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2013年03月21日 イイね!

こんな日 ア・デイ

こんな日 ア・デイ







休日の朝っぱらからダイハツミラを飛ばして、大阪と
奈良の境の山ん中まで行って来た。
お嬢ちゃんのスパイダーを大政奉還する日らしい。



古いお城のお堀の在る町まで、オーナー氏の立派な英国車と
借り物の白いイタリアン・オープンと
少し離れて、私の白い軽自動車が、遠慮気味に距離を開けて、
ついていく。



引き渡し式が終わると、私は友人と、そのお子さんを乗せて、
阪奈間のトンネルを抜けて大阪市内の一番高級そうな町へ、
白い軽をとばしていく。

友人家族を下ろすと、雨がポツポツ降り始めた。
ヤター!、きょうは旧車にしなかった理由が出来た。
新御堂を三国で下りて、江坂で給油して、緑地公園へ。
数年前までの、ボクがせいいっぱい見栄を張っていた頃の、
ホームグラウンドだ。



賃料15万以上の100平米以上在る5LDKに
駐車場2台借りていた頃だ。
西願寺川沿いの細い道に軽を停めて、クルマの中で持参の
お弁当を食べ始める。
昨夜の残り飯をチンしただけの米に、沢庵と竹輪と、たらこを
つけただけの、シンプルなメシが美味い。

すっかりこういう身の丈ライフが楽になってきた。
ホントは生駒山上で食べようと思ったのだけど、無二の友人家族と
一緒に居る時間が愛おしかっただけである。



正直ほっとする時間が好きなのだ。
こういうライフスタイルを、みんカラの初期の頃に、
アメリカから、からかいにきた御老人も来なくなったし、
別にミジメとは思っていない。

ポツポツ雨は、食べている間に、本降りになった。
緑地公園の自動車ワークスは、珍しく休みであった。
おや?とみていると、いつもの社長大将が、声を掛けてくれて、
「お彼岸お墓参りにしましたんや」と明るく笑う。

自転車できてまっか?
まだこれから 
たのんまっせ、で緑地を後にする。



面白いような色の、見事なマツダのシャコタン半島が走っていた。
今日は全くカメラを、デジタルも、フィルムも持ってなくて、
ケータイで撮る。
何枚も撮っているのは、久々に自動車で個性を主張する人を見掛け
よっぽど気に入っているのだろう。

ああ疲れた。
人生なんにもしていないのに、最近なんでこんなに疲れているのだろう。
ボクの別ブログで、そんなため息状態を書いたら、珍しくコメント欄が
炎上している。

甘ったれたことを言うな、というお叱りの趣旨や、からかいが多い。
いいけど。

箕面のコーヒー屋にいこう。沸かしただけのコーヒーに500円払うのは
大阪人は惜しいと思うのだが、昼飯代は弁当男子でただやったのだから。
ここは食後の美味しいコーヒーはマスターの毒舌でおつりがくるかも。

しばらくウヨなネタで嗤ってから、軽を雨の中動かすと、路地奥に
無人の空き家があり、その前に7ス・スカイラインが放置されていた。



放置プレイは好きなのだが、この車は、半端に人気無いから、
復帰は難しいのだろうか。

クルマとヒトの人生を置き換えてみたら、ボクの最近は、どこまで
動かん状態になっているんだろう。
でもまだ走れるような、気分はする。

文章が書けないか。そんな気持ちの日が在るが、きょうは雨も降ったが、
少し救われた気分も、あるような気がする。
日暮れ前に、池田からもういちど、箕面までミラを走らせた。
箕面で芝居の稽古を終えた大学生の長男を拾って、近くのリサイクル
ショップで、数日前から始めた一人暮らし用の家具を求めに行った。

食器戸棚と、テイブル代わりの電気ごたつ。2つで4200円くらい。
お前、自分で出せるか?
いや3000円くらいが、全財産。



そんなんなら、初めから父さん呼ぶなよと、笑いそうになる。
まあええか。
ミラに大荷物2つ積んで、西宮の向こうの、仁川の踏切そばの下宿まで
走って行く。

緑地時代のおいらだったら、上から目線で息子に、説教垂れようとした
であろう。
なんかきらくで、よくなったなあ。自分で言うのもへんだけど。
兄貴か大学の先輩のような、不思議な感覚である。
肩書きや仕事上の責任感で、武装していた頃に比べて、すっかり楽なのだ。
53歳なんだけど(笑)。

息子の家で、荷物を整理していると、昨日買った洗濯機と冷蔵庫も届いた。
俺の時は、まだ無かったなあと思い出す。
まあええか。買ってやったけど相対的に、絶対昔より、物価は下がっていると
実感する。
これがデフレ社会なんだ。
ミラが2000円で買えたことも、おいらが無職なのも、
さらにそれでも数年間は生きられそうな、蓄えではない、自信が
ありそうなことも。

洗濯機のお店のオプションの設置は断った。
自分で付けてみい、と、ミラの中から工具箱をおろしてくる。
何とか息子にやらしたが、手取り足取りこれで、1000円浮いたのだ。

息子の下宿を出ると、駐車場の桜の古木が、雨に打たれて莟が光っていた。
もう花は朝から咲いているよと息子が言う。



雨も上がった夜の道を、ハチロクと競争しながら、僕の“下宿”に車で戻る。
「鉢丸ヒーロー」に、知り合いさんの連載が決まったようだ。おめでとう。

ほんとうに80年代、自分が若かった頃は、みんな遊ぶことにエネルギーを
使ったものだし、それが社会の元気の元に大分成っていたと思う。
夜遅く、わが町のバアで、クルマから降ろした世界中のCDを並べて、マスターに
かけてもらっていたら、一人、来ていた女の子と、また仲良くなってしまった。

俺の頃はレコード、どんなに安くても、中古でも輸入盤でも1000円以上した
もんよ。と、1枚250円で8枚タワレコで買った、新品のCDをネタに
女性と仲良くなれるなら、安いもんである。

 デフレな恋愛だけは、カンベンであるが。


Posted at 2013/03/21 07:43:02 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年03月15日 イイね!

真夜中の日記帳

真夜中の日記帳火曜から水曜日、広島まで普通列車で、往復してきました。

青春18切符が、平日に活用出来る境遇というのは、皮肉な
幸せです。

旅をしている瞬間は、多少は憂いを忘れられるのだから、ヨシと
しておきましょう。

余り暇なので、何処の乗り換え駅のコンビニで、カーセンサー
の中国版を買いました。150円の人生暇つぶし。


見ていて思うのは、需要の無いクルマには、値段が、付かない
ことです。
90年代後半のジャガーXJが、20万で出ています。

ところが、旧車は、田舎の物価と関係なく、高い値段がついて、いました。
国産車の70年代の後半あたり。僕の感覚では「えー」と思うような
クルマでも結構良い値がします。
それから、軽自動車は、多少古くても、使えるものは、取引があると、
わかりました。
我が家のミラでも、あんな値段では、普通買えないと、理解しました。

旧車と、軽の組み合わせは、極めて合理的な、趣味と実用ライフなんだな、と
思いました。
地方都市あたりで、背伸びをせずに生活するなら、新車のハイブリッドを
1台買うより、旧車の資産価値と、足車に徹した軽あたりの組み合わせは、
かなり賢いやり方かもしれません。

私は退職時のお金で、一瞬、マルモさんも乗っているホンダのハイブリッド
クーペを、買おうかと、あの車が出た時に、春の店頭展示車を見て、悩んだの
ですよ。
そのくらい、あの時は、明るいニュースだったのですが、日本は3年間沈みました。

いや僕は阿倍野ハルカスも安倍ノミクスも、どっちも信じてませんので(笑)、
この先どうなるか、ばかり考えてしまうのです。
仮に200―300万クラスの新車を買っても、10年乗れば、価値はありません。
カルトなレア車は、値段が下がらないかもしれないが、乗りにくい。

ずっと旧車を乗っている私ですが、今のような、信用のない状態でも、
これだけは、人が信じてくれる(笑)。

無駄遣い出来るお金がある内は、20万のジャガーXJも、一度乗って
みたかったら、ありなのですが、今は非常にシビアな時代です。

そうやって考えると、若者の行動体系が、よく反映してると思うのです。

Posted at 2013/03/15 03:00:23 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2013年03月11日 イイね!

サイドシートのフィフティーン

サイドシートのフィフティーンもうすぐ娘と、お別れの時期がくる。
昨夜は、妻は名古屋へマラソン大会遠征、
大学生の兄と姉は、それぞれ何か、出掛けており、
今週木曜に高校受験する、末の娘と夜は久しぶりに
2人で外食に出かけた。

いろんな理由があり、私は家族と30分離れた所に
住んでいる。
生活が安定しないのが理由かもしれない。

昨年は、この子と二人で一度だけ、旅行に行った。
中国地方の都市に、娘の好きなアイドルグループが、
コンサートツアーでくるので、
保護者として同行しただけである。


15年前の震災の瓦礫の残る街で生まれ、いつの間にか、中学を
卒業するに至った。
3年前の小6のときに、この子が精神的に、やんちゃなところも
あるが、しっかりしているので、私は思い切った決断をして
早期退職をした。

妻はずっと許してくれないかもしれないが、この子は私の代わりに、
母のことを見ていると思う。

そんな娘と、最後になるかもしれないが、夕方になって、食事に
行きたいとリクエストがあった。
お決まりの回転寿司と言うのが、切ないが父の経済状態も知って
いるのだろう。
フリマの売上があるから、行こうということで、決まった。

娘を迎えに行き、安い軽自動車を走らせる。
年頃の娘だが、血のつながりは、何より思っているのだろう。
時々ママに言わない、欲しいものを、ねだってくることがある。

ミラの車内の前の持ち主のタバコ残香に、臭がりながらも、
「こんなクルマあったっけ」と、鋭く見ぬいている。

久しぶりの父娘の会話に、妻の転勤に伴い、東京に行くが、
お前はそのまま大人になって、東京で就職してしまうかもしれないね、
と聞くと、「うん」と答える。

これから経つ月日に驚くより、これまでの日々に感謝したい気持ちだ。
娘を持つ父の喜びを与えてくれたことに。

今週は週末にかけて、私はメモリアルな旅に出かける。
先日お会いした神戸の紳士、父の部下だった人を伴い、山口県へ墓参りへ。
その際には、岩国の叔母も同行してもらい、古い話を墓前でしようと思う。

その後は、母方の一族の墓と、ゆかりの桜を見に行こうと思う。
1年前、850スパイダーがあった時に、訪問した旅行記を、書いた。
あれから1年、また歳をとった。

今度の訪問は、山口市にいる前の前の勤め先の支局長に連絡をして、
久闊を叙そうと思う。大阪時代の彼とは、年齢が同じこともあり、お互い
家庭の悩みなどを肝胆相照らした仲である。
娘とお供のハムスターを連れて、宝塚の家に行き、娘同士も親しくなった
のは、何年前だろうか。車内で、パパの今週の予定を話すと、ハムスターの
思い出を覚えていたのは、娘の方であった。

そうこうするうちに、寿司店に着いた。
暖かい土曜日から一転して、寒夜のせいか店は、日曜日の夜には珍しく
混雑していなかった。

2種類のうどんを注文して、両方わけっこしながら、味見したいと言う娘。
ここは寿司屋と苦笑しつつ、付き合う父。いつの間にか小柄な姉を抜き、
妻に近い背丈まで育ったことに、誰に感謝しようか。

二人の時間は、過ぎて行き、寿司店をあとにする。帰りに本屋に寄り、
この子の好きな「明星」を買ってやることになった。
クルマに乗りこむ。最初は寒いと言っていたが、暖房が効き始めると
「眠い」と言い、黙ってしまった、

助手席で寝ているのか、起きているのか分らない。夜の軽の狭い室内に、
ふしぎな温もりが時間のように広がる。
道路を行き交う車の数だけ、そのインサイドにいろんな物語があるのだ
なあと、ふと思った。
このひとときは、やがて帰らぬ時間と成る。
車のある生活は、誰も知らない、誰もわからない、あなただけの
想い出時間なのである。



Posted at 2013/03/11 09:51:51 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2013年02月08日 イイね!

巨大ケヤキと夕日の記憶

巨大ケヤキと夕日の記憶里山の保全運動の一環として、昨日は炭作りの原材料の
クヌギの木を伐って、その後の処理までしに豊能の山中で
丸一日作業をしてきました。


寒さの方はそれ程でもなく、炭作り教室の一環で、私の方は授業料を払い
山林作業に従事し、山の方からみたら、ただでしかもお金を払って働きに
来てもらっているのだから、こりゃ有り難い話でしょう。
しかし、閑を持て余す高齢者や、これからの自然と環境に興味を持つ人にとり、
僕は英国的にこれは素敵な自然への恩返しと捉えました。



昼食を挟んで朝の10時から午後3時まで、さすがに一日の肉体労働は
終わると身体のあちこちが、少し疲れてきました。
ちょっと真っ直ぐ帰るにも、私の町までは15キロ足らずで、時間も早いので
久しぶりに能勢妙見に上がってみました。



山の上は寒すぎることも無く、広い駐車場には1台軽のワンボックスが来ており
父娘連れが帰ったあとは私1台だけになり、メールの返信を打ちながら寝てしまったり、
夕暮れが12月より大分遅くなったので、野間峠を越えて反対側に下りてみることにしました。

写真の黄色い花はロウバイと言います。
新聞記事で取り上げている頃は、何の感動も無かったのですが、
残り時間の短くなった今は、2月に真っ先に樹に花をつけて、良い香りのする
この黄色い花を見つけると、嬉しくなります。


峠を降り切って野間の交差点に出ると、左折をすれば川西方面に直行ですが、
この樹が見えたので、真っ直ぐ行くことにしました。



交差点の向こうに見える高木は、野間の巨大ケヤキと言い、推定樹齢1000年以上の
老木です。天然記念物にも指定されています。



車を近くに停めてみていると、近所に住まれているであろう男性が、車に興味を
持たれたようで話しかけて来られました。
しばらく車のことを質問に答えたあとに、今度はこの大ケヤキと、この村のことを
聞くと、今はすっきりした風景ですが、長い間、この巨木の下に人々は家を建てて
住んでいたと言うのに驚きました。



今は樹勢がずいぶん衰えて、樹木医がかかりきりのようです。
変な話ですが、御神木を取り巻くように村人が住んでいた頃の方が風よけにもなり、
適当な生活ゴミなどが栄養分になっていたのではと思いました。
私の今のボランティアみたいな環境保全も、自然と人間との共生に戻る運動です。
木の根を人間が踏み過ぎるのも問題ですが、少し考えさせられてしまいました。



ケヤキの回りを回っていると、むこうの方に、何やらバスの廃車体のようなものが
発見されました。



傍に寄ってみると、何とフロントにDAIHATSUのエンブレムが!
これは大発見と、カメラを取り出します。少し庭の一部に入ってカシャ!
勝手に写真を撮っていると声がしたので「ごめんなさい」
ところが声の主は先程の男性でした。
この樹のすぐ傍で自動車販売と修理を長年手がけられているようです。

中にもこんなものがあるので、というので見せていただいたのがこれです。



バーハンドルミゼットは珍しい。でも僕はつい先日のNYMで見たばかりなので
何だかバスの方に気が奪われてしまいました。



これは珍しいです。ダイハツ製のこの型のバスの第1号車だと、言っておられました。
家に帰って資料を探すと、昭和30年代後半の、ダイハツ ライトバスSV35Nという
形式の様で、排気量も2500で合っています。


自動車ガイドブック1965(自動車交通振興会刊)によれば、全長6100、全幅1910、全高2270
WB3200(mm)で、乗車定員25、エンジン形式FD型、ガソリン4気筒2433cc、95PS、トルク
19.5、2400rpmと言う性能で、ゆるやかに能勢の山道を走っていたのでしょう。



その後は、173号線方面に向かう途中で、旧道に入り珍しいダートの峠越えをして
田尻という場所に下りて、今度は左折して川西方面に直行しました。



途中で一庫ダムがちょうど日没の時間でした。



奇麗な夕陽に感動して記念写真を撮りました。
通勤、仕事で行き交う車は眺めることもなく、走り去って行きます。
私はこの瞬間がなぜ愛おしく思うのだろう。
山中で見つけた春の便りと、下手をするとそう長くないのかもしれないケヤキの樹。
春になるとアオバズクが来ると、自動車のオジサンは教えてくれました。

そして北摂の野山をかけたダイハツ車たちのこと。
なんだかちっぽけなことを、大切に生きていたい命たちが、この里山周辺に生きて
きたのです。

今度の23日には、ダイハツのヒューモビリティワールドが、久しぶりに公開見学の
申込に受け付けています。
私は午後はボランティアの、子供教室に重なっているので、出来れば午前中の見学を
行きたいのですが、どなたか10時に池田に来られる方は、おられませんか。

可能であれば見学を申し込みたいと思っております。



Posted at 2013/02/08 14:59:53 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年01月29日 イイね!

NYMから帰ってきて

NYMから帰ってきて無事に戻りました。
大阪ー東京、帰りは中央道周りの山梨県経由です。

本格参加を開始したのが1993年のパシフィコ横浜時代以来ですから
もう満20年になりました。



当時、少し前にモーターレビューと言う雑誌があって、神宮の森時代のイベントに
白の850クーペが出場していることを知りました。



同じクルマの情報を求めるために、参加するのが1番だろうと、
1993年の1月、1歳になった長男を連れて初めて横浜ニューグランドホテルに一泊。
ホテルの窓の下を走る850クーペに、嫁と狂喜したのも思い出です。



あの時のニューグランドの1階には、「祝皇太子殿下ご成婚」の記念幕が、張り巡ら
されて、日本はまた、これから景気が良くなると、国民は半分本当に信じていました。



朝食も慌ただしくパシフィコ横浜に駆けつけて、目当てのクルマのオーナーさんに
対面。自己紹介して、私もフィアット850クーペに乗っていますと、ご挨拶。
そこから長いクルマ人生の大事な柱が、1本立ちました。



翌年は絶対出るぞと、エントリーしたものの、風邪で発熱して、自走は断念。
新幹線で二人目の娘も連れて、一家で上京しました。新幹線・グランドひかりの
食堂車で、悔しさの溜飲下げるディナーを摂った記憶が残ります。



あけて1995年、今も残る幻のエントリープレート。
それは12日前に発生した阪神大震災で、借家の我家は、あえ無く半壊し後に全壊の
認定が出る被害に遭いました。参加それどころでなく、避難所で迎えた当日に、
私は何を思ったのか。850が市内でも倒壊の無かったマンション駐車場で無事だったから、
また来年こそ出ようと思ったのでしょう。この時のプレートは代わりに見に行ってくれた
友人が代理で貰ってきてくれた貴重な記念品です。



満を持しての正規デビューは1996年になりました。この時は横浜までクルマを
運送してもらい、家族4人で横浜市街をパレードした記憶があります。でも帰りの
途中でクルマが壊れて、エンジン直結。妻に押し掛けさせながら西宮まで戻りました。

それからエントリーできない年は、たいてい電車で見に行くだけの参加と、年明け
旧正月の定例行事になりました。



とんで98年は、横浜時代の最終回です。日本はバブルが完全に終わり、前年に銀行と
証券会社が枕を並べて破産して、横浜のパシフィコ地区の開発もランドマークタワーに
妻子が上って、絶景を楽しみましたが、私は日本は大変な時代になるのだろうなと予感。
しかし、旧車の世界は、何だか不思議な空気で盛り上がっていました。
当時は土日2日間の開催でした。



2001年、もう小泉内閣時代です。いや発足は森政権が辞任後ですから直前か。

久しぶりにエントリーしたのですが、クルマの整備はずぼらで、ただ4台の旧車に
乗っていただけのつけは、自走して走る土曜日午後の東名で起きました。
まずはセルモーターが故障。それから岡崎付近より降雪が始まり何とか、神奈川県内
まで、同乗者の押し掛けで辿り着いたのですが、藤沢市内は走るのがやっとの積雪量に
なりました。泊まった宿のタワーパーキングから翌朝出すのも大変で、東京の友人が
もう一人駆けつけ銀世界の横浜新道を通り、目黒のカーブで前夜立往生の都内の
自動車群を横目に、レインボーブリッジを凍えながら渡りました。

というのも、右側の窓硝子を支えるワイヤーも切れてしまい、落ちてしまったのです。



寒い会場に着いたのは11時台。この年は本当に大変でしたが、どうやって帰ろうかと
本気で悩みました。一番上のアバルトの写真の横に立っているヤジマさんの所に預ける
ことを検討中している最中に、東京の850乗りの友人が終了直前に現れて
「僕の所に部品がありますよ」「今から僕の家で修理しませんか」



ほんとうに地獄で仏にあった気分でした。
夜の入り口から真冬のガレージで、私の車の下に二人潜り込んで、夜間9時過ぎに
修理は完了しました。その夜も目黒区下馬の彼の家に泊めていただき
丁重に御礼を言って、翌日の朝、東名に乗って関西まで走って帰りました。
雪は静岡あたりで、もう溶けていました。



この時に何事も無かったように、京都から来ていたバークレーの方と、後に知り合い、
魔術を聞くと、徳島港発のフェリーで来ていたということを知りました。

2002年は関西の友人紺の豚氏らと、船旅で3人で来場しました。
帰りの船が結構しけて、下船後もグロッキーでした。徳島の親戚宅で、休んだほどです



2003年も多分フェリーで、2004年までフェリー道中が定例になりました。
しかし船は時間が19時間近く掛かるのと、瀬戸内航路に比べてアメニティーが無く
高価なので、この年が最後になったと思います。



その間何度か来ていると思うのですが、近年は曖昧な参加になっていました。
2009年には一度だけリトモアバルト125で自走して、出場しました。
この時に洋楽さんのオペルをパレードでカーチェイス。しっかり知り合いの女の子を
助手席に乗せましたが。パレードはSP・SRクラブの協力撤退でこの年限りになりました。



前の会社を辞めた後、2010年の参加は、久しぶりの850クーペ自走で、2001年の
時に行きの道中で散々迷惑を掛けた後輩君を、誘って一緒に行きました。クルマを
前もって点検整備して、慎重な参加になったのは、この年からです。



2011年は前年の秋に850クーペのエンジンを溶かしてしまい、久しぶりに車の無い
参加になりました。ただこの年は、みんからのお仲間たちと初対面して、盛り上がり
また、会場でちょうど、「エンジンが直りました」と嬉しい知らせを貰い二重に
喜んだ年です。



そろそろこの20年の回顧記は終わりです。2012年はクラブエントリーを提案しましたが
実現できずに個人で参加。雪の中を走ってイタリア車がテーマ車だったので、勇躍参加
したのですが、一回だけの参加の、物珍しさだけのコレクター車に、プライズは行って
しまい、審査員なんて何も見ていないのだなあと、批判めいたことを書きました。



しかし、今年はクラブスタンドの出場が叶ったことは、20年目の850乗りとの
出会いからの悲願達成だと僕は思います。
私の展示車を、コンテッサクラブの超ベテラン氏が、普通のままで、生活に使われた
感じを残して、いやみなピカピカにするレストア感が無いのは、本当に素晴らしいと
最上級の誉め言葉を、友人に伝えてくれたそうです。それだけで佳しと思いました。



長い間、何の勲章ももらわずに黙々と我家の、一風変わった生活のために走り続けて
くれたこの車に、また来年も乗って、この会場に帰って来ることでしょう。
たくさんの仲間に応援されて、ここまで走って来られ、また明日からの関西での日常に
使われ続ける私の車に、出会えたことを、本当に良かったと思います。
ご愛読、ありがとうございました。

Posted at 2013/01/29 17:11:17 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
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2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

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2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
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