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2021年12月29日 イイね!

1980年のポパイの「カーボーイ」特集号

1980年のポパイの「カーボーイ」特集号













寒い年末も一日、一日と暮れて行く。

私は今は何も出来ない諦めの境遇であるが、SNSの本好きの友人が
グランドオープンになった梅田の阪神デパートで、古書&カフェ展をやっていると
投稿していたので、暮れ迫る平日に一人夕方から、都心に久々に向かってみた。



阪神デパートの建物は、半分ずつ更新して拡張して作られたが、この度
ようやく全フロアくらいが今月に出来上がったようである。

歩道橋から入れば、何となく慣れ親しんだ昔の店舗を思い出せるような
気持ちがした。

8階までエスカレーターで上がり、少しずつフロアを見る。
催事フロアは半完成状態で、ついたての奥の方で古書市は行われていた。

予算も乏しいのと、欲しい本も少なかったが、適当に鉄道関係の本と、
昔の明星の付録のソングブックを買おうかと思ったが、
この懐かしいといっても、買っていなかった80年代のポパイを見ていると
自動車特集号が目に付いた。


しかも他の風俗流行の号が1985年前後なのに、これは1980年。
私が大学2年で、やっと免許を取り、助手席専門から巣立とうとした頃の本だ。


その頃、自動車雑誌は少し買っていた。
お金がないので週刊誌サイズの「中古車情報」それと「カーボーイ」誌が
出だした頃ではなかったか。

私は自動車に対する情熱は小学校高学年のプラモデルからスタートして、
知識は日産R381と382の違いから入門していたと記憶する。

スカイランGTRが未踏の50連勝。それに牙を向くロータリー軍団の史実は
もうオートスポーツ誌を買って、見たこともないのに、”リアル”で知っていた。

それから10年後に成人して、ようやく実物に手を出そうとしていた頃の話だが
「ポパイ」のようなヤング風俗誌は買っていなかった。
その代り週刊プレイボーイと平凡パンチ+GOROの自動車記事に、胸を熱く
した頃なので、これはまだ見ていなかったアイドルのヌードみたいで興味が湧く。

新刊300円の雑誌が500円だったので、ちょっと高いかと思ったが、40年前だ。
明星の歌本と較べて、「えい」とこちらを未開封なのに買ってしまった。
ビニール本を買いにレジに向かう後ろめたさも久々である。(笑)

それをデパートのトイレで読み始め(殆どエロ本)
”用を”足した後で、年末迫るスタンドバーで広げて読んでみた。



やっぱり面白い。
久々に自動車の情報に”のめり込む”自分が居る。
反対にどうして今のクルマには醒めているのだろう。
それは単に40年間に、20代と60歳代の、感性が違うからだろうか。

いろんな背景と原因はあるだろう。しかし当時もナケナシのお金で自動車の
情報を入手して、実物との邂逅も、ビビッドに喜んでいたと思う。

あーこの頃は、一番エッジの先端でカッコ良かったのが、輸入車のフィアット
X1/9と初代ゴルフを軽く外観をいじって乗るのが、目立っていたなあ。

その辺の流れの関西の残党の人たちも知っていたので、とても懐かしい。

850なんて全く目立ってなくて、X1/9が、”ミニスーパーカー”だった頃だ。



この写真にも、驚いてしまった。いのこーさんがまだ本名で出ていて、
最近休刊した、カーマガジンの前身「スクランブルカーマガジン」が、ぼちぼち
発進をし始めた頃だ。企画出版としてN社が準学生企業からスタートして、
本格的な自動車の趣味の雑誌の一本の木が、芽を出して育ち、伸びて行った時代。

私がスクランを買い始めるのは、83年くらいだから、3年前はこんな感じ。
それを内部的な自動車情報誌でなく、ヤングアダルトの文化誌で41年後に読む
面白さって、

あー、長いこと、こんな気持ちを忘れてしまっていたなあ。
私は「死のお迎え」が近くなったことばかり、近年は考え始めていたからである。




景気が良かったのはこの後の10年だけ。
その後の30年間に、日本はバブル以降の社会がずーっと下り坂になり、
信じ難い期間続いて、今や全国民が日本を諦めていて、何も文化も
新しい社会の流れも生まれて来ずに、自問自答を繰り返している。

そんな毎日を生きて、暮らして、ため息をつく。日々の思いは切なくつらい。

しかしこういった今でみると、ツッコミたくようになる雑誌の勢いがあった
内容の時代の方が、ラフだけれど、どうして面白かったのだろうか。

自分がこのあと学生から社会人になり、いろいろな体験もしてみたが、
なんか”取り戻す”のなら、この時代の空気感ではないかと、考えさせられて
しまった。

寒い夜にである。



Posted at 2021/12/31 04:59:32 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2021年07月23日 イイね!

カーライフ40年

カーライフ40年
今年は1981年という年から40年
私はその頃大学の3年生であった。
自動車免許をとり、待望の自動車を買ってもらい、
下宿生の生活ながらも、カーライフをスタートさせていた。

ちょうどその頃が、夏に大滝詠一の「LONG VACATION」が
学生仲間の間だけでなく、世間でも大ヒットになった。

また、寺尾聡の「ルビーの指環」が大当たりで、日本人の成人男性による
AORという新ジャンルが成立するのではという、興味深い現象が起こった。

でも私はクルマに早速付けたカーステで何を聴いていたのだろう。



よく聴くと、これはカバーだけれど、かなりよく再現出来ているので
よしとしよう。今は亡き須藤薫さんは、確か前年の80年頃にデビューした。



須藤薫嬢にたくさん良い曲を提供した、慶応ボーイの杉真理。
大滝詠一抜擢の、ナイアガラトライアングルvol.2の一員だった。

聴いて行くと判るが、当時は「NO CAR NO LIFE」みたいな時代で、
クルマの出て来る、洒落たナンバーが実に多い。

当然若者は、異性を隣に乗せるために、奮闘努力したという、
今の若い人が聞くと、「えー?」みたいな感覚の時代であった。



大滝御大も、一曲出しておく。
しかし大滝詠一も、須藤薫さんも早世してしまい、つくづく時間の無常を感じる。





1980年代に若者であった、僕らの世代は、今60代に突入していく世代だと思う。

価値観が、ずっとシンプルで、モノがある程度充足されたらハッピーという
実に単純で分かりやすいし、それで誘導された大衆が経済を動かすという、
考えたら、楽な生き方の出来る時代であった。

今の社会のような、複雑な背景。
例えば、こういうことを言ったら、傷つく人がいるとか、そんなことまで
国内で、深く考えなくても、先ず大丈夫な「結果オーライ」だったから、
若者は”無茶修行”といって、なんか色んな自由に好き勝手なことをやっていた。

今回のオリンピックで、昔の無茶な言動を、次々と嗜められている人々を
見ていると、「しようが無いなあ」と思うだけで、感想も無い。



今聴くと、受話器を持つ手が長電話で痺れたとか、「それ、いつの時代?」
と突っ込みたくなるくらい、時代背景が変わった世間もあるが、
この「くたばっちまえ!💢」ソングみたいに、今でもクスりと笑える曲もあった。




この「真夜中のドア」が一曲目に納められている松原みきの「ポケットパーク」
はLPを持っているので、テレビのビデオで短く流す。

しかし40年後に世界のいろんな所で、この曲が再評価なんて、これも
早世した、私と同い年の彼女が元気だったらと思う。



そんなふうに考えたり、懐かしんでいると、40年の月日は残酷な気もする。
でも、今マイカー社会が大きく変わる直前に、個人所有物としてのカーライフが
楽しめ始めて、最も充実したのがこの頃の経済成長の賜物ではないだろうか。



トヨタが、マークⅡの兄弟車で既にあったチェイサーの他に、もう一つの顔
クレスタを出して来た時に、マークⅡより高級感を出すのに、新型エンジン1Gと
人気の高まりつつあったAORの雄、ボズスキャッグスの音楽CM器用という
大胆な作戦が功を奏したことを、記憶している。



これは大成功で、皆んなが「ハイソカー」に憧れる嚆矢となった。

その1981年は、トヨタソアラが新登場して、70年代の影を引き摺っていた生活文化も、排ガス対策でモタモタしていた自動車も、すっかり過去の遺物に置き去られるような”衝撃”の年である。
若者もクルマ好きなおじさんも、皆んな舞い上がり始める、時代の駆け足〜ステップが始まる年であった。



ソアラと対極をなした高級車は、日産からではなく、意外性のあるいすゞからで
ソアラより数ヶ月早く、ピアッツアが、アッソの名前を改めて、ドリームカー
さながらに出た時は、これもかなりの衝撃であった。

ソアラのCMは、今見るとかなりダサい。
引き換えピアッツアCMのセンスは、音楽も好い。♪





この時代の背景の捕捉をすると、ジャズのブームが音楽シーン全体の中で
一部盛り上がっていた。
気になる存在であった阿川泰子は、ジャズシンガーの前はアクトレスであったが、
これで人気が不動のものとなる。

人間は、仕事や成功体験で、人が変わる。

しかしこの時代に背伸びをする大人の世界への憧れと、それを意味した
Senior Dreams=シニア・ドリームの曲名が、今時だと、「高齢者の夢」と
歌っているみたいに聞こえてトホホ。
気がついたら40年の歳月は、若者を無惨なジジイに変えてしまった。

私もピアッツアの綺麗なのを探して、阿川泰子似の、イイオンナでも探すか!
完全に滑っているが、老後のボケは、許してチョンマゲ。
Posted at 2021/07/23 05:45:28 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2019年07月14日 イイね!

1988年 31年前の、あの夏を忘れない

1988年 31年前の、あの夏を忘れない





リアルバブルの時代を知らない人も多いと思います。
私は20代でペーペーのサラリーマン駆け出し期でした。

これは1988年8月に夏休みを使って関西からある目的で上京しました。
京都から浜松までは東海道線の在来線。浜松で新幹線に乗り換えると、
スズキがプジョー205を展示してました。
あのドメスティックなスズキが、浮かれています。





(工事中の汐留鉄道発祥の地跡ふきん)


東京に着くとバブルの象徴、森ビルのアークヒルズを見に行こうと
六本木に行きました。まずは暮しの手帖社の木立の中にある本部を見て吃驚。

それから普通の教会の敷地に633とマセラッティビトルボが普通に置いてあり、
ベンツ124の新車が霞んでいるのを見て「東京すげー!」。



その後、御茶ノ水から歩いて後楽園球場そばのビジネスホテルに荷物を置き、
窓から見える出来たばかりの東京ドームに感激。






その夜はインクスティック芝浦ファクトリーで行われた、漫画家内田春菊の
イベントに参加しました。



ギョーカイ人がたくさん来ており、私もこの夜は参加できたことに酔っていました。



この昂揚感とか浮かれ感は、バブル崩壊以降のデフレ社会しか知らない人には、
判らないと思います。




翌日は藤沢まで東海道線のグリーン車に乗り、湘南のリゾートホテルに泊まり
ましたが、これがオメガトライブのレコードみたいで笑いました。
一人で泊るとめちゃロンリーな演出で(笑)。







関西ではまだここまでキテなくて、東京の浮かれっぷりが若いアタシには
思い切り面白かった。



あ、松山千春のNEWSレコードの入っているノアビルも見ています。




いきなり変な投稿でしたが、この時代はキラキラ輝いていて、何処で何を見て
来たかが、その後の人生に影響を与えたと思います。

Posted at 2019/07/14 03:14:45 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2014年08月07日 イイね!

おそロシアと80年代クオリティー

おそロシアと80年代クオリティー
最近ロシア国内のことを、よくおそロシアと呼ぶのが
流行っている。

これはロシア国内では当たり前の荒っぽいマナーや
ルールの薄い、日常風景をネット媒介で日本人らが見て、
常識の違いに仰天するのを再び面白がる、
2重のリアクションの反芻のような現代風の諧謔といえよう。


こういう現象を、もし当のロシア人が知ったら苦々しく思うだろうが
普通のロシア人はその境遇のまっただ中に居るので、想像する余裕も無い。

日本にいる日本語の深い意味のわかるインテリ外国人が、ようやくそれを俯瞰
出来ているくらいだろう。

これと似た性質のものに、「修羅の国」という、福岡県の北九州地方を刺す、違った
指す言葉がある。

荒っぽいところなので、暴力団の抗争が絶えない。殺人や暴力事件の発生件数は
昔から高かった。

私はそのエリアに長くいたので知っている。
しかしその頃は、暴力事件の件数が福岡県と東京都を比較すると、人口の何倍も
ある東京より福岡県の方が、時に上回ることを知る人は、殆どいなかった。

私は新聞のデータを見て、親兄弟や高校の友人に「これを見てくれ」と力説していた。
その時代に他府県人が、福岡県のことに興味を持つなど想像の対象では無かったろう。

これもネットの発達により、相対化と俯瞰が見えやすくなったことによる。
「北斗の拳」に出て来る、男の子は死闘を繰り返すのが運命の国と言うのが、
本来の語義だ。
これは不名誉なキツいシャレだと思うが、当の福岡県人や九州の人も面白がって
使っている。


さて少し違うんだが、80年代のことを私はよく書いて来た。

1980年代を知らない90年以降に生まれた人も今や成人になり始めて、改めて
この時代がどうであったか、パワーが本当にあったのか、説明を求められている。

若いカーマニアらが今や、80年代車、90年代前半くらいまでを「ヤングタイマー」と
呼び、好奇の目で見ている。

じゃあ80年代クオリティーとは、どういうことか。

最近クオリティー=品質と言う言葉は、反対にクオリティーの低い時によく使われ
たりする。
時間を守らなかった宅急便の事例に遭遇したネットユーザーが、「さすがは佐川
クオリティー」などと、揶揄るわけである。

本来は大真面目にIRや会社案内しているのを、皮肉って、使っているのである。

私は、仮にいま80年代のものを現代ユースに並べると、どのくらいしょぼいか、
判っている。
それを滑稽ととれるのは、大人の寛容であろう。

テレビのCMひとつでも、80年代はピンからキリまであり、キリは今では「退場」
必至のものが多い。
これは30年の間に、生活のレベルと質が、国民全員向上したことが大きい。

そのくらいまだ粗悪なものが多く残っていた。その中でファミコンが生まれ
電子ゲーム文化が始まり、ウオークマンが発明されて、今に通じるどこでも
音楽の素地が出来た。

またTDLが日本に登場して、遊園地からアトラクション文化で非日常を楽しむ
時代が到来した。
それが80年代の本質なのである。

インノベーションは多かったのである。カラオケエンタメもAV動画もこの時代からだ。


ところで、マスコミについて、専門的に語ってみたい。

80年代はマスコミがめっちゃ元気で、特に広告と消費の文化は最高潮に達していた。
新聞もテレビも元気だったが、新聞は情報企業の優等生として存在するようになり、
主役の座はテレビにとって代わられていた。

あとは雑誌がすごくたくさん作られて、売れる量が今の数倍多かったと思う。

ネットがまだ皆無だった頃は、欲しい情報は活字か電波で入手するしかなかった。
しかし活字文化が誤字脱字を、殆ど追放したのは、活版印刷が終了して、その後
のCTS時代をすぎて、コンピュータ編集の時代が来てからである。

昔の活字文化というのは、手書きやガリ版に毛の生えた程度のものも、結構残っていた。

その中に自称物書きという人々がいて、コピーライターやコラムニストが時代の
花形であった。


殆ど残っていない80年代の3流雑誌を今目撃すると、誤字脱字が想像以上に多い。
先ほど言ったコラムニストらの文章も、えっと思うくらいクオリティーが低い。
それでも、書き手が少なかったので、仕事はあった。

だからというか、80年代で高度なクオリティーのものもあったが、大体はノリや勢い
で、仕事を送り出したものが多かった。

それが緻密になるのは、もうちょっとあとの時代からだ。

今日言いたいことは、80年代的成功観をまだひきずっていては、通用しない
ということだ。

良い例と言うか悪い例がフジテレビである。
私は悪ふざけが100%駄目と言う者でもない。
しかし、あそこまで会社が駄目になった理由は、黄金時代の栄光を勘違いして
上の方に、現代センスに通用しない「立場だけ上司」が残っているからだと思う。

仕事ができない上司ほど、俺の若い頃体験を語りたがる。
おそロシアと佐川クオリティーには、共通項がある。
外に向かって、自分たちはこんなに良い会社、良いカントリーと言ってても
実情は伴わないのが丸見えなのである。

ところが言ったもん勝ち社会の悪弊で、今や謙遜より自己PRにせいを出す。
そして過去の時代の成功体験にいつまでも囚われて、抜け出せない。

時代遅れがひどいと周回になる。
今の時代の空気や、ウオンツが判ってないのに、判ったように錯覚する。
日本は高齢化も進み、その中の人の大半は、進化したくないスタンスという
ことも、影響が大きい。

そして、切磋琢磨を拒否した社会でも、ぬるま湯で案外生き残ったりする。
また、頑張って努力してると言うのが、空回りになっていても気がつかない。
こういうのは、どうしたら、リセット出来るのだろうか。
一番大きく判りやすいのは、比較と客観を練習することだ。

しかし私の文章は、あんまり固く真面目にテーマを追い掛けたくない。
やっぱりおそロシア的な笑われることって、明日は我が身だと言うこと。
そして、80年代的クオリティーって、勘違いがスタートから入っている。

今の時代がベストではないが、運がよかったので、何でも結果オーライという
ことに気がつくべきだった。
今の時代から、80年代を見ることは、懐かしく面白い。
ちょっと元気な中国に似た空気もある。

日本人はここまで、山を登って来たので、俯瞰することには長けている。
ただ、身の振り方としては、もっと高く上るのか、それとも違うアクションを
目指すのか、今は悩ましい時代なんだろう。

圧倒的な高齢者より、もうちょっと若い世代の人に、一番大切なこと、
それは、こんなふうに、時々自分らの立ち位置を見つめ直し、そこから
発想力を豊かにして、次の行動や、趣味の人なら題材を探すことが、面白く
生きるための原動力になるのでは、ないだろうか。


Posted at 2014/08/07 02:28:42 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2014年06月04日 イイね!

こんな写真が出て来た

こんな写真が出て来た1988年11月、モンテミリアも終わり、師走を前に
大阪外車ショーの仕事に、新聞記事の広告兼広報の
仕事で関わっていた。

コンパニオンらの写真を前に、会場で1枚目に撮った
地味な色のクルマの写真がこれである。

あっと思った。






そうか、この時にこの色に出会っていたんだなあ。
プリントも焼いていない1枚なので記憶が全くなかった。
25年経ちスキャンしてようやく気が付いた。



モーターショーで他に撮ったアルファのブース風景と
相変わらず当時から変態趣味だった、証拠の写真をお目にかける。




オペルコルサ


リライアントシミターは、フィアットを離れたチェッカーモータースが
輸入代理権を得ていた。


オランダボルボの迷作、ES480


その他の写真はここに上げています。(FB限定御容赦)
Posted at 2014/06/04 12:15:58 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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