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kotaroのブログ一覧

2014年08月04日 イイね!

kotaroさんドンキに行く(kotaro go to the don quijote)

kotaroさんドンキに行く(kotaro go to the don quijote)ということで、車庫の変わった雨の週末に
距離の近くなったガレージの利点を考えて
動いてみることにしました。

今度のガレージも昔の設計なので
あまり大きなクルマは停められない。

75でもギリギリかなと思う。
いま、大阪ナンバーのアルトを置いて見ている。


ところで私は長年、ライフスタイルがひじょうにややこしかった。

まずカードは嫌で、常に現金主義を長く続けていた。
それから電話はぜったい携帯は持たない。
クルマはマニュアルミッション。
レコード(CDの次の時代だよ!)は、手でトーンアームを持って行き
針を下ろすタイプ。

アンプは真空管。
カメラはフィルム式で、それも白黒写真を自家現像する。
フィルムは長尺100ftのを一缶買って来て、自分で36コマや20コマに切り
さらにパトローネに巻き取って使う。
時計もネジ巻のボンボン時計が柱に掛かっている、等々である。

アナログとアナクロの好きな、こんな偏屈な男でも、よく嫁が見つかったと
感謝するが、気の毒なのはうちの家族である。

1970−80年代には、アナログって社会の主流だった。
時代遅れもまあいいさ、野風僧って、歌えた時代だったから。

90年代ー2000年超えで社会の近代化、オートメーション化は、一気に進んだ。
97年生まれの一番最後の子供が、小学校前の2000年半ばに
「うちには何で親戚のところのような(セレナ、バネット等)ふつうのクルマが無いの?」

ああいうのが乗りたい!という末っ娘に、
「あんなんはクルマじゃねえ、『荷車』っていうんだ!!」(オーナー様、恐縮)
と強弁を吐いていたくらいである。


そういう私も、インターネットがやりたくなり、嫁のお下がりのMacLC(ローコスト、
それでも30万くらいしていた)をもらって、ダイヤル回線につないでプロバイダー
というやつに月々いくらかを払わねばならない。
その時いくら探しても、カード決済しか方法が無いことを知り諦めて作りました。

その後も、オートマのクルマに乗るようになったり(fiat131sが初)、
パワーウインドウやパワステに驚いたり感心したり、原始人も近代化し始め
4年前から息子に「ひとりになるのだから、連絡用に俺の携帯あげるわ」と言って
持たされたり、クルマにETCとナビまでもらって着けるようになりました。


このアルトが家に来た由来は、82歳になった叔母が自動車を止めると言い出し
それなら貰いますと言って、岩国市から回送して来たら、10年弱で6000kmしか
走っていませんでした。



このアルトにETCとナビを着けて雨の中、福島区の住宅街に写真展を見に行った
とき、あまりの便利さに感嘆したことを嫁に話すと「私たちの苦労は今まで
なんだったの!」となじられたエピソードがあります。

しかし50歳の峠を超えた辺りから、私は偏狭に拒んでいたものも徐々に
受け入れるようになり、今に至ります。

私のファッションも、ちょっと贅沢で、365日外出には帽子を被り、アナログ中心の
カメラを持ち、外国製のノンブランドもののクロースを身に着けてでした。

だから末っ娘が何年か前に、クリスマスのプレゼントを買って欲しいと、いうので
心斎橋か梅田に行きたいのかと思えば、なんと箕面のドンキホーテ。
一歩入り、俗悪な倖田來未かエグザイル(失礼3連発、汗)みたいな世界に
私はのけぞりました。

そんなにうちはお金持ちという意味じゃなくて、保守的な価値観、ただし
右傾化していない伝統的な生活が好き、でした。

でもすっかり暮らしも地味でコンパクトになってきました。
クルマは好きですが、外国製のレアな輸入車(私はディーラー車で、昔から
日本に入っていたものしか求めません。ヒストリーの日本に無いものを
求めるのは、ちょっと「野暮」だと感じる方なので)、を探し求めたような、情熱は
ずっと温度が下がりました。

軽自動車なんて、と思っていたけど、付き合い始めて、ミラと2台にしたり
今なら農作業用に、少し古いハイゼットあたりも良いかなと、思うようになりました。

結局筋金入りの復古主義者ならラッダイト運動でもしますが、私も人並みに
歳を取ると気力も衰えることを知りました。

しかしまだ普通の人とはだいぶ価値観が違うので、それがたまには面白く
読んでもらえているのではと、思います。

近くなった駐車場には、個室な屋根もついています。
自転車で行く距離ではありませんが、置くこともできます。






雨の週末昨日はまず、川西の加茂にある食品スーパーまでクルマに乗って
行ってみました。
池田だと対面販売の市場が複数残っています。
川西も昔はあったらしいが、駅が高架になり、高速が出来た頃に消えたようです。

兵庫県は西宮市と宝塚市が、モダンライフの見本のように、阪神大震災後に
古い生活スタイルを、一掃しました。

しかし川西の万代百貨店(スーパー)は、野菜は圧倒的に池田の市場の勝ちです。
鮮度と安さに、今は消費税を取っていないので。こちらに来たら驚くでしょう。

肉は川西の方が理由があるのか安いと思います。肉を買うのも見て買います。
カレーのルーとかの加工材料は工場出荷なので、万代は安いと思いました。

しかし、バターが雪印メグミルクしか置いていません。池田ならスーパーで3種類
普通置いているので、食生活の贅沢度が違うのでしょう。

まあ、今までなら雨の降る日と日曜は、買い物を避けていたのが、改善出来ました。
これもオートマ+エアコンの楽々・軽のおかげでしょう。
私のクルマ好きはどこにいったのか。



実際にこだわりなライフというのは、体力等に余裕があると、する良いと思います。
私は近年このジレンマに取り憑かれて、悩みました。半分苦しみました。

カッコばかり気取っていても、もう私は若くもない。妻も東京に行きひとり。
なんか50代でも不慮の事故で、大切なものも失ったらと思うと、どんどん不安が
募り、不安定な心境が続きました。


昨夜の最大の心境の変化は、雨の夜に裏の銭湯に行き、まだ飲み足らずじゃ
なく、乗り足らずに、そのまま洗面桶を持ったまま、アルトを再び動かそうと
いう気持ちになり、夜も遅い10時半過ぎに、クルマを動かして国道に出ました。
どうしたんでしょう、オイラは。

国道の大きな橋を渡り、ずいずい行くと夜間にそびえるのはアフォの殿堂(失礼
4回目。自分もアフォを認めています)DNQホーテです。
するすると軽自動車は、夜なので空いている真下の駐車場に入れて、蛍光灯に
集まる夜の虫のように店内に入ってみました。

なんか、あっかるいなあ。
夜になると火が消えて、漆黒は大袈裟だけど、数軒の飲み屋以外は闇の池田に
住んでいて、こんな世界があるなんて。

実は前にも来たことがあるのですが、その頃は私の心のツッパリが、まだ従順を
許さず、こんなとこ、と思っていたのです。

まあ私が、半パンTシャツで、真夜中(池田時間)のドンキに居るなんて!?と
思うだけで、笑いたくなりました。

元々「ラテンでゴメン」を謳いながら、いつしかコンサバな思考回路の迷路に
迷い、いろんなことがあったなあと思うこの年までの道のりも、
もう一回リセットに近いところまで、戻ってもいいのかもしれません。



軽は軽、下駄は下駄、まあそんなもんでしょ。
今度のガレージは実に渋い昭和チックなところなので、それも小型車向き。
360ccのフェローマックスか、アルファも昔入手しそびれた、プジョー205オートマの
5ドアみたいなクルマに替えた方が、似合うかもしれません。

夜のドンキ往復で、ちょっと愉快な気分になれました。

Posted at 2014/08/04 08:12:05 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年07月15日 イイね!

新たな動きをする

新たな動きをする大変疲れた日曜日が終わり新たな週が始まった。

今度は何をするのかと言うと、産学協働のような
企画に顔を出して、秋からの勉強会に加わって欲しい
と言うことだ。

サイエンス・バーと言う仕掛けが隣のT市で2年ほど
続いていたらしい。
一旦先々月で終わりになり、次回からの立ち上げで
趣向も方向性も変えようと言う。

そのことで理系の学術関係者らと梅田のお店で会合して
私も意見の一つくらい提案できる立場になった。


このところ、私は忙しいのだが、2014年をどう生きるのかと
言うところで様々な新しいことも勉強して行かないといけない。

オンビジネスから完全に離脱していた数ヶ月があったのだが、
いま参加しているNPOが急速に方向転換し始めて、それも戦略、戦術の
話が急展開で始まりそうな雲行きになってきた。

日曜はその話で懇々と追い詰められて頭が変になりそうであった。

このところの世の中は、急速に変化が始まっていることに気付かないと
時代から、そして世界から取り残されそうになることに、なってしまう。

私のように半分隠居みたいな身分でも、新しいことを知らないといけない。

スタートアップとか、広告の時代が終わり何が始まっているのか、
例えば米国に渡ったAKQAという会社のことくらい読んで理解していないと
30年前と同じような仕事をしていても、仕方が無いことが判る。

実際来年から一番上の子供が新社会人になる。
この大学生と観念的な道義の話をしていてもしようがない。
新しいことや、モノの見方、展開について議論くらい出来ないといけない。

アベノミクスとか、トレンドにケチばかりつけてる人は実に古い。
今の時代に戦争反対と原発問題のことも、どうとらえるかである。
観念論や、「美味しんぼ」の漫画で是非を、長屋の熊さん八つあんみたいな
世間話していてもしようがない。

せめて、アントニオ・ネグリの本くらい読んでいて、反対ならなぜ反対か
地政学的な見地で語れないと、どうしようもないので私もNHKブックスを
いま必死に読んでいる。

また、いま読んでおかないと話題について行けないのは、ハンナ・アーレント
のことを少しは知っておかないといけない。
というのは、「なぜ、今、ハンナ・アーレントなのか」という背景である。

亡命ユダヤ人でありながら、元ナチスのアイヒマン裁判でどういう姿勢を
とり、何を失い、後世はどう評価しているのか。
多分このことが歴史のうねりの中で、昨年から再浮上した理由を考えて
いくと、今の時代が進んで行く方向も見えて来る。

組織と、犯罪行為と個人は違うのである。




私は別にみんカラのことが好きだから、馬鹿にしているつもりはないが
ここにブログめいたものを書き始めて、5年目になる。

仕事も暮らしも、少しずつ変わって行っているが、周囲を見てると
全く昔も今も同じママの日記を書いて、イベントに行ったことの報告や
レポートが続いているのに、少々驚いてしまう。

世の中の動きはものすごく変わっていっているのに、という次第だからだ。
私は古いクルマに乗り、世間の潮流に背を向けて生きているひねくれ者だが
無知ではいられない。

スマホも液晶テレビも持たないが、いろんなことくらい勉強している。

だからこのクルマのコミュニケーションについて、つい傍観者的に
見ているし、面白いトレンドには注目する。
しかし1990年代後半ころと全く変わらず、進歩のない感覚の人・ものには、
古さを感じて、少し辟易としてしまう。
その頃からコンピュータがインフラ基盤になり始めて、今は誰でも使える
からだ。

twitter、facebookといったショートコミュニケーションが主流になり
俗にSNSの時代と言われて結構経つ。

みんカラのようなジャンル特化ツールは、長いコミュニケーション展開が
図れるので、私は自分の考えをクルマ中心に投稿している。
この投稿という行為について考えてみたい。



私は先端を追い掛ける人間でないことはお分かりだと思うが、常に
ニューであること、昨日より今日は、新しいことはナニ?と言うことは
すごく気になる。

それをNEWSと複数形で言うのが情報の凝縮形態だ。かつてはそのことを
取り扱う仕事もやっていた。

だから毎回書く記事の内容も重複しないよう、少しでも新しい内容を
加えるように工夫して書いている。

投稿というのはそう言う行為なのである。素人プロの区別は要らない。
普通の人でも書く時に、今日はここが新しい話題ですよ、と1行でも
エッセンスが入っていれば良い。写真情報でも良い。
そうすると、この記事は面白いことが書いてある。読むと得した気持ちに
なれる。

365日同じことを繰り返して、今日の走行距離、今日の燃費では読む方が飽きる。
毎日の通勤使用でも、今日は桜が咲いた。海に行った。雪が降ったでよい。


ところで急速な時代のうねりの中で、日本車産業は、かなりいびつな構造社会
だということについて。
ときどきコメントをくださる友人の記事だが、コメント欄の議論も興味深い。

このように日本車と日本車文化(と言えるのか)は、特異なものであり、
みんカラについても、日本車の新車で語っても、あまり面白いものではない。

だから私はこのブログとユーザー情報のコミュニティサイトは、早晩大きく
変わる可能性が有ると思う。でなければ、廃れてしまうだろう。
そういうことを念頭に置きつつ、ブログを数日おきに書く。
twitterとfacebookが最良ということもないが、この2つは絶えず更新を
繰り返している。

ネットのことは、もっともっと変わっていくだろうが、露骨な情報収集
メディアみたいなものにはブレーキがかかる。
今やなんでも情報を機械でかき集めると価値になると言うらしい。
しかしそれをマーケティングに応用するのは、手の込んだ仕掛けがいると
言われる。それもどうなのだろう。

とにもかくにも、自動車は基盤産業と言いながら国内消費の方は向いていず
新しい時代の風が吹いているようには思いにくい。
ブログとパソコン世界と、自動車ジャーナルのマッチングは良くない。

きょうはこんなことを書きながら、前半は少し話題めいたものにタッチしてみた。
もう少し自動車消費支出と、世間の向いている方向性が盛り上がらないと
みんカラ不要論がでるかもしれないと思う。

こんな工夫も無い楽な仕掛けが成り立っているのは、厚い自動車ユーザー層が
まだ残っているからであって、それは社会に置けるシニア問題のように
コアビジネスになるかについては、あまりにもアトラクティブな要素が
欠けているのではないか。雑誌の二の舞にならないことを願う。











Posted at 2014/07/15 05:31:10 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | その他
2014年07月10日 イイね!

昼と夜の間に

昼と夜の間に昨日に続いて続きのような日記です。

朝の4時台からクルマを田舎の早朝、
人の居ない所で走らせて参りました。
私は夜、短時間寝た後で起きて目が覚めてしまい、
都会の無聊をかこつわけに行かず、
食料も持参が無いので、どこかで求められる
前にガソリンが残っている車で
動いてみようと言う気持ちになりました。

ナントカ病とかナントカ症候群がすっかり街を覆い尽くして、
病気でない人も気がつくと、俺は大丈夫だろうかの気持ちになりやすい。
だから時には環境の違う所で目覚めると、不思議な落差と
相対的に自分の浮かんでいる状態が判ります。

10数年前には私は、朝早くドライブをしていました。
俗に浜田省吾の「J-Boy」という曲が有り、20年前に、はまってた人は
乗り物通じた自分探しの、最初の頃に触れていたと思います。
あれは夜明けにバイクを飛ばすのだったと記憶します。

その基盤には「理由無き反抗」のようなオールディーズな青春が有り。
私も同感しつつ、一部では反抗して、朝の自由な時間を過ごしていました。
今はしなくなった理由はネット世間の進化で、理由づけて動くことが
億劫になってしまった。

しかし環境を変えてみると、朝のドライブは仮令足代わりの軽自動車でも
新鮮なことが判りました。
農家を借りている南丹市日吉から、美山町の茅葺きの里まで、濃霧の中
久しぶりに新鮮な気分に戻れました。

写真は昨日の日記に追加したもので、雰囲気が想像出来ると思います。



その後、考え事と農耕作業の合間に、連絡が入りました。
パソコンは持って行っておらず、携帯が通信手段です。
ほんとはすべて遮断していた方が、やりたいことに没頭出来るのでしょうが
人間というのは身勝手なものです。

怪我から復帰した友人ということと、関東からこの数日前に書いた
投稿に反応していただいたクルマ関係の人が来るということで、
私も嵐の来る前の農園の仕事を大急ぎで切り上げて、都市近郊の
我家までアルトで戻りました。

水戸さんをしょぼいアルトで追っかけて、コーナーでは追い付き
少し焦らせてたらすいません。






行き先を地図で確かめ、電車で最寄りの駅を確認して、同じ線のM駅で
下車し、日和下駄で歩き始めます。



本当に下駄にした理由は湿度の高さと、行き先が下町だったので
似合う服装は、なかなか思いつかず、荷風散人をまねて細い傘を片手に
往来を歩いていきます。



悠々、遅れての合流になりました。
お好み焼きをいただきビールで喉を潤す。大阪の暑い夏は、建て込んだ
地域だと本当に暑いですが、こういう顔合わせと、その偶然に感謝です。

私が住む街に本社が有る自動車メーカーの古い車の好きな人とすぐに
仲良くなりました。
こういう縁もあるからネットも楽しいのでしょう。

その後は、自動車で来ている二人は非アルコールでしたので、2台に
分乗してミナミ方面へ。私は久しぶりに、850クーペと同じメーカーの
小型車の助手席に収まりました。



随分早くから、変なクルマにばかり関心を示していた私は、その道では
あちこちで知られており、この後の2次会で、20年ぶりに再会した友人と
帰りは途中まで電車が一緒になりました。

皆さんのクルマ好きとは、やはり個性なのだと思います。
クルマに反応出来た世代は、1950年代と60年代生まれが多い。


もう一つ思うことは、生まれて来たタイミングと、モノと出会うタイミングです。
そのマッチング次第で、人間は幸福と幸福感を、どのように味わうかが、
変わって来ると思うのです。

カメラや楽器、腕時計はもう少し時間に余裕が有るけれど、
オーディオや自動車のような工業生産品は、内と外とで使い方が異なります。
クルマは、外向きな信号なので、やっぱり外で似合うモノでありたい。

だから幸せな時間は限られており、博物館的乗り物になる前に、
「まだ持っているんだ」くらいの時間で、個人の財力で乗れるのが
一番幸せなんだと思います。



私を含めてのこれからのローリング50'sは、多分上の世代より苦労する
でしょう。ちょいと安易に夢を語れないような。
「いいね」は二つの意味の象徴ボタンで、羨ましいねに通じています。

私は今、いくつかのことを始めるスタート地点に立っていますが、その先の
結果は判りません。
大学入試の受験勉強なら、ある程度の結果が見えると思います。就職は
もっと厳しいものですが、人の縁と運を活かせればその後の人生も大きく
変わるものでした。

こんなことを書くのは、やはり回りに不安を持った人がすごく多いからです。
そこで、今は「この先俺たちはどう生きて行くんだ」というテーマに特化
して、研究をしたり、生き方の試行をしていこうと思います。

その前にワンポイントだけアドバイスをしますと、しがらみは少ない方が
良い。流行の断捨離を簡単に勧めませんが、精神内部の所から切り替えを
始めても良いのではないでしょうか。

クルマの多い人は整理する。友達の誰彼構わぬ人は、等間隔で見るのか
考える。モノの多い人は言わんでも判る。女性とたくさん付き合う人、
犬の多い人、子どもや親のことなど、いろんな事を一度洗ってみるのが、
50代という最後のチャンスなのだと思います。



私は数年前にもう一つの決断で、妻と同居することをやめました。
結果的には少し苦しんだけれど、子どもも大きくなって理解してくれて、
今の自由に動けるポジションが得られました。
非常に微妙な位置で家族を続けています。でも今後のことも判らない。

これぞ荷風に倣ってではありませんが、人生の諦めと希望は、表裏にある
のではないかと思っています。
楽しむことを絞り込んで行くのも、老後前の準シニアの判断かもしれません。

しかし私はそれでも前向きに、この言葉も使い過ぎると胡散臭いですが
新しい興味が有れば、検討して手を出すか、取り組んで行くのではと思います。
長くなりまして済みません。これから夜ですね。
Posted at 2014/07/10 15:23:50 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年07月09日 イイね!

クルマを楽しもう

クルマを楽しもう


気持ちを入れ替えようと、今夜は
京都の奥地に泊まっています。

心境一転、秋までにいろんなことを
始めてみようと思います。

こんな夏の夜も良いものです。



一昨日の夕暮れ。



夜に涌く蟲たち。



霧。



草の露。


寝ている蝶。


川面も見えない。


雨蛙。
Posted at 2014/07/09 03:04:47 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年06月16日 イイね!

ネオシニアの生き方



こんなタイトルで、9月に千里ニュータウンの
小さな場所で、トーク企画をやることになりました。
いつもの自分が仕掛人に回るのでなく、喋ってください
の方である。

あがり症なので、心配もあるが、私の50代になって生きて来た5年間と
それまでのことも少し触れてみようと思う。

みんカラ日記に書くのは適当かと言うと、他で書くと大袈裟になるので
車ライフのことも、少し講演内容に加えてみようかと思います。



地域の交流センターから、声がかかったのは、そこに勤める職員さんと
これまで豊中市などで、いくつかの事業で接点があったことなど。

月に一度のテーマカフェで、初めはシニア問題について語って欲しいと言う
コンセプトで、打ち合わせに赴いたのであるが、そこのセンター長さんの
なかなか手強そうな女史は、来てみたおっさんが「なんだ若いじゃないの」
よく話すとまだ50代、それも同じ昭和34年同士ということで、最初の企画
アイデアと違うなあ、じゃあどうしようかと、鳩首会談。

やっぱりシニアのことを大きく語るより、その手前の生き方の方が
実体験も含めて興味が湧いたようである。

タイトルは「プレシニア」にしようか、というので、いや最近は、
クラシックカーの手前をネオクラシックと言ったりするので、というと
それにしましょう、ということになった。

若いクラシックカーならぬ、若いシニア層の問題に付いて喋らないと、
面白くなかろうと思う。
センター側も、これまで来所しなかった新しい層に来てもらいたい、
私もニッチなものに光を当てたいと考えている思惑に、ようやく一致した
到達点の答えが見つかったのは、1時間後のことであった。



時間が有ると言っても、下書きの構想も練らないと行けない。
本を1冊書くくらいの心構えが要るだろうと思う。

今の私が、普通の会社に勤めている人に較べれば、危機感の塊みたいな
人生を送っている。
いや普通に会社に勤めていても、20年、15年前の50代や40代後半のように
「はい定年ご苦労さま」といった人生のゴールが楽に見えていた時代の
ようにはとてもいかない。

それは時代が変わったからという、認識はあっても、何だか納得いかない
なあと思っていても、どうにも自分が変われない。
そんな空気を「生きにくさ」というネガなイメージからどう変えて行けば
いいのだろう。



上の世代は「勝ち逃げ」に近いと感じる時もある。何かにつけ、お前らは
とタメ口で説教する。今は悲しいけれど、それも現実だ。
私のような34年組でも、40年以降からみれば羨ましいと思われるかも
しれない。

ちょっとしたことで、この春より空気は変わってきている。
来年以降の新卒求人は増えてきて、早くも人手不足は上がって来ている。
増税されて苦しくなりましたという声、それも本当だが、株価だけをみれば
儲かっているのは一見企業だが、徐々に影響は出始めている。

そんな時代の空気の中で、ネオシニアは上の世代に較べて数倍敏感な
感性とアンテナを延ばして、自分らがリアルシニアになったときの生き方を
考え始めなければ、潰されるというのは脅かしに近いが、ハッピーリタイア
と大きな現実の差が出来るだろうと思う。

だから私は身を以ていろんなことを始めている。
研究所にも属して活動をしながら、取り組んでいる。
生活の保障はぎりぎりだが、苦にせずに明るい材料探しに奔走している。

50代での路線変更は、怖かったがやってみないと始まらない。
その前の、ママ母の「公園デビュー」みたいなソーシャルデビューは
40代の終わり頃から、退職前に始めていた。

地域社会デビューになったきっかけは、なんだったんだろう。
それはその頃同居していた妻の、働く女たちのネットワークつくりを
横目で見て、「こりゃ、なんか始めないと、オイラはとんでもなく、
時代遅れな旧式マシンになる」と感じていたのだろう。

無名の頃から勝間克代女史が関わっていた「ムギ畑」、
佐々木かおりらのe-ウーマン、
関西の働く女性たちの30年前からの連帯機構である「よこの会」、
みんな当然と言った感じで、テーブルの向こうの彼女は深く知っていた。

私のような一見理解し難い、行動と生き方を、ようやく納得行かれ、
男性と女性の間に立ち開かる溝のような物の向こうに、一瞬だけ
お互いの素顔が見えたような気持ちがした。


            ◇


9月最終土曜日の夜に、私のトークイベントは行う予定です。
ご興味のある方は、阪急千里線・南千里駅隣接の会場にお出で下さい。
近くなりましたら、募集の要項をお知らせします。

Posted at 2014/06/16 10:17:56 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 暮らし/家族

プロフィール

「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
何シテル?   08/06 05:00
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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