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2018年06月11日 イイね!

ウオーミングアップに、何か書いてみる。

ウオーミングアップに、何か書いてみる。最近、若い人が書いた、最近の社会とクルマにまつわる(若い人の)分析が面白かった。
こういう社会構造になって、何が進んで、何が無くなって行ったのであろう。
「進化」と「退化」という構造ワードが、額面的に受け入れられていた時代は、とっくに終わっている。





こういった社会が始まったのは、21世紀に入ってからであるし、1990、80年代は
それぞれ違った時代の空気が、人間たちを動かして行く契機や、原動力になり、
自動車は一緒に走っていたと記憶する。


でも、この流れで書くことは、今日は止めておく。

21世紀に入って間もない頃、2001年9月11日に、衝撃的な映像が流れて
世界の70億の人間は言葉を失ったことがあった。



20世紀に人類は、様々なことがあったが、その長い時間が終わる頃に
冷戦が終わって、ものすごく楽観的な未来を、大半の人類は描きかけていた。

その眠りを吹き飛ばし、21世紀が多難で、憎しみと恨みの時代の幕開けの
時代にしたことが、この出来事であった。

この時から17年が経つ。
多くの命が瞬時のテロで失われたが、記憶は風化する。
私は当時もジャーナリズムの仕事であったので、いろいろなことを考えたが、
その後の人生も振り返りつつ今日は書いて行く。

一番失われたことは、世界に君臨していたアメリカのの「自信」というものでは
ないだろうか。国際社会に対する睨みといってもよい。

当時は、大統領がクリントンからブッシュジュニアに変わった頃である。
クリントン時代から、イスラム圏とのテロ爆破は、外地では被害があったが、
まさかニューヨークのど真ん中で、富の象徴が破壊されることは、誰もが想像
出来なかったし、これにより傷ついた「威信」は大きかった。


それまでの例えば日本人の若者が抱いていたアメリカのイメージは、
コカコーラと、ジャズやアメリカのロックといった音楽などの文化で、世界をリード
する憧れの国でもあった。



そんなアメリカの“正体”を、戦争が産業の国家と、暴いてしまった9.11テロは、
若いエイジ中心に、アメリカに対する心象をすっかり変えることになってしまった。

そこからの歴史は省くが、イラクとアフガンにした報復措置は、アメリカが持っていた
評判価値を、かなり落としてしまい、世界の見え方を変えてしまったかもしれない。



一方で、日本があり、中国があり、ヨーロッパやロシアがありの、世界地図も
随分形や描かれ方が変わって来た。

私はそんな21世紀の前半、四分の一弱を生きて来て、もっと愛おしい社会を
作っていかなければ、どうしようもないと、日頃常に思っている。

コンピュータ社会が、ここまで進展したことは、時代の要請、趨勢としても、
どこかで基本単位として、人間を忘れないで欲しい。

機械が弾き出す数字や、伴う経済に、眩むといったことがとうに当たり前の
麻痺感覚の時代を歩んでいる。

そういう時代に、個人単位でものを考えることは、もの凄い無力感に囚われる
のであるが、過去に世界を動かしたものは宗教であり発明であったりする。

それらは個人の過去のパワーが存在し、今も存在し続ける典型なのではないか。

今は人工知能が人智を超える瞬間が、やがて訪れ、神が人間を作ったと言う
宗教の寓話に例えることが、流行っている。




この“神々の黄昏れ”の時代に、旧車に乗って、遍路のような旅を続けながら
私はこの国の片隅で今日も生きている。

今、必要なものは、安らぎと祈りと。
明日はいよいよシンガポールで歴史の転換が始まることになるであろう。

アメリカがすっかり変わったことが表面化して、21世紀のこれからは、
世界の人類は、どこにリスペクトを探していくことになるのだろうか。

私にとり、愛おしいものは、クルマに乗れる残り時間だけなのかもしれない。



Posted at 2018/06/11 15:16:59 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2018年06月06日 イイね!

たられば方法論

たられば方法論数年前に若い人と、歌謡曲研究会みたいなことを
試みたことがあった。

盛り上がりましてねー、
結局何も生まなかったみたいだったけれど、
一時は、モノホンの元アイドルを、呼べることが夢、
みたいな興奮に包まれたことが、あった。


新しい時代というのが、必ず来ていると思う。

そこで21世紀の中盤に向かって、何ができるようになったのかは、
AI(人工知能)の進展と言う「お題目」ばかり、新聞やニュースで、
連呼されているが、いまひとつ親近感が無い。

私は技術、テクノロジーの進化の仕方の中に、一定の法則性を
見つけるのが好きだ。

前回の投稿で、若い人が、生まれる前のことや、それに近い文物に
興味を示し、自分たちの「嗜好」に取り入れることを書いた。
これが、従来ならアナクロとか懐古趣味といった、言い切りで終わったのと
どこが違うのか。

技術サイドから見てみよう。

オーディオ装置が発達してブームになった時代は、1960年代後半から80年代
だった。そして90年代移行は、マイコンからパソコンになって発達した
コンピュータ技術が、樹木の周囲に生えて、音響や音源の範疇も取り込み
始め、今は一部はボーダレスや一体になったことは、わかるであろう。

音楽は今や、スマホの中でyoutubeで見たり、その前はiPhoneの土台と
なったiTuneが、音楽の使い方革命に大きく貢献をした。

この時に日本のメーカー、ソニーやレコード版権を持つ会社等は、
身構えて、知材の権利が失われる「防衛」ばかりに走ってしまい、
完全に、ユーザーの方を向くことを忘れて奔走し、今日の落日を迎える
結果となったことは、教訓だと思う。





いまは、“ネットサーフィン”の時代は終わり、「テクノロジー縦断(サーフィン)」の
時代が来ていると、私は思う。
とりわけ、「タイムマシンの時代」に近いと思うのは、従来の記録メディアは、
音楽だけ、オーディオソースだけの再現性に優れて発達して来たが、
今は、自室のパソコンの画面で、過去の出来事も動画が残っていると
かなりリアルな体験が出来るようになった。

VRの発展により大きく変わったのは、過去のものに対するアプローチの方法論
だと思うし、逆に過去のものの再現性が、ぐっと現実に近づくという、奇妙な
「現象」が起こりうるようになってきた。
奇妙なは、そろそろ取れてもいいのではないか。



1978年4月の「キャンディーズさよならコンサート」を、私は行けないので
九州の家のテレビの前に座って、カメラで「歴史の瞬間」を何枚かフィルムに
写している。
こんな、当時は無力な少年の行為も、今では探せば動画で見ることが出来て、
「40年の時空間」は、あっという間に、遡れる感動を、何と言ったらいいのであろう。

                ◇

私は、これからはトランステクノロジーの時代が、来るのではないかと思う。



これは、子どもの時に写して、出来上がりのあまりのひどさに落胆した写真の
1枚であるが、「ぶれ」には法則性があるのだから、一個一個の粒子の
“間違った”動きを定点に戻せば、きっちり被写体の再現できた写真が復元できる
のでは?と、当時から空想していた。

今やVRの技術で、モノクロ写真を色感豊かに「カラー化」することは
近年の進歩で可能になった。

                 ◆






これは、1985年にワーナーパイオニア/サンミュージックからデビューした
橋本美加子というアイドル歌手の、当時の映像である。

WPだから明菜のお金があって、事務所も良かったから、そこそこ良いスタッフで
売り出して、結果的には失敗したが、歌唱力もあり、“アイドル性”が無いのが
今見ても判るが、私も忘れてしまっていた、歌手の一人であった。

実はその前に、こっちを偶然見つけて、驚いた。





近年の撮影と思われるが、「とっくに歌手を辞めた」本人が、街角のカラオケ
ボックスで、自分のアイドル時代の歌を見つけて、悦にいって歌っている。

しかも、現役時代より、いきいきしていてうまい。

さらに本人が、こんな動画を公共の場にアップしていることに気付くと、
なんともオモシロイ時代になったと思ってしまった。



私が考える新時代の趣味(アソビ)というのには、例えば不可を可能にしてくれる
こと=ドラえもんタイプの空想だが、


昔アイドル歌手が好きだった。

音楽に合わせて演奏したり、カラオケで歌うことは今でも楽しめる。

30ー40年経ってしまい、齢をとって、人生を諦めることが多くなった。

そんな時にふと考えたのだが、VRで自分を当時の空間に入れて、自分も若甦り、
当時のアイドルと、一緒に“共演”する。

まずこのアイデアは、映画くらいでできそうである。

アメリカの映画には既にありそうかもしれない。
間違っても“黄昏流星群”みたいな、しわくちゃな元アイドルは抱きたくない。(笑)

弘兼憲史の漫画には、下の方の話がつくのがお決まりだが、それはちょっと
こんにちの熟女AV関係者に任せておこう。


きょうはこんなくだらない、考えを開陳したのだが、これからの趣味、アソビの
軸の中に、「時間」が必ず入ってくると思う。
実際、「歴女」ブームなんて、何が起こっているかというと、時空間的VRを
今のところ、平面的なビジュアルで、カッコよく空想し始めて、盛り上がりだした。
その前に「戦国バサラ」のようなゲーム(空間)がある。

ところで最後に本論を語ろう。
私にとっての旧いクルマの維持は、やっぱり発想の自由をもらうためのアソビ
なのである。
しかも私の850クーペは、新車当時のカタログデータの、最高速が今でも出せる。

整備性の良さで、当時より上かもしれない。

昔のあらびきな芸能、音楽、文化に対して、今ならこんな修正がかけられる、
いや、やり過ぎは野暮とか、そんなセンスこそが21世紀の嗜みや、わきまえだと
思う。

ここから先の自動車を使う遊びは、ますます上級度が要求されて、
家元のような人が出てくるかもしれない。
単なる金持ちのラフェスタ参戦をみても、私は勃たない。
出てこい家元、そんな時代を愉しみに、寝て待とう。




Posted at 2018/06/06 11:57:26 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年05月15日 イイね!

私の5月 変わり行く人生

私の5月 変わり行く人生取材に行ったり、月曜日は朝から太陽の塔の
内部に入ったり、こんな日常です。

それから美味しい食事に相伴する機会が増えました。




これは但馬の床瀬蕎麦で10日に行きました。





これはある方の家に呼ばれて、食事会の風景。
13日、日曜の撮影。





大分、人生のハンドルを切って走り出しております。

この先に何が待っているか、判りませんが、面白く変えていくことで
自分を変えて行きたい。
そんな新緑のシーズンになりました。



Posted at 2018/05/15 03:41:55 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年05月06日 イイね!

丹波日和

丹波日和連休中に取材の仕事が入り、私のクルマで行くことになった。

普通は「ふつうの車」で行くだろうが、同行の取材者には、
前もって私のアシを知ってもらっていたので、朝から
フィアットで出発した。



自動車雑誌でないことだけは、ことわっておくが、取材対象の情報収集で
縁者があまりおられない地区だったので、そこからのスタートとなった。

こんな場面があることは、楽屋話であるが、これが結構有効だった。
未知のエリアで、人に話をきくときに、警戒されるのは、あまり良いことではない。

私はこの取材企画を、考えたり、相談した際に、どんな形で組み立てるのだろう
という点が、大いに関心があった。
相手は編集のプロである。知り合ったのは、偶然で、数ヶ月前になる。

私の“転身”もその前から始まっていたが、今ひとつ決定打がなく、次第に
追い詰められたような、気持ちになっていった。

安定した家庭と家族を、前は持っていたが、今は失っている。
その上に、仕事が近年上手く行ってなく、背水の陣が大袈裟でないような状態だ。

私は過去を洗いざらい、棚卸しすることにした。
恐れる物は、前科がないだけに将来に対する不安だけだ。

それから、2度の転職の失敗に懲りて、「何でもやれる」は引き下げて
好きな仕事、それも一緒に組んで、気持ちの佳いパートナーが大事だと
最大の重点にすることにした。

そんなことを言ったって、あと数年で大台の60歳が近い。
けれど健康不安は摂生に努めてきたので、ほぼ無いと言ってよい。

もう一つ、私はジョークは得意だが、嘘はつかない。
そんなこんなの近況で、やっと元の世界に戻り、さらに一緒に組んで
ストレスのない人に出会えるようになれた。これは大きい。



そんな連休中の一日は、朝から晩まで、愛車が活躍してくれた。
どこに行っても目立つのであるが、怪しい仕事をしているのではない。

話題になるし、最初に会った男性は、大のクラシックカー好きであるから
一度だけ過去にあったことはあるが、すぐにこちらの二人と打ち解けて
有力な情報をいくつか、提供していただいた。

趣味や道楽の取材では無いが、拳を振り上げてなにかをブツというような
性格でもない。奥の深い取材なのである。

一緒に回っている方は、ずっと若いがもうベテランで、要所要所の会話と
打ち合わせで、私の思っているプランやネタを上手に組み上げてくれる。

次どこ行きましょうの指示は的確で気持ちが良い。
自力で一人で回れる仕事なのかもしれないが、こういう展開の方法論は
「より良いものをつくる」という仕事に、欠けてしまうと、どうしても「やっつけ」になる。

私は初日から、ずい分勉強になったし、この齢でリスタートできる幸運に
何度も感謝した。





終わりに、
私は好きなものはクルマと、編集のしごとだと、やっぱり思う。
あとお酒と女性も好きかもしれないが、これは次元が違う。

クルマをどう使っていくかだが、私が普通の暮らしであれば、現代の車で
淡白な取材後の感想になったかもしれないし、こういう今の境遇で、
自分を活性化しようと思えば、この結論で悪くないと思う。

ちょっと古いクルマを、お宝のようにしたり、お膳立てしてもらった舞台
(高額な参加費用の要るイベント等)に出すことだけが目的の「使い方」も
100%間違っているとは思わないが、
私はクルマが不幸になってはいけない(他車との比較で味気ない思いを
したりすること)ので、そんな流れには最も注意をする。

今回の同行取材の人が気持ちのよい人で、移動中の雑談にそんな話題を
交えると、曲解は一切なく、気持ちよく理解していただいた。
これは仕事観に通じるもので、一番大事なことだと思う。


そんな私の再スタートの一日は、気持ちの良い晴れから、一時時雨れて
最後は綺麗な夕陽が見られたことを、付け加えて書いておこう。

クルマよ今日もありがとう、と。
Posted at 2018/05/06 16:39:17 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年05月02日 イイね!

EDITOR'S OFF

EDITOR'S OFF1999年6月に、初めてホームページを作った時に、
どんなタイトルにしようかしばらく考えて、そのときは新聞の編集職だったので
まずEDITORという言葉を使い、その頃から自動車で三々五々集まって来ることを
ミーティングから「オフ会」というようになり、オン、オフの違いについて考え
「これだ!」と思ったのが、このホームページタイトルである。



しかし、ホームページの技術もなく、暇はあまり無いので、更新はたまにだけ。
でもやってみたかった、掲示板における友人や訪問者との交流は
はやりのT-CUP掲示板を借りてみた。

そして、そのページのタイトルは「EDITOR'S TALK」に決めた。

これはまだ二玄社時代のカーグラフィックとか、故徳大寺氏の
ダンディー・トークという書物タイトルからの影響を受けている。



バナー用に、手作りのハンコ職人に作ってもらったハンコの印字を使ってみたり
30代の最後の頃の私は、いろんなことを楽しんでいた。

あれからほぼ20年が経ち、今は何が大きく変わったのだろう。
コンピュータ関連技術は、開発ラッシュ時代が終り、ウインドウズの世界制覇の
勢いも、Macとの攻防も、意識することはなくなった。

ブログの登場で、ブロガーという表現者が取り上げられたり、
今度はSNS時代に乗り遅れるなといった風潮も、もう過去の物である。

私は紙の媒体で、印刷メディアの出身だったから、仕事への愛着もあったが、
新しい技術を取り入れることは、理屈に納得がいけば、抵抗は無い。

だからインターネットが個人のものになった時に、湧き上がる感動と
喜びを感じた方である。

自分の力で表現出来ることは、次々に進化して、音楽や動画という
表現世界も、ある程度は普及もした。

しかし文章の力と言うのは、「何を伝えるか」、「何を訴えたいか」
の表現力の問題に尽きると思う。
新聞社時代の新人教育に、「5W1H」という原則は、変わらないと思う。




月日はあっという間に過去となる。
私も気がつけば、還暦まで1年と少しである。
子供たちも大人になった。



私は8年離れていた編集の職にこの5月から戻ろうとしている。
連休中に、若い人と組んで取材に回ることになった。
今度はフリーだし、食べて行けるのかは、かなり難しいが、もう自分を
押し殺して「騙す」のはやめようと思う。

4年前に最後の更新をしたホームページは、まだ置いてある。
その時も「エディターズ オフ」のタイトルは、看板に偽りかなと思ったりした。

しかしこの5年くらいに、自分の環境変化と共に、社会の変化も見て来た。
ここのブログを書かない時期が一番苦しく、封印していた理由もある。


もう私はクルマの将来については諦めてしまっているが、
自分の将来は短いかもしれないが、やれることがあるのではと、思うように
変わってきた。変わらないと生きられない。





生きているうちには死別や離別、謂れの無い中傷とか、いろんなことがある。
その度に凹んでしまう私も、決して強い方ではない。

しかし、新しい発見と出会いもあるだろう。
若い日には、新鮮な気持ちと、野心野望があり、壮年期を過ぎれば季節の
変わりと自分の零落を知る。

このみんカラに書き始めた日々も遠くなり、クルマを好きなだけ転がせた時間も
遠くなった。
今でも裕福と余裕のある人は、私以外にはたくさんいるであろう。
しかしもう、自動車の社会は、階層が分離してしまって、ジャンボリーのような
一体感の季節は、懐かしく思うだけでいい。

あとどれだけ書くテーマがあるのか判らないが、
初心に還り今回はこのようなタイトルにした次第である。
若き日の自分に捧げたい。

Posted at 2018/05/02 03:55:28 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記

プロフィール

「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
何シテル?   08/06 05:00
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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