
昨日は大阪市内を歩いていた。
京橋近くの片町あたり、OBP大阪ビジネスパーク
に近い新しい街なので、クルマもイイのが走っている。
白のアウディA5カブリオレ、幌の色違いを2台見た。
大阪と言うとセンスの飛び抜けた人が、いないと
思われている街だが、そこそこの階層は結構住んでいる。
アウディは四国の地方都市、高松あたりでも多く、完全に
プレミアム層が定着している。
あとベンツのCLKもよく見かける。大げさでない小金持ちの人
たちは、こういった小型のベンツクーペに人気がある。あの
ドイツ語でコムプレッサーとエンブレムで書かれたモデルのひとつ前、
プロポーション的に車輪が大きく見え過ぎる初代のSLKあたりから、
ベンツは小型のクーペに力を入れはじめた。
最初は独り勝ちのロードスター対抗馬のひとつだった。
あの頃は、ライバルは星の数だけあり、フィアットのバルケッタ、
ローバーのMGF、ポルシェのボクスター、そしてアウディTTが
少し遅れて参戦した。
アウディがコンパクトプレミアムの世界を確立したのは、TTから
だったので、この車の出現の意義は大きい。
そうやって、前世紀の終わり頃から14年経ち、今の日本を見ていくと、
国産スポーツクーペが全滅したことに気がつく。
マツダロードスターとフェアレディZが残っていると言っても、売れて
いるのは、外国車である。一体どうしてこうなったのであろう。
私は日本のクルマが、ピークを過ぎて廃れはじめていることを
感じている。
遊びクルマが無いと言うのは、日本社会の精神構造が、かなり
危なっかしい方向に、傾いていることの現れではないか。
日本のクーペの歴史の中には、良いデザインのものも、いっぱい
あった。古いが、117クーペのデザインは良かったと思うし、それの
殻を破ろうとピアッツァを出したいすゞの決断は、会社の寿命を
20年伸ばしたと思う。
確かに日本のクーペのデザインは中途半端なものが多くて、
今で言う“ガラパゴス”的なクルマが多かった。国際舞台で通じない
デザインとスペック。
僕は最終のプレリュードのデザインは、すごく通好みで良いと思う。
しかし90年代のひとつ前のデザインは、変なクルマと思った。
プレリュードは、初代が心に残る。2代目からしばらくは、時代に
迎合したトレンドが続く。
トヨタというところは、日本の最大公約数なので、垢抜けたクルマは
初代セリカのクーペとか、数が少ないのだが、例えばサイノスとか
今でも出す必要があったのだろうかという、疑問符の残る車もある。
あれはワンオンリーだが、カレンとか、カリーナEDの派生車種、
コロナにもあったと思う。
最終型セリカのデザインに関しては、アルピーヌA110へのオマージュが
あるとよく言われる。好き嫌いの分かれるデザインだが、この車の
挑戦を最後に、日本のインダストリアルデザイナーは、諦めたのでは
ないか。日本市場では退屈な車しか売れないと。
そうやって考えると、二つの理由があって、一つは、バブルの時に日本
市場には外国製の本物のデザインがいっぱい入って来て、それまでの
間に合わせ的なデザインの、日本国内でしか通用しなかった中途半端な
スポーティーカーが退場させられた。
もう一つが、日本社会の中に漂う、あきらめ感である。
日本は世界一物質的に豊かになったのに、ひとつも幸福感が無い。
物質的に豊かになればなるほど、日本人は苦しくなって
とうとう大量の自殺者を出しても、平気な国に成り下がってしまった。
この国に、もう夢など無いと。
というセンテンスの展開では、ここ(みんカラ)には相応しくないと
思う方も居るだろう。
それにしても日本のクーペはなぜなくなったのか。
私のように、初代ランサー2ドア、セリカリフトバック2000GT、
そしてフィアット850クーペと30数年クーペ一徹な人間も
世の中には、いるのであるが、これぞ絶滅危惧以上に貴重な
人間が吐く意見なので、聴いてもらおう。
僕は1993年頃からタイやインドネシアに、よく出張にいった。
向こうの国には、60年代から80年代の、フィアットやプジョーが
いっぱい走っていて、ぼくは眼が点になるほど嬉しかった。
国外への出国は、学生時代とかには、しなかったので、新鮮だった
こともある。それと当時のアジアは、日本の高度経済成長期に似て
近代化を急ぐ準備に入ったところで、バンコクにも高速道路も
地下鉄も無かった。
そしてそこにあったのは、セダンとトラックばかりの60年代の日本の
ような風景であった。
アジアで遊びクルマやリムジンがあったのは返還前の香港のみ。
あとマカオは遊びクルマが多かった。
これを皆さん、どう思います?
僕は自転車も好きなので、70年代に買ってもらったプジョーの
スポーツサイクルを、修理しながら今も持っている。そのころに
日本の自転車の世界に、いつくらいからスポーツサイクルが
現れたのか、調べてみた。おそらく一般人がドロップハンドルと
変速機付きの自転車に乗るようになったのは60年以降だ。
競輪と言う競技が現れて、各地に競輪場が出来たことから
いまでも尼崎とか、そういった町にプロショップがある。
小倉には無くて、門司のプロショップに自転車の部品を買いに
行ってたのである。高校時代は。
ところでフランスやイタリアは、1950年代の戦後すぐにも
スポーツサイクルの歴史がある。おそらくそれは、日本人の知らない
長い歴史がヨーロッパにはそれぞれあって、今に続いているのである。
僕は遊びや趣味は人間の幸福を支える部品の一つだと思う。
急激に経済成長し、ピークを迎え、なだらかに下がって行った日本経済が
かなりの速度でいま、失速し始めたと思っている。
その先の恐ろしさにいま、日本中が怯えているのだと思う。
クーペが無くなったといっても、外国産は走っているじゃないか、
という説明は出来る。ただ日本人が日本の車で具現できなくなったこと。
例えばデジカメに全部移行してあれだけあった国産のハイクラスなカメラ、
ニコンFシリーズとかキヤノンF1とかマミヤやブロニカなどがすっかり
消えてしまったカメラ店の店頭。
これをどう思ったらいいのだろう。
伝統と言う国富の考え方を知らないだけだとしたら、これは恐い。
贅沢は素敵だと、よく僕は冗談を言うのだが、一億ユニクロマクドナルドで
日本人は豊かだと、幸せだと、思っているのは間違っていて、ほんとうは
騙されているだけではないのだろうか。
国産でも、こんな高級なクーペが今も作られていて、それを支持する層が
この国にはちゃんとあります。僕は外国人にそう説明したいだけである。
しかしそれは不可能になり遠くなったと思うばかりの2013年の現実である。