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kotaroのブログ一覧

2014年06月16日 イイね!

ネオシニアの生き方



こんなタイトルで、9月に千里ニュータウンの
小さな場所で、トーク企画をやることになりました。
いつもの自分が仕掛人に回るのでなく、喋ってください
の方である。

あがり症なので、心配もあるが、私の50代になって生きて来た5年間と
それまでのことも少し触れてみようと思う。

みんカラ日記に書くのは適当かと言うと、他で書くと大袈裟になるので
車ライフのことも、少し講演内容に加えてみようかと思います。



地域の交流センターから、声がかかったのは、そこに勤める職員さんと
これまで豊中市などで、いくつかの事業で接点があったことなど。

月に一度のテーマカフェで、初めはシニア問題について語って欲しいと言う
コンセプトで、打ち合わせに赴いたのであるが、そこのセンター長さんの
なかなか手強そうな女史は、来てみたおっさんが「なんだ若いじゃないの」
よく話すとまだ50代、それも同じ昭和34年同士ということで、最初の企画
アイデアと違うなあ、じゃあどうしようかと、鳩首会談。

やっぱりシニアのことを大きく語るより、その手前の生き方の方が
実体験も含めて興味が湧いたようである。

タイトルは「プレシニア」にしようか、というので、いや最近は、
クラシックカーの手前をネオクラシックと言ったりするので、というと
それにしましょう、ということになった。

若いクラシックカーならぬ、若いシニア層の問題に付いて喋らないと、
面白くなかろうと思う。
センター側も、これまで来所しなかった新しい層に来てもらいたい、
私もニッチなものに光を当てたいと考えている思惑に、ようやく一致した
到達点の答えが見つかったのは、1時間後のことであった。



時間が有ると言っても、下書きの構想も練らないと行けない。
本を1冊書くくらいの心構えが要るだろうと思う。

今の私が、普通の会社に勤めている人に較べれば、危機感の塊みたいな
人生を送っている。
いや普通に会社に勤めていても、20年、15年前の50代や40代後半のように
「はい定年ご苦労さま」といった人生のゴールが楽に見えていた時代の
ようにはとてもいかない。

それは時代が変わったからという、認識はあっても、何だか納得いかない
なあと思っていても、どうにも自分が変われない。
そんな空気を「生きにくさ」というネガなイメージからどう変えて行けば
いいのだろう。



上の世代は「勝ち逃げ」に近いと感じる時もある。何かにつけ、お前らは
とタメ口で説教する。今は悲しいけれど、それも現実だ。
私のような34年組でも、40年以降からみれば羨ましいと思われるかも
しれない。

ちょっとしたことで、この春より空気は変わってきている。
来年以降の新卒求人は増えてきて、早くも人手不足は上がって来ている。
増税されて苦しくなりましたという声、それも本当だが、株価だけをみれば
儲かっているのは一見企業だが、徐々に影響は出始めている。

そんな時代の空気の中で、ネオシニアは上の世代に較べて数倍敏感な
感性とアンテナを延ばして、自分らがリアルシニアになったときの生き方を
考え始めなければ、潰されるというのは脅かしに近いが、ハッピーリタイア
と大きな現実の差が出来るだろうと思う。

だから私は身を以ていろんなことを始めている。
研究所にも属して活動をしながら、取り組んでいる。
生活の保障はぎりぎりだが、苦にせずに明るい材料探しに奔走している。

50代での路線変更は、怖かったがやってみないと始まらない。
その前の、ママ母の「公園デビュー」みたいなソーシャルデビューは
40代の終わり頃から、退職前に始めていた。

地域社会デビューになったきっかけは、なんだったんだろう。
それはその頃同居していた妻の、働く女たちのネットワークつくりを
横目で見て、「こりゃ、なんか始めないと、オイラはとんでもなく、
時代遅れな旧式マシンになる」と感じていたのだろう。

無名の頃から勝間克代女史が関わっていた「ムギ畑」、
佐々木かおりらのe-ウーマン、
関西の働く女性たちの30年前からの連帯機構である「よこの会」、
みんな当然と言った感じで、テーブルの向こうの彼女は深く知っていた。

私のような一見理解し難い、行動と生き方を、ようやく納得行かれ、
男性と女性の間に立ち開かる溝のような物の向こうに、一瞬だけ
お互いの素顔が見えたような気持ちがした。


            ◇


9月最終土曜日の夜に、私のトークイベントは行う予定です。
ご興味のある方は、阪急千里線・南千里駅隣接の会場にお出で下さい。
近くなりましたら、募集の要項をお知らせします。

Posted at 2014/06/16 10:17:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 暮らし/家族
2014年06月06日 イイね!

bad day and small hope

朝から家の前の国道交差点で自損の大きな自動車事故。

仮ナンバーの2代目ルシーダかエミーナが電柱に当たり
中古車の買い付け金かお金をこぼしながら、ふらふらの
若者が呆然としていた。

近所の野次馬も集まっていたが、取り敢えずかーっとなっている
だろうから、水を買ってきて「これ飲んで落ち着け」

Tシャツもエアバッグで破れてボロボロ。最後に救急車に
乗り込む前に、家に有ったどちらでも良いLLのTシャツを
渡してやり、病院に着いたら着替えなさいと渡してやった。

うちも倅がいるのでよそ事とは思えない。自分も事故歴はある。

彼に取って今日は最悪の日だろう。朝から小雨で路面も濡れてた。
引き取ったクルマもかなりひどいコンディションだった。

でも働けるから、怪我もひどくないと思うので、これから
何とでもなる。

今日が最悪なら明日から少しずつ良い日になれば。
そう思って通りがかりのおっさんは、水とシャツを差し入れて
やったのだ。
Posted at 2014/06/06 12:22:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年05月30日 イイね!

アベノハルカス 風景も春霞

アベノハルカス 風景も春霞山の中から一転、きのうは
天王寺駅隣接のアベノハルカス23階および25階で
仕事の反省と打ち合わせでした。

テーマは先日行って来たタイの事業の報告と反省。

チェンマイ市との民間レベル交流は成功裡でしたが
その後のクーデターと、軍の権力掌握で、ステイ
事業は大幅に後退、創業者から悲観的な意見も出て、
大変事態を重く見ているのが判りました。




この会場を使わせてくれたのは、メンバーシップのH大関係者で、おたんちんの
私は高所に上がった喜びで、写真を撮りまくり。



顰蹙は買いませんでしたが、なるほど絶景です。

それにしても、1年前の春はすることがなく、時代劇映画の無料エキストラや、
山奥で炭焼きのボランティア(こっちはまだ縁が続いています。このタイの
仕事もその縁から始まって2人介した繫がり)をしていた私が、地上150mの
一室で国際情勢の今後を話し合う場に、加えてもらうとは、世間は面白いです。



タイ情勢は、軍部をどうみるか。
民主主義から遠く離れてしまった軍事国家になったととれば、民間レベルでの
ステイ事業は顧客を獲得出来ません。

商社関係者、大学関係者、軍事評論自衛隊に詳しい人物、金融マン、そして
ゼネラルプロデューサーと持論は様々に異なります。
私は末席に加えてもらい、ロジックの展開に一挙一動見守りながら、そもそも
タイ国とは何であるか。
国王の権力や現在の後継者問題。そしてタクシン元首相と言う人物の出身に
迫ります。



それにしても昨日は、タイどころではない。日本と北朝鮮の断絶に、雪解けより
大幅に事態が動くニュースが夜に飛び込んできました。
帰りに買った夕刊時間帯でないので、これは夜に動いた話です。

安倍首相と自民政権嫌いの知人たちは、これをどう見たのでしょうか。
私は米と中国の反応が興味が尽きません。

昨日の談義で、タイ情勢からアジアとASEANの話になると、中国嫌い、韓国嫌いの
人の意見は、ハルカス展望の遠くに霞んだ空でさえ、憎々しげにPM2.5のことに
言及してしまう。この傾向は、このところ読んでいる浜矩子の本にも、国際社会と
国内社会のしくみや、GDPとGNPの捉え方を例に、わかりやすく説明してくれます。

年長者の議長は、簡単に有事で勝てると言う意見に与さず、ベトナム戦争の例を
挙げた意見の私にポイントをくれました。
どちらかに旗を揚げるよりも、慎重に行動して計算しないと、挑発に乗ることは
一番損なケンカの仕方だと思うからです。



しかしタイに行く直前に起こっていた、ベトナムと中国の海洋資源争い。
そして2006年に続いてのタイクーデター。
今回の日朝間拉致問題協議の前進と、1ヶ月でアジア情勢は大幅に変わりました。




半年後、1年後は私はどんな記事を書いているのでしょうね。

Posted at 2014/05/30 06:53:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2014年05月24日 イイね!

タイから帰国して思うこと

タイから帰国して思うことさて東南アジアの旅の続き。
私の感想を先に言うと、日本人は非常に恵まれた
クルマ趣味の出来る国に住んでいるということ。
それがよくわかった。

過去に作られたどんなクルマ、また最新の自動車も
低いハードルで乗られる。
これは輸入規制や、とくに中古車も輸入の駄目な
中国や韓国では、途方も無く困難なことである。


それだけ日本人は恵まれた条件にあり、ヨーロッパから遠く離れた島国で
ありながら、私のfiat850coupeのように43年前でも、こういった趣味心を
くすぐるクルマが入っていたことは大きい。

単に他所の国を比較することは、普段どうかと思う私だが、事実に基づいて
書いていく。
クルマ購入価格の低さは日本の美点である。
そしてタマ数の多さ。種類の豊富さも東洋か世界一であろう。
そのメリットは普段暮らしている国内では空気のようなものなので、あまり
幸福を感じない。

私が昨年、50万で購入したアルファロメオ75のような、個性的でかつ
実用本位の欧州車は、日本が一番安くて数が残っていると思う。





タイでは国産メーカーと呼ばれる存在ブランドが無く、実質的に日本車を
作っているので、日産のマーチのようなクルマの人気が高い。
またタイ人に反日的な感情が少ないので、双方にとりメリットが大きい。

支持されると言うことと、安い人件費で日本製の自動車を生産することは
良いことばかりだが、エンスーのようなひねくれたディレッタントは
中々生まれて来ない。

ブックストアで自動車の雑誌を見ると、殆どが外国の雑誌。日本からは、
おぷしょんとゲンロクの翻訳版が行っている。
小沢コージさんが狙っているアジアエンスーマーケットは、チューンドカー
の方になって来る。

タイの自動車雑誌も2、3種類程度で、やはり薄くて内容は中古車情報と
改造車の実例、70カローラの改造車に笑ってしまったが、素質はある。
そして女の子の写真。健全な欲求の時代を思い出す。
私はもと編集業だったので、こういうチェックが実に楽しい。



実際タイに移住したら、どんな視点でタイライフを楽しむだろうか。
まずクルマ探しだろうが、整備はかなり不安があるし、DIY覚悟か。
欧州車は古いのに乗りたいがぐっとがまんして、まずは日本産の少し古い
やつ。ダイハツ当たりが面白い。





上のダイハツミラのピックアップ。かなり古いL70系ベースで、少し車体も
長い。それから次は3代目シャレードのセダンで、日本ではシャレード
ソシアルと言われたやつ。こんなのに乗っていると、嬉しくなりそうだ。

ダサいカローラをこんな風にして乗る。色はすごいなあだが、これも
イカしたアジアンテーストなんだろう。



シビックセダン。ワンダーシビックの時代か後継型。黒バンパーが泣ける。



こいつは、そっくりな雰囲気だが、3代目シャレードで、先ほどのセダンの
ハッチバック版。



三菱車の人気が高いのが東南アジアに行くとよく思う。

こっちがランサーで、


こっちはヒュンダイ。もとはエンジン等、一緒みたいなものだった。



あとこういうのが面白い。
先ほどのランサーにも日本語のステッカーが貼ってあったけれど、
これは向こうでは、クールなんだろうと思った。



「ハンドルのムタカス」
縦書きステッカーって、ムチャ異国文化なのである。

Posted at 2014/05/24 04:56:08 | コメント(7) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年05月07日 イイね!

穏やかなる連休ラスト

穏やかなる連休ラスト今年のGWはエルニーニョの影響か、寒かった。
雨は5日くらいだったが、まだ半袖で歩けない。
最終日は六甲アイランドの南端で、古い仲間らの
集まるオフミに75で行ってみた。

時間の経過が15年くらい昔に遡り、その当たりからの
顔見知りが何人かいて居る。

90年代は、まだ活気があった。

自分を中心に時代を語るのは普遍性が無いと思うが、
当時の30−40代の車好きは上昇志向も強く、より速いクルマや
高級車を買うことが、ひとつの行き方であった。

だからフェラーリとポルシェは、わかり易いシンボリックな“ごちそう”で、
ある程度の収入や生活を達成できた人の「ご褒美」みたいなところがあった。
昨日来ていた人の大半がその当たりのクルマが好きなグループである。

私は本来、その当たりの人たちと付き合うには、少し落差もある。
子どもが多いとかそういう理由は負け惜しみだが、別次元のクルマ趣味
でずっとやって来た経験と、スタート段階でのクルマ体験なら
いくらでも話題は尽きないし、世代的に重なることも多い。

「金持ち喧嘩せず」の集団だなと、昔から思っているし、反対に
初めから妙なコンプレクスを感じて、遠くから的外れな批判をするのは、
嫌だ。
しょっ中一緒の遊びはしないし、たまに顔を出す程度のことなら疲れない。
だから昨日は軽自動車ではなく、アルファ75に乗り換えて行ってみた。

過激なクルマが減ったのが、第一印象。それとクルマ好き平均年齢は
50歳を超えたのではないか。
これは社会の方に照らしてみても、通じる。
昨日の印象はポルシェは911よりボクスター、ケイマンが多かった。
フェラーリのスパイダーはグループでは若い方の1台くらいであった。



想像以上に日本の社会は円熟という方向に向いている。
これを見て、社会はふたつに分かれて来たという見方、格差問題を論う
のも間違いではないが、私は微妙にずれているという意見だ。

それから私の文章を、お会いしたみんカラメンバー内外の人が、
多く見ていただいており、嬉しい感想を頂く。
いい加減な記事は書けないと気持ちを締めるとともに、予想以上の
読者の数に、有り難いと再認識した。
ページビューは少ない日で200。多い時は600以上ある。

ロケは気持ちの良いところだったが、食事の質と値段と従業員のレベル
など、いまの神戸はこんなものかという感想だったが、人が薄くなって
きている今の関西で贅沢は言えない。

こういったマイルドなクルマ志向、趣味のベクトルをどう見るかである。

東京辺りでは、活発なオフミが続いており、旧車、珍車、ヴィンテージ
何でも来いの集会、イベントが月に複数は行われている。
関西は活気が無くなったのかという、分析はあるだろう。
でも参加者層の、クルマに対する好みやこだわりは深い。

相対的収入の低い関西で、選ばれた人たちと言うより頑張ってる
人々と言えるのではないか。
絶対的なインカムで今は勝てない私も顔を出しているのは、情報や
人間に付加価値を求められており、私にもいろんな質問がくる。

私は成熟や祭りの過ぎた日本で、これからどういう世相が広がり
可能性や達成のある分野を探して、そこに力を入れて行こうと思う。

車齢10年以内のエキゾティックカー達の横で、紺色アルファは懐かしい
時代の空気を連れて来たマシーンのように受け取られた。
バブルと言われた80年後半と90年頭の方の高級車であり、それでも
今のクルマから見れば質素すぎる。

大沢商会に行った思い出や、此処に居る人の中にも新車は買えなかった
という思い出を語る人もいた。
結局こういった中程度の旧車は、ネタにのぼることで生き返れるか、
どうかが評価の対象だ。

関西は想像以上に成熟文化のところなので、前のめりなホビー(オタク)
感覚は敬遠される。そこは突き放して、一見醒めたような道具選びと、
自分を中心に語るのはセンスの無い野暮だと思われている。




一般的に「こてこて」と思われている関西文化圏であるが、実は枯淡な
趣の好きな人は多く、実際にギラギラしているのは東京の一部だ。
町の場のどこを取り上げるかで、比較は簡単には出来ないのである。

しかし関西は活躍の場が小さくなっている。
参加の人たちは普段の暮らしを持っているが、東京から帰って来た友人が
一人来てくれたが、みんな普段は高級車を格納しているのだろう。

ランチも駐車場のクルマ談義も、長過ぎない程度に引き上げはじめる。
一番淡白な集団だから、クルマは脇役で近況のことと馬鹿話が済むと解散。
私は久しぶりに六甲山に登ってみた。



表六甲をケーブル下駅から登って行く。



いつも下り専門が多かったので、上りはなかなかタイトであったが、
75らしい動きをしながら、連続ヘアピンを縫うように走ってみた。

かつて90年代に山上で集まり、若き日の熱情で通った道々も懐かしく
我らはもの思う年齢になった。
思い出の交差点、道路脇の風景、一瞬山の間から見える海。

こんな神戸の風景が、東京でいくらお金があっても味わえないことに
再びみんなが気が付いて、神戸の価値を見直して欲しいと思う。

縦走路を貫いて西宮方面に下りて、宝塚市の長男の所に立ち寄った。
バイト中にケガをしたと言うので、見舞いと、自転車の不具合を
点検してブレーキゴムを一緒に買いに行き交換。
晩飯は友人と食べると言うので、長居はしなかったが大学4年、
もう最後の年は自由なテーマを持ち、過ごすようである。

先日私が開いた勉強会に、実は一番若い参加者として来てくれて
その感想も聞かせてくれた。
私の退職後の4年の変化を、うまく言いまとめてくれたのには
嬉しかった。私は経営者ではないが、これなら跡継ぎを育てることにも
繋がるのではないかと思った。

最後に家に戻ると、北摂の奥から大阪市内に戻る友人が到着。
立ち話と家の中で茶を一杯飲んで軽い雑談をして、この連休は終わった。
私は5年後には、どんな60歳になっているので、あろう。

Posted at 2014/05/07 03:14:24 | コメント(3) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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