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2013年07月14日 イイね!

ちょっと古い雑誌より

ちょっと古い雑誌より一度掲載しているかもしれませんが、
青春時代の雑誌より
当時の記憶を思い出してみます。






これは平凡パンチの企画かなあ。
品川33の初代XX2.8は、ちょうど高千穂付近で旅行中に遭遇して驚きました。
未舗装の265号線を走って来たからです。



KP61スターレットの最初は、丸目の2灯式でした。



何とも言えないレオーネの広告切り抜き。
色も不思議な色だ。



ミラージュ、この車にかける三菱の情熱は高かった。
当時の若者にアピールするのにUSA志向だったというべきか。
名前はフランス風なのに(笑)。



サイドモールも無い、シンプルな大きな塗装面に、今の時代、なぜか
萌えを感じるなあ。室内も(笑)。



これはRX7の登場時の記憶で、雑誌読者を招待して、新車インプレッション
を体験。広島ー東京 高速ドライブするというハードな企画。
夢と苦痛の伴う、今じゃ落差があり過ぎて、実現不可能な企画だと思う。




広島から借り出した、2代目コスモで中国地方の山陰をドライブするという
渋い企画。



こういう多色セミカラーページと言うのが昔の雑誌にはあった。
オフセット時代も過ぎてコンピュータDTP時代には考えられない折衷技術である。



山陰の国道9号線中心に、ずっと回って最後は城崎か。
特急「まつかぜ」顔負けの企画である。

こういう切り抜きは後生大事に、他にも持っているので、
続編もやるかもしれない。
問題は、スキャナーが今、壊れていること。






Posted at 2013/07/14 06:41:07 | トラックバック(0) | 雑誌と広告、シミ談義 | クルマ
2012年12月12日 イイね!

いろんなもんが、出て来ます。

いろんなもんが、出て来ます。昭和53年3月、三菱は初めてのFF小型ハッチ車を
登場させた。これは当時の男性週刊誌タイアップで、
アメリカ大陸を横断させて、信頼性のあるところを
見せる企画である。









その頃、山陰の若桜線出身の石破茂は、この歌を歌いながら
モテない学生生活の中、青春の蹉跌を感じていたに違いない。
(↑ 大きなお世話だと、いってます)



この企画は、週刊プレイボーイ。キャンディーズ解散というニュースの世間で
(今で言うとAKBの総選挙や前田敦子の卒業みたいなもの)先の61スターレット、
ダイハツシャレードと、国産2ボックスハッチバックは出揃った。

日産はチェリー、チェリーF2、パルサーとFFコンパクトを煮詰めてきていたが、
ポピュラー性が、一寸欠けていた記憶がある。マツダファミリアも、APは間に合わせ
のFR方式だったので、もうちょっと遅れて大ヒットが出る。
ミラージュはシャレードと並ぶ力作である。




次の企画は平凡パンチが、同時期の53年3月にマツダが発表した日本初のリトラクタブル
ライトを持つサバンナRX–7の発表時にあわせて、真新しい中国自動車道を、複数の読者
体験で試乗させるという、思い切った企画である。



担当者や責任者は、冷や冷やもんのアドベンチャー企画だが、事故も無く
5台のRX−7は東京に到着した。すばらしい。



実際本当に手にあせ握り、参加者は運転したに違いない。全くの新車で
夢のようでもあるが。



今はこんなことはしない。多分セキュリティーを前提にできない。
これは持ち込み企画か、メディアからの提案だったのか、判別は判らない。
しかし現在と一番違うことは、雑誌が読者寄りの姿勢だという楽しみがあったということだ。



この新型スポーツカーが編隊飛行でハイウェイを走って行くのを目撃した人は、
きっと「かっこいい」と思ったことであろう。今の新車に一番足りないのは、
ワクワク感である。
Posted at 2012/12/12 00:45:16 | トラックバック(0) | 雑誌と広告、シミ談義 | クルマ
2012年12月11日 イイね!

古雑誌切り抜きを整理中

古雑誌切り抜きを整理中冬の寒い日は、コタツに入って、何をするでも無く
こんなモノを捨てずに持っていたのかと驚いても
始まらない。

ふた昔前は、ひとり部屋でほくそ笑んでいた(キモッ)
世界が、今じゃネットで、筒抜け〜〜〜〜!!!!

それでは今日は、そんなところで、みんからしてみましょう。



これは小ベンツこと190Eがブリリアントな時代だった頃。
BMWも初代3シリーズからようやくE30が出て来た頃の広告。大阪で作っていた
カーロードという雑誌より。1984年頃。
それにしても外車はまだ、中古でも高い。


それより少し前、1982年頃の中古車情報より。
くしゃくしゃにしてたのは、なんかの詰め物にしてたんだろう。

X1/9、シロッコ、マルニ、ゴルフといった車種が人気だった。
よく見るとTR7とかイノチェンティミニとかの売り物がある。



同じく、アルファスッドがまだ土に返っていない(笑
中古外車店は、他にシトロエンGSや初代のルノー5などが主力の時代。



国産車の中古車店の広告だけど、相場の高さに驚く。
GTカーは100万超の時代。
5年落ちのセリカでも100万した時代だから、ユーミンの「よそゆき顔で」に
「ドアの凹んだセリカ」が出て来るが、決して貧乏な家の子供が登場する訳ではない。






ここは、逆スラントのジェミニクーペを持っている。83万円。
2代目シルビア、KP47スターレット、ギャランGTO後期、このあたりが
青春のクーペだったなあ。

この時代は、B5週刊誌サイズの「プレイボーイ」と「平凡パンチ」が
競争していた時代で、水着アイドルのグラビアや、ヌードが出ると
男の子はすごく反応して、話題になった頃だ。なぜかそういう写真には
散文詩ともモノローグともつかない、叙文が付いているのが不思議だった。

裸体へのオマージュだったのか??
そしてグラビアページは、ホットコーナーであり、カラー、モノクロの他に
3色刷りなんて言うのも残っていた。

これはセリカ2代目が角4灯にマイナーチェンジ、迎え撃つシルビア・ガゼールも
ハッチバック追加というホットニュースを、一般誌が取り上げて紙面を4P割いている。
昭和53、4年というところかなあ。



ガゼールのボンネットデカールが懐かしい。「入れ墨」と我らは呼んでいました。
ファイアバードの影響でしょう。

71スプリンタークーペに1800があったのと、FR式の初代スタンザに5ドアハッチがあったのは
初めて気が付いた。ホンダのクイントを意識したのかなあ?



KP61が初登場。昭和53年で、トヨタの主力小型車初の2ボックスと呼ばれた
2/4ドア+ハッチ車であったが、なんとFR方式。これが反対に手頃な中古に
なるとFRのドライブ+小型軽量。加えて少し古いOHVの4Kエンジンはチューニングの
好材料であったので、走り屋には、軟派ムードの無いKP61が一時すごーく人気があった。



初代サバンナのシルエットレーシングのモデル紹介だ。もちろん公道は無理。
こんなものが一般雑誌に載っていた。
協力 東京マツダとクレジットがある。よく考えると、スポーツドリンク
「ゲータレード」のスポンサードを得ており、依頼元はここかな?と考えられる。
この時代のタイアップパブリシティは、水を得た魚のようにメディアに浸透していた。
私も1983ー94の10年は、広告の仕事をしていたので、あの時代の活気と
軽薄なノリが懐かしい。

Posted at 2012/12/11 14:33:57 | 雑誌と広告、シミ談義 | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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