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2014年02月15日 イイね!

ボルボ144とモデル撮影会

ボルボ144とモデル撮影会日本列島が氷に包まれたバレンタインの日、
私はある約束を守って寒い中、弁天町にある
昔の埠頭ターミナル跡に、来てたたずんでいた。




この寒い中、どんな用事があったのか。

実は私の傍に、熱心に仕事をする一組の男女があった。

彼はフォトグラファーで、彼女は被写体のモデルである。





といっても、彼らは特別な存在ではない。

「ファッション写真の撮影に、一度旧いクルマを使ってみては」

1年前に知り合った後に、私があるとき、そんな提案をした。

思いつきに近いが、ファッションビジネスに近い位置にいる彼は
廃墟系の映像クリエーターとその時、名乗っていた。
アイデアは面白いと思うが、それだけで実績も多くなければ
食って行くのは容易なことでない。

私は、何か足りないと思うが、見込みが少しでもあれば「投資」する。
エンジェル投資家みたいな潤沢な資金はないが、アイデアと経験・人脈は
豊富だ。

私が会社を辞めてまでして、やりたかったことは、そこだ。

人を育てる手助けをする。50にもなり、あくせくといらいらと、
ストレス病にまでなって、給料取りにしがみつく必要は、あるのか。
何度問答したか判らないが、結論は、後悔はどちらが大きいか。

やらないより、やってから、考えたらいいじゃないか。結果はすぐに
出ないだろうけれど、私と言う「存在」が無二のものと思うなら、
賭けてみたっていいのではないか。自分にである。



言い出したものの、こういうことが形になったのは、まだわずかだが
この日に至るまで、やはり曲折があった。

オーダーが来たのは1ヶ月前。しかし私の愛車はいまレストア中で
撮影に使えない。そこで友人に、元愛車でもあるローバーを
1日貸してもらえないかと、打診したが、このクルマも2月は整備ドック
入りということがわかった。

万策尽きたか。そんなことでは自分の能力が無いのに、安易に提案する
ことさえおかしい。そうだ、彼に相談するかと思ったのが、以前記事に
したボルボ365を見に行った、大阪のゼロカートラブル氏である。



ここで宣伝はしない。彼の扱うクルマは、趣味性を反映した特殊なクルマ
屋である。性能やクオリティ保証の販売業というより、骨董業や故買に
近いような性質かもしれないが、私の相談に「いいですよ」と返事が来た。

一度カメラマン氏を連れて行って紹介するから、若い者同士で
投合して欲しい。それが私の半歩先の希望である。

お膳立ては無事に出来て、貸してもらえる車両は、在庫中一番の年代物、
70年代中期のボルボ144、撮影は2月14日に決まった。



報酬は殆どない。私をのぞいて、みんな若いから、頑張っていい仕事に
なると良い。私の満足感が満たされれば、時価計算の報酬の代わりである。

いや、前からクラシックカーを使った場面や演出を、やってみたかった。
自分の車を、自分でナルに演じきる人は、いないことはない。
しかしそれは、何の目的成果も生み出さず。社会性も薄い。

私が参考に考えたのは、今は無きNAVIでやっていた、Photoストーリー
であった。

篠山紀信だったと記憶するが、ヴィンテージな車と旬の話題の美女を
組み合わせて、数ページの贅沢な企画が、何年か続いて載せられていた。

でもあれはつまらなかったなあと、後でケチ付けるのは本意でないが
毎号買うたびに、不満の残る企画であった。



今思うと、キシンの有名ネームにおんぶした、安易な企画で、クルマ愛の
薄い内容であったと思う。



今回の提案の実現は、ノリは業界だが、みんな素人である。
しかし、有名カメラマン、有名モデル、ピカピカの業者から借りた
ヴィンテージカーの組み合わせで、時流な雑誌媒体の何が面白くなかった
のかは、判っている。馴れ合いの緊張感の無さである。

「撮影は午後から。場所は弁天町の加藤汽船ビルの前です」
そう言われたが、ゼロカー氏の事務所まで取りに行く日は、朝から
関西も大雪になった。
朝、クリエーター氏から「やはり今日やります」の再確認の電話はとって
いたが、気が少々重かった。大事な売り物の車だし、傷つけてはいけない。
最悪は私のアルファ75でも22年前の“年代物”だし、と思って高速に乗った。

湊町で下りようとすると、堺線が積雪で通行止め。湊町出口もビルにカーブ
するスロープの脇はシャーベット状態だ。やれやれ。


事務所に30分遅れて到着して、キーを受け取り、144の運転席に座る。
「何じゃこの車は」の第一印象。
苦労しながら狭い路地をぶつけないように抜けて、子供の下校の列にも
ヒヤヒヤするが、ブレーキは効いてくれるもの、ノンアシストのハンドルは
戦車のように重くて曲がらない。



加藤汽船ビルがまた、判らなくて、築港まで行き過ぎて、弁天町と判り
弁天町駅付近まで戻るが、旧埠頭を知っておらずにまごつき、1時間近い
遅れで、ようやく撮影現場に到着した。
車も、なにこれ〜と、モデルさんが呆れるような、おんぼろオーラが
漂っている。



でも、そこから2時間の撮影は、日没前まで順調であった。
さんざん寒い中、待たせたのだが、私が余計に走り回ったおかげで
ボルボ144の室内は温もっており、寒い車外の撮影と室内空間のシーンを
交互に繰り返したので、凍えなかったようだ。

サービスでこういうショットも、つけておこう。
車内でモデルさんが、どういうポーズになっているか判るかな。



ということで、今回の初試みは、上場の滑り出しであったかもしれない。
自己満足に終わったかは、これから写真撮影者の仕事、モデル嬢の成長、
そして車両を提供してくれた彼の、ビジネスに良い影響があることを
願っている。
実はこの車両は嫁ぎ先も決まった所で、新購入者も了解の上で
貸し出していただいたと、聞いております。



旧い車を乗ることは、何のメリットがあるのか。
そんなメリットなど追いかけないと、開き直るやり方もあるだろう。
しかし僕は、いろんな特性と文化としての評価をしてやりたい。

まだまだこの段階で、満足して終わってしまっては、僕は「ただ働き」
だけである。
しかしこういう組み合わせた、複合の仕事がやれたということ。
今後もあり得るかもしれないし、いろんな評価が軌道に乗れば、成功報酬も
出て来ることは、ありうると思う。

今回は、私は仲介と運転手役を務めたゼネラルプロデューサーである。
こういった試みをやりながら、面白い話が飛び込んでこないか。
そういったきっかけになれば、旧車乗りを長く続けているのも
少しは社会のお役に立てそうである。

ご協力いただいた方々に心より感謝の気持ちを込めて、この記事の
終わりにいたしたい。どうも、ありがとうございました。







Posted at 2014/02/15 14:57:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年12月11日 イイね!

2013年が行く

2013年が行くもう今年もあと20日。
1年を振り返ると、今年も大変だった。
それは個人的なことだから、もっと後の
日記でも良いが、時代がここまできたこと。

その感が強い。







最近秘密保護を巡って大変なリアクションを起こした法律が可決した。
アレルギーは見ていると、概ね昔の知識層や旧来メディアに強い。
私は賛成でも、強い反対でもないと見ている。
それは一番の原因がインターネットの自由な進展に伴う無秩序では
ないかと思うのだが、感情を露に怒っている人たちは、戦前の
暗黒時代の再来と言う。

小林多喜二が特高警察に虐殺された時代が重なると。
私はきょうこれ以上は書かない。
そんなことを考えるよりも、明日を何して遊んで、生き延びるかを
考えるに忙しい。

ところで、先日久しぶりにオフ会に行ってみた。
今はフィアット850が長期板金中なので、私にはフツーの車である
アルファ75に専ら乗って、である。

それでも皆さん結構褒めて頂いて、嬉しい限り。
中にはkotaroさんのミラは佳かったと、別れた彼女の美点を言われる
と、寂しいような複雑な思いになる。

ところで私はメディアに居たことが長かったので、よく雑誌のことに
付いて書く。
きょうもなぜ日本の自動車ジャーナリズムは面白くなくなったのか、
もう一度考えてみよう。

粗いけど、私は40年以上、自動車に興味関心を抱き見ている。
その中で大きな市民社会の変化は、1960年代の終わりと70年以降の
成長社会に1つめの原因がある。
この時に日産トヨタの「日本グランプリ」の参戦時代が終わっている。

その頃の(までの)古雑誌を読み返す人は少ないだろうが、時代の
空気が一度がらっと変わっているのである。
それが市民運動の進化と、学生運動との分離。自動車メーカーが
レースを止めた背景には、「もうその役目は終えた」という自負の
ようで実は言い訳社会に突入するのである。

この背景には公害問題以上に、自動車=死の影響があった。
これは大人はみんな思っていたが活字にするのはタブーだった。
つまり自動車の進展という有り余る魅力と交通事故の恐怖は
ヤヌスの鏡のように、人民を支配していた。

ここで自動車雑誌は、ネガなことにはあまり触れなくなった。
ベトナム戦争の時代には、身近なところで戦争の話題があり
東南アジアは、日本や欧米がかき回した1940年代の傷跡を
引き摺っていたから、ジャーナリズムはリアルな傷口から
血が噴き出るようなレポートにあふれていた。

乱暴な言い方だが、国内のグランプリでも命を賭ける
若者たちが時代のヒーローになり散って行った。
それがもう止めようになったのが、60年代の総括と70年万博で
幕を開けた消費社会の到来なのである。

新しいスターはテレビ、芸能、スポーツ、自動車と用意されて
登場して、大衆は支持して受け入れられた。
メディアも記録を塗り替えるように成長を更新した。
大衆も社会も、今でいうWin=Winの関係で過去を忘れることが出来た。

日本が本当の意味で戦争を払拭出来、戦後を謳歌したのは
1970年以降である。
ここまでが私が言いたい第1のポイント。
実際70年代の自動車雑誌という物は売れなくてモゴモゴしていた。
先に言う公害問題のマイナス印象と+石油ショックでの低迷である。



1980年代は何度言っても画期的な時代であった。
方法論的に大きく昇華した訳でないのだが、あらゆる条件で
大衆社会の効率が生き、面白いことを誰かがやると、副次的に
文化が花開いた。
今はこんなことはすぐに起きない。
燃え易い紙と湿った木材くらいの違いがある。
僕の文章を読んでくれている人ならすぐに理解出来るであろう。

で、今の時代は全く面白くないかと、いうとそうではない。
特に旧車やヴィンテージ、オフ会の部分は、想像もできないくらいに
奥が深くなり、地層が豊かになった。
実車の販売は、年々自動車が売れなくなった。

それと1970年頃は軽く1万人を超えていた交通事故の死者は
半分以下に減った。それでも交通警察は死亡事故をゼロにすると
いい、交通規則をさらに厳格化し、懲罰を重くして最後は路上を走る
車をゼロにして目的を達するだろう。

それは冗談だが、比例なのか反比例なのか、世の中の現象には
法則がある。
交通事故も減ったし暴走族も都会にはいなくなった。
車自体の安全性が向上すれば、三方丸く納まるかというと
そうはいかない。
自動車誌は悪いけど去勢された、気の抜けたアルコールみたいで
読んでいて何も刺激を受けない。

ひたむきに小林彰太郎の時代が作り目指した物。
それはいくつかの頂点や峰があり、もう少し80年代以降に
やりようが無かったのかと考える。
旧車の世界は特殊だから、そんなにレストア誌は出てこない。

エンスー誌も、成功例であるスクランブルカーマガジン1誌を
脅かす存在は出ず、「あの」価値観がガレージライフとか、
生温い日本人の幸せを、成功のご褒美みたいに謳っている。
本当に今のままで良いのだろうか。

来年は午年。
何が走り出すのだろうか。



最後の写真はここから借りました。
ろしあなう
おそろしあ!
Posted at 2013/12/11 12:20:28 | コメント(4) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年12月04日 イイね!

ゴルフ2とゴルフ3


最近、5ナンバー時代のゴルフが新鮮に見える
ことがよくある。




どうしてだろうかと思えば、余計なものがついていなくて
内外装ともに、すっきりしていると感じるからである。

もう80年代に出たゴルフ2は20年前のクルマのデザインだということだ。

80年頃は、日本車のデザインは、ミリタリーやガンプラみたいな
ごつごつしたデザインや、すごいだろう感の強く前面に出たものが多く

とくに2灯時代のゴルフ2のシンプルさには、遠く及ばない。



それから、
最近の自動車のデザインで、一番バツなのが、
ヘッドライト周りの、複雑化である。


私はシンプルな生き方が好きなので、今の自動車は見ただけで
吐き気がしそうになる。


コストも掛からずに、量産出来るようになったから、必要も無いのに
光まわりをゴテゴテさせていること。
そんな家には住みたくない。

後ろから追ってくるクルマの形が下品になったから

随分ドライブする気が萎えるようになった。

80年代は、夜に乗り回ることが、ワクワク出来たのは
若かっただけではないと思う。

今日はそんな気分で、冬空を見ている。









Posted at 2013/12/04 11:52:03 | コメント(9) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年12月01日 イイね!

マンタ発見

マンタ発見大阪の自動車店でこういう売り物が有るのを見つけた。

オペルマンタの初代の実働車は珍しい。

数年前の私なら、欲しい病が出たところだろう。






このテールラインとオレンジの車体カラーにストライプ。

誰もがギャランGTOのMRを想像するだろう。

こんなクルマと世帯になってみたい。

850クーペが当分帰ってこないので、心がくらくらっと
迷って走りそうな気分だ。


Posted at 2013/12/01 06:14:51 | コメント(6) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年11月28日 イイね!

ラテンに生きたい

ラテンに生きたい去年の灼熱の午後、
秋だというのに広島に行き
大変な思いをして母の回復を
待ったことがある。

奇跡的に母は身体が丈夫だったので
命は取り留めたが、
今年は姉が重篤な状態になっている。

普通は良いことは幸せなことに繋がるのだろうが
私の一族はややこしい。

私は素直でないから、素直に喜べないことがある。

人生はどのあたりだろう、2000年になる前から母の記憶が迷走し始め
私も大きく苦慮するようになった。

不幸はいろんなことにつながる。
我が家の中にもいくつかの、波風が立ち、私は退職して独居を決め込んだ。

賢明でない選択だったかもしれないが、いろんなあつれきがあり
広島から飛んでくる火の粉から、家族を守る必要が会った。

私は逃げているのかもしれないが、冷静にいろんなことを見つめ直す
時間が必要であった。

家族の方はなんとか沈没せずにやれている、と思う。
問題は高齢の母を抱える姉と、その関係である。

身内のことを書きたくないが、特殊な考えをしている。

私は、1年前に仕事を離れて、人生の林住期を生きるようになった。

林住期についてはこのリンクを読んで納得して欲しい。

ようやく来年からの目標も見つかり、師と思える人たちとも出会えて来た。
今は毎日が大変忙しくなって来た。
大学の入学後、1ヶ月間空しさを感じて、4月末にサークル活動に飛び込んで
そのまま中心的存在になっていった、時間を再来したかのように感じている。

そんな中で、最後まで残った気掛かりが、一人きりの姉と、最後の肉親のこと
だといえる。

子供の頃はあんなに幸せだったのに、と思うと、関わりから離れられない。
でも私にとりどこまでどのように大切なものなのか。その判断は。
盲目的愛を求められても、泥舟は沈んで行く。

僕はおかしなこと言って気が変になっていないか。
その空間にいる時間は洗脳なのかいっしょに変になっていないと身が持たない。

昨日も今日も、広島に行きかけて、結局辞めてしまった。
「命に関わる」ということでも、こうなったことは、結果を引っ張って行った
人の責任なのだが、親族というのは無視も出来ないものなんだろう。

車の話は書きたいが、2つの理由、新しい仕事と、それ以上心理を圧迫する
ものにより筆が進まない。

明日は晴れたら、ラテンな気持ちになって広島往復して来れるだろうか。
今日は砂のような気持ちで、日記を終える。







Posted at 2013/11/28 17:54:06 | コメント(7) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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