• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2014年08月15日 イイね!

イージーリスニングとアメリカ車の日々

イージーリスニングとアメリカ車の日々この頃よく、愛車の車内で、懐かしい城達也さん
時代の、「ジェット・ストリーム」を聴いている。

私が学生だった1980年頃は、11:00PMからラジオは
NHK-FMのクロスオーバーイレブン、日付が変わる
零時になると、FM東京(関西はFM大阪)の、
「ジェット・ストリーム」を聴くのが日課だった。



でもまだ二十歳になり日も浅い私は、変化に富んだXオーバー11の方が好みで
静かなムード音楽中心の「ストリーム」は、城さんの声の渋さは素敵と思うが
最後まで聴くのは、少々退屈だった。





今も続いている番組だということは、あまり知られていない。
たしか3代目と思うナレーターは、大沢たかおさんで、やっぱり声が若くて甘い。

いつの間にか自分も50代半ばになり、このところ考えることはいっぱいあるが、
FMなどの音楽番組の質の低下は聴くに耐えず、CDや古いレコードばかり
聴いている。

また、耳障りなトークでなく、すっと聴きたくなるナレーション技術を持った語り手が
居なくなったこともラジオから離れるきっかけになった。

たまたま行きつけのバーの主人が、私より数歳上であり、このCD7枚組を
「聴かない?」と貸してくれた。
ああ、懐かしいね。城さんも亡くなって久しいけど、こういう音楽番組も懐かしい。


クルマに積み込み夜のドライブに駆けていると、何とも座りがよい。
というか、当時といえ技術の高さに舌を巻いた。

若い頃は音源レコードを買おうと思わなかった、イージーリスニングと言う
ジャンルがある。
ポール・モーリア、レーモンド・ルフェーブルなどに代表されるポピュラー音楽の
歌の無い演奏が、途切れなく続いて、なんというか耳に優しいアルバムが
当時はたくさん売れていた。

音楽マニアより、一般の人が聴いて気持ちよくなれる、音楽パッケージ。
当時はそんな今で言う「タダで聴ける」ような音楽レコードが、2800円しても
たくさんの人が買い求めて、実際街のあちこちや、喫茶店で掛かっていた。



こういった今は顧みられないフリー音源ソフトみたいな、イージーリスニングは
いつの間に、アメリカも日本も、ヨーロッパの生活サイクルさえも変わったのか、
大編成バンドが巧みに演奏したり、話題に上ることも少なくなった。

音源ソースは機械の中で演奏しておれば、間に合うようになったからだろうか。
私は、応接間に深々としたチェアーを置いて、たっぷりとした音楽を聞く時間が
あった、時代のことを考えている。

それはいつ頃だろうか。1960−70年代、生活が豊かになり、音楽や海外旅行と
いった夢が、平和がすっかり普通の日常になった時代に、現実として到来した。
そしてこの時代に、一番人が動く動機になったのは、「あこがれ」であった。

今思い出しても、良い時代であったと思う。

平和は戦争が終わって、20年くらいすると実感する。ああ、あの時代にもう、
戻ることはないんだと。そして今の時代を肯定的に生きることは、恥ずかしくない。

だからこの音楽の夜間飛行のような番組が、控えめに出現して、支持された。

その時代は、一般的な生活は、働いてお金が給料という形で入って来ることが
「宝石」のようであった。
そして、自動車は労働の対価の結晶であったから、より大きくて贅沢さの象徴が
当時の時代の先端を行く、アメリカのクルマだったのではないか。




いつの間にか、価値観がすっかり変わり、忘れ去られたものに、私は時々
光を当てる。
あの退屈なイージーリスニング集の音楽は、若くて尖った音楽が聴きたい
頃には、用があまりなかった。
しかし尖った音楽ばかりになり、相殺し合って今のどうしようもない音楽シーンが
続けば、私は違う物にクオリティーを求める。

まさか大昔のジェット・ストリームから、イージーリスニングが聴きたくなるとは
思わなかったが、これも見方が変わって来たことの現れである。

そして現に希少価値の出て来たビッグ・バンドには癒されるものが多い。

あの頃は当たり前過ぎた物が、今は聴きたくなることと、そのセッティングとして
アメ車の大きなヤツは似合わないだろうか。



昔のアメ車のだだっ広い空間に身を委ねて、ゆったりとした音楽を、神経を
逆立てずに聴く。

パワーアップも、カスタマイズも要らない。

遊びに行くところも、ふた時代遅れのラウンジバーで、ゆっくりとブランデーでも
飲みながら、遠い日の地平線を超えて行った旅のことでも思い出し、ゆったりと
20世紀の記憶を巡らす。

そんなオヤジを演じてみたいとは、誰も思わないものだろうか。

ノーマルアメ車おやじとイージーリスニング音楽。

無駄に思われることに、お金を注ぎ込むことが、カッコいいのではない。
そういう生き様を、さりげなく演じられて、余裕があるふりをするのが
やせ我慢な男の美学のように最近は、思えて来たからである。


そろそろ、人のクルマを意識するのは、卒業して旅に出よう。

Posted at 2014/08/15 01:19:04 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2014年01月12日 イイね!

vieni fiat1995-99(予告編)

vieni fiat1995-99(予告編)つぎは、この話をいよいよ
書こうと思い写真を探して
スキャン中です。






ご覧の写真は1997年11月の、越前海岸の河野海浜有料道路を行く
"vieni fiat1997"ツーリングから帰る一行を写した写真で、最後の
集合点検確認中のものだと記憶する。

この神戸ナンバーのX1/9はたぶん、1オーナーの個体だったと
記憶します。



夕日を浴びる一行。20数台でツーリングしていたと思う。
X1/9、124spider、Panda、この頃は新車だった旧チンクチェント、
懐かしいクルマたちである。




ウーノターボが3台いる。
こんな時もあったなあ。いつも来てくれた神戸の夫婦。
長岡京のウーノターボ、それから静岡方面の1台だったかな。


この企画(イベント)は、fiat車だけの限定で、fiatエンジン車
だったら参加資格ありで、1995(平成7)年から1999年までの
5回、毎年秋の11月に私が中心になり開催していた。

一緒に共同開催してくれたのは、愛知県に住む熱心なfiatエンスー
ジャストのIさんで、彼と知り合ったのは92年頃の創刊間もない
oldtimer誌上であった。
Posted at 2014/01/12 07:30:12 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2013年10月03日 イイね!

4イヤーズデイ

4イヤーズデイ最近フェラーリ456という車を友人が降りた。

そして彼は次の目標であるランチア・フラミニアの
トゥーリングボディのクーペに行こうと、苦労して
いる。
456でもたいてい苦労したのに、と世間の人の眼は、
理解の扉の外で、不思議な世界があると、思って
いることであろう。



僕の文章は、ふっくらとした不思議な空気体と、クラウドのような
宇宙観で包まれている。
その中には50年以上の人生体験で摑んで来た、趣味や遊びの感性や感覚が
充ちているし、この歳で未知や初めて遭遇する体験もあるが、すぐさま、
過去体験より、ランダム・アクセス・メモリーが引き出されて来て、
これは、いつぞやに出会った、あれと、これに似ている。しかし少し違うから
どのような進化系で、これに至ったのだろうと、類推と演繹のコンピュータが
回り始める。







ランチア・フラミニアという車は、趣味車としては、極上の分類に属するだろうと思う。



日本国内にも、今は、多くの個体を見受けられるようになった。といっても
絶対数は二桁あるに達するだけだが、皆手入れがされており、文句の付けようの無い
コンディションで、保有されており、ランチアランチなどの、限定された空間に行けば
その美しい姿を、目撃し感動の余韻に浸れることができる。





フラミニアには、もともと4ドアボディの、どっかりとしたベルリーナ(セダン)が
あった。
いすゞのベレールに似ているなと、実車にお目にかかる機会があったので、思った。



クラシコ・ランチアに魅了されると、もう他の“ワイン”は、飲めないような濃厚な
テーストが有る。

フラミニアベルリーナをお持ちのオーナー氏のガレージには、フルビアとフラミニア
の間の存在であった、フラビアがあった。

宇宙船のような、非常に奇妙なデザインのクーペも存在する。



フラビアは、水平対向の4気筒だが、基本的にベルリーナボディが本国は多かった。
最終期は、フラビアの名前が外れて、ランチア2000の名前になり、ベータシリーズに
道を譲る。これが最終期のベルリーナである。



私は長年、こういった美術品に近いような車も見て、かつ愛車のフィアット850
スポルトクーペのような、日本に「帰化」した旧車イタリアンも乗りこなして、
生きて来た。

くだんの、フラミニア・トゥーリングボディとの、初見は2013年2月17日である。









さて、古いランチアばかり見てくると、普通の車が恋しくなる。


2010年10月11日というから、まる3年前になる。
くだんの友人が、当時手に入れた、フェラーリ456を、公開するので乗って欲しい
と言うので、待ち合わせた。



やっぱりこういう乗り物は、生まれて初めて151系のこだま号の2等(グリーン車)に
乗る時のような、嬉し恥ずかしに満ちていると思う。目の前のロングボンネットの下には
こんな12気筒が、収まっているのであるから。



トランクルームに、眼を移動させよう。



高価な女性用の革鞄を思わせる、専用の工具箱。



これだけで、オーナーになれた喜びで舞い上がってしまうだろう。普通の人間は。

しかし、この日も晴れ渡った秋の日であったが、好事魔多しというか、456は早速
不調を訴えて、ドライブは中断し、我ら2人は積車の人となった。





今回の記事とともにアップする写真は、フラミニアは、当時家族に秘密であり、
456は、友人の名誉のために、敢えて上げていなかったものである。

もう終わった事実であるし、まる4年の間に、我々も歳もとったが、車の勉強になった。
この日の予感ではないが、好調な時の絶世の美女が、ステージが続かないことが多かった。

その度にパトロン(オーナー)は、大変な苦労をしながら、駆け回っていたと思う。
一体我らは、クルマから何を学んだのか。





実は愉しみしか、学んでいないのである。



あの日運び込まれた工場には、沢山の車が来ていたが、私も目が止まったのは
1台のザガートボディを持つフラミニア・スーパースポルト・クーペであった。




国際興業系の、国際自動車商事のヒストリカルなシールを持つこの車は、数少ない
当時の「ディーラー車」であったのだろう。

そして今、彼は貴重な当時輸入物の、フラミニアを、古いナンバー付きで手に入れた。

ここにたどり着いたのも、3年前から運命づけられていたのかもしれないし、
「欲す」という感情が起きるきっかけは、どこに転がっているのか判らない。

レストア途上のこの車が、どのような姿で、公道に再デビューするか、見ものである。




最後に私見であるが、このフラミニア、本来なら最初は3の一桁のプレートが付いていた
と思う。

二桁であれ、三桁であれ、それは乗り手の価値観だから、こだわらないという人の
意見は、間違ってはいない。



だが、残っているのなら、私は当時の空気を残したいために、古いプレートを
尊重する。



私のフィアットにも、京55のライセンスナンバーが、おそらく新車時から残っている
からである。



いま、私の850クーペも、2度目の塗装のやり直しと、大掛かりな板金補修に
はいっている。
フロントのボンネット下の床面は作り替えで、横メンバーのフレームも作って
もらっている。

楽しいことは、続けるためには、隠れている苦労の方が大きい。
また、楽しいものは、簡単に手に入らない。容易く手に入るものはすぐに
飽きてしまうからである。

旧車趣味は、できるだけ不自然でないように、乗らないと、浮いてしまう。
戦前の車とかに、ピカピカの今のナンバーを付けて乗ることは、仕方ないとはいえ
あまり見られたくないような、気持ちになってしまう。

それなら、1960年代、自分が生まれて育った時代以降の車に乗り、出来るだけ
当時の雰囲気や空気を思い出しながら、さりげなくヴィンテージを究めたい。

このフラミニアの現状を見た時の感想。60年代、70年代から80年代初め
までの空気が、このタイムマシーンの中には、そのまま残されている。
その空気をどこまで、逃がさずに再生して、路上に戻れるか。見ものであろう。




Posted at 2013/10/03 03:06:43 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2013年05月27日 イイね!

ビー・ダップ・ハイスクール

くそぉーまた遅刻しちまったゼ。
遅れて信貴生駒の野外授業に駆けつけた。

本来校長先生の愛車、4人乗りフェラーリを見送る会になるはずだった。
それが事情により1転2転して、今日の開催目的は、マンモスうれぴー
ジャガーサルーンのお披露目会?ですか。

劣等生は遅刻して山上(参上)するのが常だけど、
今日はなぜか午後の集まりで、気を緩めていたら、しっかり3時を回って
4時近くになったいた。

今日の参加者は、級長のT3氏とダップさん、よし丸くん、蘭陵王氏、
そのほかピアッツアのS氏ほか、優等生ばかりでない面々であったらしい。

よし丸くんの新兵器にルノーの面白クルマには、びっくりしちまったぜ。
ダップくんの軽ナンバー、4人乗りにもいたく感心。

それにしても、なんちゅう名前や。ビボップ?ビバップと言えば、これ
やないか。



よしまる君の奥さんをヒロインにして、キャスチングすると。

校長=紺の豚
学級委員=ターミネーター3
生徒A=よしまる
女子生徒B=よしまる氏奥さん

変わった生徒C=ムルティプラの狼

不良番長=、、どっかいないか。あ、いた。
やっぱり、いつもチョーランみたいなカッコの似合いそうな蘭陵王。
しかしあのロンゲは武田鉄矢か由井正雪みたいだが。
私も新任教師の役で、ちょい役させてもらいますわ。

脇役募集中。
ステルヴィオさんにも出てもらおう。
2CVのいくちゃんにも、番長の手下で、パシリ役を当然。
なんで番長に浮いた噂が無いンやぁ〜。

それでは、また来週!!!

Posted at 2013/05/27 00:09:38 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | その他
2013年05月12日 イイね!

渋谷系オヤジと昭和40年男

渋谷系オヤジと昭和40年男この半年を超える充電時間に、さまざまな実験や
迷いに取り組んでみた。

昨日の記事のような新しいトライアルをすると、
読まない人は全く反応がないし、新しい読者も
読んでくれているのが、嬉しい。

何よりも忘れかけていた、自分の原点を大分取り戻す
良いきっかけになりつつある。



私はもともと、格好良くてきれいなものが好きだった。
それも通でイキなことが好きで、世俗にまみれるのは、嫌いだった。

サラリーマンといってもマスコミで、結婚して子供の父といっても、
ピアノを弾いたり、誰も乗らない時代から、古い外国製の自動車に
乗ったりしていた。

服のデザイナーだった妻には、多くの男が言い寄っていたが、
私は特に努力もしなかったが、ハートを難なく射止めるのに、成功した。

物語は、まだ続いていたはずなのに、私はすっかり、耀きを失って
しまっている。

でもレコードを聴いていると、私は感受性の深さと、人一倍強い読解力の
持ち主だったことを、取り戻しつつある。

こだわりの強いマニア体質の人間だけど、時代と生活に翻弄されて、
壊れかけてしまっていたなあと思う。



ところで、タイトルの半分、「昭和40年男」には、笑いました。

同タイトルの雑誌の出現、気持ちはわかる。だが、なんでお前と俺は
同じにならないと、イケないのだろう(笑)。

それはボクはいちばん抵抗のあることなのだけど、スーパーカー世代って、
童心を失わないというより、「子供のまま」じゃないか。

6歳下の学年って、そんな分かりやすい共通目標だけで、走って来た
のだろうか。


確かに奥田民生の音楽は、好きだが、あのフィーリングは都会的でなく
地方出身者の郷愁を感じる。

僕より若いが、おじさんぽい体質が、あり、そこが奥田の魅力だなぁと
思います。

でもあれは、広島という土地の臭いだけでなく、「40年生まれ」の体臭
なんだろうか。
何度も思うが、「40年生まれ」って切り口で、文章は書けるが、みんな束にして、
くくってしまって良いものだろうか?

裏返すと、すごくダサイことで、そこに入って行ける人は「おじさん」だと思う。
好きな外車に乗っていても『ココロは「ランボルギーニカウンタック」』で、
それって長い人生で、出会ったものが、外になかったの?と、聞きたくなる。

聴く音楽も同じだったからと、着地点も一緒なのだろうか。



僕らは、勉強からすべて競争だったから、自分の得意なことで、他人に
差をつけないと、埋没する危険があった。

お洒落でも、音楽も、クルマも、珍しいものに走りすぎると、浮いてしまう。

ある程度の共通解を残しながら、どうだ、面白いだろうということを編み出し
たり、見つけて来たりすることが、生き甲斐だった。


今朝はこんな話を、書いてみました。

これから淡路島を渡り鳴門まで、行って来ます。

高雄は今月も休みますので、よろしくお願いします。
Posted at 2013/05/12 05:16:03 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | 日記

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
89 1011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation