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kotaroのブログ一覧

2013年01月06日 イイね!

2013年の乗り始め

2013年の乗り始め4日の昼過ぎに、調子の維持も兼ねて
850を小さな市内の中で走らせてみました。

昨日の記事に多くのコメント寄せられて、感激しています。
もう少し書き足したいこともあります。
本日は天気も良いので、その前に少し走って来たいと思います。

少々のお待ちを。



私の現在住む市で一番の高台にある住宅地に上がってみました。





芦屋とか、西宮の苦楽園なら、こういう山手の一番上は、超高級住宅地として
成立するのですが、宝塚も、西宮名塩の方も、現在はそれほど高い値段で
流通していないようです。ここも住人が減っています。

この眺望、大阪の摩天楼中心街も遠望できる素晴らしいロケーションなのに。
どなたか1億円くらい稼いで、我が市に移って来られませんか。



反対に駅から5分の昭和初期の私の長屋は数百万でした。
そこにずっと甘んじると言うと、他の住人に失礼ですが、付近は空き家だらけです。
これから猛烈に働いて、この山の上に数年間でも住んでみるか。
そんなことも考えさせられた、今年の初ドライブでした。

バブルは遠くになりにけり、と言っても、時代は繰り返すと言う
ことわざもあります。

Posted at 2013/01/06 11:55:14 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年01月02日 イイね!

寒しろに振り分け見れば雪ぞ降る

寒しろに振り分け見れば雪ぞ降る
ようやく新年が訪れました。

抱負とか、前年の反省などを記していた
頃が懐かしく、今は反省するような悪い
コトもしていませんし、この身体が、何時
くたばるかという急ぎの心配もありません。

「それにしても」と引用するような大事件も、
昨年の紅白やレコード大賞が大ニュースであった、
1970年代が懐かしくも、それ以上の感動も無い
時間が流れ続けているのでしょう。

ここの場所は自動車とその周囲の話題で繋がるサイトです。
これが案外一番正月から難しいお題かも知れません。

今年も最初から重いテーマはありません。
有事や国防を先に言っておき、人目をひいておいて、実際に
先に手を就けるのは国交と経済と言う順もわかっている宰相
(とその周辺)で良いと思います。

ネトの人たちは、かつぐ神輿や大義に目を失いがちですが、大義の前に
本義があります。家庭を大事にしたり、自分の生き方を犠牲にするような考えは
撞着しているのかと思うのですが、きょうくらいは、いやさか営々御祝い気分で
いいでしょう。

今年の行き方(生き方)は、ハップハザードで行こうかと思います。
直訳は「行き当たりばったり」になるのですが、日本語のネガティブなイメージ
でなく、修練を積んだ人間が底力でみせるアドリブという意味もあり、
あまり悲観的なニュアンスはありません。



さて、クルマ社会の今年とこれからですが、劇的な変化は当分無いように思います。
全部電気自動車になるとか、子供の頃に見た空飛ぶ自動車=エアカーになるような
画の世界とか。
それには主に二つの理由があり、一つは21世紀に入り社会のモダライズゼーションが
急速にスピードが落ちてブレーキがかかるようになったこと。
もうひとつが法規制などの網が、ネット社会になり文字通り、その言葉の意味である
監視社会や自由行動に対する掣肘がきつくなり、思い切った変革が進めなくなったことが
背景にあります。

電力の自由化であっても、これだけ発電方式にまで「神の段階」まで溯って原罪感に
包まれるのであれば、簡単に自動車も、代替動力に置き換えにくいと思うのです。

そういう自動車社会でありますが、欧米では早くから未来の志向を探してコモンレール
ディーゼル方式や、排気量の小型、高圧縮型化、もしくは空冷方式の見直しなどの
試行を10年ほど前から探しています。
当ブログで、言及した2012年末ギリギリのトヨタ・クラウンの発表が、日本における
新しい取り組みの傾向になるのでしょうか。即ち値下げです。



製造業ほど、開発と発売時期を、間違えたら恐ろしいものはありません。
こんな屁みたいなブログで、のたまわっているのと違い、昨年の家電業界
とりわけシャープとパナソニックの落日は、印象的でした。

5年ほど前のデジタル家電はイケイケで、巨大な液晶等の画面のテレビは
何に使うのだろうと思うくらいに、自らの進化を競い合っていました。価格も
開発が進む度に、何割か安くなることを「良いこと」と謳っていました。
だから設備投資をしました。すでに日本のメーカーは海外流出が進み国内の空洞化
が危惧されていましたので、雇用を守ると言う意味でも、新工場の設立は
経団連や政府レベルでも後押ししていたと思います。


クラウンの値下げは、一方では(消費者的には)歓迎でしょう。
恐竜は何故滅んだか。松下の名を捨てて、パナソニックにしたことは、創業者一族の
支配(呪縛)からの自由(離脱)を意味していました。
私は幸之助氏的な考えは複雑に理解しています。大阪にいると、無批判に支持する
庶民が多くて厭に思う部分。しかし淡路島や、九州の苅田町でも「松下電工の◎●」
と書いた、電材業や防水工事業の商店とも自家ともつかないような、「事務所」の
さびた看板を見るにつけ、「個人の名前一つで、(赤の他人が)一家を営むくらい
の商売が何十年か出来たというのは、、、」と感慨にふけることがあります。

理解者はわかるとおもいますが、松下電産に対しての松下電工という会社は、学生
時代から判りにくい存在でした。住宅機器から浴槽器具、髭剃りまで作っていたと思います。
タコ足配線の悪名も、松下の「特許」ですが、副次的な経営も、幸之助氏時代の
理由があっての「名前貸し」であったと、私は思うのです。

(家族と天満天神で落ち合うことになったので、続きは今夜書きます)。

大阪商人は屋号と言うより個人名を店(たな)に付けるのを好みました。
伊藤忠、塩野義、武田薬品も以前は武田長兵衛でした。
今の時代は店の信用というと、当たり前以前の単なる前提だと思っていたり、
不祥事が起きた時に、モラルハザードや、コンプライアンスと言った横文字ことばで
「わかったようなマスコミの解説記事」で、腑に落ちない解釈や、理由や因果関係を
経営陣の資質に求めることが、非常に多いと思います。
経営判断ミスと、同じように、やむを得なかったと扱われることさえあり、
「それはちょっと違うのでは」と私のようなうるさ型の市民が疑義を呈しても
財界上層部にも、大久保彦左は、まずいてません。

なぜ個人名を店の看板にしたのかというと、創業者の顔に泥は塗れない。
代々世襲をしてまで、店子の面子にこだわったのが大阪商法であったわけです。
だから、商いは三方が徳をするように信用が第一で、松下の名前の付く建材を
扱ってもらえば、無名の会社の製品より1割高くても消費者は選んで買ってくれて
店も儲かれば、卸したメーカーも潤う。その代わりに看板の使用を認めると
いった商法が成立していた訳です。

トヨタも、豊田佐吉の自動織機からメーカー史が始まります。
豊田式の成功があり、沢山の人の繁栄に貢献できたから、次は自動車で民生と軍需に
機械産業をシフトして、社会の発展と企業の増産を目論んだ訳です。その基盤は
成功体験に拠るネームバリューの浸透です。

技術開発先行で、思い切ったメカニズムを採用する日産自動車に対し、トヨタの
印象は、販売に比重を置き、凡庸なメカニズムだが壊れにくい「80点主義」の
クルマ作りと長く言われました。その代わりトヨタのクルマは面白くないという
レッテルも貼られました。



似た図式に、かつての家電メーカーの覇を競ったソニーと松下の構図があります。
技術と先進的な商品開発力で、戦後の日本企業の成功例の象徴と言われたソニーは
いつの頃からか迷走を始めました。
一番顕著な例は、家庭用インターネットが始まった頃、プロバイダーとしてもso-netは
若い人たちの支持を集め、postpetのキャラクターサービスなどで人気を集めました。
しかしCEO制を外国企業の例を参考に取り入れたが、この辺りから不協和音が発生し、
米電機企業のGEが、GEキャピタルで金融を柱にすると、そちらに向かいました。

本来は一番注視しなければならなかったのは、今のアップル(マッキントッシュ)です。
その頃のアップルは不安定で、ジョブズの才能で一発当たれば大成功しましたが、
マイクロソフトの制覇の野望で、一時は存続危機まで追い詰められていました。
iチューンが出た時に、ソニーは音楽コンテンツに縛りを掛けてコピーガードの方向に
向かいました。ソニーが80年代に、空前の収益を上げて成功したのは、レコード会社
CBSソニーが松田聖子らのヒットで、音源、映像とメディアミックスの相乗効果があり、
ソニーのテレビやオーディオ機器が高価で売れたからです。
それは、市中の若者が、カセットデッキでテープにレコードを自由に録音できて、
さらにウオークマンや、カーオーディオで再生して楽しむことが出来たという宇宙が
存在した。造物主になりかけた企業が、イカロスの翼で堕ちたのは、規制でもっと
儲けようと、金融至上主義の方に、欲を出したから、罰が当たったのです。

松下という会社は、名前を大切にする会社だったのです。先に触れたようにこの昔ながら
の大阪商法は、トヨタ商法に近いでしょう。製品的にも少し垢抜けないのと、強気の値段。
性能的にはそこそこの一級品ですが、今の世界環境でいうと、抜きん出た魅力はありません。

もっと幻滅したのは、修理の対応でした。かつてのソニーは技術プライド型の企業でした
ので、修理の対応力は非常に高く、また私のように、パーツだけを取り寄せて、個人で
修理しますというような、機械マニアにも、文句を言わずに応対してくれました。
1980年代いっぱいまでかなあ。
比較する会社の方はいいたくもありません。大阪は城下町だから、直っていないと文句を
付ける方がおかしいといった気配になりかけたことがあります。古い時代のことで
それ以降は買わなくなりましたので、もう良いでしょう。

今夜のお話はそろそろお仕舞いにします。あくまで個人と言っても30年間の体験による
主観に過ぎません。
ただ、技術型企業が腸捻転飛行のような自滅で沈んで行き、名前と全国的な名前貸しで
信用(ひょっとしたら高圧的な取引もあったかもしれません)を楯に商売してはった会社
が、偉大なる大創業者が亡くなった後に、どんどん外堀を埋めて行き、最後はカタカナ
社名に変えてしまい、わずか数年でこの有様です。
私は外野なので無責任ですが、変えない方がと、その時に思ったのは本心です。

幸之助氏には、複雑な評価をする私ですが、あざといが、うまい商売をする商人です。
従業員を首にしないと言う伝説も、とくに21世紀的にはポイントゲッターでした。
町の家電販売店のチェーン店ライセンス販売、大衆食堂のコカ・コーラの看板。
いずれも高度経済成長期には、はまった商売の成功ツールでしたが、今あんまり、
この時代の事を私のように評価する、経済ライターは、寡聞にして見掛けません。
これから書く人は、ここに書いてあると引用していただけると助かります(笑

ソニー社と、パナソニック社の伝統的本質で、企業ガバナンスができなかった理由は
経営陣の迷いで、創業者のスピリッツをほんとうに理解してたのか。そのくらい
商売というのは難しいものです。多分どの会社にも私のようなことを言う「番頭」は
いたのでしょうが、声は届かなかったのでしょう。

また機会があったら、ダイエーの中内功というオモシロいおっさんについて
もうちょっと評価しろ!というようなことを、書いてみたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。クルマのブログでしたね(苦笑








Posted at 2013/01/02 01:55:30 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2012年12月17日 イイね!

日本人とセダン

日本人とセダン選挙が終わった。これも民意なんだろうけれど、
3年間て何だったのだろう。
自民にお灸を据えるためだけに国民的実験をしただけ
だったのか。叩かれ過ぎた民主の人たちは、寄せ集めの
軍隊がいかに戦に弱いかだけを見せつけて敗走した。

関ヶ原終われば東軍の圧勝か。西軍(一応大阪だから)
は悲運の将前原を抱える京都と、兵庫で2議席ずつを死守したのみ。
しかし大阪は19選挙区中12で維新の旗が翻ったのに仰天する。
ここは自公の天下ではない! こいつらは真田幸村かい。

さて、きょうもクルマの話にいたします。

昨日、京都に向かう道すがら、日本におけるセダンとは、何だろうと考えていた。
私がもっとマイナーなクーペに乗り続けていて、申し訳ないのだが、セダンは保守か、
保守主義は古いのか、それとも。

外国でも近年はセダンの退潮をかなり明確に意識する。それは日本やアメリカ的な
自動車のトレンドが、伝統的な生活様式を比較的固守するヨーロッパにも
影響を与えているということなのだろう。

日本はそれにしても極端だ。ワゴンブームと20年来続くモノボックス的なファミリーカー
が下は軽自動車から、上は3500ccクラスのエルグランドクラスまでずらりと占めるように
なって久しい。その影響で、ボンネットとトランクルームを持つ3ボックスのセダンは
すっかり影を潜めてしまった。

平凡な5ナンバーセダンがそんなにいかん(イケてない)のかい、と
かつて乗っていたFIAT131のような四角四面のセダンが恋しくなる。
この傾向はどこから始まって何が理由だろうかと、考えてみた。
写真のクレスタ、マーク2系大流行の頃はセダンは売れに売れていた。

ところが昨日亀岡の峠を越え、京都市内に駒を進める頃、1台の白いクルマが
前方を走るのに、目が止まった。何だったけこれは。そうだ日産プレセア、一応名前は
思い出せる。5ナンバーの4ドアハードトップ、これはきれいな後期モデルだ。



それにしても今のクルマと比べると小さい。それなりにスタイルは、まとまっているが
何と小さなクルマに、「美人」のプロポーションを押し付けたものか。
そうやって思い出すと、カリーナED(エレクトリック ディスファンクションでなく、
笑/エキサイティング ドレッシィの略)から始まった、小型4ドアハードトップ
ブームのことを思い出した。

80年代、当時はまだセリカが元気で売れていた。セリカを86レビンより先にFF化した
トヨタは、カムリとビスタの兄弟を四角くして、やたらと室内広さ重視のセダンにして、
残ったカリーナをカムリと分離したものの、位置づけに苦心して、FFの室内を有効活用
せんと、屋根を低くして4ドアハードトップの論法を持ち込んだのである。

トヨタの4ドアハードトップ(センターピラーレスのこと)と言えば、クラウンにも
あったが、主戦場はFRのクレスタ系である。
まだサイドの安全性がうるさくなる前は、5ナンバー枠でも綺麗なセダンはかなり
作られていた。80年代前半のことだ。ローレルもスカイラインもそこそこ見られた。



ところがトヨタのカリーナEDは、一種のセダンの掟を破ってしまった。居住性空間
を犠牲にした4ドアは「どうよ」なのだけど、売れてしまったのである。
だいたいヨーロッパの4ドアセダンと言うのは、室内以上にトランクがバカのように
広い。フィアット131の広さや、初代2代のゴルフ系ジェッタのでかいトランクを
思い出す。

131で当時、お産のお里帰りの荷物一式、ベビーベッドから蒲団に御祝いのプレゼント
など、ごっそり荷物を積んで、実家と新居を往復していたことを、私は鮮明に憶えて
いるし、ヨーロッパのセダンに「やるなあ」と何度も感心したものである。

その前に乗っていたシトロエンBXは、フレンチの5ドア車両で、セダンでもなく、
ハッチバック車と言うには大きい、フランスによく見られる独特の車種である。
それ程不満は無いのであるが、やっぱり荷室と客室が繋がっているのは、ときに便利
なのだが、荷物クルマというイメージが残る。これはフランスが農業国だし、都心で
暮らすパリジェンヌにも農民の血が流れていること感じさせる。

トランク車には、思い出がある。旧い車であるが、PGC10、スカイラインの通称ハコ
が友人の親族実家に残っていた。欲しいと希望していたら、ある日オーナーである人
が倒れられたので、乗っても良いという話になった。
そこで引き取りにいくと、トランクルームの中がオーナーの趣味で釣道具でいっぱい
であった。
釣道具に、海の魚などが積み込まれたトランクと言うのは、かなり臭いが残っている。
趣味の臭いが染み付いたクルマと言うのは、自分一人で乗っているのには構わないが
やはり家族や他人を乗せるなら、客室に臭いが入って来ない方が良い。これが私が
セダンを勧める理由で、ワンボックスなんかに乗れるかと、よく暴言を吐く理由だ。
まあジコチュウなんだろう。けどたしなみはわかっている。

さてカリーナEDのヒットはすぐに他社に影響を与えた。マツダのペルソナ(写真下↓)と
NISSANのプレセアであろう。

私はこうした本来のクルマのあり方を逸脱した工業製品を見ると「小市民的」と批判する。
最近の日本でよく言うところの「ガラパゴス的発達」というのも、これに近い。




それでもペルソナと言うクルマは面白かった。「走る室内空間」と呼ばれ、80年代的
記号論に乗っかったようなところもあったからである。たぶんと、いうか、のちに
ティアナを出す時に念頭にあったのは、「早過ぎたペルソナ」に対抗する意識であろう。

さて低屋根4ドアハードトップブームは、身延線の吊り掛け旧型国電のパンタグラフ
低屋根改造化のように飛び火して、ついにカローラクラス、セレスとスプリンター・
マリノまで出すに至った。
「これは奇形児だ!」と思ったし、150万クラスで4ドアHTと思って買った人は大抵
狭くて後悔していた。これが日本でセダン人気を下げた元凶のひとつ。






もうひとつは、私はランエボに有ると思う。熱血体育会系エボリューシュナルなひと
たちは、「なんで戦犯なんだ、日本車の良さを世界に訴えた国民的英雄に対し!」と
当然怒られるであろう。それを説明したい。

ご存知だと思うが、ランサーは中庸なセダンを世に送り出し、それにハイパーな動力
性能を備えた高性能モデルを設定することで、マーケティングするのが、本筋であった。
お手本となったのはFIAT131であろう。

最初のA73型では、ごく初期に2ドアのGSRモデルが開発が間に合うまでに、4ドア
モデルをチューンして闘ったことがあった。しかし73年後期から77年くらいまで
主戦機は2ドアGSRである。
その後、少し間が開き、2代目ランサーEXは4ドア専用ボディであったため、ランサー
ターボA173からラリーマシンは4ドアオンリーになった。この血脈が92年の初代
エボリューションから受けつがれ、ライバルインプレッサのように2ドア系を持たない
4ドアセダン=WRCというイメージが長年の間に定着してしまった。




ようするに、平凡で地味で、どちらかというと、鈍くさい印象でも実用的で
走らせるとシャンと走る、それが私の思うセダンの理想である。
鈍くさく無いがブルーバードのP510のような理想的なセダンもあった。

ところが日本では、まず「平凡なセダンは売れない」「平凡なセダンは悪である」
みたいな考え方が、どこかにあったのではないか。
スタイリッシュでも実用的なら良い。しかし4ドアハードトップを5ナンバーの
中級以下に持ってきたのは、これは無理があった。

それからスポーティーセダンも、せいぜいツインキャブ時代やAE86の兄弟の
85だったかな、FFのGTというのがありましたが、あのくらいまではよい。
しかし歴代ランサーの場合はエボリューションモデルが売れたものだから
ノーマルモデルが全く霞むようになってしまった。
運転本位のFRセダンを謳ったトヨタのアルテッツアも、結局評価が後になるほど
落ちて行った。これもFR時代のカリーナGTの幻影(3TGーEUTモデルもありました)
などに引きずられていなかったか。

ベーシックモデルを丁寧に作らないと、何のためのスポーツセダンだか、なのである。
だから私は、131ミラフィオーリやプジョー504セダンが判らないのに、131ラリーだ
シムカもベースを知らなくて、1000ラリーだ。ルノーも8ゴルディーニだって、騒ぐ
のは、どうかなあと思う。



日本のセダンが廃れて行った理由の大きな2つは今日書いた次第である。

後はセドグロ系、クラウンなどの大型セダンの考察もしたいので、いずれ続編を
書きたいと思います。

それでは出航してきます。ボンボヤージュ!






Posted at 2012/12/17 12:01:34 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年11月30日 イイね!

さあ、本日は股旅に

さあ、本日は股旅に少し寝不足で眠いのですが
すっきりと晴れました。
これから広島にいくことにします。
トラップはもう大丈夫とおもいます。
あくまでもトリップですので(笑
Posted at 2012/11/30 09:10:48 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 趣味
2012年11月27日 イイね!

箕面の秋

箕面の秋








BLUTUSの今月号、
「CarLIfe特集号」は、読まれただろうか



この雑誌は、10年前、すごく元気であったが、編集長がGQに移籍して
一時期精彩がなかった。
最近は迷わなくなったのか、都会人へのライフ提案を積極的にするように
なり、また読もうと思う号が多い。

今回は、迷える自動車雑誌に代わり、一般雑誌としては久しぶりの
自動車特集である。

巻頭は、女優、蒼井優の「高速有鉛」みたいな旧車萌えの記事である。
へー、そうだったのか、くらいの感想でも良い。
次発が、「暮らしの手帖」編集長の、ポルシェ911の930型に乗る理由
である。

このあたりで、みんからレベルの人だったら、突っ込みを入れたくなる。
でも私は、一般雑誌の読者目線で読むようにしている。



日本の大半の趣味雑誌が、面白くなくなったのは、「おたく」化した
読者を相手にし過ぎる事だと思う。普遍性が無いということ。
外国人に判るように説明できるか? それはコモンセンスだと思う。

今の日本人はガラケーと言われるように、ガラパゴス化(注、狭い
範囲で独自の進化をしたが、世界的な通用が出来にくくなること)
した価値観が突出し、けっこうふんぞり返ってしまっているような
ところが多い。

判り易く書くことと面白く書くことの両立は、不可能でない。
だがどうも、90年代以降の日本人は謙虚さが薄れてきたように思う。



雑誌が不振なのは、ネットのせいという考えが強い。
しかし新しい読者を、取り込もうという努力を感じる工夫をしている
だろうか。
仲間うちで、わかる話をしていれば、面白い。そんなレベルで留まって
いないだろうか。



雨の月曜日、私は最近乗り込むようになった、ダイハツミラの
磨り減ったタイヤを交換し、そのあと大阪市内に一部乗り入れして、
その後、江坂の東急ハンズにいってみた。

ミラを運転していて、感じるのは、軽自動車は2ドアでちょうど良いの
ではないかと、何度も思う。
我家には同世代のアルトもあるが、こちらは4ドアだ。
乗り降りには便利がいいが、何だか軽の4ドアは、せせこましい。
悪く言うと、車を貧相に見せてはいないだろうか。

旧旧ミラの時代、360ccや550ccの時代よりは、軽自動車の規格は
大きくなり、4ドアも普通になった。
しかし、一人や二人の利用が多い軽クラスは、2ドアで充分だと気付いた。

欧州の話をすると、昨日話題になったY10は2ドアだ。これを無理に
4ドアにすると、非常に見苦しい車になる。元祖ミニも2ドアしかない。
初期のポロやルポも、フィエスタなども2ドアだった。
オペルのヴィータは両方あるが、見た目がすっきりしているのは2ドア車と
思う。


その辺のことも、最近ようやく気付くようになった。
ミラは、小さなクーペに通じる軽快感があるのである。
4ドア車は、運転席より後ろが、付属に着いているような感がある。
2ドア車は、室内空間に一体感が強い。そして前席だけのドアは
たっぷり幅が取っているので、一人でも乗り降りがしやすい。

後部座席に人が乗るときは、20回に1回くらいではないのか。
日本人は不要なものを持ちたがる。
タクシーや荷車と、ファーストカーは違う。

ついそんなことを考えているうちに、新御堂筋の終点に行き着いた。
久しぶりに箕面に来たので、指示器を出す方角を、滝のほうにして
取り替えたタイヤで上がってみる。



今年の紅葉もそろそろ終わりのようである。
風交じりの雨は上がり始めて、遠景の山々からは白い霧が次第に
晴れていく。
きょうはおサルさんもついに見かけなかった。

2ドア車より4ドア車が多くなったのは、コストダウンのおかげだろう。
車はもう、質素な装備のは、カタログにも載っていない。

Lowグレードが無いということは、全体の生活も環境もレベルが
上がったということなのに、降りていく山が無いということが、
今の日本の、不満の多さに繋がっているように、思われて仕方が
ないように感じて、来た道を戻ることにした。





Posted at 2012/11/27 12:58:21 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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