• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2013年12月11日 イイね!

2013年が行く

2013年が行くもう今年もあと20日。
1年を振り返ると、今年も大変だった。
それは個人的なことだから、もっと後の
日記でも良いが、時代がここまできたこと。

その感が強い。







最近秘密保護を巡って大変なリアクションを起こした法律が可決した。
アレルギーは見ていると、概ね昔の知識層や旧来メディアに強い。
私は賛成でも、強い反対でもないと見ている。
それは一番の原因がインターネットの自由な進展に伴う無秩序では
ないかと思うのだが、感情を露に怒っている人たちは、戦前の
暗黒時代の再来と言う。

小林多喜二が特高警察に虐殺された時代が重なると。
私はきょうこれ以上は書かない。
そんなことを考えるよりも、明日を何して遊んで、生き延びるかを
考えるに忙しい。

ところで、先日久しぶりにオフ会に行ってみた。
今はフィアット850が長期板金中なので、私にはフツーの車である
アルファ75に専ら乗って、である。

それでも皆さん結構褒めて頂いて、嬉しい限り。
中にはkotaroさんのミラは佳かったと、別れた彼女の美点を言われる
と、寂しいような複雑な思いになる。

ところで私はメディアに居たことが長かったので、よく雑誌のことに
付いて書く。
きょうもなぜ日本の自動車ジャーナリズムは面白くなくなったのか、
もう一度考えてみよう。

粗いけど、私は40年以上、自動車に興味関心を抱き見ている。
その中で大きな市民社会の変化は、1960年代の終わりと70年以降の
成長社会に1つめの原因がある。
この時に日産トヨタの「日本グランプリ」の参戦時代が終わっている。

その頃の(までの)古雑誌を読み返す人は少ないだろうが、時代の
空気が一度がらっと変わっているのである。
それが市民運動の進化と、学生運動との分離。自動車メーカーが
レースを止めた背景には、「もうその役目は終えた」という自負の
ようで実は言い訳社会に突入するのである。

この背景には公害問題以上に、自動車=死の影響があった。
これは大人はみんな思っていたが活字にするのはタブーだった。
つまり自動車の進展という有り余る魅力と交通事故の恐怖は
ヤヌスの鏡のように、人民を支配していた。

ここで自動車雑誌は、ネガなことにはあまり触れなくなった。
ベトナム戦争の時代には、身近なところで戦争の話題があり
東南アジアは、日本や欧米がかき回した1940年代の傷跡を
引き摺っていたから、ジャーナリズムはリアルな傷口から
血が噴き出るようなレポートにあふれていた。

乱暴な言い方だが、国内のグランプリでも命を賭ける
若者たちが時代のヒーローになり散って行った。
それがもう止めようになったのが、60年代の総括と70年万博で
幕を開けた消費社会の到来なのである。

新しいスターはテレビ、芸能、スポーツ、自動車と用意されて
登場して、大衆は支持して受け入れられた。
メディアも記録を塗り替えるように成長を更新した。
大衆も社会も、今でいうWin=Winの関係で過去を忘れることが出来た。

日本が本当の意味で戦争を払拭出来、戦後を謳歌したのは
1970年以降である。
ここまでが私が言いたい第1のポイント。
実際70年代の自動車雑誌という物は売れなくてモゴモゴしていた。
先に言う公害問題のマイナス印象と+石油ショックでの低迷である。



1980年代は何度言っても画期的な時代であった。
方法論的に大きく昇華した訳でないのだが、あらゆる条件で
大衆社会の効率が生き、面白いことを誰かがやると、副次的に
文化が花開いた。
今はこんなことはすぐに起きない。
燃え易い紙と湿った木材くらいの違いがある。
僕の文章を読んでくれている人ならすぐに理解出来るであろう。

で、今の時代は全く面白くないかと、いうとそうではない。
特に旧車やヴィンテージ、オフ会の部分は、想像もできないくらいに
奥が深くなり、地層が豊かになった。
実車の販売は、年々自動車が売れなくなった。

それと1970年頃は軽く1万人を超えていた交通事故の死者は
半分以下に減った。それでも交通警察は死亡事故をゼロにすると
いい、交通規則をさらに厳格化し、懲罰を重くして最後は路上を走る
車をゼロにして目的を達するだろう。

それは冗談だが、比例なのか反比例なのか、世の中の現象には
法則がある。
交通事故も減ったし暴走族も都会にはいなくなった。
車自体の安全性が向上すれば、三方丸く納まるかというと
そうはいかない。
自動車誌は悪いけど去勢された、気の抜けたアルコールみたいで
読んでいて何も刺激を受けない。

ひたむきに小林彰太郎の時代が作り目指した物。
それはいくつかの頂点や峰があり、もう少し80年代以降に
やりようが無かったのかと考える。
旧車の世界は特殊だから、そんなにレストア誌は出てこない。

エンスー誌も、成功例であるスクランブルカーマガジン1誌を
脅かす存在は出ず、「あの」価値観がガレージライフとか、
生温い日本人の幸せを、成功のご褒美みたいに謳っている。
本当に今のままで良いのだろうか。

来年は午年。
何が走り出すのだろうか。



最後の写真はここから借りました。
ろしあなう
おそろしあ!
Posted at 2013/12/11 12:20:28 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年12月04日 イイね!

ゴルフ2とゴルフ3


最近、5ナンバー時代のゴルフが新鮮に見える
ことがよくある。




どうしてだろうかと思えば、余計なものがついていなくて
内外装ともに、すっきりしていると感じるからである。

もう80年代に出たゴルフ2は20年前のクルマのデザインだということだ。

80年頃は、日本車のデザインは、ミリタリーやガンプラみたいな
ごつごつしたデザインや、すごいだろう感の強く前面に出たものが多く

とくに2灯時代のゴルフ2のシンプルさには、遠く及ばない。



それから、
最近の自動車のデザインで、一番バツなのが、
ヘッドライト周りの、複雑化である。


私はシンプルな生き方が好きなので、今の自動車は見ただけで
吐き気がしそうになる。


コストも掛からずに、量産出来るようになったから、必要も無いのに
光まわりをゴテゴテさせていること。
そんな家には住みたくない。

後ろから追ってくるクルマの形が下品になったから

随分ドライブする気が萎えるようになった。

80年代は、夜に乗り回ることが、ワクワク出来たのは
若かっただけではないと思う。

今日はそんな気分で、冬空を見ている。









Posted at 2013/12/04 11:52:03 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年12月01日 イイね!

マンタ発見

マンタ発見大阪の自動車店でこういう売り物が有るのを見つけた。

オペルマンタの初代の実働車は珍しい。

数年前の私なら、欲しい病が出たところだろう。






このテールラインとオレンジの車体カラーにストライプ。

誰もがギャランGTOのMRを想像するだろう。

こんなクルマと世帯になってみたい。

850クーペが当分帰ってこないので、心がくらくらっと
迷って走りそうな気分だ。


Posted at 2013/12/01 06:14:51 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年11月28日 イイね!

ラテンに生きたい

ラテンに生きたい去年の灼熱の午後、
秋だというのに広島に行き
大変な思いをして母の回復を
待ったことがある。

奇跡的に母は身体が丈夫だったので
命は取り留めたが、
今年は姉が重篤な状態になっている。

普通は良いことは幸せなことに繋がるのだろうが
私の一族はややこしい。

私は素直でないから、素直に喜べないことがある。

人生はどのあたりだろう、2000年になる前から母の記憶が迷走し始め
私も大きく苦慮するようになった。

不幸はいろんなことにつながる。
我が家の中にもいくつかの、波風が立ち、私は退職して独居を決め込んだ。

賢明でない選択だったかもしれないが、いろんなあつれきがあり
広島から飛んでくる火の粉から、家族を守る必要が会った。

私は逃げているのかもしれないが、冷静にいろんなことを見つめ直す
時間が必要であった。

家族の方はなんとか沈没せずにやれている、と思う。
問題は高齢の母を抱える姉と、その関係である。

身内のことを書きたくないが、特殊な考えをしている。

私は、1年前に仕事を離れて、人生の林住期を生きるようになった。

林住期についてはこのリンクを読んで納得して欲しい。

ようやく来年からの目標も見つかり、師と思える人たちとも出会えて来た。
今は毎日が大変忙しくなって来た。
大学の入学後、1ヶ月間空しさを感じて、4月末にサークル活動に飛び込んで
そのまま中心的存在になっていった、時間を再来したかのように感じている。

そんな中で、最後まで残った気掛かりが、一人きりの姉と、最後の肉親のこと
だといえる。

子供の頃はあんなに幸せだったのに、と思うと、関わりから離れられない。
でも私にとりどこまでどのように大切なものなのか。その判断は。
盲目的愛を求められても、泥舟は沈んで行く。

僕はおかしなこと言って気が変になっていないか。
その空間にいる時間は洗脳なのかいっしょに変になっていないと身が持たない。

昨日も今日も、広島に行きかけて、結局辞めてしまった。
「命に関わる」ということでも、こうなったことは、結果を引っ張って行った
人の責任なのだが、親族というのは無視も出来ないものなんだろう。

車の話は書きたいが、2つの理由、新しい仕事と、それ以上心理を圧迫する
ものにより筆が進まない。

明日は晴れたら、ラテンな気持ちになって広島往復して来れるだろうか。
今日は砂のような気持ちで、日記を終える。







Posted at 2013/11/28 17:54:06 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2013年10月27日 イイね!

850クーペの近況

850クーペの近況いろいろと忙しい秋になりました。

つい先ほどまで、近所の会館で
障害者の方々の慰問かねて
ボランティアでギターを弾いたりして
きたのですが、花見や宴会の芸とはまた、
違う心遣いが要ったようです。



さて長らく工場に行っている850クーペはどうなっているのでしょうか。
ちょっと隣町まで、歯科医に行かないといけない状況になったので
またアルファを出すことにしました。普段は電車+自転車を借りているのですが。

工場に着くと、入れ替わりに見慣れないクルマが数台着ています。
まずはこれ。



さあ何でしょう。
実は私の今の愛車と、ほぼ同時期の同一メーカーのクルマです。



珍しくなりました。
アルファロメオ164です。
それにしても、室内空間のデザインは、秀逸です。



両方並ぶのは、稀少車×稀少車で、非常に珍しい遭遇だったのでは、ないでしょうか。
それも、似たような紺色ですが、微妙に違います。
僕の方が、紺ではなく、灰色がかったモナコブルーに近い気がします。

さて、850クーペの方は板金が佳境になってきました。

フロントにはエンジンが無いので、トランク代わりなのですが、ここの床が
長年の腐食でくさっています。



恐ろしい腐食をお見せすると、もうすでに一部のパネルは切り取られて
こういう状況になっています。




切り取られた部分というのは、どんな形状の鉄板で、どんな状態だったか、
お見せしましょう。
こんな複雑な形で、これだけひどい状態であったのです。
しかし、これを1枚の鉄板から叩いて造り出してくれるとは。
さすがは職人です。




また、おもしろい物をお見せしましょう。



シートカバーも、私が買って来た布地で鋭意製作中なのです。

これを担当するのは、この工場一家の、紅一点娘さん。



こうして今、私の850クーペは、
板金一筋40年以上のベテラン職人、実務整備全般と部品の調達その息子、
シートカバー等の制作が娘さんと、工場ファミリー総掛かりで、復活再生に向けて
作業中でございます。
あたしも差し入れだけでなく、もっと体を動かさないといけませんですね。

ではまた来週♪

Posted at 2013/10/27 15:19:43 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
345 6789
10111213141516
17181920212223
2425 2627282930
31      

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation