• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2013年04月15日 イイね!

リバイバルシネマに気をつけて〜日曜日のクラスメート <ナンノと80年代>

昨日の投稿、刺さるとB層の研究には、欄外にもコメント頂き
喜んでおります。
次篇は「B層に吠えろ!」で行こうと思いますが、鋭意執筆中(予定)です。


きょうは春爛漫だったので、ナンノさんのこの季節のアルバムを
購入してきました。

「Bloom」
その中からいかにも、80年代のこの曲を。



音声だけじゃ、あんまりじゃありませんか。これもいけずなCBSソニーへの
対抗策でしょう。

ハイ、ダンナ、ちゃんとありまっせ、特製映像が。はいこれと、
併せて聴いてね。



最初のが、アルバム1曲目。


2曲目が、シングルカットされたこれ




そしてA面の真ん中を背負う曲は、これなのです。
まさに、神戸樟蔭のお嬢様方が、ご卒業されて、やんごとなき
祝日に再会するというストーリー。



ドンドンドンドン
この頃は、土曜日も、半ドンで、お嬢様OLも、出勤でした。
さあ、
勿体ぶらずに、歌の方も、天才ナンノの世界を、オンエア(死語)
しませう。



聴き方のコツは、スタート直後に上下の画面をシンクロさせながら、
うまく合致したら、カラオケのボリューム(ちゅーぶ画面左下)を
いっぱいに絞る。 クルマ乗りなら出来る、ツインキャブ、ツイン
チューブ走法(奏法)ですわ。

ではまた、来週♪♪♪♡

もう1曲、アルバム外から
これも春3月くらいの、卒業シーズンを歌った名曲です。



https://minkara.carview.co.jp/userid/176891/blog/25900943/
Posted at 2013/04/15 23:17:38 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 音楽/映画/テレビ
2013年02月23日 イイね!

Yasuko Agawa She~Senior Dreams from ISUZU Piazza

1981年5月13日(水曜日)発表、6月6日(土曜日)、いすゞ
ピアッツアが発売された。
いすゞと言う会社は、今考えると、良い資産を持っていた企業
だと思う。



今回のテーマである、ピアッツアを発売する直前というのは、
117クーペが残っており、私は阪急梅田駅のアトリウムで見掛ける
度に熱い視線を贈ったものである。

またいすゞには生産中止8年になるが、ベレットの系譜があった。

それは、ユーミンのコバルトアワーに流れる「ベレG伝説」であり、
後継のジェミニにもG180系ツインカムを積むZZが出た時に、普通の
ジェミニと違う短いシフトノブ手応えに「これって、ベレGじゃない
ですか!」(当時大学生)と訊くと、ニヤッと笑うだけで答えるよう
な粋な会社であった。



CMソング「シニア・ドリーム」を歌った阿川泰子と言う女性ジャズ
シンガーの起用も、センスよくはまった。

当時は電通博報堂だけの席巻した時代でなく、それ以外のピンからキリ
までの広告代理店にも、「一つ当てれば」の夢があった。彼女は服部
セイコーが単独スポンサーで放送していた、TBS系の「サウンドインS」
などで、顔と名前を知られるようになりつつあった、存在であった。



この番組は「東京音楽祭」という気宇広大なイベントを70年代にしかけた、
故渡辺正文プロデューサーの、肝煎り番組で、大人のセンスの音楽番組は、
当時でも、これと塩野義の「ミュージックフェアー」(CX系)くらいしか、
無かったが、高校時代に背伸びをしたくて仕方がなかった私は、夜遅くまで
テレビとラジオにかじりついていたものである。




いま、シニアという言葉は残念ながら、こんなCMで肯定的に使える
ような語彙でない。シルバーと同じ意味になり「大人の」はアダルトか。
いやそれもビデオがなくなりDVDになっても、うっかりと使えまい。



当時は、若者と大人の世界に、弁えと区分があり、反対に良い意味での
背伸びや憧れ感が、社会の原動力のひとつになっていた。
“シニア感覚”のクルマに、若い人が憧れるのも、ちょっと奇妙だが、それが
文化。カルチャーでも、「より先に」成長するエネルギーになっていた。

オタクという成長を拒否する芽の伸び方が出て来るのは、後のことだが、
それは、若者の老人化で、成長の時代の終わりであったのかもしれない。



中断したが、ちょうどアメリカはレーガンの時代が来ていた。

いすゞはGMとの提携が軌道に乗り、70年代から続けていたFRジェミニは
ひと時代前の車であったが、逆スラントの顔を全く反対のスラントノーズに改め
延命した。117は先に長いモデルサイクルを終えて、新生ピアッツアにバトンを
託すと言う時代であったのである。




何だか分らないけど、ユーチューブでみつけたジャズっぽいミュージック。
似ているけど阿川泰子でないのはわかる。
デビッド・マシューズ辺りのサウンドでないかと思って見当をつけてみたが
分らない。
この時代であることは確かだが、カセットテープの形状から言うと70年代
ラストの方であろう。



有名な「サングロウ」のジャケ裏写真も見つかった。
ラブバードというのは実質、松岡直也とウイシングだと思う。

それでは、また来週。



Posted at 2013/02/23 07:56:04 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | その他
2013年01月22日 イイね!

Talbot Samba

Talbot Samba




きょうは、チョット手抜きです。



この軽いノリは、日本だけじゃ、無かったのね。



僕のタルボ。湯原温泉にて。TTが売れて来た頃。



近年の、フランスのボイチュアー番組かな。



何所の国やねん??



ネットの古い友人が、サンバが去って、リトモが来た頃に
描いてくれたイラスト。

もう、この両方とも、いない。


Posted at 2013/01/22 14:56:17 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2013年01月14日 イイね!

80年代ドマイナーヘンタイ車愛好会

風邪を引いてしまった。
この所、ちょっと動き過ぎて、無理に外に出かけ過ぎたのか
喉が痛い。
まあ、いつもの手抜きですが、80年代マイナー車特集です。(うそ)



水野きみこ「私のモナミ」1982

当時某新島襄大学の近くに、モナミと言う名前のメシ屋があったことを思い出す。
京都の学生は、「ジャンボチキンカツ」を憶えているかな?
名古屋出身




河上幸恵(ゆきえ)「ブルーエトランゼ」1983

芦屋市出身 デビュー曲のイメージも、港町神戸の異人館と波止場の印象
個人的には80年代アイドル曲の中で、ベスト10の名曲と思う。
彼女は、事務所のオシも弱く、線も細かったので、後にスケ番刑事調のドラマで
ちょこっと脇役をして引退したのかなあ。生粋の芦屋のお嬢さん。




倉沢淳美「ピンクな瞳でタッチダウン」1987

これはスクロール中に知った。Bサイドの名曲だなと思う。
メロとコード進行、歌詞ともにグッド。アイドルらしく可愛らしい。
ご存知「わらべ」のかなえの女の子。





ちょっと中休みならぬ豆知識特集

堀越学園1986年卒業 3年D組
岡田由希子と本田美奈子以外に、松本友里が故人になっている。
こういうのを動画で作る人が今でもいるのが判るくらい、この卒業アルバムは
テレビ芸能マスコミで、よくとりあげられたものである。




ここから80年代後半デビュー組

里中茶美「魔法のビート」1989

元気いっぱいの南国ムスメ。
沖縄出身 弟は辺土名一茶。
アクターズスクールで後に事務員をしていたと言う伝説も。




吉田真里子「Roman」

アイドル時代の最後を飾る美形
90年代中期は、彼女たちにとり、時代は真冬であったが
震災後の世相のなか、けなげにネットにホームページを開設し
インディーズのアイドルとして活動していたことが忘れられない。

デラックスマガジンOREでデビュー 姫路市出身



小川範子「涙をたばねて」 1987デビュー

アイドル不毛時代に最も曲にめぐまれて、最も損をした女性と思う。
今聞いても、歌った曲はかなりレベルが高い。
あるときにふと、私はこの娘に山口百恵的な陰のある曲ばかりを
歌わせたスタッフの意図に、気が付いたような気がした。
似てないが似ているのである。
子役時代の名前は谷本しげみ。

それではおやすみ〜。

風邪引きのキミ、早くなおしてね。

お・ま・け



Posted at 2013/01/14 00:55:08 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 趣味
2013年01月03日 イイね!

どなたかの喜びそうなゴルフ1が出て来るCM

やった。
このCMは見たかったですね。



この曲の、出だしが、「アポロのような腕、」でいきなりはじまります。
出光石油の商品名が、当時、赤アポロ、金アポロでしたね。


この黄色いゴルフをモチーフにしたような、ゴルフ2初期モデルを思い切り
シンプルにした若いオーナーと、以前妙見山で遭遇して、とてもよいと
思ったことがあります。

つい先日、家の前の国道を走っておられて、車も健在でしたのに気付き
嬉しくなったひと時がありました。

また、お会いできたら嬉しいですね。

ちなみにこのキャンバスの画の橋は、九州の天草5橋の1号橋、松島大橋です。



ここから借りました。
http://www.yado.co.jp/hasi/kumamoto/amakusa/amakusa.htm


Posted at 2013/01/03 13:59:02 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
89 1011121314
151617 18192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation