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kotaroのブログ一覧

2014年02月14日 イイね!

私と言う媒体

私と言う媒体実は今本屋に出ているベストカーに
私のクルマ自伝めいた記事を載せてもらっている。
一般人でもネタになるのかなと思っていたが
さすがはプロのライターで、うまくまとめて面白く
書いてくれている。

これまで、みんカラの日記を利用して、様々なクルマに
関する考察を書いてみた。

みんなクルマが好きだったから、こういう時代を一緒に歩いてきた
のだと思う。
10歳違うと、異なる体験で、感覚も異なる。
20歳違うと、クルマに対する見方や感情さえ、違って来るのだろう。




大昔にセリカに乗っていたことがあった。
私が唯一所有したトヨタ車になってしまったが、ようやく昭和60年頃の
ネガが見つかり、愛車一覧に写真を入れられることが出来た。

この頃の友人連中を見てみると、大学時代の同級生は、中古の初代
レパードに乗っていた。L20の2000ccのオートマでなく5速の
マニュアルである。



赤いワインの革シートが国産車では珍しく、高級感というより場末のスナック
ラウンジみたいだった。

私は学生時代は赤いランサーで、その後一時期短い期間だがクルマに乗って
いなかった。



クルマにずっと入れ込んでいた訳でなく、他にもしたいことがあり、
その割には薄給で、維持や乗ることが今程楽しいと感じられなかった
こともある。

大学の先輩らは、自宅生活の人は、社会に出ると次々新車を買っていた。



西陣の織元の息子は、社用車のセダンばかり学生時代は乗っていたが、
2代目FFファミリアのXG5速、5ドアハッチを買ってよく遊びに来た。



大学職員になった先輩は、トヨタの4A-Gが気に入って、パルサーから
カローラセダンのGTにした。この人はオートマで、4バルブツインカムは
横置きの時代だろうといい、86に眼もくれずに85系に入れこんでいた。

1年後輩は、学生時代は家のスプリンターセダンを親から召し上げて
乗っていた。私の真似をして、解体屋で安物のアルミを手に入れていたが
よけい貧乏臭いセダンになった。



社会人になり、憧れのクレスタ、初代スーパー・ルーセントを買ったが
中古で2トーン。「何だか年寄りくさい色だなあ」と率直に感想を
述べると怒っていたが、私はいつでも正直だ。



そうやって今考えると、1980年代はいつも身の回りの友人たちが、クルマを
買い替えたり、新車の話題が飛び交っていた。

私はこの後、87年に3台目の愛車、FIAT850COUPEを買うだけなのだが、
そこからクルマに関して全く軸を変えなくなった。
80年代は今思っても、学生や社会に出たての若者が、新車を買っていた。
すごい時代だったのである。



その時代の中で、全く空気を読まない私もすごい人間だと、30年経ち
つくづく変わっていたなと思った。
そこから先の話は、良かったらベストカーを買って読まれてください。
小沢コージさんが、筆を振るってくれています。
Posted at 2014/02/14 06:02:05 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2014年02月05日 イイね!

昔田舎がアツかった。

昔田舎がアツかった。




こんな写真が出て来た。
田舎の(熊本県山鹿市)の自動車学校なんだけど、
写真を撮ったのは理由がある。


実はここは昔の鉄道の終点だった。



山鹿温泉交通といい、昭和39(1964)年頃まで鹿児島本線の植木駅から
山鹿温泉まで、ディーゼルカーが1両でのんびり走っていた。
その廃線跡を、1981年の3月に探訪してみたのである。



教習所構内と言っても、駅の施設が残っていた。



SLが使っていた煉瓦の給水塔さえ、残っていて、唖然とした。



でも面白いね。この置かれたクルマたちが、ほんとは80年代だけれど
70年代グラフィティしていますよね。



ある意味。新車などなく、お下がりの中古車を乗って来る
若者たちの、精一杯の強がりや、突っ張った気持ちが懐かしい。



スバル360やダイハツ・フェローマックス・ハードトップから
ケンメリの2ドアHTくらいが、一番えらいクルマに思える。

不人気?だった2代目マーク2のハードトップクーペも2台もいる。
きっと、おやじやアニキのクルマを譲ってもらい、これから
左官や、職人、中小の会社で働いて、夢は新車を買うことだった
そんな時代。地方でもまじめにやれば、ある程度の幸せな夢があった。

まだソアラもハイソカーもいない時代。
きっと10年後には、この町に、この写真のクルマたちは
殆ど残っていなかったと思う。
ちょっと昔の空気を思い出してくれたら「いいね」。

Posted at 2014/02/05 12:07:56 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2013年08月29日 イイね!

昭和60年男は70年代が好き

昭和60年男は70年代が好き今日はクルマ以外の話題で書いてみよう。

火曜日に春に遊びに行き泊めてもらった、
前支局長とまた飲む機会があった。
「K同の若いの、連れて行ってもいいかな」

通信社も同業であるが、若い記者らと一度でも
仕事を一緒にしたら、仲良くなれるのは、
支局長がもてなしの料理を作り、楽しい酒宴を
よく開くからである。


マスコミ人で取材記者のうち、ローカルコレスポンダーは、
大変だが、自分の裁量で生きる私には憧れの職種であった。

マスコミに対する誤解が解けないが、別の角度から普段の彼らを見て来た
私に取り「一緒の釜の飯を喰う」ことの大事さは、何より終生の友情の
ところがある。

それを経験出来ぬうちに辞めてしまったが、そのうちに俳優エキストラの
依頼が来たらぜひヤッて見たい役柄である。

支局長氏の好みを知っているので、私はLPレコードを置いている、ちょいと
アナクロでアナログなバーを指定した。

約束の時間に、昼間に近所のおばちゃまと飲んで寝てしまったので、遅刻
するという失態を演じたのだが、彼は心配もせずに磊落に既に飲んでいた。
2行上の記述、おばちゃまと寝たのでなく、昼寝なので誤解しないでね(爆爆)
まあラテンだから、どっちでもいいか(爆)。

そこには二人の若い記者が同席しており、特に一人は古いことが大好きだ
と言う。
バーのマスターが、ELOだのクインシージョーンズのDUDEなんかを
かけるので私が片っ端から解説する。



そうするとカウンターの左隣で飲んでる36才男が、今度は私に聞いて来る。

QJのことは、常識的知識なので"Rod" Tempertonという右腕がおり、
そこを聴き落とさないように、と説明しておいた。



これは80年代のライブインジャパンだけど、この圧倒的な音源には肝を
抜かれる。あの時代というのは、こういう日常が、どこかで起きていたが、
特別なニュースでもなかった。

田舎の朝日新聞だけを読んでいる波平さんには終生無縁の、夢のような
時代であった。


低下していたテンションが、上がって来たので、若い彼らと話をすると
「昭和40年男」という雑誌の大ファンだという。
70年代と言うことばに憧れが有り、再放送で見た、ドラマやアニメに
大変惹かれると言う。

ふーん君らは何年生まれだ?と訊くと、昭和61年だという。
彼らは昭和生まれであることが、古くささの誇りであり、この後平成
生まれの奥さんをもらって、他愛のない口喧嘩をするのだろうな、
きっと。

さあ次に行きますかと、頃合いを見計らい、新地に繰り出す。
ゲルピンおじさんと、最初に断っているので、私の行ける範囲で安い
所にいく。
そうして、彼らにいろんな歌を歌ってもらった。
どんなのが好きかと言うと、中村雅俊、チューリップなのである。





おそらく難関試験をパスして、こういう職種に進んだ彼らは、中村を
先輩にいだく早稲田などを出、時代の先端のITよりも選んだ道の正当性を、
自身の趣味の古くささに、求めているのでは、ないだろうか。

近年こういった男臭さが、とりわけ懐かしい年齢になってきた。
パーソナルなツールが発達する以前、共同生活や、貸し借りのあることは、
人間教育の一環だったのかもしれない。

時代が無機質になる直前に生を受けた彼らが、今の時代に必死になり
立ち位置を探している。
私は偶然、その時代を目撃しているのと、何よりも観察眼が強いので
その当時と今を比べたり、背景の差に着いて考えている。
そんなに今見ても、昭和って面白いものなのかも、しれない。

今日は自動車の話まで、持って行かなかったが、僕はちょっとだけ
最近の若者の気持ちが判ったような、気持ちがして、心地よく
酔っていたのであった。













Posted at 2013/08/29 13:36:50 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 音楽/映画/テレビ
2013年06月04日 イイね!

眼の保養と耳の毒

眼の保養と耳の毒昨日の夜にかけて少しテンションが
上がりかけて来たのですが、人の日記など
見ていると、私も終わった人間なのかなあと
考えたりしています。

自分の幸せなんて、それで良いのだろうし、
てな感じでしょうか。


昨日は、後輩のお母さんが亡くなられて
お通夜に行ってきました。
母一人、子一人の家族。

後輩君は大きな会社のけっこう上のポストまで行きましたが
まだ結婚していないので、妻子と言うパートナーが居ません。
その上司が、僕が前の会社で若い頃に担当者として遭遇していた人で
昨日は久しぶりに再会。後日に一献しようという約束を申し込まれました。

今 僕は人生とは何だろう、人生の財産とは何だろうと、考えています。

後輩君は10年くらい東京に行ってたのかな。
その間お母さんは元気に過ごされていた。
1年前に東京から大阪に戻る辞令があった。

この間のお母さんの淋しさとか、子供を思う気持ちとか、衰えて行く
自分の体力とか、その家にはその人にしか判らない哀しみがあった
のだなあと、棺に眠られるお母さんを見ると込上げる物がありました。

やっと息子さんが帰って来て、安心するかの様に眠りの国に行かれた
お母さん。
1年間の水入らずの時間は何よりも神様がくれた最後の黄金のとき。
これから天涯孤独になった彼は、収入ポストの面では不足はないでしょう。
遊び友だちもたくさんいます。
僕のような悪い先輩も居るので、遊びの道は心配要りません。
ただ、やっぱり、これからの人生、迷った時には先輩風を吹かそうかと
思いました。

よく考えると、僕らの30数年、いろんな釜の飯を食って来たことって、
半分以上過ぎた人生の、今後の糧にするためだったのだろうと、思います。

男ってときどき思うのです。
女でもそうかな。
全てを投げ出してしまいたいってこともあるよねって。


私は明石まで急いだので、池田ー川西能勢口(阪急)、
川西池田ー尼崎ー明石(JR西日本)というルートを使いました。

尼崎の駅の改札内に、ちゃんとした書店が出来て、1年以上。
乗り換えの数分間に本を探して求めるのは、本好きには痺れるような
快楽があります。
昨日はなんと、林真理子女史の「野心のすすめ」という変わった
タイトルの本を、直感で購入し新快速に飛び乗りました。

これが面白い。
林真理子と80年代と言うショートストーリーが書けそう。
電車の中で往復道中に3/4くらい読みました。
最後の方はアグネス論争に彼女が火を付けて大やけど したけど
後悔していない決意も載っています。

アマゾンの書評を読むと、本文中でも彼女が何回も言っているのに
まだ、ネガティブな批判否定ばかりが並んでいます。

この本を読んで思ったのは、80年代という時代にトントン拍子で
幸運をつかんだという実際の裏には、もちろん努力もありますが、
今に見ていろよ、必ず大きくなってみせるからという、野心や野望、
それからチャンスをつかむ為には何でもやると言う決意、あと
そういう場面や出会いに、積極的に参加してみると言う、当たり前
のことが書かれています。

林さんの場合は、戦前に出版社に勤めていたお母さんの血を引き
さらに書店の娘という文学的素養は在ったのですが、器量とか、
成功者の子供らを友だちに持つなどの、恵まれた環境ではありません。

反対からいうとコンプレックスの固まりになっても、おかしくない状況でも
いつかは成功できると信じてずっと努力(好きな道にいそしむ)して
きたという、単純な真理しかそこにはありません。

実はこの本には秋元康氏の名前も出て来ます。
私も年代が少し上の秋元さんについては、才能は評価しますが、
天才的詐欺師だと思う感情もあります。しかしこの本は面白かった。


「さらば、メルセデス」




70年代後半のラジオ投稿少年だったころの話から、芸能界の裏方
デビュー。作詞家のチャンス。稲垣潤一との出会い。
ドラマティックレインのヒットでE30の318を買って、嬉しかったこと。
自分を美化し過ぎなのは、鼻白むのですが、報酬で買った愛車を
「ドラマティックレイン号」と名付けるほどの思い入れと幸福感が伝わってきます。



林さんの本の一般人書評で、やっぱり秋元さんの名が出て来るところが、
不愉快とか、そんなことを書く人がいます。それに対してイイネを付ける人。

これってイイネじゃないですよね。最近多い韓国人を嫌った人が実は
一番「ハン(恨)の文化」に毒されているようにしか思えません。
人の成功を妬むことは、どうしてこんなに増えたのでしょう。

林さんの本に一環して書かれているのは、そんな風に醒めてしまって
いいの?、あなたの人生は一回しか無いのだし、夢や目標に向かって
いつかはなれると思いこまないと、何ものにもなれないよ。
50になって、ユニクロばかり着てても安い服は中の人間も安くしか
見えないのよ、と、これはウチの嫁によく言われたので、ファションは
わりと良いものしか着ないように努めていますが、今の怠惰な人生を
送っている私に取り、耳の痛くなる言葉ばかりが並んでいました。

これに対する反論は、、もうやめましょう。そんな社会には僕は飽きた。

というところで、今朝はこんな話を書いてみました。ではまた。(来週/笑)








Posted at 2013/06/04 09:04:35 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2013年05月17日 イイね!

この季節に

すっきりと晴れたきょうは、台所や洗濯機周りの
水を使った清掃を、朝からやっています。

こんな季節には、この曲でしょう。



緑の電車と言えば、
5000系以前の東急でしょう。



サイレントですが、



ああ懐かしい。

桜木町行きの、5000の急行に乗ったことがあります。
どこに遊びに行ったのだろう。




曲がヒットした年、1982年に早大で行ったライブ音源を、どなたか篤志の人が
出してくれました。(おそらく当時の早大生)を追加します。



これを聴いていると、この娘の魅力は、フェイスや水着写真より、この
ふわっと弾む声に100万ドルの価値やね、と思いました。

では(デハ)。





Posted at 2013/05/17 11:32:28 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 趣味

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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