• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2011年10月08日 イイね!

久々の投稿

しばらくの間、考え事をしておりました。





あっちをたてたり、こっちを建てたりしているうちに、どんどん疲れてきて
自分がなんだかわからなく、なりかけていました。

どっちみちエエ加減なおっさんなのだから、悩むことがアホみたいに
思えてきたので、開き直ることにしました。

ポリシーの問題なのですが、あるようで無いし、無いようであると思います。
言っていることと、実際にしていることが時に矛盾していても
私は感情で判断することが大きいので、「ごめん」としか言えません。

ということで、きょうはユーチューブから、懐かしいCMで昔の日本の
シーンをご覧にいれましょう。
まずホンダN360の改造の仕方です。
ボンネットにスペアタイヤを乗せています。
大型フォグを3個グリル前に入れて、実用よりデザインやムード的な
改造がこの頃は中心でした。

運転も荒いですね。
最後がクラウンのパトカーに捕まるのですが、これまた
4コマ漫画の落ちみたいに、カメラのCMのストーリーに仕立てています。
40年前の時代は、本当にこんな感じだったと記憶します。

今よりずっと自由で、伸び伸びしていたのは、クリエーターや
表現に携わる側であったと思います。
詰まらないですね、今の時代の表現者たちは。
でも、それを、時代の空気のせいにするのも、
いつまでも続けていいものなのか。



中途半端なブログのアップですが、私もちょっとずつ、半歩でも
歩み出すことにしました。
それでは、よろしく、お願いいたします。




Posted at 2011/10/08 08:07:28 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 趣味
2011年10月01日 イイね!

20世紀不良中年の夜遊び日記

20世紀不良中年の夜遊び日記車が手元に来るということは、何歳になってもオモロい。
元来懐疑的な性格の私でも、調子に乗る時は乗ってしまう。

水曜日の日中丸一日を潰した、車検デーも終われば晴れて
2年乗れる喜びが待っている。

翌木曜日の夕方、今日は大人しくしていようかと思ったが、
そうだ、久しぶりに「首都高トライアル」ならぬ
「阪神高トライアルト」でもやってみようと、結局駐車場に行き、
車を高速に乗せて走り出してみる。

渋滞区間が長く、思い切り回せないが、まだ乗り始めて日も浅い。
クーペとの相違を楽しみつつ、850スパイダーを加速していく。
周回道路を一周半して、そうだ、大阪市内で降りて、お披露目も
しようと思い付き、メールを打つ。

お腹も空いてきたので本町で降りて、四ツ橋筋に入る。
たまには「鶴のす」のボルシチも食べたいと、なんと昨日
車検を取ったばかりの車で北新地に突入。
アバンザの回りは駐車場が一杯であったので、四ツ橋筋の
“対岸”に渡り、出入り橋の近くにようやく駐車。

元毎日新聞がここにあったころからの、西洋料理店に入ると
女将は今でも私の顔を覚えていてくれるので嬉しい。

「きょうはもうミンチカツ系は終わり」というので「ラン小」
(ランチ+小ボルシチ)は諦めて、豚定にする。
ほぼ満員の席には、私の隣ではサラリーマンの先輩後輩
2人組が、出て来た料理に舌鼓を打ちながら、「大阪の味」
をしきりに誉めていた。

私がここに初めてきたのは27、8才の頃だから、フィアット850
クーペに乗り始めて、本社に戻って以来と同じくらいの年月か。
そんな気持ちでサラリーマンの姿を、辞めてしまった感慨も
含めて眺めていた。

料理に満足して、未だに値上げをしたことが無い、豚定890円
(ラン小は1000円)を払って、駐車場に戻り、隣の黄色い
ビートルと並んだ姿を眺める。
リアエンジン2台。うーむ。
ところで駐車料金は鬼のように高かった、「40分800円」とどういう
体系なんだか、1600円も取られて、あげくに1万円札では払えない。
コインパーキングというのは、殆どがこのように「間抜け」が経営して
いる。ETCカードと連動させれば、コンビニ迄行って両替するような
愚もないし、その間に値段が上がって腹が立つことさえなかろう。

設置した者は利用者本位でなく金儲け本位の愚者ばかりである。

さて、お披露目の相手は、まだ家に戻る途中とのこと。
向こうもゆっくり食事は摂られたいであろう。晩飯の倍も高い
駐車料金を払ったあとは、いつまでも言っていてもしようがない。
お目当てのレストランに入れたのだから、ここは由として、
時間を適当に潰すには、何が良いか考える。

そうだ、私は家に帰っても風呂が無いのであった。
ということで、隣の福島区なら銭湯はあるだろうと見当をつけると
環状線野田駅のすぐ先の道沿いに発見した。
駐車場は、また高い金は払いたくないし、と見ると向かいに
コンビニがある。石鹸とタオルを購入すれば、30分間停めていても
許容されると判断して、のんびり一風呂浴びてきた。

さてそろそろお披露目だ。
本町のスタバに先着し、カワイイ女の子から言葉をかけられて
オジさんも、若い人の飲み物を注文する。
外のオープン席で飲んでいると、ほどなくローバーP6が到着。
お馴染みの紺の豚氏である。



平日の夜に、何よりもクルマが気になる男二人で、盛り上がる。
路上の2台の前後にいろんなクルマがやってくる。
カワイイお嬢さん二人組の乗ったニューミニのカブリオレは、
後退ギリギリで、接近してきたので、「これ以上近づいたら、
後ろの方から、ズキューン!!」と、身振りで警告すれば、相棒は
「下品で大好き!」と笑っている。
そういゃ、昔ポンテペルレのレース中に、高岡早紀と夫の乗った
TR3を追いかけて、「サキちゃん号追撃中!、あっ、ケツが見えて
きましたで!」と隣の旦那(今夜も隣に座ってる)と無邪気に
「クルマの?、えっカノジョのほう?!」と神聖なレースにも、
不謹慎なふたりは騒いでいた。

その内にミニが帰り、パープルラメの極悪塗装の(ゴメンネ)
ディアブロなんかが、真ん前に来たりする。
まあ「悪魔」なんだから、「コレで良いのだ!」と。
平日の夜というのに、ここは面白いスポットだ。
対岸には最新のフェラーリなんかが停まっている。

僕らはグラフィティ(アメリカングラフィティ)の影響を受けて
育った世代だ。



オールドな2台でここに並んで、今夜は少年に戻っている。
そんな佇まいを、隣の外国人と日本人女性のカップルや
ガラス越しに見ているウェイトレスたちや、本町を通行中の
様々な国籍や年齢の人たちが、面白そうに見て行く。

僕らはいつの間にか、半世紀以上歳を重ねてしまった。
でも、何かを思い出すといつでも、小学校5年の時に見た
「万博」の頃の時代に戻って、長島や、中3トリオの話題で
盛り上がれる。
そう、今夜の主役は1970年式のオープンカーなのだから。
この後は、ちょっと運転をしてみたり、他愛もなく喜んだり。
僕らがオールドボーイと呼ばれる日まで、こんなことが
出来たらいいなと思った。

夜の新御堂を、万博会場のあった方向に向けてひた走る。
夏の季節の過ぎた、9月の風が窓から入って来る。
41年前の「祭り」が終わった9月の夜も、こんな風に
秋を感じてこの車は、走っていたのであろうか。







Posted at 2011/10/01 02:10:29 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2011年09月07日 イイね!

秀太郎君の心象鉄道

秀太郎君の心象鉄道きょうは車のお話ではありません。
この少年と友達になったのは、昨年の五月のこと。
まだ、再び働き出す前のことです。
大学の大先輩が、京都の美山町の一番奥で、
面白い企画をやられるので、泊まりがけで参加しました。

老若男女、いろんな方が20名くらい来てられましたが
先輩のお仕事、福祉や社会活動関係者が大半、
それと我らがD大OBの鉄道好きが数名といったくらいです。

参加者の中で一番若い方、小学生の秀太郎君は大の
鉄道好きで、お母さんと参加されていました。
彼を呼んできたのは、おそらく社会福祉方面の先生で、
S先輩が鉄道研究分野の道でも有名な人というのを
ご存知だったのでしょう。

鉄道マニアのことを少し説明すると、いろいろなタイプが
おります。
乗り鉄、撮り鉄、研究家、
それから模型を作るのが大好きという人がいます。

私と彼と接点が出来たのは、私も少年時代から
人と付き合うのが苦手で、模型ばかり作っていたからです。

今年の夏、小6になった彼から「お久しぶりです」と
メールが届き、お盆過ぎに、個展をやりますと、案内の
葉書が届きました。
「松山秀太郎 ペーパーモデル展」



9月の第1と2の日曜日に、天神橋のギャラリーにて

ほう、どんなものだろうと、早速4日に出かけてきました。

環状線を天満で降りて、商店街を南下していくと、古い建築を改装した
Rギャラリーを、3丁目のauショップの角で見つけました。



ギャラリーは2階です。階段を上がって行くと、ちょうど
ワークショップを開催中で、彼が幼い子どもら相手に、模型の
作り方を指導していました。

「あっ!kotaroさん」と彼が、声変わりする前の高い声で
気づいてくれました。
「こんにちは、久しぶり。きょうはおめでとう。でも先生は、
お仕事の方に、戻ってね」と、続けてくださいとお願いして
その間に私は、展示してある彼の作品を見ることにしました。



これは紙で出来ています。光沢のあるアート紙といった硬い
ペーパーを窓などの開いた部分をくり抜き、何枚も貼り合わせて
作って行くのです。ちなみにこの作品は新京阪のP6デイ100型と
いい、今の阪急京都線に昭和47年頃まで君臨した、日本一の
高速電車でした。

どのくらい小さいかと言うと、これが参考になるかな



旧宮城電鉄の800、今で言うと震災で一部運休中の仙石線を
昔走った電車です。後ろに置いた腕時計の大きさで想像が
つくかと思います。
この窓を一個一個あけ、正確に、特に平行線が狂うと見られませんし
組み立てられないと、完成しません。
こういったエネルギーと能力いうのは、誰にでも出来ると言う
才能ではありません。少年恐るべし。私も昔は、やっていました(笑)

これだけで大したもんだなあ、と感心するのはまだ失礼。
この辺から面白い彼の世界を披露しましょう。



これは自由形というか、自由な発想で作った一連の、架空の
飛行機モデル群です。
胴体の長いの短いの、貨物用、ジェットエンジン付き、
後部水平尾翼のアレンジ、翼から足のはえたの、と
用途に合わせた変更点が面白い!。ちなみにずん胴君は偵察機、
正面の顔が共通デザインですが、これは参考実物があるとのこと。
おいらは戦前のイタリアの電車に似てると思います。
誰かジブリに彼を紹介してもらえませんか。



こちらはスイッチャーといい、入れ換え用の小型機関車群8態。
ディーゼル、バテロコ(バッテリー)タイプ、凸電(電気機関車)、
奥から2番目のスノウプロー(雪かき)の付いたのなんか
ちゃんと上下して、上に上がるんです。
たまらん。
でまた、彼は真性のマイナーなモノ好き。

今回私の方が教えてもらったくらいで、アントという
入れ換え用の小さな動力車のメーカーのことも
その仕組みと空転防止の為の死重の掛け方まで
習ってきました。へへー。



沼尻です。昭和40年頃まで磐梯の猪苗代湖の横を走っていた
軽便鉄道のシーナリー。
恐るべし小学生。
もちろん彼は平成11年生まれで実物は見たこともありません。
でも写真と、想像だけで、これだけの情景が再現できるって
やっぱりジブリだわ。この歳で就職させて(笑)
たぶん「コクリコ坂」でも「湯バーバの館」でもすぐに作って
しまえるでしょう。


個展成功、良かったねー。
この才能を活かして、将来はお母さんを助けてあげて。

彼のこれまでを知る関係者の先生(女性)は私がこういうと
目尻を押さえておられました。
彼は父親を、早くに亡くされているからです。また彼は学校には
溶け込めず、専門の教育機関で学びました。
でも良い先生にめぐりあい、自分を表現する手段をみつけ
小6の夏に、こんな立派な「個展」ができるまでに至ったのです。


「松山秀太郎ペーパーモデル展」はあと1日。
今度の9月11日の日曜日に開催されます。
場所は大阪市北区天神橋3−7−32 Rギャラリーにて。
13ー18時。



狭い会場ですが、よかったら見に行かれてみてください。
人の繋がりが、人を活かす。
ちょっぴり感動をポケットに詰めて、私は会場を後にしました。

Posted at 2011/09/07 07:28:10 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2011年08月27日 イイね!

夏の終わりのプールサイド小景

夏の終わりのプールサイド小景その日は暑かったので、まずプールに行って涼もうという気になった。
家族が転居してから、軽自動車の置き場が無いので、一時借りにずっと置いているが
ここの一日400円というのが曲者である。
で、阪急曽根の駅から歩いて、叔母から譲ってもらったアルト「0万円」を動かそうかと
思ったら、写真のクルマが目に入った。

「おお」、ローバー114である。
まだ生きていたのかと、思わず嬉しくなった。



いいなあ、この大きさ。これなら旧ミニとつがいで飼っていたくなる
キュートさではないか。
僕は偏見や衝突安全性を考えない野蛮人と言われても、新ミニの
大きくなったのは、現代の人の多くが腹が出たのと同じに見えてしまう。
クルマ社会がみんなメタボで3ナンバーなら、1700mmの枠について
考え直すべきである。



アルトを久しぶりに転がして、空港線の下から176に入り、川西〜宝塚と走っていると
今度はこのクルマが目に入った。



いすゞのピアッツア・ネロであろう。GMの販売網でヤナセで販売された
スペシャリティカーである。
50万円というプライスは、ここからどれだけリフレッシュして乗るかという
落としどころの価格である。
1981年の時代の空気を懐かしいと感じるか、今の2010年代にこのクルマが
「クール」に思えるか。それ次第である。
ファッションについて考えてみると、今は車自体にファッション性が薄い。

遊びのセンスは自分の中に持つ、風合いのようなものである。
これから行くレトロな市民プールはすごく安い。
大人400円子ども100円。駐車料金は今は200円であるが
以前は100円で大人料金も200円であった。

子どもたくさん、ボロクルマたくさんの我家では、5万円で買ってきた
オペルカデットに子ども3匹+オヤジでこのプールに行くのが
数年前までの「日常」であった。
きちんとルールを守ったら、帰りにアイスクリームを買ってやる。

お金のある人はどこかのホテルのプールにキチンとした身なりで
レクサスでも新車の何かに乗って行けばよい。
ワンボックスカーは頑に乗らなかった私も、今は軽か。
しかしエアコンは入れずに窓全開。+ストローハット。
これでアツアツ言いながら、プールまでの我慢も良いではないか。

ピアッツアに戻って、1981年の270万円カーである。
BGMは阿川泰子の"Skin do lele"かな。
ほんとうは"Senior dream"がCMのバックに流れていた。
昨日、梅田・NU茶屋町のタワーレコードでこの2曲が入っていた
"Sungrow"がCDで無いか探してみたが、見つからなかった。
その代わり今は五十嵐はるみという女性が"Skin do lele"を歌っている。



夏の終わりのプール、平日の午後5時を過ぎるともう
シーンはこんなピクチャーになってしまう。

さあ水が冷たく感じられてきたなら、もう帰らなくては。
子どもたちの歓声も途切れ雨雲さえ広がってきた。

帰り道、一人でコンビニに寄り霙小豆を食べながら、
涼を採っていたら、940ボルボのワゴンに乗った母子が
飛び込んできた。

子どもを助手席に残したままエンジンも掛けっぱなしで
私の前を母親がコンビニに飛び込んでいった。

一瞬、子どもにせがまれて「冷たいもの」でも漁りに行ったのかと
期したが違っていたようであった。

佇まいのあるFR車を頭から突っ込んで、随分乱暴にも思えたが
大分古くなったワゴンに乗るのも、実家に帰った女性が
兄か父親のクルマを借りているようにも思えて、
一瞬、この子とボルボを巡るシーンを思い浮かべてしまった。

すべては夏の終わりの、宝塚の街角の白日夢である。
2011年の、夏ももうすぐ往く。














Posted at 2011/08/27 13:24:44 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2011年08月21日 イイね!

子ども地車と花火大会

子ども地車と花火大会












町内会の行事が昨日行われ、
その後の夜は、生憎の雨になったが、
花火大会を
知り合いと見に行って来た。




夜空を染める花火を見に行こうと言う気になったのは
50才を過ぎた昨年からである。

「あんなもん、暇なヤツが見に行くもんだろう」と
若い頃の私は、妻に誘われても、富田林の花火も
一度も見に行かなかった。

一度なんかは、妻の実家の藤井寺市に待つ家族の
ところへ行きかけて、阿倍野で時間が早かったので
飲み始めたら、だんだん人が多いのに腹が立ってきて、
「もう行かん!」と電話し、梅田に戻って酒を飲んで家に帰ってしまった。

なんでこんな人生を台無しにするようなことばかりするのだろう。

夜勤明けで2.3時間しか寝てないのに、目がぐるぐる回る
ような暑さだったうえ、南大阪の雰囲気に呑まれるのが
死ぬほどイヤに感じてしまったのかもしれない。

これが北摂の池田の花火大会だったら、あんな妻の顔に
泥を塗るようなことは、おそらくしなかったのではないか。

とうとう私には家族から旅行に行こうなどと言う時に
全く声がかからなくなった。
今年のお盆には、妻は実家の祖先の地である徳島に
阿波踊りを子ども連れて見に行ってきた。
普通にお盆休みが土日にあったが、私は無関係で
暑い二日を、家で過ごした。


何と言われても仕方がない。

そんな私も角が取れて、飼い馴らしの綱がつけられて
「携帯電話」というものを持つようになったのは、ようやく
昨年からである。



夜空に広がる星のような光を見上げていると
一つ一つの灯りが、一つずつ人間の人生や
家庭に思えてくる。


「上を向いて歩こう」 「見上げてごらん夜空の星を」
まさにこんなシーンのときに、真っ先に思い出す歌を歌った
坂本九は、1985年8月12日の航空機事故で、本当に
夜空の星になってしまった。

私の住む町の近くに或る大阪空港に、降り立つ筈であった
510余名の人たちは、あの日、いつまで待っても
到着ゲートから、出て来なかった。

その年に社会人になったサークルの後輩も、一人である。

同じ大学の現役アイドルであった吹田明日香さんの
お母さんも、豊中の家に帰って来なかった。
あの年にこの花火を見た人たちは、きっと同じ思いを抱き
夜空を見上げたことであろう。

私の京都の下宿で、燃えて身を焦がすような暑さの中、
葬儀帰りの仲間たちと五山の送り火をテレビで見た。





物思う月、8月が去って行く。
朝からの瀟々たる雨に濡れ、古い甍も、黒い緑の
木々の葉も、雨に濡れて立っている。

「黒いオルフェ」のテーマがふと耳をよぎる。
そう、この曲の現題は「カーニバルの朝」(Manhã de Carnava)
といって、こんな雨の朝のために聞く曲なのである。


さらば、夏。
ろくでなしたちの人生に、やがて
雨の季節がやってくる。







Posted at 2011/08/21 13:58:21 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 暮らし/家族

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation