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kotaroのブログ一覧

2012年12月26日 イイね!

同んなじ、じゃ内科


















責任者!でてこい!
















説明不要?








Posted at 2012/12/26 12:18:49 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2012年12月04日 イイね!

雨夜とクラブ社会

雨夜とクラブ社会冬は寒いと言う。
だからクルマのオフ会の活動シーンは、10年前は11月で終了していた。
おそらく大磯のランチア・ランチあたりに出動して、その1年の〆とするような。

冬は寒いから冬の遊びをする。
それが本来ではないかと、私は思っていたが、近年一旦凡庸な考えに
なりかかっていたのを、この日曜日のシトロエン倶楽部のミーティングに参加して、
改めて払拭した。

日本はいじけすぎて、前が全く見えなくなっていると言う。
それは政治と経済、あと外交の一部の話だ。

趣味はどうどうとやったら、ええじゃないか。
今日はそのことに就いて、力説しよう。

頭の悪い三題噺のように不景気だから派手な遊びは自粛して、みたいな考えが
まかり通っている。しかし旧車の趣味の世界は、不景気下の20年間に大きく広がった。
ポンテペルレや日本ミッレミリアのようなイベントが、成立するようになったこと。
これを構造格差や飛び抜けた金持ちの遊びと捉える考えは貧しい。

趣味の世界に貧富は、本来は無いと思う。乗っているクルマの市場評価とか
そっちの面でいえば、値段がどうのとか、相対的な側面があるだけである。
それを羨ましいとか、そっちの世界に行きたいとかは、昔から別次元だ。




僕は若い時から、大きな関心を持っているものがある。それは英国にみられる
クラブ社会の発生理由と存在意義だ。社交倶楽部と言う言葉があるが、日本では
おそらく大正期や戦前の昭和の方が、今より正しく理解されていたと思う。
ルールとマナーを守り、クラブ員になるには、メンバーの推薦が有り、仲間に
認められないといけない。おおよそこの概念は、あまり変わっていないと思う。

このクラブ社会に対して、水平やフラット化する今日の基準をあてはめたのが、米国を
ルーツとする、インターネット的なフリーダムだ。
保守と、革新、それとも前衛(アヴァンティ)こういった概念の対決は、いつもある。
僕はそれが議会制民主主義の、根本だと思うし、自分が政治家だったら、若い後輩に
それを教えるのが仕事だと思う。

松下政経塾も、理念は借りてきたと思われるが、ここの部分で命を懸けられるかという
貴族性が無い。それは幸之助さんには無理だと思う。

さて、クラブ社会は男を学ぶものだと思う。
私はスポーツをやらないが、ゴルフやラグビーには、本来野性的な要素がある。
チームプレイと自立心、そこをどう学ぶか、というのは、私のようなブッキッシュな
生き方をしなければ、体得する方法はある。
ゴルフは本来カントリークラブというように、やりたい人がフィールドを開墾し
多少の石や木を除けながら、ゲームが出来るように、自分らで運営するものであった。

日本に伝わったゴルフは、ホワイトカラー全盛時代にとんでもないものに
化けてしまった。だから私はやらない。
でも、この経緯から学ぶものはたくさんある。



接待ゴルフと対極のスポーツスピリットとか、真冬にスポーツを楽しむのはなぜ?
といった、アウトドアや、野外で身体を動かすのは、自然災害や非常時のための
備えとも考えられる。我らの祖先は、日本は日本流に、英国は英国流に、アメリカは
米国流に、手なずけるのか、制圧するのか、和の精神のように親しむのか、経験則と
方法論で、大自然と付き合ってきたのである。

シトロエンクラブはフランス流がルーツだと考えられるが、20年前も今もわりと
冬に野外ミーティングする。火をおこす人が必ず数組いて、そこで軽便な調理をしたり
お湯を湧かして紅茶を飲んで、暖を摂るのである。



今私は、昭和4年に建てられた木造の長屋の部屋で、この記事を書いている。
明け方近くになり、流石に冷え込んで来たので、石油ストーブにやっと火を入れた。
また、食事から何時間か経過しており、階下に下りてワインと食パンと、
夕方に買った総菜を持って上がってきた。
これを電子レンジで「チン」しようかと思ったが、連接した隣家に迷惑であろう
と思い、やめた。こんな原稿を書いているのだから、冬を楽しもうではないか。

ワインとパンさえあれば、自分の記事に酔いながらいくらでも書ける。
元々が清貧な家系に育っているのであるから。
本論に戻って、これからのクルマ社会、とりわけ旧車を巡る空間は、僕は廃れないと思う。
趣味というのは、最初に書いたように経済や政治に対し、独立した精神であり、
宗教的な悪意からも守られている方だと思う。



願わくば、クラブ社会を、脅かすものが除去できるなら、お金(金銭)の管理と、
メッチェン(異性)の存在かもしれない。
それは起草した宣言に於いて、遵守すべきものは守る。それでも、人間だからいろんな
ことはおきる。
だいぶん最後の方は、格調が堕ちてきたので、この項はそろそろお仕舞いにする。

もっと冬に遊びましょうや、みなさん。自然を克服するのも、自動車と言う機械文明が
産んでくれた最大のジョイかも、しれません。でも気をつけてね。



あ、最初の写真のシビックのナンバーはオリジナルじゃなくて、合成だからね。
こういうところも、遊ばなくっちゃ(笑い)。



Posted at 2012/12/04 02:35:19 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2012年12月01日 イイね!

深夜の立ち話

深夜の立ち話昨日広島から帰り、食事はもうよくて、私の旧屋には
バスが無いので銭湯に行き、11時半前に近所の社交場
であるスタンドバーに行った。

週末に月末が重なり、狭い店はその時間でも満員で
あったが、やがて1人帰り、
また1組と0時前には私ひとりになった。

12時閉店でも、お客さんが居る間は、良いですよと、
マスターの好意に甘えてグラスに残った酒を飲み
ながら、世間話をしていた。


いつの間にか0時半、悪いなと思ってたら、こんな時間に新たな客が、現れた。

それが、この町にこんな美人いたのかな?と言うくらい。年の頃は30歳前後だろう。

既婚か未婚か? 久しぶりに関心が女性に起こるのを、自分でも感じたが、その
大場久美子さん似の女性に俄然興味が湧いたのを、必死に隠して、何くわぬ顔で、
彼女が深夜の店に飛びこんで来た理由を、さっきまでの人生の悩みはどこへやらで、
聞いている私がそこにいた。(爆笑)。

どうやら彼女には、心の中に住むひとが、いるのだが、手がかかりいつまで経っても、
ぴりっとしない。マスターは初対面で無いらしく、彼女は仕事の上でも、生活のほう
でも深い関わりのある男性の幼さに時々切れそうになり、この店に飛びこんで来るようだ。


真面目な顔のマスターと、真面目な顔をした私が、「なんだ、貴女は悩むだけ、
ホントは幸せなんだ」などと「深夜食堂」のような会話をしている(笑)。


イヤー最後まで、残っていて良かったなぁ。こんなストライクゾーンの女性と話を
するなんて、久しぶりだ。
いつもは草野球以下のゲームにもなっていない(笑)。

そんなこと言ってる場合か、アンタはと、心の中のもう一人の私が、猛烈にツッコミを
入れるが、美人と客は私一人。マスターも男だが、私の方が若い(何のこっちゃ)。

ゴメンマスター、もう25時だ!

しかしその痴話の後が面白かった。ねっからの彼女の実家はダ〇ハツ党なのである。

お父さんの最後のクルマを何にしたか。

ダ〇ハツは地元や関係者には、絶対値引きをしないので、お父さんは一時期以降は、
ニッ〇ンに乗らないと、広島まで帰省する足がなかったこと。
彼女の子供の頃は下道で、それでも軽で帰っていた事。

アプローズがあるじゃないか。シャルマンは? と言うツッコミに、彼女が笑って
ちゃんと答えられたこと。
いやぁ地元ネタは面白いネ。

マスターも限界だ! お愛想、ゴメン、帰ります。
彼女に「話相手はいつでもしますよ」と言って、吐く息も白くなった街頭にひとり
飛び出した。

Posted at 2012/12/01 09:16:21 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2012年10月16日 イイね!

40年間の封印を解く

40年間の封印を解く13歳の模型少年に出会ったことで、私は自分の中の
少年時代に少しずつ、戻ろうと思う。

あの学校帰りにいつも立ち寄っていた、大分のタケダ模型の
ウインドウに釘付けだった頃の楽しい思い出が甦ってきた。

ということで、これからお見せするものは、2012年の現実で
あるが、これらのものは今から40年ほど前に、作ったプラ
モデルや当時集めた「がらくた」である。

4、5年前に空き家になっていた九州の実家を掃除している
ときに発見し、大阪に連れて帰ったものである。

自動車中年には激しく刺さるかもしれないが、それは許してちょんまげ。



いすゞベレットMXのプラモデルの箱である。ミドリ社でスケールは1/32で
値段は100円だったと思う。なかなかカッコイイクルマで、プロトは何台か
作られてカーグラフィックでも取り上げられている。

実売していたら、トヨタ2000GTを超えた、伝説の日本初のスーパーカー第1号
になっていたことは間違いない。こっちはミッドシップの本格的なドリームカーで
性能も良かったが、市場判断で出せなかった。欧米に輸出していたらと思う
40数年後である。残念ながら箱のみ現存。



ちゅうじ500氏のレオーネの記事にインスピレーション。
これはスバル360、R2と来て、これじゃ売れないと、フルチェンジして出した
軽自動車のレックスの一番最初期の関連グッズ。たぶん塩ビ製のお手拭
置きが入っていた箱である。

360のリアエンジンのレックスはグリルも要らない筈なのに、「ヘン」であった。
CMテーマソングは吉田拓郎の「僕らの旅」で「共鳴レックス♪」がエンドテーマ。



ソノシートも応募券送ってプレゼントしてもらったのに、こちらは救出できなかった。

思い出はないが、自動車展示会で物欲しげな顔していたガキが貰ったのであろう。
ナウなヤングたちの裏箱写真にただ涙。


一番最初の写真の外箱である。



オータキ製の1/20スケールの日産フェアレディZ432である。1000円、超高級品で
大人買いなど無かった時代。1/20サイズは後に出てくるバンダイ製が強かったが
箱のデザインの大人っぽさに憧れて、お年玉で購入したと思う。

よく残っていたなあ。エンジン部の中に小型モーターを入れて駆動する構造だが、
当時の馬渕FA13のトルクでは、到底走れない。でも僕らの世代、結構理系の
ノーベル賞科学者が多いが、彼らもきっとこのあたりを作ったに違いない(笑)。



一番上の写真の中に入っているホンダZと1300 77デラックスの外箱サイド。
ほかにこんな種類が出てまっせ~という紹介なんだけど、僕のような少年は
横積みされた模型店の箱のこの部分を皿のように眺めては、「次はこれ買おう」
来月の小遣いがどれだけ待ち遠しかったか。

あの時代は大人は実物の夢を見て、子供は模型のクルマの夢を見られた
ほんとうに高度経済成長期というのは、楽しかったなあと、しみじみ思います。
わずか100円のプラモを買うのに、「待つ」という時間の楽しみがあった。

僕は大人買いというのは「後の楽しみ」が無いので反対の立場を取ります。
そんな大人を見て育った子供はきっと、「たしなみ」の無い人間に育つと
思うからなのです



いよいよバンダイ製の1/20シリーズである。

三菱ギャランGTO MR、4G32型サターンDOHCエンジン積んだ「ヒップアップ
クーペ」に日本中の若者は熱狂した。私がクーペの単語を覚えたのも、この自動車からであります。
箱のデザイン担当したイラストレーター氏の気合が伝わってくるでしょう(笑)。

FA130モーターつきでお値段は800円でした。当時は消費税はないけど定価で
買うのが普通で、プラモは大手スーパーの取り扱い品になるのはずっと後年です。
テナントの玩具店を侵食していませんでしたね。

1980年代から定価の1割や2割引くようになりました。レコードも昔は定価売りで
した。大学生協は組合なので2800円のレコードが2520円で買えました。それで
1食エコノミー定食が食えたのは大きかったね。牛丼も当時300円でしたから。




一世を風靡したバンダイの1/20シリーズから。まだまだ続きます。
今夜はミッドナイトDJ状態で、寝させません(爆)。

GTOの箱のサイドで僚友を紹介。セリカ1600GT、カペラGS(クーペ)、
カローラ1200SL(2K-Bツインキャブクーペ)、ホンダ1300クーペ9、
サニー1200クーペGX(110の初期の4速車)、それにこのマツダファミリア
ロータリークーペがラインナップ(昭和45年現在)されていたと思います。

バンダイの歴史はブリキの玩具の万代屋から始まるのですが、私は
コレクターではないので、歴史詳細は各自で確認してください。
コグレと今井科学の流れを引いているとは、初めて知りました。

上記の箱の中で一番人気がセリカGT、GTOMRはおそらく二番人気で
郷ひろみに対する西城秀樹のような存在でしょうか(笑)。私は近所の
子がセリカを買ってもらったので、迷わずGTOを指名しました。



MRの載っている、1600時代のカタログももちろん持っています。
小学校帰りに大分三菱に寄って友人が貰ってくれました。その後はガキは
味をしめて、自分で貰いに行くようになります。これは1700ccのGTO17X
シリーズ時代ですが、短命に終わり、すぐにアストロン2000を積んだオーバー
フェンダーで有名なGSR時代が到来します。

フェアレディS30も、ピュアな432を好むか、トルキーでワイルドで、実力No1
だった240ZGを好むかで、2派に分かれますが、ギャランGTOもMRの希少価値
を讃える一方、アストロン、排ガス対策で、初期のラムダ時代まで三菱スポーツの
孤塁を守った2000時代をもっと光を当てて欲しい。
多分国産車より、ロータスの歴史などを知ったかぶりする半可通が多いのは
私はウヨクではありませんが、日本人として恥ずかしいと思います。

でロータリークーペのことが、省略されてしまいごめんね。この箱のは
昭和47年くらいに売れ行きが落ちたので、モーターレスにして箱も小型化、
値段は350円まで値下げしました。バンダイオリジナルではないのでしょうか。



GTOの1/20と1/32が入っています。ロータリークーペは組み立て中に
塗装したバンパーをZライトに当てて乾燥作業中に、悲しいかな、バンパー
部のパーツがぐにゃりと溶けてしまい愕然。ですからバンパーレスのレーシー
仕様に切り替えました。



今度は1972年頃に倒産したエーダイ産業の1/20、日産R381プロトをお目に
かけましょう。「怪鳥」R381は、桜井真一郎のピュアなスピリットを受け継いだ
R380の陰に隠れた、シボレーエンジンを積んだ和製Can-Amカーです。
R382の1-2-3フィニッシュ(1969年)も快挙ですが、王、長島より末次の好きな
小生は、このR381の荒削りなチャレンジ精神が大好きです。

実際にレースに出てウインした、開放座のレーサーモデルの影にこんな開発期の
クローズドボディがあったこと。これをエーダイが市販化したこともあまり知られて
おりません。和製917をお見せしようじゃ、ありませんか。



モーター電池別で600円。100円の1/32スケールばかり作っている子供には
思い切った買い物でした。私の不人気車好きは、こんな時代から始まって
いたと言っても過言でないと思います。で、中にもっと変な車の箱が入って
居ましたね。



BMW2800スパイカップ? 6気筒の2800CSベースのショーモデルカーでしょうか。
癖の強いデザインは、アルファロメオモントリオールにも似てるような。ルーフ
トップが少し後方に延びているのも面白いデザインです。ナカムラというプラモ屋
は、あまり知りませんか鉄道模型に一時期あった中村精密と関係があるので
しょうか。



このモデルの同僚は、市販車が半分で、ランボルギーニ・エスパーダと、
デ・トマソ・マングスタ。それに試作車のランボルギーニ・マルツァルというのが
嬉しいですね。



年代は変わって、1979年から僕は京都の私立大学に通う大学生になります。
プラモの購入は1972年を最後に、7年間のブランクができました。その間何を
していたかというと、鉄道模型のHOゲージの自作が中学高校時代のライフワーク、
その他、中学時代のSLから始まった鉄道中心の写真趣味、それから今ほどの
自由さは無い代わりに、禁欲的な某アイドル歌手のファンになり、フォークギターを
憶えてラジオの深夜放送でよく音楽を聴くようになりました。平均的ですが、明星の
付録の歌本を「要らない」という友人から毎月もらい、ギターコードを覚え新曲を
アイドルから演歌洋楽までチェックするようになりました。

高校時代は自転車にものめりこみました。愛車一覧のプジョーのシンプルさを
追求して、東京や関西のサイクルショップまで、遠征するようになりました。
東京で単身赴任する亡き父に会いに行くために、夜行列車と新幹線を乗り継ぎ
その帰りは輪行バッグいっぱいの自転車部品類を、友人の分まで担ぎ屋のように
小倉に持ち帰ったのです。



このプラモ空白期の模型2台ですが、クラウンのスプリンターリフトバックGTは、
実物空白期でもあり「こんなのがあったのだ!」と、懐かしいクラウン製に目を
細めました。
メーカー不詳のインチェンティミニ1300クーパーは、そろそろ外車開眼です。
国産プラモ後退期の製品らしく、まともに組み立てられないレベルです。
金型を海外から買ってきたとも思えます。英国ミニに対しイタリアミニがあること
は、英国オートカーなどを読んでいたので知っていました。



HOゲージの000番糸鋸で、ドアを切り取って、開放できるように改造中で
挫折しています。この頃は大学時代の下宿で、暇なときにプラモのリファインを
始めました。削り出しや、パテ成型して、まともなスケールになったら塗装しよう
と思って、全部仕掛け品で、殆ど完成できていません(笑)。

この二つは1/24スケールですね。イノチェンティは箱にスケールも記載されて
居ませんがおそらくその大きさです。
昭和40年代は、僕の主流は大型が1/20で小型が1/32スケールでした。
当時の1/24は、あるにはあったのですが、エーダイ製が良かったです。

1/32はゼンマイ動力で、1/24からモーター動力(別売)が基本なのです。
1/20はモーター付きの高級品。当時はマブチモーターが輝いていた時代でした。
外国のプラモに出会うのは、京都に出てきて、当時始めたばかりの学生企業の
ボークスが同志社新町校舎の入り口前に店を構えます。
ここでモノグラムとAMTを知りますが、モーターどこに入れるねん?と突っ込み
たくなるようなモデルが、僕の1週間分の食費くらいしてました(爆爆)。

そう、日本のプラモはガラパゴス的発展をして、その頃(1980年前後)はもう
田宮が超一流になっていました。「が、」私は面白くない。ので、タミヤ以外の
2流のメーカーのプラモをあさっていました。マルイが「街道レーサーシリーズ」で
気を吐いたのもこの時代(モデラー後期)です。

世間には横浜銀蝿とかナメ猫とか(笑)。時代は確実に変わっていました。



これはエーダイの後期、1/25シリーズのレオーネGSRです。
何でこんな縮尺を採用したのか、ナゾ。



これも変なスケールで、ミツワの1/30 スカイラインGTR HT。箱スカは実物の
人気がすごかったのに、プラモは新車当時殆ど出ていませんでした。
これもモデル史のナゾのひとつです。写真が逆様ですが、下の4台の平行車種が
秀逸で、左からスプリンター1200SL (ノット27トレノ)、ギャラン1500GS HT、
ホンダクーペ1300カスタム(9)、サニークーペ110は1200GLデラックスで、
ミラーも砲弾型のスポーツモデルでなく、平面の角形だ(笑)。シブいだろう。




さあ今度は少しメジャーなメーカー、ニチモです。自動車プラモは、それ程入れ
込まずに、ニチモといえば、よく喫茶店のウインドウに、エレキギターの精密な
モデルが飾ってあったのを、記憶している人も多いでしょう。

VANジャケット、アイビーファッション流行った団塊世代の兄貴らのアイテムが
エレキギターで、ニチモは玩具屋でない、ちょっとスノッブなモデルメーカーでした。
スロットカーで60年代風靡したコグレも、私が自動車モデルを始めた頃には
もうありませんでした。後年発見したコグレのトヨタスポーツ800を持っていますが
センスが良くて高級品の香りがしました。

そのニチモが満を持して、自動車モデルに参入したのは、小型の特殊用途な
国産車4車種のみ、だと思います。スケールは1/20でした。
スズキジムニー(SJ10)、バモスホンダ4、ダイハツフェローバギー、あと一つが
何だったろう。思い出せません。

エレキギターや、ドラムスセットなどの展示模型の精密さを誇るメーカーだけに
モディファイは、良かったです。さらにこのメーカーはムードがありました。社風が
きっと良かったのでしょう。早くに撤退して、ニチモは思い出になりました。


今夜はどこまで封印を開封するのだろう。もう皆さん、よい子は寝られなく
なりますよね。



エーダイの1/24シリーズを紹介します。僕が買った自動車プラモの第1号は
これだったかもしれません。ブルーバードU1800SSS-E。
いわゆる1970年に610ブルが出て、その旗艦だったモデルです。
日産初のインジェクション搭載車で高性能の頂点を目指しました。510ブルから
全てを新しく、デザインを変えたのに、あんまり売れませんでした(爆笑)。510が
良すぎた上に、大きくなったボディは意外と狭く、特にリアウインドウは視界が
悪くなり、これも不評でした。




エーダイの兄弟。ブルーバード510SSSのラリー映画「栄光の5000km」サファリ
仕様。これも持っています!。ホンダ1300クーペ9、結構モデル界では人気車種
だったのに、実物の晩年の惨めだったこと。宗一郎は「神様」だってみんな言うけど
神様もときにへまやるなあ、の感想です。いや、けなしているんじゃなくて、マーケ
ティングの分野に於いて、です。サニークーペ1200GX、ラリー仕様。実物もこんな
風にモディファイが流行りました。街に乗ってくるのに、なんでラリーなの?!
いや、車は時に勘違いを流行らせる面白道具だから、楽しいのでしょう。

下段に移って、スプリンターSL、これもラリー仕様。1200と1400の違いはK型
エンジンとT型エンジンの違いで、カローラ20系は主流はこの排気量です。
SLがツインキャブのスポーツ車で、後にSRというグレードが追加されます。
ブラッキーカローラといい、ラジアルタイヤを履き、ホイルキャップを廃し、室内を
黒色系統に統一して、スポーティーさを謳う代わりに、価格を少し抑えます。

レビン、トレノ、セリカGTVの系譜は、このカローラSRから数年続くのですが、
ラジアル標準、乗り心地も改善されて、特別な存在で無くなると、扱いが消えました。



1/24スケールの、もう一つの雄、のちに大飛躍するマルイモデルのセリカ1600GT
国際ラリー仕様です。これはカッコ好かったなあ。ボンネットのブラックアウトは
反射防止で、この時代は流行りました。エレガントな初代セリカですが、リーフサス
のカローラレビンより、乗り心地はずっと好く、ラリーストによってはアンダーパワー
であっても、セリカを好んでラリーに使う人も多かったです。疲れの問題もあったの
ではと思います。



そろそろおしまいにしましょう。これもマルイで、ゼンマイ動力の1/25サイズ
ホンダN360です。ジャケットの画も、こんなものですが、当時のファッションとか、
男性の憧れが、ご想像できましたか。特に35歳以下の皆さんは。
ホンダNが、スバル360の築いた軽自動車の穏やかな城下町に殴り込みをかけて
スバルが昭和33年発売ですから、その10年後に天下をひっくり返してしまった。
それは今思うと、レボリューションだったのです。

スバルはR2を慌てて出すけど、見掛けも大人しいし、工作的に360を超えられて
いない。だからもっと慌ててレックスに移行しました。
あの頃の360ccは担当者は大変だったと思いますが、次々と新モデルが出て面白かった。





ミニカスキッパーなんて、こんなミニGTOみたいなクルマもあったのですよ。
「こしゃくにも、クーペです」というCMナレーションが、街に流れていて。



模型の話が続きましたが、こんなものまで買っていたのかと驚いたりして。

大人買いをした成人以降の収集モデルは、手付かずが多く、近年フリマなどで
大幅に処分してしまいました。
この九州から発見された模型に関しては、年代も古く、工作レベルも小学生
くらいですから、もう一度レストアして、見られる程度にしようかとも思います。

でも思い出のものは、そのままでも良いかなとも考えてみたりもします。

普通は「通過儀礼」だから、捨ててしまうのが当たり前です。外箱がかさむので
小さく作り変えた時代のもあります。しかし手書きの空箱絵は、風呂屋や映画館
の手描き看板のように味があるなあと、思い直し、ホッチキスを外してペッタンコ
にして、ここまで保存して来ました。

笑ってやって下さって、結構です。でもこんなふうに、インターネットが出来て、
あの時代の車の好きな人たちが、何十年もたってから、話題に出すと喜んで
もらえるなんて、12,3歳の僕がどうして想像しましょう。

でも、まあ実物も長く乗っていますし、そのクルマが新車だった時代の話題は、
こんな風に、すらすら出てくるのが面白くておかしいです。

この記事を読んでくれている13歳のモデラー君に、こういう風な齢の取り方も
あるんだよと、捧げておくことに、いたしましょう。

Posted at 2012/10/16 08:22:46 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2012年09月01日 イイね!

これまでどんなところを走って来たのだろう

これまでどんなところを走って来たのだろう雨の朝に9月を迎えた。
この洗い流す水で、気持ちが落ち着きそうだ。
昨夜から、きちんと食事をとり、夜は早めに寝ることが出来た。
お酒は抜こうかと思ったが、行きつけのお店のマスターと
薄い酒を飲みながら、軽く話をした。
これなら大丈夫だろう。

さて、クルマのブログも休もうかと思ったが、面白いと思って
読んでくれている人がいるのであるからやめられまい。
べつに負担には思っていないので、きょうも日記を書く。
最初の小さな一枚は、カーセンサー関西版の2001年頃の
記事である。
ここにオペルカデットで登場しているのが私。
横にいるのが盟友の紺の豚氏である。

このオペルカデットというのも、「後から発見した」妙に気になるヘンなクルマの1台である。
ただの大衆車ハッチバックだから、ものすごくシンプルで、エンジンは平凡、
室内も飾り気無し、いったいどこが良いの?と尋ねられたら「なんとなく惚れた」としか
言いようが無い。
ただ「最後の西ドイツ車」(1989年モデル)とか、質素で室内に何にも付いていない
昔のヨーロッパ車、特に「ジャーマンアメリカンの良さ」と説明していた。
カメラ好きの私たちはあの頃、ドイツコダックの1950ー60年代の名機
レチナをお互いコレクションしており、GMオペルやドイツフォードって、レチナみたい
な存在だねと、よく酒のネタ話にしていた。

少し説明すると、米国経済と言うのは、今ほど露骨な金融経済主義をとる前は
欧州進出などは、地元のメーカーに出資し取り込んだり(GM系のオペル、ヴォクスホール)
ドイツとイギリスフォードのように別々の地元の国の1企業であった。
昨年破綻した世界を制したイーストマン・コダックでさえ、昔はドイツで良心的な
純ドイツ的なカメラを作っていたのである。そこにあるのは伝統的な技術であり
歴史への尊敬と一定の評価があったのである。

戦後の西ドイツカメラを駆逐したのは、日本製である。いま、日本製品が
中国、韓国、台湾らに追いやられてしまい、見る影も無い。やがて歴史は同じことを
繰り返すであろうが、日の丸やナショナリズムに訴えて、国内政治にまで
自説言論を主張する者たちはVAKKAじゃなかろうかと思うのだが、この国は幼い。
アメリカに日本車が溢れた70ー80年頃の、デトロイトのことを思い出して欲しい。

ところで消えた西ドイツカメラの中にエディクサという会社がある。ここの
1眼レフのうち最もシンプルなスタンダード機の名前が「Kadett」なのである。
嬉しいだろ。当然私もコレクションしながら、カデットで出かける時はKadettを
積んでいた。
リコーのハーフに初期にキャディというカメラがあるが、これはC綴りで始まるが
コンパクトで性能の良い、などいう語感があるのであろう。

さて、紺の豚氏は銀色のリトモアバルト130に乗ってきた。この車も2002年に
ポンテペルレを「追っ掛け」した時に、瀬戸大橋与島まで乗せてもらい、帰りは
運転した。ヤフオクで5万くらいで買ったクルマだったのでは、ないだろうか。
ちなみに私のカデットも、廃業同然の自動車店の草むらから出してきて、5万円を
払った記憶がある。



紺の豚氏というと、ランチアテーマのスペシャリストで、中古の832を2代乗り、
マセラッティビトルボ系のジゴロのような空間でない、古いお城の中の革製
チェアーのような座り心地がたまらなかった。実際新御堂で加速されると、
「高速責め道具だ」と思ったものである。
この人は他にフィアット系の2Lターボ5MTとノンターボの「ただの4発」というのも
一時乗っていた。
挟んだ写真はごく初期のPRV系でないかと思われる、V6で神戸のイタリア
領事館の車を80年代中頃に、見掛けたものである。この頃はランチアテーマは
とても珍しかった。

しかし彼は、こんな恥ずかしい過去も、バラしてイイノダロウカと思うが、ある。



俗に言うテーマタクシーと近隣で言われた、ジアッロに塗られた前期型の1台。
私もカーセンサーに出ている広告で、「いつまでも売れないなあ」とチェック
していたのであるが、後にこれを2足3文で買ったのが彼であったことを知り
噴き出してしまった。
ニコイチ、サンコイチをやりながら、テーマ生活を楽しまれていたのである。

90年代から2000年代前半は、世界が大きくカーブを切った頃である。
日本はまだ、雇用や経済に余裕が有った。車好きたちは爛熟した文化の
裏で、こういった誰も乗らない車を見つけては、面白がっていた。
それを何と言うのか、いま、一定の評価を付けても良いのではないかと思う。



この写真のローバーは、800シリーズでも珍しい、5ドアハッチのVITTESSである。
こういう車が走って来ると、ときめきを覚え、アナログカメラを向けた頃が懐かしい。
名車P6の後釜で、評価の低かったSDー1を引き継いだボディ構成のモデルであろう。

ローバーがホンダからBMWにパートナーを代えて、75シリーズを出した頃は
まだ自動車雑誌の絶頂期であった。
英国風生活を引き合いに出して、英国車をもってくるというパラダイムは
まだ続いている。自動車は外国生活に対する幻想なのだろうか。



私はブルジョワジーの時代は終わりを告げて、各国の普通の人が
普通の暮らしの中で、どうライフスタイルを楽しんでいるかという方が
今のクルマ文化を語る時に、説得力があるように思える。
大矢アキオさんの新著も、停滞する欧州の中で特に「見えにくい」
イタリアの今を伝えてきているようである。
日本が不景気なのは、円高の側面ともう一つは、輸出型企業の凋落である。
日本の自動車メーカーも、英国のようになる前に、カメラメーカーのように
減って行くのかもしれない。
ただ、個人生活は続く。英国であれ、イタリアであれ、僕らはどこに主眼を置いて
生きて行けばよいのか。
80年代の江坂とMGの映った写真を眺めながら、考えて行くことにしよう。


Posted at 2012/09/01 07:49:16 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ

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「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
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