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kotaroのブログ一覧

2018年09月29日 イイね!

心の渇き

心の渇き新潮45事件が起き、今年は活字メディアの衰退と
限界を痛切に感じる年になった。

こと細かなことは論(あげつら)わないが、
あれによって、対立する考え以前の感情が、文字に
書けないくすぶりとして、しこりを残すだろうと思う。

このところ、「平成最後の」夏と秋と、よく呼ばれる。

今年は地球の環境が、猛烈に変わって来て、
シャレにならない温暖化や高熱。

そして死ぬことは避けるようにと、
冷房の使用を呼びかけるので、ますます傾向に今後は拍車がかかるであろう。



きょうは仕事で、住宅街を一日歩いていた。

何を感じるかと言うと、日本の社会の緩やかな「死」である。

平成最後の年に、ふさわしい話題は多くの有名人の死であったり
するのだが、それ以上に、80年代も90年代も、もう遠い過去となり
その時代を代表した文化や記憶がいま、「死んで」行くことを
的確に感じる時代となった。


今日は久しぶりに、初代のプリウスを動かして、車庫入れする場面に
遭遇した。今見ると小さい、ハイブリッド元年の車は、もう殆ど残っていない。


きゅるきゅると、あちこちから軋み音をさせているプリウス1は、
最後の電気モーターで民家の奥に収まる時だけ、ロボットの表情になる。

ロボットが目を閉じると、ほんとうに死んだみたいに動かない。

ガソリンエンジン車は、停まった後も「カチンカチン」熱気冷めのボンネット裏の
油と水と、電気のひく気配があるが、そうか、こんな古げに見えるクルマが、
こんな眠りのつき方なんだと思うと、なんだかものの哀れを感じて
涙ぐみそうになった。

秋の日の下で、日中の気温が上がった時間だけ飛ぶタテハチョウのようである。





私だけが感傷的な、こんな文を書く傾向なら、それは個人的なレベルなんだが、
もう自動車については、文化以前のレベルに遠のいたとよく感じる。
街を走るクルマを見て、感興や喜び、憧れなどが皆無になったからである。

老人文化社会になったからだけであろうか。

まだポルシェや、ランボルギーニだってたまに走っているではないか。

と言われても、ああなりたいという、気持ちの中に泡が立つような気分は
私のような半分老人どころか、若者の方がもっと冷めてしまっていると思う。

自動車会社も、販売する店も、もう買い替え需要だけで存続しており、
それが無くなったら店仕舞いのタイミングを見計らっている。

商店街のシャッター店舗の時間が、すぐそこに来ていることは確実だし、
自動車に乗らない、持たない時代のために、都心にみな戻り出して時間は
10年近くになった。

あとはどうしても必要な、山間部の田舎の暮らしのための道具は残るだろう。
しかし無惨なのは郊外である。

郊外に家を建てる必要は、何か、時代の方程式であり、人口の増加+移動が
必然であった半世紀弱の、生活様式だったと思う。

電車で通う郊外の概念に、モータリゼーションが戦後に乗っかり
「郊外」の概念は平成の頭まで、うんと広くなったが、もう終わっている。

平成初期くらいの開発された千葉辺りの不便なところが最も酷く、
もう誰も住まなくなる時代が近い。

平成の30年の重たさは、そこに死を伴った過去形(過去景)が見えるからである。



都市近郊のニュータウンはもう洒落にならないし、新しい戸建ての家が増える
スピードよりも、既にある家が老朽化する速度の方が早い。

そしてそこにあるクルマの風景は、新車が並ぶことは希になり、ガレージの奥には
高齢者が買い替えることを忘れたような、引退しそこなった、時代遅れの
ずれたクルマが座っていることが多い。

国が政策で買い替えを進めることを描いた、税制のしくみが頭打ちになっている。

私のような旧い車に乗るものにとり、悪政以外何ものでもなかった、
車齢13年目以上の増税は、買い替えもできない低所得者層の自動車離れを
引き起こして、業界トップのトヨタの会長が、緊急提言する状態に陥っている。

いやもう終わっていると言うか、こんなことをすれば最後に自動車業界に
“ブーメラン”が返って来て刺さることは判っていた筈だ。

今日のような、電車の走る沿線でさえ、クルマは風景の一部や主役で既に
なくなっている。
クルマは要らないから、嫌悪や反感、高齢世代のおぼつかない利用には
完全に憎しみの対象になりかけてしまっている。一種の公害である。

それは、社会の中の構造的な問題で、社会富は、先に所得した年代に多く回り、
後の世代になれば成る程、割を食うと言った図式が、誰の目にも明らかに
露見したからである。




さあ平成が終わる。

ものすごく、たくさんのことが間違って行って、後戻りが出来ないような
何とも悲しい30年だったかもしれない。
特にこの末年あたりで考えたことは、無理もできないし、新しいことも出来ない。

ただ、昭和は疾うに終わっていたはずだが、昭和の時代の面白かったことだけは
覚えている。

最近、旧い写真をスキャンして、見ることが多い。
そこには何か、まだインスパイアされる刺激が今でも見えたりするような気がする。


私は齢をとったし、後は何をするかの時間の問題のような、人生なんだが、
まだ多くの「昭和遺物」を引き摺って生きている。
2、3日前にも、レコードのイベントをやったところである。

別に真似をしなくて良いが、平成のプロダクト(生産品)がポンコツやスカタン
ばっかりが多いなら、もしかしたらヒントは、私の暮らしの中にあるのでは
ないだろうか。

面白いを発掘する。そんなところから探してみたい。



Posted at 2018/09/29 06:03:34 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 趣味
2018年09月17日 イイね!

水景 奥宝塚西谷大池にて

水景 奥宝塚西谷大池にて






9月1週目の日曜日です。



これもフィルム撮影です。




場所はここです。
釣り堀とレストランが一つになり、とてもノスタルジックな
雰囲気が味わえます。

Posted at 2018/09/17 10:15:08 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2018年08月04日 イイね!

盛夏2018

盛夏2018暑中お見舞い申し上げます。

自動車に関する記事を書こうか、思いとどまっているうちに
大変暑い夏になりました。

Posted at 2018/09/16 16:30:57 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年06月11日 イイね!

ウオーミングアップに、何か書いてみる。

ウオーミングアップに、何か書いてみる。最近、若い人が書いた、最近の社会とクルマにまつわる(若い人の)分析が面白かった。
こういう社会構造になって、何が進んで、何が無くなって行ったのであろう。
「進化」と「退化」という構造ワードが、額面的に受け入れられていた時代は、とっくに終わっている。





こういった社会が始まったのは、21世紀に入ってからであるし、1990、80年代は
それぞれ違った時代の空気が、人間たちを動かして行く契機や、原動力になり、
自動車は一緒に走っていたと記憶する。


でも、この流れで書くことは、今日は止めておく。

21世紀に入って間もない頃、2001年9月11日に、衝撃的な映像が流れて
世界の70億の人間は言葉を失ったことがあった。



20世紀に人類は、様々なことがあったが、その長い時間が終わる頃に
冷戦が終わって、ものすごく楽観的な未来を、大半の人類は描きかけていた。

その眠りを吹き飛ばし、21世紀が多難で、憎しみと恨みの時代の幕開けの
時代にしたことが、この出来事であった。

この時から17年が経つ。
多くの命が瞬時のテロで失われたが、記憶は風化する。
私は当時もジャーナリズムの仕事であったので、いろいろなことを考えたが、
その後の人生も振り返りつつ今日は書いて行く。

一番失われたことは、世界に君臨していたアメリカのの「自信」というものでは
ないだろうか。国際社会に対する睨みといってもよい。

当時は、大統領がクリントンからブッシュジュニアに変わった頃である。
クリントン時代から、イスラム圏とのテロ爆破は、外地では被害があったが、
まさかニューヨークのど真ん中で、富の象徴が破壊されることは、誰もが想像
出来なかったし、これにより傷ついた「威信」は大きかった。


それまでの例えば日本人の若者が抱いていたアメリカのイメージは、
コカコーラと、ジャズやアメリカのロックといった音楽などの文化で、世界をリード
する憧れの国でもあった。



そんなアメリカの“正体”を、戦争が産業の国家と、暴いてしまった9.11テロは、
若いエイジ中心に、アメリカに対する心象をすっかり変えることになってしまった。

そこからの歴史は省くが、イラクとアフガンにした報復措置は、アメリカが持っていた
評判価値を、かなり落としてしまい、世界の見え方を変えてしまったかもしれない。



一方で、日本があり、中国があり、ヨーロッパやロシアがありの、世界地図も
随分形や描かれ方が変わって来た。

私はそんな21世紀の前半、四分の一弱を生きて来て、もっと愛おしい社会を
作っていかなければ、どうしようもないと、日頃常に思っている。

コンピュータ社会が、ここまで進展したことは、時代の要請、趨勢としても、
どこかで基本単位として、人間を忘れないで欲しい。

機械が弾き出す数字や、伴う経済に、眩むといったことがとうに当たり前の
麻痺感覚の時代を歩んでいる。

そういう時代に、個人単位でものを考えることは、もの凄い無力感に囚われる
のであるが、過去に世界を動かしたものは宗教であり発明であったりする。

それらは個人の過去のパワーが存在し、今も存在し続ける典型なのではないか。

今は人工知能が人智を超える瞬間が、やがて訪れ、神が人間を作ったと言う
宗教の寓話に例えることが、流行っている。




この“神々の黄昏れ”の時代に、旧車に乗って、遍路のような旅を続けながら
私はこの国の片隅で今日も生きている。

今、必要なものは、安らぎと祈りと。
明日はいよいよシンガポールで歴史の転換が始まることになるであろう。

アメリカがすっかり変わったことが表面化して、21世紀のこれからは、
世界の人類は、どこにリスペクトを探していくことになるのだろうか。

私にとり、愛おしいものは、クルマに乗れる残り時間だけなのかもしれない。



Posted at 2018/06/11 15:16:59 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2018年06月06日 イイね!

たられば方法論

たられば方法論数年前に若い人と、歌謡曲研究会みたいなことを
試みたことがあった。

盛り上がりましてねー、
結局何も生まなかったみたいだったけれど、
一時は、モノホンの元アイドルを、呼べることが夢、
みたいな興奮に包まれたことが、あった。


新しい時代というのが、必ず来ていると思う。

そこで21世紀の中盤に向かって、何ができるようになったのかは、
AI(人工知能)の進展と言う「お題目」ばかり、新聞やニュースで、
連呼されているが、いまひとつ親近感が無い。

私は技術、テクノロジーの進化の仕方の中に、一定の法則性を
見つけるのが好きだ。

前回の投稿で、若い人が、生まれる前のことや、それに近い文物に
興味を示し、自分たちの「嗜好」に取り入れることを書いた。
これが、従来ならアナクロとか懐古趣味といった、言い切りで終わったのと
どこが違うのか。

技術サイドから見てみよう。

オーディオ装置が発達してブームになった時代は、1960年代後半から80年代
だった。そして90年代移行は、マイコンからパソコンになって発達した
コンピュータ技術が、樹木の周囲に生えて、音響や音源の範疇も取り込み
始め、今は一部はボーダレスや一体になったことは、わかるであろう。

音楽は今や、スマホの中でyoutubeで見たり、その前はiPhoneの土台と
なったiTuneが、音楽の使い方革命に大きく貢献をした。

この時に日本のメーカー、ソニーやレコード版権を持つ会社等は、
身構えて、知材の権利が失われる「防衛」ばかりに走ってしまい、
完全に、ユーザーの方を向くことを忘れて奔走し、今日の落日を迎える
結果となったことは、教訓だと思う。





いまは、“ネットサーフィン”の時代は終わり、「テクノロジー縦断(サーフィン)」の
時代が来ていると、私は思う。
とりわけ、「タイムマシンの時代」に近いと思うのは、従来の記録メディアは、
音楽だけ、オーディオソースだけの再現性に優れて発達して来たが、
今は、自室のパソコンの画面で、過去の出来事も動画が残っていると
かなりリアルな体験が出来るようになった。

VRの発展により大きく変わったのは、過去のものに対するアプローチの方法論
だと思うし、逆に過去のものの再現性が、ぐっと現実に近づくという、奇妙な
「現象」が起こりうるようになってきた。
奇妙なは、そろそろ取れてもいいのではないか。



1978年4月の「キャンディーズさよならコンサート」を、私は行けないので
九州の家のテレビの前に座って、カメラで「歴史の瞬間」を何枚かフィルムに
写している。
こんな、当時は無力な少年の行為も、今では探せば動画で見ることが出来て、
「40年の時空間」は、あっという間に、遡れる感動を、何と言ったらいいのであろう。

                ◇

私は、これからはトランステクノロジーの時代が、来るのではないかと思う。



これは、子どもの時に写して、出来上がりのあまりのひどさに落胆した写真の
1枚であるが、「ぶれ」には法則性があるのだから、一個一個の粒子の
“間違った”動きを定点に戻せば、きっちり被写体の再現できた写真が復元できる
のでは?と、当時から空想していた。

今やVRの技術で、モノクロ写真を色感豊かに「カラー化」することは
近年の進歩で可能になった。

                 ◆






これは、1985年にワーナーパイオニア/サンミュージックからデビューした
橋本美加子というアイドル歌手の、当時の映像である。

WPだから明菜のお金があって、事務所も良かったから、そこそこ良いスタッフで
売り出して、結果的には失敗したが、歌唱力もあり、“アイドル性”が無いのが
今見ても判るが、私も忘れてしまっていた、歌手の一人であった。

実はその前に、こっちを偶然見つけて、驚いた。





近年の撮影と思われるが、「とっくに歌手を辞めた」本人が、街角のカラオケ
ボックスで、自分のアイドル時代の歌を見つけて、悦にいって歌っている。

しかも、現役時代より、いきいきしていてうまい。

さらに本人が、こんな動画を公共の場にアップしていることに気付くと、
なんともオモシロイ時代になったと思ってしまった。



私が考える新時代の趣味(アソビ)というのには、例えば不可を可能にしてくれる
こと=ドラえもんタイプの空想だが、


昔アイドル歌手が好きだった。

音楽に合わせて演奏したり、カラオケで歌うことは今でも楽しめる。

30ー40年経ってしまい、齢をとって、人生を諦めることが多くなった。

そんな時にふと考えたのだが、VRで自分を当時の空間に入れて、自分も若甦り、
当時のアイドルと、一緒に“共演”する。

まずこのアイデアは、映画くらいでできそうである。

アメリカの映画には既にありそうかもしれない。
間違っても“黄昏流星群”みたいな、しわくちゃな元アイドルは抱きたくない。(笑)

弘兼憲史の漫画には、下の方の話がつくのがお決まりだが、それはちょっと
こんにちの熟女AV関係者に任せておこう。


きょうはこんなくだらない、考えを開陳したのだが、これからの趣味、アソビの
軸の中に、「時間」が必ず入ってくると思う。
実際、「歴女」ブームなんて、何が起こっているかというと、時空間的VRを
今のところ、平面的なビジュアルで、カッコよく空想し始めて、盛り上がりだした。
その前に「戦国バサラ」のようなゲーム(空間)がある。

ところで最後に本論を語ろう。
私にとっての旧いクルマの維持は、やっぱり発想の自由をもらうためのアソビ
なのである。
しかも私の850クーペは、新車当時のカタログデータの、最高速が今でも出せる。

整備性の良さで、当時より上かもしれない。

昔のあらびきな芸能、音楽、文化に対して、今ならこんな修正がかけられる、
いや、やり過ぎは野暮とか、そんなセンスこそが21世紀の嗜みや、わきまえだと
思う。

ここから先の自動車を使う遊びは、ますます上級度が要求されて、
家元のような人が出てくるかもしれない。
単なる金持ちのラフェスタ参戦をみても、私は勃たない。
出てこい家元、そんな時代を愉しみに、寝て待とう。




Posted at 2018/06/06 11:57:26 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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