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kotaroのブログ一覧

2012年08月07日 イイね!

ダメな男♪のブルース

ダメな男♪のブルース











ある意味、クルマのことを語ると言うのは、多少の自慢であり、誰かに自分を
認めてもらいたい欲求の、具象化である。

ところで話題と言うものは、ある程度の普遍性と特殊性の狭間にぶら下がる、
振り子のようなもので、普遍の方に振れると陳腐になり、特殊の方に行き過ぎると、誰もついて行けない。

今の時代はかなり特殊な話題でも、集合して盛り上がることは可能になった。
通信手段などの発達によってである。それにより「オタク」という隙間文化も
生まれた。非日常感覚がリバースしたような現象である。



オタクを全否定するわけでないが、これは生産的な要素が最も少ないので、
クルマの趣味世界から離れていた。車社会は長らく、生産産業であり、
数値的目標も絶対評価の大切な基準だったからである。

しかし今の時代は縮小再生産の時代である。中古車がある程度少なくなると、
今度はそれが欲しくなる人がいるように、伸び代が細い時代には異なった
考え方をしていくのもひとつのやり方である。




ということで、昨晩は、車好き4人集まって、その家族も加わり
ちょっとした友人一家の来阪記念パーティーだった。
小学生2人連れての夏の旅、ご苦労様。私にもそんな時期があった。



さて、夏もたけなわであるが、私もつれづれなるまま、変なことを
してしまいました。

そのことは後から書きます。





Posted at 2012/08/07 07:10:43 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年08月04日 イイね!

パソコンが欲しい

パソコンが欲しい時代は、変わっていく。
ワタシは旧人類の中で、比較的新しい傾向がある。

偏見でも無いが、まだゴルフに愛人とか、その辺の
遊びがアソビだと自慢するオジサマは、どのくらい
生き残っているのだろう。

目標は、豪邸にベンツ、フェラーリのガレージライフ。
いや貧乏人のヤッカミと取っていただいて一向に
構わないのであるが、「そんなことって、面白いのか」
と、言うのがワタシの21世紀感覚である。

ワタシは街を歩き、田舎を旅し、日に一度はクルマを
降りてから、酒を飲み考える。

この国のこと、自動車社会の行方、人間社会の様々な
問題、その他家族のことなどである。
勿論沢山の人の人為があるからすべてが予想通り
にはいかない。

旧勢力の押し戻しは、いつの時代でも在り、今は、
原発と原子力で電力会社が、学者と「ムラ」を作って、
必死に抵抗している。
政治とマスコミが汚れた服装で、一緒に言い訳するが、
カッコ悪い者には誰もついてはいかない。

ワタシは常に、その行為は、楽しいか?と考えながら、
本能的に生きてきた。
みんなが楽しそうに見えても、参加しなかったものは、
いくつでもある。ギャンブルや、安っぽい売春、あの頃の
株式投資などである。


パソコンが壊れて2週間になるが、その間は世間との窓は
非スマートな携帯電話のネット接続と、新聞を読むくらいで
あった。さすがにオリンピックが盛り上がるのも知りたいし
パソコンくらいは買いなおそうという気に変わってきた。


静かな夏も良いのだが、パソコンを通じた人的交流や
発見、書くことに対するモチベーションや、人の見方、意見
などにより新たな脳内の細胞分裂も、起こると考えるからである。


この最後の書き直しは、早速買ってきたパソコンで、加筆している。
これからまた、とりとめのない文章を書いていきますので
よろしくお付き合いください。

Posted at 2012/08/04 10:21:31 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2012年07月29日 イイね!

なながつにじゅうくにち

なながつにじゅうくにち







暑い夏の日。1959年という今から53年前の夏の日に、
私はこの世に生を受けた。
今は亡き父と85歳になる母との間に。

昨日から暑い夏の旅に出て、名古屋の旅館で
記念の朝を迎えています。
沢山の友達がおり、いろんな話題に積極的に関わり、
これまで私は生きてきました。

これからはまとめて行く時になったと思います。

何ができるのか、その答えを探す、再出発の日が
きょうで、これから歩いて行きたいと、思います。
Posted at 2012/07/29 09:25:21 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2012年07月25日 イイね!

天神祭

天神祭暑い日でした。非番でしたので夕刻から
大阪まで出て、天神祭に行ってました。



愛用のパソコンを本日修理に出したので、
お盆休みでこのブログを休みます。

皆さまも良い夏をお迎え下さい。


Posted at 2012/07/25 23:16:37 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2012年07月11日 イイね!

或る「小倉日記」伝。

或る「小倉日記」伝。きょうは少し、思い出めいた記述を綴ってみたい。
46年前の1966年春、私は父の仕事に伴い、産声挙げて
まもない北九州市と言うところに転入した。

この全国で7番目の政令指定都市になった100万都市は
小倉、八幡に門司、戸畑、若松の隣接する5都市が合併。
川崎や、千葉と言った都市圏の従属型や、札幌、博多に
仙台、広島と言った地方の雄らが仲間入りするより先陣
を切って、産業の勃興と上昇の機運を背景に戦後初に
誕生した新興都市だったのである。

4大工業地帯の一つとも言われた工業+経済力を背景に、
全国に名の通った大企業の本社があり、多くの新聞社が
九州本社を設置。新設のテレビ局も当時は開設されたのである。

福岡(博多)より北九州の方が、何年間か経済力が大きかった、
そのプライドは、瞬間風速みたいなものであっても、地元に
生き続ける人々には、大きな誇りと勇気、そして活力となったものである。

実際、転入間もない頃、私は小学校に入ったばかりであったが
八幡の中心地である中央町や春の町に、母に手を引かれて買い物に
よく通った。その頃はお昼休みでも3交替の工員(労働者)が
町に溢れ、今と違って彼らも決して低賃金でなくすごく元気があった。
経済水準や、町に勢いが有った頃と言うのは、どこの町でも
3丁目の夕陽のように、家庭のひとつひとつに大きな希望があった
のである。私はその街角で、母と姉と子犬と暮らし、近所のお婆さんや
奥さんたちに可愛がられた。父親は夜遅く、酔っぱらって帰るのが
普通で、朝早くから製鉄所関連の会社に出かけていた。



そんな北九州の思い出は、昭和41ー44の槻田小時代、前半は清田町
の古い家屋、後半は到津(いとうづ)にあった戦前の社宅で母が
「庭付きの戸建てに住む奥様」にやっとなれた今でいう「リア充」
な期間にとどめを刺す。
我家に初めて、「ステレオ装置」が来て、ついに姉のためにピアノが
購入されて、ピアノを弾く娘の横で、母は中流上流の夢を見ながら、
趣味の洋裁で作った変な服ばかり私たちに着させて、せっせと家庭料理
から、洋菓子作りと、目まぐるしいホームドラマのようであった。
でも子供心にも、実に面白い時代であったのだよ。



昭和44年、父に初の海外出張の命令が出て、私たちは板付(福岡空港、
当時は博多からかなり離れた草っぱらの中に存在した)まで見送りに
行き、部下や同僚たちと壮行したのである。
「頭の良い『坊ちゃん』」と呼ばれた私は、さぞかし母の自慢であった
のかもしれないが、厳し過ぎないくらいに、自由に、ただ玩具などは
与えられすぎずに育った。武家の家風というものが、禁欲的だが能力は
自分で伸ばすというふうに決められていた。私は本を読むのと、外の野原
を歩いて動植物の名を覚え、特性を知るのに没頭した。「もやしくん」
だったのかもしれないが、行動力は次第に身に付けて行ったのである。




話は全く転回する。
小倉の町に奈良崎産婦人科と言う医院がある。
そこのドクターは日本中に名の知られた、鉄道マニアであった。
奈良崎博保さん、この名前を鉄道趣味に明け暮れた、中学高校の頃、
頭に意識しない日は、少なかった。そのくらい枕元に置いている
鉄道雑誌に、古くから奈良崎さんの名前は載っていたのである。

つい先日、奈良崎さんが亡くなった報を聞いた。実は私に取り、
趣味界の泰斗でもあるが、ある時に出身高校の大先輩に
当たることを知った。思いを重ねて数十年、面会面識のチャンスも
自分で動かなければ、故郷を遠く離れてしまい、叶わないだろうと、
思い切って数年前に手紙を書いてみた。

まだ仕事が忙しい頃であったので、妻が電話があったことを伝えて
くれたがかけられない。半月後くらいの日曜日朝に電話が有り、
恐縮しながら自己紹介しつつお話しさせていただいた。次に小倉に
帰る際は、お会いさせてくださいと。しかし面会は叶わなかった。
私の忙しさもあったが、やがて加齢のために体調を崩され、一度だけ
こちらから掛けてみたが、もう気配的に失礼だろうと察し諦めた。
それ以来数年になる。

私はいろんな幸運をつかんできた。もちろんその中には自助努力で
念願を達した物もいくつも有るが、今回のように叶わなかった夢の
方が数多いかもしれない。



青春のリグレットというユーミンの詞曲になるうたがある。
あれは恋愛の歌と言ってしまえばそこまでだが、憧れという若い夢を
折ってしまわずに、育てて行ければ、人生は面白いことがあとから
きっと付いて来る。
あの頃の九州の混雑した熱気の中で、一人の者はギターをかき鳴らし
東京へ出て行っただろうし、普通に都会の大学に行ってサラリーマンの
生き方を歩んだ者もたくさんいただろう。
その夢を運んできたのは、電波や文化もあったが、実際に人を動かしたのは
鉄道が大きい。

今は新幹線がトンネルを抜けたら小倉に到着するが、かつては下関で
機関車を「関門トンネル専用機」に付け替え、出た場所の門司でさらに
「九州島内用」に付け替えてわずか5分走ると、北九州の首都、小倉に
停車したものである。
2004年にイスタンブールからパリまで列車を乗り継いで4日間の旅を
したことがあった。国境に付く度に、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーの
検問を通らねばならない。
機関車もその度に付け替わるが、乗っている客車は“スルーで”運転される。
私は何だか懐かしい気分で遠い日の夢を見ていた。

小倉と言う、ありふれた町の思い出を書いてみた。
そんな気になったのも、一人の方が亡くなったことへのレクイエムと
私の心の中にうずくまる、去りやらぬメランコリーのようなものが
いつまでも引き摺っているのかもしれないと、思った。








Posted at 2012/07/11 09:21:27 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 趣味

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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