嫁に話すと「私たちの苦労は今まで
なんだったの!」となじられたエピソードがあります。

しかし50歳の峠を超えた辺りから、私は偏狭に拒んでいたものも徐々に
受け入れるようになり、今に至ります。

私のファッションも、ちょっと贅沢で、365日外出には帽子を被り、アナログ中心の
カメラを持ち、外国製のノンブランドもののクロースを身に着けてでした。

だから末っ娘が何年か前に、クリスマスのプレゼントを買って欲しいと、いうので
心斎橋か梅田に行きたいのかと思えば、なんと箕面のドンキホーテ。
一歩入り、俗悪な倖田來未かエグザイル(失礼3連発、汗)みたいな世界に
私はのけぞりました。

そんなにうちはお金持ちという意味じゃなくて、保守的な価値観、ただし
右傾化していない伝統的な生活が好き、でした。

でもすっかり暮らしも地味でコンパクトになってきました。
クルマは好きですが、外国製のレアな輸入車(私はディーラー車で、昔から
日本に入っていたものしか求めません。ヒストリーの日本に無いものを
求めるのは、ちょっと「野暮」だと感じる方なので)、を探し求めたような、情熱は
ずっと温度が下がりました。

軽自動車なんて、と思っていたけど、付き合い始めて、ミラと2台にしたり
今なら農作業用に、少し古いハイゼットあたりも良いかなと、思うようになりました。

結局筋金入りの復古主義者ならラッダイト運動でもしますが、私も人並みに
歳を取ると気力も衰えることを知りました。

しかしまだ普通の人とはだいぶ価値観が違うので、それがたまには面白く
読んでもらえているのではと、思います。

近くなった駐車場には、個室な屋根もついています。
自転車で行く距離ではありませんが、置くこともできます。






雨の週末昨日はまず、川西の加茂にある食品スーパーまでクルマに乗って
行ってみました。
池田だと対面販売の市場が複数残っています。
川西も昔はあったらしいが、駅が高架になり、高速が出来た頃に消えたようです。

兵庫県は西宮市と宝塚市が、モダンライフの見本のように、阪神大震災後に
古い生活スタイルを、一掃しました。

しかし川西の万代百貨店(スーパー)は、野菜は圧倒的に池田の市場の勝ちです。
鮮度と安さに、今は消費税を取っていないので。こちらに来たら驚くでしょう。

肉は川西の方が理由があるのか安いと思います。肉を買うのも見て買います。
カレーのルーとかの加工材料は工場出荷なので、万代は安いと思いました。

しかし、バターが雪印メグミルクしか置いていません。池田ならスーパーで3種類
普通置いているので、食生活の贅沢度が違うのでしょう。

まあ、今までなら雨の降る日と日曜は、買い物を避けていたのが、改善出来ました。
これもオートマ+エアコンの楽々・軽のおかげでしょう。
私のクルマ好きはどこにいったのか。



実際にこだわりなライフというのは、体力等に余裕があると、する良いと思います。
私は近年このジレンマに取り憑かれて、悩みました。半分苦しみました。

カッコばかり気取っていても、もう私は若くもない。妻も東京に行きひとり。
なんか50代でも不慮の事故で、大切なものも失ったらと思うと、どんどん不安が
募り、不安定な心境が続きました。


昨夜の最大の心境の変化は、雨の夜に裏の銭湯に行き、まだ飲み足らずじゃ
なく、乗り足らずに、そのまま洗面桶を持ったまま、アルトを再び動かそうと
いう気持ちになり、夜も遅い10時半過ぎに、クルマを動かして国道に出ました。
どうしたんでしょう、オイラは。

国道の大きな橋を渡り、ずいずい行くと夜間にそびえるのはアフォの殿堂(失礼
4回目。自分もアフォを認めています)DNQホーテです。
するすると軽自動車は、夜なので空いている真下の駐車場に入れて、蛍光灯に
集まる夜の虫のように店内に入ってみました。

なんか、あっかるいなあ。
夜になると火が消えて、漆黒は大袈裟だけど、数軒の飲み屋以外は闇の池田に
住んでいて、こんな世界があるなんて。

実は前にも来たことがあるのですが、その頃は私の心のツッパリが、まだ従順を
許さず、こんなとこ、と思っていたのです。

まあ私が、半パンTシャツで、真夜中(池田時間)のドンキに居るなんて!?と
思うだけで、笑いたくなりました。

元々「ラテンでゴメン」を謳いながら、いつしかコンサバな思考回路の迷路に
迷い、いろんなことがあったなあと思うこの年までの道のりも、
もう一回リセットに近いところまで、戻ってもいいのかもしれません。



軽は軽、下駄は下駄、まあそんなもんでしょ。
今度のガレージは実に渋い昭和チックなところなので、それも小型車向き。
360ccのフェローマックスか、アルファも昔入手しそびれた、プジョー205オートマの
5ドアみたいなクルマに替えた方が、似合うかもしれません。

夜のドンキ往復で、ちょっと愉快な気分になれました。

Posted at 2014/08/04 08:12:05 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年07月15日 イイね!

新たな動きをする

新たな動きをする大変疲れた日曜日が終わり新たな週が始まった。

今度は何をするのかと言うと、産学協働のような
企画に顔を出して、秋からの勉強会に加わって欲しい
と言うことだ。

サイエンス・バーと言う仕掛けが隣のT市で2年ほど
続いていたらしい。
一旦先々月で終わりになり、次回からの立ち上げで
趣向も方向性も変えようと言う。

そのことで理系の学術関係者らと梅田のお店で会合して
私も意見の一つくらい提案できる立場になった。


このところ、私は忙しいのだが、2014年をどう生きるのかと
言うところで様々な新しいことも勉強して行かないといけない。

オンビジネスから完全に離脱していた数ヶ月があったのだが、
いま参加しているNPOが急速に方向転換し始めて、それも戦略、戦術の
話が急展開で始まりそうな雲行きになってきた。

日曜はその話で懇々と追い詰められて頭が変になりそうであった。

このところの世の中は、急速に変化が始まっていることに気付かないと
時代から、そして世界から取り残されそうになることに、なってしまう。

私のように半分隠居みたいな身分でも、新しいことを知らないといけない。

スタートアップとか、広告の時代が終わり何が始まっているのか、
例えば米国に渡ったAKQAという会社のことくらい読んで理解していないと
30年前と同じような仕事をしていても、仕方が無いことが判る。

実際来年から一番上の子供が新社会人になる。
この大学生と観念的な道義の話をしていてもしようがない。
新しいことや、モノの見方、展開について議論くらい出来ないといけない。

アベノミクスとか、トレンドにケチばかりつけてる人は実に古い。
今の時代に戦争反対と原発問題のことも、どうとらえるかである。
観念論や、「美味しんぼ」の漫画で是非を、長屋の熊さん八つあんみたいな
世間話していてもしようがない。

せめて、アントニオ・ネグリの本くらい読んでいて、反対ならなぜ反対か
地政学的な見地で語れないと、どうしようもないので私もNHKブックスを
いま必死に読んでいる。

また、いま読んでおかないと話題について行けないのは、ハンナ・アーレント
のことを少しは知っておかないといけない。
というのは、「なぜ、今、ハンナ・アーレントなのか」という背景である。

亡命ユダヤ人でありながら、元ナチスのアイヒマン裁判でどういう姿勢を
とり、何を失い、後世はどう評価しているのか。
多分このことが歴史のうねりの中で、昨年から再浮上した理由を考えて
いくと、今の時代が進んで行く方向も見えて来る。

組織と、犯罪行為と個人は違うのである。




私は別にみんカラのことが好きだから、馬鹿にしているつもりはないが
ここにブログめいたものを書き始めて、5年目になる。

仕事も暮らしも、少しずつ変わって行っているが、周囲を見てると
全く昔も今も同じママの日記を書いて、イベントに行ったことの報告や
レポートが続いているのに、少々驚いてしまう。

世の中の動きはものすごく変わっていっているのに、という次第だからだ。
私は古いクルマに乗り、世間の潮流に背を向けて生きているひねくれ者だが
無知ではいられない。

スマホも液晶テレビも持たないが、いろんなことくらい勉強している。

だからこのクルマのコミュニケーションについて、つい傍観者的に
見ているし、面白いトレンドには注目する。
しかし1990年代後半ころと全く変わらず、進歩のない感覚の人・ものには、
古さを感じて、少し辟易としてしまう。
その頃からコンピュータがインフラ基盤になり始めて、今は誰でも使える
からだ。

twitter、facebookといったショートコミュニケーションが主流になり
俗にSNSの時代と言われて結構経つ。

みんカラのようなジャンル特化ツールは、長いコミュニケーション展開が
図れるので、私は自分の考えをクルマ中心に投稿している。
この投稿という行為について考えてみたい。



私は先端を追い掛ける人間でないことはお分かりだと思うが、常に
ニューであること、昨日より今日は、新しいことはナニ?と言うことは
すごく気になる。

それをNEWSと複数形で言うのが情報の凝縮形態だ。かつてはそのことを
取り扱う仕事もやっていた。

だから毎回書く記事の内容も重複しないよう、少しでも新しい内容を
加えるように工夫して書いている。

投稿というのはそう言う行為なのである。素人プロの区別は要らない。
普通の人でも書く時に、今日はここが新しい話題ですよ、と1行でも
エッセンスが入っていれば良い。写真情報でも良い。
そうすると、この記事は面白いことが書いてある。読むと得した気持ちに
なれる。

365日同じことを繰り返して、今日の走行距離、今日の燃費では読む方が飽きる。
毎日の通勤使用でも、今日は桜が咲いた。海に行った。雪が降ったでよい。


ところで急速な時代のうねりの中で、日本車産業は、かなりいびつな構造社会
だということについて。
ときどきコメントをくださる友人の記事だが、コメント欄の議論も興味深い。

このように日本車と日本車文化(と言えるのか)は、特異なものであり、
みんカラについても、日本車の新車で語っても、あまり面白いものではない。

だから私はこのブログとユーザー情報のコミュニティサイトは、早晩大きく
変わる可能性が有ると思う。でなければ、廃れてしまうだろう。
そういうことを念頭に置きつつ、ブログを数日おきに書く。
twitterとfacebookが最良ということもないが、この2つは絶えず更新を
繰り返している。

ネットのことは、もっともっと変わっていくだろうが、露骨な情報収集
メディアみたいなものにはブレーキがかかる。
今やなんでも情報を機械でかき集めると価値になると言うらしい。
しかしそれをマーケティングに応用するのは、手の込んだ仕掛けがいると
言われる。それもどうなのだろう。

とにもかくにも、自動車は基盤産業と言いながら国内消費の方は向いていず
新しい時代の風が吹いているようには思いにくい。
ブログとパソコン世界と、自動車ジャーナルのマッチングは良くない。

きょうはこんなことを書きながら、前半は少し話題めいたものにタッチしてみた。
もう少し自動車消費支出と、世間の向いている方向性が盛り上がらないと
みんカラ不要論がでるかもしれないと思う。

こんな工夫も無い楽な仕掛けが成り立っているのは、厚い自動車ユーザー層が
まだ残っているからであって、それは社会に置けるシニア問題のように
コアビジネスになるかについては、あまりにもアトラクティブな要素が
欠けているのではないか。雑誌の二の舞にならないことを願う。











Posted at 2014/07/15 05:31:10 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | その他

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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