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kotaroのブログ一覧

2014年05月24日 イイね!

タイから帰国して思うこと

タイから帰国して思うことさて東南アジアの旅の続き。
私の感想を先に言うと、日本人は非常に恵まれた
クルマ趣味の出来る国に住んでいるということ。
それがよくわかった。

過去に作られたどんなクルマ、また最新の自動車も
低いハードルで乗られる。
これは輸入規制や、とくに中古車も輸入の駄目な
中国や韓国では、途方も無く困難なことである。


それだけ日本人は恵まれた条件にあり、ヨーロッパから遠く離れた島国で
ありながら、私のfiat850coupeのように43年前でも、こういった趣味心を
くすぐるクルマが入っていたことは大きい。

単に他所の国を比較することは、普段どうかと思う私だが、事実に基づいて
書いていく。
クルマ購入価格の低さは日本の美点である。
そしてタマ数の多さ。種類の豊富さも東洋か世界一であろう。
そのメリットは普段暮らしている国内では空気のようなものなので、あまり
幸福を感じない。

私が昨年、50万で購入したアルファロメオ75のような、個性的でかつ
実用本位の欧州車は、日本が一番安くて数が残っていると思う。





タイでは国産メーカーと呼ばれる存在ブランドが無く、実質的に日本車を
作っているので、日産のマーチのようなクルマの人気が高い。
またタイ人に反日的な感情が少ないので、双方にとりメリットが大きい。

支持されると言うことと、安い人件費で日本製の自動車を生産することは
良いことばかりだが、エンスーのようなひねくれたディレッタントは
中々生まれて来ない。

ブックストアで自動車の雑誌を見ると、殆どが外国の雑誌。日本からは、
おぷしょんとゲンロクの翻訳版が行っている。
小沢コージさんが狙っているアジアエンスーマーケットは、チューンドカー
の方になって来る。

タイの自動車雑誌も2、3種類程度で、やはり薄くて内容は中古車情報と
改造車の実例、70カローラの改造車に笑ってしまったが、素質はある。
そして女の子の写真。健全な欲求の時代を思い出す。
私はもと編集業だったので、こういうチェックが実に楽しい。



実際タイに移住したら、どんな視点でタイライフを楽しむだろうか。
まずクルマ探しだろうが、整備はかなり不安があるし、DIY覚悟か。
欧州車は古いのに乗りたいがぐっとがまんして、まずは日本産の少し古い
やつ。ダイハツ当たりが面白い。





上のダイハツミラのピックアップ。かなり古いL70系ベースで、少し車体も
長い。それから次は3代目シャレードのセダンで、日本ではシャレード
ソシアルと言われたやつ。こんなのに乗っていると、嬉しくなりそうだ。

ダサいカローラをこんな風にして乗る。色はすごいなあだが、これも
イカしたアジアンテーストなんだろう。



シビックセダン。ワンダーシビックの時代か後継型。黒バンパーが泣ける。



こいつは、そっくりな雰囲気だが、3代目シャレードで、先ほどのセダンの
ハッチバック版。



三菱車の人気が高いのが東南アジアに行くとよく思う。

こっちがランサーで、


こっちはヒュンダイ。もとはエンジン等、一緒みたいなものだった。



あとこういうのが面白い。
先ほどのランサーにも日本語のステッカーが貼ってあったけれど、
これは向こうでは、クールなんだろうと思った。



「ハンドルのムタカス」
縦書きステッカーって、ムチャ異国文化なのである。

Posted at 2014/05/24 04:56:08 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年05月07日 イイね!

穏やかなる連休ラスト

穏やかなる連休ラスト今年のGWはエルニーニョの影響か、寒かった。
雨は5日くらいだったが、まだ半袖で歩けない。
最終日は六甲アイランドの南端で、古い仲間らの
集まるオフミに75で行ってみた。

時間の経過が15年くらい昔に遡り、その当たりからの
顔見知りが何人かいて居る。

90年代は、まだ活気があった。

自分を中心に時代を語るのは普遍性が無いと思うが、
当時の30−40代の車好きは上昇志向も強く、より速いクルマや
高級車を買うことが、ひとつの行き方であった。

だからフェラーリとポルシェは、わかり易いシンボリックな“ごちそう”で、
ある程度の収入や生活を達成できた人の「ご褒美」みたいなところがあった。
昨日来ていた人の大半がその当たりのクルマが好きなグループである。

私は本来、その当たりの人たちと付き合うには、少し落差もある。
子どもが多いとかそういう理由は負け惜しみだが、別次元のクルマ趣味
でずっとやって来た経験と、スタート段階でのクルマ体験なら
いくらでも話題は尽きないし、世代的に重なることも多い。

「金持ち喧嘩せず」の集団だなと、昔から思っているし、反対に
初めから妙なコンプレクスを感じて、遠くから的外れな批判をするのは、
嫌だ。
しょっ中一緒の遊びはしないし、たまに顔を出す程度のことなら疲れない。
だから昨日は軽自動車ではなく、アルファ75に乗り換えて行ってみた。

過激なクルマが減ったのが、第一印象。それとクルマ好き平均年齢は
50歳を超えたのではないか。
これは社会の方に照らしてみても、通じる。
昨日の印象はポルシェは911よりボクスター、ケイマンが多かった。
フェラーリのスパイダーはグループでは若い方の1台くらいであった。



想像以上に日本の社会は円熟という方向に向いている。
これを見て、社会はふたつに分かれて来たという見方、格差問題を論う
のも間違いではないが、私は微妙にずれているという意見だ。

それから私の文章を、お会いしたみんカラメンバー内外の人が、
多く見ていただいており、嬉しい感想を頂く。
いい加減な記事は書けないと気持ちを締めるとともに、予想以上の
読者の数に、有り難いと再認識した。
ページビューは少ない日で200。多い時は600以上ある。

ロケは気持ちの良いところだったが、食事の質と値段と従業員のレベル
など、いまの神戸はこんなものかという感想だったが、人が薄くなって
きている今の関西で贅沢は言えない。

こういったマイルドなクルマ志向、趣味のベクトルをどう見るかである。

東京辺りでは、活発なオフミが続いており、旧車、珍車、ヴィンテージ
何でも来いの集会、イベントが月に複数は行われている。
関西は活気が無くなったのかという、分析はあるだろう。
でも参加者層の、クルマに対する好みやこだわりは深い。

相対的収入の低い関西で、選ばれた人たちと言うより頑張ってる
人々と言えるのではないか。
絶対的なインカムで今は勝てない私も顔を出しているのは、情報や
人間に付加価値を求められており、私にもいろんな質問がくる。

私は成熟や祭りの過ぎた日本で、これからどういう世相が広がり
可能性や達成のある分野を探して、そこに力を入れて行こうと思う。

車齢10年以内のエキゾティックカー達の横で、紺色アルファは懐かしい
時代の空気を連れて来たマシーンのように受け取られた。
バブルと言われた80年後半と90年頭の方の高級車であり、それでも
今のクルマから見れば質素すぎる。

大沢商会に行った思い出や、此処に居る人の中にも新車は買えなかった
という思い出を語る人もいた。
結局こういった中程度の旧車は、ネタにのぼることで生き返れるか、
どうかが評価の対象だ。

関西は想像以上に成熟文化のところなので、前のめりなホビー(オタク)
感覚は敬遠される。そこは突き放して、一見醒めたような道具選びと、
自分を中心に語るのはセンスの無い野暮だと思われている。




一般的に「こてこて」と思われている関西文化圏であるが、実は枯淡な
趣の好きな人は多く、実際にギラギラしているのは東京の一部だ。
町の場のどこを取り上げるかで、比較は簡単には出来ないのである。

しかし関西は活躍の場が小さくなっている。
参加の人たちは普段の暮らしを持っているが、東京から帰って来た友人が
一人来てくれたが、みんな普段は高級車を格納しているのだろう。

ランチも駐車場のクルマ談義も、長過ぎない程度に引き上げはじめる。
一番淡白な集団だから、クルマは脇役で近況のことと馬鹿話が済むと解散。
私は久しぶりに六甲山に登ってみた。



表六甲をケーブル下駅から登って行く。



いつも下り専門が多かったので、上りはなかなかタイトであったが、
75らしい動きをしながら、連続ヘアピンを縫うように走ってみた。

かつて90年代に山上で集まり、若き日の熱情で通った道々も懐かしく
我らはもの思う年齢になった。
思い出の交差点、道路脇の風景、一瞬山の間から見える海。

こんな神戸の風景が、東京でいくらお金があっても味わえないことに
再びみんなが気が付いて、神戸の価値を見直して欲しいと思う。

縦走路を貫いて西宮方面に下りて、宝塚市の長男の所に立ち寄った。
バイト中にケガをしたと言うので、見舞いと、自転車の不具合を
点検してブレーキゴムを一緒に買いに行き交換。
晩飯は友人と食べると言うので、長居はしなかったが大学4年、
もう最後の年は自由なテーマを持ち、過ごすようである。

先日私が開いた勉強会に、実は一番若い参加者として来てくれて
その感想も聞かせてくれた。
私の退職後の4年の変化を、うまく言いまとめてくれたのには
嬉しかった。私は経営者ではないが、これなら跡継ぎを育てることにも
繋がるのではないかと思った。

最後に家に戻ると、北摂の奥から大阪市内に戻る友人が到着。
立ち話と家の中で茶を一杯飲んで軽い雑談をして、この連休は終わった。
私は5年後には、どんな60歳になっているので、あろう。

Posted at 2014/05/07 03:14:24 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年05月01日 イイね!

ふと、連休なかばに

ふと、連休なかばに車以外のことを書いてもかまわないし、
無理やり車に話を導こうとするきらいも
ここのところある。
きょうは最初から、違うと断っておこう。

昨年、シニア社会を考えて行くNPOに理事
として呼ばれた。




僕の企画も何回かやってみたが、昨夜は私の人脈で
「目からウロコのNPO勉強会」という企画をやってみた。

呼びかけは、個人的に。一部はFacebook経由である。
だから、読まれ方のフラットに近い、みんカラに感想を書こうという
気持ちになった。

参加者は10人弱だが、内容的には非常に良かったのではないか。
朝一番に元気な理事長から「よかったよ」と電話がかかってきた。



Facebookは、基本的な使い方は1年弱でマスターした。
とんでもないところから、弾が飛んで来るので、最初は「守備」に
まごついたが、何とか3アウトチェンジまで、こぎつける方法もおぼえた。



ところで、こんなことは、変なことなので、普段は言わないのだが、
あっと思ったことがある。
嘘つきって、やっぱり、たまにいるのだと思う。


駄シャレやギャグみたいなものでない。
また、強弁や、子どものままで大きくなったようなタイプでもない。
真性のそれは、一見なかなかそうと見抜けない。


それから、一種の作偽癖の病だから、尻尾は簡単に出そうとはしない。
見抜く方法は、目と、あと言動では捕まえられないから、やりとりの形跡で
違和感を覚えた時に、こいつはなにをとぼけてんのか、だけである。

普段は普通の人の中に紛れ込んでいるので、見分けがつきにくい。
僕は出自や、国籍の差別や区別は、反対だが、こういうタイプには気をつける。

一緒になったり、苦楽を共にしてみて、後で裏切られると、人は立ち直れなく
なってしまうことがある。

普通の人は生活空間の中でこういう人物がよぎったとしても、痕跡など
残さないので気が付かない。よくいう狸に化かされたんじゃないかという
のが、これに近い。
あれ、何でこんなことになっているんだろうというのが、そう。



今日はそんな話を書こうと言うことではない。
少し難しいのだが、世のため人のために、やれることってなんだろう。

ちょっと昔は、安閑として勤めていて、勤め上げられるまで無難に生きて
老後も迎えられることができた。
それは戦争が終わって、混乱が終わってからの半世紀の物語である。

今は違うと思う。しかし戦乱や空腹で命を落とすことは国内ではない。
なのに、人には優しくない、社会になってしまった。

これからの時代は、高度経済成長のような大きな物語は書けない。
車を持つとか、海外旅行に飛行機に乗り世界一周のような、判りやすい
達成感のある、イベントは減って行くのだろうと思う。

Facebookで友達500人、1000人も意味が無い。
ほんとうに味方になるか武器になる交友の方が大事だ。
昨夜の会合では、真のソーシャルな関係や、目的意識に付いて、どうやって
アプローチするのか。若手からも、シニアからも、普通でないレベルに到達
するための、入口について研究してみた。

こうやって書くと、自己啓発の、詐欺のセミナーのようだ。苦笑する。
しかしそのくらい、この内容を平易に表すのは難しい。



そんな時代に会社に入って社会の一員だったことのことばかり
並べ立ててもしようがない。
これからはどうなるんだろう。それも簡単に言い切れない。

不安を感じてしがみついた幸福を離さずに怯えて生きるのもどうだろう。
既存の権威や有名に近づいて傘の下に居るのも、居られなくなって
しまうことだってある。

だから、動くしかないのじゃ、ないのかな。これからは。
昨日は夕方からの勉強会の前に、四天王寺に行き、古書市の終わりかけた頃に
本を眺めて、いろんなことを思っていた。

面白い本もあるのだが、やっぱり古本稼業は、自分に似合いそうでも
違うなと思った。
来歴や分類をすることは、得意なのだが、それは一寸も新しいことと違う。
生業でやっている人にケチをつける物でもない。

ただ、ここに並べられているものは、すべて過去の歴史のいろんな情報だと
したら、それは必要とされているところに、持って行かれたらいい。
それに希少価値をつけるのは、古本屋のやり方であり、大きな社会使命で
ないと、思っただけである。

活字の役割は終わっていない。印刷媒体は、情報を伝える時のやり方が
決まってしまっているだけである。



私は、50数年生きて来て、一体何を学んできたのだろう。
そしてこれから、尽きるまでの日に何が出来るのだろう。

今はアクションするしかないように思われる。
いろんな人に出くわして、能力を感じたら、その能力を活かせる道筋を
考える。
自分自身が、いろんなものを融合させるハブやギヤになる。
そんなことをして行くのが、自分の使命と思うようになった。

もちろん書いたり表現することは、好きである。
そのための時間も欲しいし、最低限のレベルで健康でいたい。
もう、つまらないことには、左右されたくなくなってきた。

もちろん感情ある生き物だから、朝日を浴びる喜びも持っていたい。
そんなことをふと、日々の暮らしの中で、考える。
やがてこんな私が、いなくなっても、誰かが志を受け継いで
次の時代のことを、考えてくれるであろう。

Posted at 2014/05/01 10:35:19 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2014年04月21日 イイね!

旅行最後の日 クラシックカーミーティングに参加して

旅行最後の日 クラシックカーミーティングに参加して今年の桜も、ほぼいってしまった。
そんな季節に、西日本を1200km走って
普通に暮らせれば、普通に走れれば、
あと何の憂いがあるだろうと思う。

自分の将来は判らない。先細りにも見えるし
これだけ動けるのなら、どこからか引き合いも
くるかもしれない。


それより、心身の健康が普通に維持できて、
歩けて、食べられて、頭で考えたことを行動に移し、
自由に旅が出来たら、こんな幸せなことはない。


米子の一夜は、同宿者があり、きいてみると昔から
存在を知っているマニアの方であった。
その人は横浜から長駆、山陰まで来られていると奇遇に驚いた。

前夜は少し飲み過ぎたので、頭が重い。

ユーロクラシックカーミーティング米子は、鳥取県米子市旗が崎にある
米子自動車学校の、市民祭みたいな行事の一環である。

米子と言うところは、鳥取県下の西の端に近い交通の要所で、
島根県の松江市の方が鳥取市より近い。
鉄道の管理局が国鉄時代にあり、今でもJR西の中堅支社がある。

鳥取県にはタクシーで有名なバス会社兼業の日本交通があり、
西側には日の丸自動車というバス路線が今でも会社を堅持している。
この舞台となった自動車学校は、教習所と名乗らず学校と言っているのが
面白い。
だから、クルマ好き達に取り、最終学歴は「自動車学校卒」なのかもしれない。



横浜からの来賓と主役の人と、私の3台が一番乗りして車を誘導する。
数はそんなに多くなく、30台以下だから楽だ。
1台、また1台と会場の端のイベントエリアに到着し、みんな運転教習時には
恐々だった、クランク部に車を寄せる。
イタリア車が多いが、イギリス車も少しいる。
70年代と80年代車が多いが、フェラーリ355のような90年代車もいる。

そう、「スーパーカーの来ない自動車イベント」と名付けたこの集まりも
今回は新しめのフェラーリとロータス・エスプリが並んだ。
ほかに新旧の911もいたので、決して非スーパーカー行事ではない。
しかし、癇高いサーキット系の空間に比べると、自動車関係の場所なのだが
停めたクルマの中で、昼寝でもしようかという穏やかな空気だ。
コース内に桜が咲いていることもあるのだろう。



参加車両も大人しいうえ、子供連れと奥さん同伴の参加者も多い。
周囲で子供の喜びそうな行事も開かれているし、賑わいを作り出すために
音楽イベントや食べ物のブースなどもたくさん出店している。

僕から見れば30−40代の頃、妻に休みを与えるために子供らを乗せて
サンデーイベントに参加するエンスーは、自分だけだったが、今はこういう
感覚がずいぶん普通になった。
まあ、クルマなんて自己が満足できれば買える範囲、なんだって良いんである。
それでどこかこういう軽めの非日常的な祝祭があればいい。
このイベントだって、最初から落としどころを練り込んで作った企画ではない。
参加する車両の範囲と、声かけ出来る人の繫がりと、僕らはそう変化を求めて
いないが、会場に偶然来た人たちが、珍しそうに覗き込むのが面白いのだろう。




震災の年は義援金のカンパ捻出のオークションもあったが、今年はフリマが
やりたい方はやられているくらいであった。
クルマを持っていると、大抵要らない部品や、入手したが不要になったり
そんなものが増えて来る。たまに捨て値で出して、新しい貰い手が着けば
それで良いじゃないか。

少し草臥れたパンダを売りたい方がおられたが、もう、その手は
18や20才くらいの若い人に乗ってもらった方が面白くはないか。
もちろん人の目的は、いろいろだが。

私の75は、アルファロメオの4台並んだ端に置かせてもらった。
隣のグリーンの1750セダンは、山陽・山陰のクルマ好きならご存じの
ダンツキ風ノルドに乗られるポスター主人の奥様である。
“つがい”で飼うなんて、昔のカーマガジンふうに表現すると、月並みだが
それが地方で実現できている、個性と価値観と、暮らしがあるということに
私は日本の成長と成熟を感じている。

最近はFacebookによく外国人からリクエストが来るのは、こういった内実を
私なりに外国に発信しているからである。
小国二ポンという謙遜か自虐か判らない態度は、私にはない。
傲岸でもない。
淡々と人の生き様と、自分の暮らしと、私たちの現実を客観視する。
それでこの国で、やっていけたらいいのではないか。

鉄道の町米子だから、こんな面白いものも会場を走っている。
後藤センター(鉄道車両工場)特製のサンライズ出雲号自走車である。



この電車寝台特急は、東京から今は岡山を経て、伯備線を上がり、
米子を経て出雲市まで走っている歴史ある列車だ。
こういうものは、有形無形で町の価値を上げる実は財産だと言うことを
米子の人は、少なくとも後藤工場に関係する鉄道マンは知っているのである。

子供たちがこれに親しんで、大きくなったらこういう「直通」列車に乗り
東京に勤めに行っても、故郷のことを時々思い出せば、それが「文化」という
故郷の薫陶なのである。

今の日本はスピードアップで、新幹線を採算無理して建設して、在来線は
ガタガタになり、3セク転換などで悲哀に満ちてしまう。急行特急停車駅も
崩壊して、駅前は寂れてしまう。
そう言う町から秀才や俊秀は、育たなくなり、学校のレベルも下がるだろう。

地方から上京列車に乗り出て来た僕は、何もノスタルジーを謳う訳ではない。
首都圏、中京圏、関西圏の3都市圏ばかりが栄えるでもない。
国内がバランスよく、釣り合えないと、最後は東京も棄てて、NYか上海に
移住しないと、やってられないことにもなりかねない。

そのための地方を考えるのは、地方を一度でも体験しないと、判らない。
大阪生まれの私の家人には、やっぱり見えていなかったような気がする。




昼下がりの空気は花曇りの春の午後となり、周囲のイベントも3時に終了。
私は主催者の方の娘さんと、いつまでも遊んでいたので、会場を引き上げるのは
最後の方に。デルタの方は横浜に。私は大阪に四日ぶりに戻る。



何も急ぐ用はないので、大山の見える方向に、アルファ75を走らせ、
途中から旧出雲街道を走ってゆく。





旧友と2台並べて満開の桜の下で、成年期を謳歌した思い出の新庄村を抜けて、
真庭の満開の桜並木の下を駆けて、姫新線の中国勝山駅まで走り抜ける。



かつては大阪から湯原温泉に向かう湯治客で賑わった駅も、今は直通もない。
しかし私はこの駅にある、すごくウマいうどん屋のじゃこ飯が、大の好物で、
米子のイベントに参加する度に、立ち寄って喰って行くのである。



旅の最後に贅沢をと、いつもはかけうどん+じゃこめしなのだが、
200円高いかきあげうどんを注文したら、写真のような巨大なかきあげが
ついていた。

さすがに完食すると、胃が一杯になり、落合から中国道に乗ったが、何度も
休憩しながら帰る羽目に成った。
それとかき揚げの味があったためにじゃこ飯のシンプルな味がほんの少し
削がれてしまったのが、残念であった。

次回からは素うどんに戻すか、かき揚げうどんだけにしよう。

家のある町にたどり着いたのはちょうど9時だった。
オドメーターは1200kmに10km余すのみ。今回もよく走ったが、
幸せな充実感は、食べて走って、無事に戻ってから、しみじみと思う物だと
痛感した。

アルファの方も、さすがに、点検にに出そうと思った。(完)


Posted at 2014/04/21 15:35:14 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年04月16日 イイね!

850クーペの近況

旅行の記事を書いている途中ですが、
少し酷使したアルファロメオを入場させ
850をどんな状況か、久しぶりに見てきました。

板金は8割仕上がり、新たに見つかった穴や錆をもう一回
直す工程にかかる直前です。
その後は、再塗装、それから艤装ということになります。
さて、あとどのくらい待てば、復帰できるのでしょうか。

期待を暖めているところです。



Posted at 2014/04/16 22:25:04 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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趣味とかその対象はどうなっていくのか 
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2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
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2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

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2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
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