• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2014年02月03日 イイね!

往きし日の面影

往きし日の面影最近、古いネガをスキャナーに
かけて、忘れていた写真を
再起させている。








日本の40年前くらいの映像を、私が写真を撮り始めた頃より
思い起こして見ている。





どうだったんだろうなあ。1970年代って。
適度に幸せだったし、若いし子どもだったから
屈託も少なかったように、記憶もしている。





これから40年後には、8割がた私はいないと思う。
この辺りで写真を見て、歴史を振り返るのもいいだろう。





お暇な方は(すいません)写っている車種を全部当てられるかな?

Posted at 2014/02/03 02:34:48 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ
2014年01月17日 イイね!

平成7年の大震災

平成7年の大震災お早うございます。
19回目の震災記念日になりました。
その後のいろんなことを思えば、いいいじゃない
今生きているのだから。とあーしろこーしろ言う人の
気持ちも分からぬではありませんが、わたしは
ひょろりと交わしてやっていたい。


阪神の直下型地震と、3年前の東北と東日本の地震、津波、原発災害を単純に
比較は出来ないと思います。
今日は19年前のこちらのことを思い出す1日にしたいと思います。

追記:震災後に、思い切ってクルマを次々買ってみたり、自らイベントの中心になり、頑張った時期が、10年続きました。

15年目くらいでガス欠になり、今のような気分が続いています。

明日は小沢コージさんに取材を受けるというのに。

がんばります(^_^)もう一度。
Posted at 2014/01/17 09:53:25 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ
2014年01月15日 イイね!

Vieni Fiatの思い出

Vieni Fiatの思い出最初に断っておくが、これは今から19年前から
15年の昔に私が個人的に開いていた、Fiat車に
限定したツーリング&パーティーイベントの
思い出である。

私は写真にかぶせを入れるのが好きでないので、
自分なりの価値判断で、写真は記録と考えて
撮影した画像は原則そのままで行く。
もしも不都合な理由があれば言って頂ければ
削除なりひっこめる判断をする。

また、長い間に音信のつかなくなった人も多いので、記事を見て喜んで頂けるなら
連絡が取れるとうれしい。



今回の記事を書こうという気になったのは、阪神の大震災からもうすぐ19年になると
いう事実。私の夫婦が今年でついに55歳になる。

予告編にコメントいただいた方は、第1回参加以来の友人で、最年少だったその方が
今年、先日で不惑の40台になられた。
当時の21歳のクルマ好きが、今やイベント時代の私の年を超えられて、子どもたちの
よき父親であること。

元々頑健でない私は、ある程度の子育てが終わり、さっさと世間を引退してしまった。
いつまでも好きなことが出来るのか。
昨年小林彰太郎という星が消えたことも頭にある。

第1回の記念写真を掲載させてもらう。



撮影場所は、最初の開催地、福井県小浜市の市外にある海浜公園駐車場である。

写真ストーリーを説明しながら、なんでこのようなマニアックなイベントを当時やること
になったのか、平行して書いて行こう。
前記事にも書いたが、ある雑誌誌上で、一人のフィアット好きと出会ったことがある。

その前に90年代に家庭を持つようになった私は、87年から乗り始めた850クーペを媒介に
あたらしい一つの趣味の世界が、構築出来ないかと、案を練っていた。
創刊したばかりの、クラシックカーを自分で整備する雑誌に投稿したのは、自分の存在と
仲間を呼びかけるPRだった。

すでにX1/9の詳細記事を書き、自らクラブを作って活動するMさん、今も124スパイダー
アバルトに乗るSさんらとは、電話や手紙のやり取りをする親交が始まった。



当時の状況を説明しておくと、80年代を経て、市場には中古のfiatが転がっていた。
バブルは終わったが、まだ今よりは景気の良かったなかで、fiatはディーラーが不安定で、
決して「買い」のクルマではなかった。
でもフィアット好きと言うのは、少し昔の良いイメージが尾を引いており、
さらに私のように60年代から70年代初めの”黄金時代”に思いを寄せる人間もいる。

そんな中でX1/9や124Spiderより、コアなフィアット好きを探していたら、偶然出くわ
してしまった。

愛知県にいたfiat128セダンに乗る男性から、熱血な手紙を頂いたのだ。それには
オールドタイマー誌から、勝手な判断で、紹介させてもらったことをお詫びしますという
書き添えも着いて。



私は大学と仕事で東京と関東方面の縁がない。fiatという文化を語るには、それは大いなる
ハンディキャップなのだが、まだ若い頃の私には未知の領域に怖いものはなかった。

その足りない部分を補ってくれたのが彼で、古いファンは覚えているFLMC、フィアット・
ランチア・メンバーズクラブの初期からを知る友人は、ガレージ伊太利亜や、クイックト
レーディングなどの周辺部の話をとても面白く教えてくれた。

JAXとチェッカーモータースでさえ、行ったことのなかった私には、それは面白い趣味の
始まりを予感させたのである。

彼の夢はFIAT車だけのイベントをやることであった。
私は仕事が休みが取りにくいのと、家庭はタフな妻が働きながら維持してくれたが、
長男が誕生する頃から、血液が作れない病気を発症した父が九州に居て、気がかりで
その夢にうまく応えられないジレンマを抱えていた。

94年に、前述のSさんや、いま愛知の500ミュージアムを運営する方たちが集まって、
箱根の富士高原サーキットで、第1回FIAT FESTAが始まった。
私は飛び出して行きたかったが、固唾を飲んで見守るしかなかった。
小さな子ども二人に、病身の父が入退院を繰り返していたからである。



94年の9月の始まった頃に、3年間の闘病があったが、私の父は亡くなった。
喪に服していた年末・正月が明けた1995年1月17日に、私の住んでいた兵庫県西宮市
は直下地震の衝撃を受けて、借家であったが私の家は大きく傾いた。

震災の写真は封印していたが、もう出しても良いかと思う。我が家のすぐ近所の
震災翌日の光景である。






この時に、たくさんの人から過大な支援を受けた。とくに愛知の友人はトラックを
運転して駆けつけてくれた。
物心がついて落ちついて、やっぱり彼の気持ちに対する恩返しは、夢を叶えさせて
あげるしかないと、私は決心した。


この年の暮らしは、震災から1週間は避難所で暮らし、その後は妻の実家の南大阪で
家族4人、子どもが小さかったので一つの部屋で生活した。

震災から100日、前年から建築の始まっていたすぐ近所のマンションが完成して、
幸運にも入居が出来て、私たち一家は西宮市に戻ることが出来た。

その夏は震災の瓦礫の中を駆け抜けてくれた850クーペを陸送して、いまのしまなみ
海道に当たる区間の7つの島を船に車を乗せて旅をした。いよいよ秋に向けて
私たちの初めての試み、フィアット車オーナーのための、フィアット車だけの
イベントをやると言うことを決意して、11月開催に向けて準備を始めたのである。





つづく

Posted at 2014/01/15 02:18:22 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ
2013年09月21日 イイね!

2冊のCAR GRAPHIC

2冊のCAR GRAPHIC知人から昔のカーグラフィックの
記事が読みたいから、探して欲しいと
頼まれたので、工場に置いてある
バックナンバーを2冊借りてきた。

CG’76 3月号と7月号である。
探している記事は、浅間で開かれる
2輪のスポーツ記事。

私も持っていなかった、1976年のこの2冊を読みながら
今朝は、ちょっとした記事を書く。

昭和51年3月と7月いうと、私は高校1年生の3学期から2年生の1学期。

自動車に興味がなく、冷めていた頃であった。国産車は排気ガス規制で、
軒並みパワーダウン。それと48年暮れから始まった石油ショックが49年、
50年と続き、ガソリンスタンドは日曜日は営業自粛するようなのが、
社会モードであった。

しかしカーグラフィックは、冷戦下のようなこの時代に、早くも80年代
を予見していたかのように元気だ。今読んで驚くのは厚い広告層と、やはり
エディター小林彰太郎以下の、不屈の自動車好き感あふれる記事群である。

3月号は、いきなりこんな車をピックアップ。



今でも知る人ぞ知るミッドシップスポーツ、マトラシムカ・バゲーラである。



フランス第4のメーカーシムカとはいえ、こんな珍しいスポーツ。実際に
日本には、殆ど入らなかった超レア車を紹介する勇気と決断。今と違う
情報社会で、「これでいこう」という判断はかなりの思い切った決断で
あったと思う。でも、この号を読んでいて、私は何回も唸った。流石である。
30数年たち、評価に値する雑誌というのは、こういう本作りではないのか。

この号にはこんな記事も載っている。小林エディターの愛車がちょうど
ローバーP6からアルフェッタに入れ替わる際にあたり、比較対照記事を
書いている。



これは、今でもやるには勇気が要る。五月蝿い読者なら「公私混同」とか
噛み付き「なんで新車の『トヨタ』の記事に割かないのか」と言うだろう。

私は慧眼というのは、その瞬間には判らないと思う。今の時代の方がずっと
B層読者が多い。そしてその方向を気にするから、CGも他の雑誌も昔より
コクの無い記事が増えて、読むのが嫌になり買われなくなっていると思う。



この頃の広告を見てみよう。

広告という情報源が、失礼ながら世間に媚びたものになり、広告マンたちが
せっかく築いた、文化的レベルの仕事の誇りをすっかり失い、久しいと思う。

西武自販のシトロエンCX、今見ても惚れ惚れする美しいヨーロピアン
サルーンである。この頃は2200ccで、この美しい車体を引っ張っていた。



この時代に、売れていない外車の広告をこれだけ集めたカーグラフィックの
結集力について考えてみたい。それは「鉄道模型趣味」に全国のショップの
広告が凝縮するのに似ているが、必要な情報源と言う、誇りが保て、
出稿主、媒体、読者にとり大切なパートナーシップが保てたのだと思う。

アルファロメオは、伊藤忠時代の最後を飾るスッドが、登場し、最初期型
が広告を飾る。



ぶーちゃん必見のこの2台。新東洋が、健在であった頃。
XJ6はシリーズ2の時代で、P6の広告は珍しい。小林彰太郎が愛車の
記事を書くというので、代理店が“営業”したのでは、ないだろうか。



この間、話題にしたフィアムの広告が、1/3ページ縦割りの広告で
出ている。さりげないこの程度のアピールに、車乗りたちは眼を凝らした
ものである。



大阪の今も続く、堅実なジロン自動車の広告も、この時代らしくBMW3
シリーズの新古車を販売している。バルコム以外でビーエムをこの頃に
買った人は、本当に一握りの野球選手や、歌手などの芸能人であったであろう。



70年代広告の華か、徒花か。ハマの伝説、シーサイドモータースが2Pの
見開きで出稿している。しかしこの時代は、今見ると大人しい原稿だと
思うが、これでもかなりアグレッシッブな企業であったことが、想像できる。



国産車の新車記事も沢山載っているのであるが、今読むと、この頃の
アコードとかの完成度とか、30数年後に通用するメカニズムか、等と
複雑に考えてしまう。
新車は誰でも嬉しい。だから国産の新型が出ると、良い製品が出たと
当時の国民は誰でも喜んで享受していた。
この時代に外車の記事を書くというのは、かなり車のことを知っていなく
ては書けない。
読む方も、ハイレベルでなければ、ついていけない。
その相乗効果が、極東の島国で40年近く前に、一部で成熟しかけていた
のである。

2013年の僕らは、エンスー車に踊らされるのではなく、そうか、クルマって
こういうものなんだ、と成熟しかけた文化を40年後に味わって飲む、
ワイン飲みのような気分で、記事を読まねばならない。



フォードがグラナダになる前の、最後のタウヌス。



国産車の世界はまだ、こんなシーンである。私の読者なら判ると思う。
これが日本映画のヒーローなのである。

私はローバーP6に9年乗り、その後クルマ選びにずいぶん迷った。
この8月から、アルフェッタを80年代に翻訳したような75に乗り始め
やっぱり小林彰太郎の眼や脳や、手足になった気分で、このクルマを
転がしている。
新車の時には、理解能力が着いていけていなくても、人間も円熟する。

この記事を読んで、クルマの乗り方に着いて、迷ったら古い本を
読むのも一つの方法かと思った。

あなたらしい車の乗り方が、見つかれば、幸いである。(完)

Posted at 2013/09/21 08:30:47 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ
2013年04月26日 イイね!

2002年のゴールデンウイーク

2002年のゴールデンウイークまだ私が若くて元気だった頃、
その頃は4月の29日が天皇誕生日で、
平成に入ると「みどりの日」という
祝日になった。

平成の6年から始まったフィアットの祭典、
フィアットフェスタは、1999年を除いて、
毎年この、祝日に開かれていた。


1994−99年が、静岡県の御殿場近くの富士高原サーキットであった。

そして2000年から長野県伊那市の、スノーリゾート地を転用した
ラリーキッズ伊那というところで2009年まで開かれた。

今は群馬県の水上のスキー場で開かれている。

この2002年だけは、何の気まぐれか、850クーペでなく
当時所有していたローバー3500で、かなり勇気が要ったが
信州まで遠征することを決めた。
同行はなく、たった一人でである。

この頃はローバーは、オーバーヒート癖があり、
何度もラジエーターから盛大に、蒸気を噴き上げたり、
六甲山に冷や冷やしながら登ると、山上まで辿りつくのに神経を
使いまくり、今度は山から下りる時に、ブレーキがフェードしてしまい
全く効かなくなったことがあった。

今思い出しても、無茶をしたと思う。
下りはサイドブレーキと、エンブレなのだが、高価なオートマを
壊すと、自分の財力では直せないことも判っていたので、
とにかくダマシダマシ、滝のような汗を流しながら、芦屋まで
下りてきたこともあった。

それなのに、「遠乗りしよう」という気になったのは、前の持主が
岐阜在住の方で、若い頃は箱根まで、ローバーで家族旅行をしたと
いうことを聞いていたので、ロングツアラーならぬローバーが可哀相
と思ったこともある。




運転技倆も自信なく、当時はまる二日の休みも、月の途中には無かった。
ただこの年は、29日は完全に休みで、28日の昼から出られれば、
どこかに泊まろうという、覚悟だったのだと思う。
写真の宿は、岐阜県中津川市の苗木という温泉町だが、山の中の
1軒民宿であった。

到着したのは、夕暮れ時であったが、翌朝、仕事の疲れも抜けて
すっきりと晴れた朝から、周囲を散歩する気になった。
遠望に見える山が、恵那山である。






イワカガミであろうか。初めて見た花。



宿の方が、何も無い代わりに季節の花を植えられている。
仕事で疲れ切った心に、本当に優しく写った。



もう藤の花が咲いている。宿の裏は、北側が墓地なのだが、
すさまじい雰囲気の無い穏やかで日当りの良い場所なので
散歩していても、鬼気などは、全く感じられないお墓たちであった。



朝飯を食べて、宿を出発する。
伊那までは100キロもないと思うのだが、私は素直に行かない。
恵那山トンネルを外して、旧道で飯田に向かうのである。



おおおおっ、これは北恵那鉄道の廃線跡の鉄橋ではないか。
まだ撤去されずに残っていたとは。
これを見られただけでも、苗木に泊まって良かったと、一瞬得心した。



中津川駅の横を通り、中央西線の電車を一瞬見て、国道19号線に乗る。

そして次の宿場町の落合を過ぎると、旧中仙道に入り、馬籠、妻籠に
向かうのである。  有賀さつきの迷文句「1日じゅう山道」である。

私のパソコンは、さつき様の知性に合わせているので、「ありがとう」と入れると
当然「有賀党」と、変換する。



今の恵那山トンネルが出来て、30年近くになる。それまでは、木曽谷と
三信街道の伊那谷を直接結ぶ峠は、大平峠(飯田峠含む)と権兵衛峠しか
なかった。
権兵衛峠は、伊那の羽広温泉の奥から、1500mの坂を越えて、南木曽の
近くに出る急峻であったが、近年トンネルが出来て所要時間が、半分以下に
なった。



今回は、まず、難所の大平峠を登った。こちらが1200m級である。
オーバーヒートをさせぬよう、水温に再三気を遣ったが、途中何も
家や連絡できる所が無く、冷や冷やであったが、P6は頂上まで
登り切ってくれた。

ちなみに当時の私は、当然携帯電話は持たない主義であったので
立往生したときは、全行程を諦めても良い覚悟である。



でも、飯田に下りて行く途中で、こんな精霊のいそうな滝に遭遇し
旅先でいつくたばっても、風景を見られたら満足としようと、思っていた。

会場には10時過ぎに到着。
面白そうな車両を適当に撮っているので、アトランダムに並べておく。
























しかしこの時に乗って行ったローバーの、後のオーナーもこの会場に
いたことの偶然にも、今思うと奇妙な符牒を感じる。

この時は彼は、こんな車に乗っていたのである。



帰路は、午後2時過ぎに、早めに会場を後にして、権兵衛峠を越えてみた。



5月近い、春の信濃路の風は爽やかであった。



そして木曽福島の旧市街を通り、中津川手前で、新しい道の駅
きりら坂下(よく、「きらり坂下」の誤植多し)で、早めの夕食にしたのだが
ここでローバーが、ついに不調を起こし、エンジンのセルモータが、
かちりとも動かなくなるトラブルが起きて、JAFを呼ぶにも、GWで2時間待ち。





しかしJAFのお兄さんが来て、二人で頭をひねったが、もう
どこかの宿に泊まることも覚悟して、2時間が経ち、エンジンが完全に
冷えたら、あら不思議と、セルが掛かったのである。



そうして西宮(当時)の我家には、夜の9時過ぎには着いたのである。

Posted at 2013/04/26 21:33:04 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
89 1011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation