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kotaroのブログ一覧

2014年06月19日 イイね!

イギリスを見て来たい

イギリスを見て来たい昨日は悲観的なことを書き過ぎて反省しています。
ただ日本の事実はしようがないと思う。

今年から少しずつ森のある場所に生活時間の一部を
移し始めており、農家を共同で借りています。







いま関係している74歳のNPO理事長の「里山はいいよ」という言葉に
賛同する私ですが、今一好きになりきれない感想も残るのは
なぜでしょうか。

やっぱり里芋のさとみたいで、かっこ悪く思うのがあります。
僕は九州から都会に出て来た人間なので、のんびりした環境は好きだけど
100%そこで暮らすのも、何だかなあと言う感想があるのかもしれない。



と言うことで今朝見ていた映像に、少し感想と興味を持ったのがこれ。



ロックバンドのエイジアの近作ですが、80年代に金字塔を建てる前から
70年代ロックの大物たちで作ったバンドです。

メンバーのカール・パーマーが、暖炉の前で語っている風景に、注目。

やっぱりカントリーに家を持ち、必要な時にシティに出て来る。
それで良いんじゃないかと思います。

それが不可能なほど、働き蜂じゃないし、リタイアしたあとも
たまに都会に出て来るのが、ミュージシャンみたいに、不定期ビズが
続いていると、好いんですが退職した会社などには、行きたくもない。

僕は英国みたいなクラブがあると、好いとずっと言い続けてきました。
昔はサラリーマンや、古くは軍人だって退役後の倶楽部を用意していた。

日本は20年で阿呆みたいに余裕を削ったので、マージンの無い社会に
なりました。



いま、やっているのはNPOなんですが、それのお陰で週に1回以上
梅田まで出て行っています。
無意識のうちに、そういう気楽な都会との接点が残っていた方が、
田舎に「引き蘢る」のでは、おかしいと思います。

このサイトにはクルマの好きな仲間がたくさんいて、ちょうど50代前後で
還暦にそろそろさしかかる人も居てるでしょう。
そういう人々に、何が用意されているかと言うと、何も無い。

今私は、早く辞めたので、そのインフラ作りをしていると言えます。
電話以上に、今はネットもあるので、周回遅れでない情報も入って来る。

梅田から20分の近郊と、1時間以上のカントリーと、大阪駅前に不定期に
出て行くことで、3つの拠点で生活しているのかもしれません。



イギリスを見たいと言うのは、そのコンセプトの裏付けを取り、より説得力の
ある言説を展開したいからです。

それと、ローレベルでなく、できればハイレベルな感覚で、都会と田舎を
行ったり来たりしたいと思っているからです。

里山という言葉は、悪くないのですが、テンションひく過ぎ。

これをいま、どういうコンセプトでまとめて行こうかと、楽しみながら
やっている積もりなのですが、雑事でちょっと気持ちが沈みかけました。

皆さんはどう思われますか。
都市型シニアのリタイア時代に、やっぱり何が活用出来るかです。

田舎に車庫があっても、そこからシティに出向くのがレンジローバーなら
最高ですが、のっぺりした顔の無いような日本車で、動くなんて乗らない
方が良い。

プリウスがまた、田舎の風景に似合わないんだ。

僕は乗り物に関しては、一枚も二枚も上の意見を言います。
かっこ悪いのや似合わないのは風景にならないと思う。
でも浮くのも嫌いだし、族車が死に絶えて行くか見せ物的に残るしか
無かったのもわかります。

日本はそれだけ、近代化した国になったのだし、東南アジアで唯一の
先進国感覚なディレッタントな人の住める国だと思うからです。

そんな訳で、表議的な人口問題や、市町村問題の切り方は、
新聞感覚の、人間の情、本来は情は良い言葉なんですが、
訴え方があまり好きでないのです。

工夫をやってみようともせずに、どこかが出したデータを記事の文字に
噛み砕いて「大変だ」と言っているだけだから。

いつも何か出来るのではないか、と、固有観念に捕われずに、行動したい。
今加わっているNPOなら、「行って見なさい」と言うブレーンもいる。

今朝は一本の動画から、久しぶりにイギリスのことを考える日になりました。

大人のいる国、住める国になっていかないと、いけませんね。

Posted at 2014/06/19 08:37:40 | トラックバック(0) | 哲学する気持ち | ニュース
2014年03月22日 イイね!

SNS時代の自動車趣味を考える

SNS時代の自動車趣味を考える1年くらい前に、名古屋で開かれた
自動車イベントに、ふらりと850で
当日参加してみたことが有った。

とくに事前のセレクションや手続きも無く
すんなり緑の上に、愛車を置いて、
展示というより
駐車型イベントみたいなムードであった。



しばらく会場に来ている他の珍しい車を拝見して、それから自分の
愛車の近くに戻り、3mくらい離れた緑草の上に座り込んで、のんびり
していた。

「kotaroさんでしょうか?」



「あ、はい。」


いつもブログを読んでいるという、その方は、年齢が10歳以内くらい
下の方で、結構丹念に読んでいただいてることが、会話から知られた。


このみんカラを始めて数年経つ。
昔はマニアックな車に乗っていることは、一握りの人しか知り得ない
ニュースであり、だからそういったオーナーを捜し出すことに、高い情報
価値が有った。

いきなり今は、と話を持って来ると、面白くも何ともない。
そのくらいパーソナルコンピュータの社会導入は、2つの大効果があった。
コピー&ペースト文化の獲得と、検索機能の一般利用である。

コピペの弊害、本当は書き写すことの大幅省力化のメリットを讃える
べきだが、「当たり前」になったことには誰も感謝しない。
反対に学生クラスの層が、勉強の仕方にショートカットばかり使い
暗記力の低下や、勉強学習の仕方に、汗をかかなくなったことばかり
強調されている。

もう一つの検索のことである。
巨人Googleの躍進を超えた支配的社会が進み、誰も否定批判出来ない。
恐ろしいものである。情報と言うものの入手の仕方さえ変えてしまった
のであるから。



世の中の価値と言うものの中に、昔から「珍しさ」という価値がある。
宝石とか、骨董品と言った時代から、それらが全体の中でどのくらい
“少数”かということに、珍重が重んじられる。

クルマ社会でも、初めは性能と新しさが、重んじられたが、5年10年と
自動車社会が進展すると、外国製であることや生産数が少ないことが
「有り難」がられるようになった。
私の価値観なんぞ昔から、このスタンスで微動ぶれたことがない。

そこで情報の入手力の優劣が競われる。個人レベルとマス媒体、例えば
雑誌編集の能力においてもや、である。
個人的に、といっても子供の頃から珍しい昆虫や切手、何でもかんでも私は
そっちの分野に興味関心があるので詳しかった。
得意不得意でいうと、得意な(特異な)子供であったろう。

それは体力の優劣で勝てない者の、一種の知恵の発達みたいなものである。
そこで天狗になることだけは、若い頃より自重する癖はつけていた。
これがあると、無いとてでは、先々鼻つまみになるかならないかの大違いの
評価に関わって来る。

それはそうとして。
2次情報を収集し、分類し、価値観を構築するのだけは、多角的趣味人生を
やってきたので、秀でられたのだと思う。
そこで、
アナログ時代は、とにかく本を読むことと、実際との違い、落差に自分の
資質を鍛えることに、専念没頭していたと思う。

情報ってなんだろう。そういう興味が有ったから、ジャーナリズムを
やりたかったし、大学の授業は信じなかったので、自分の価値観で
系統や体系を学んでみた。
ポピュラー音楽の歴史と発達とか、何が何に影響を与えて、ジャズやロックは
このようにシーンが面白くなったのか。

1979年、80年あたり、ちょうど大学生になって解放されたときは、
まさにクロスオーバーから、フュージョンへと、今思えば大した歴史では
ないが、音楽の進化を学ぶには、同時代的なよい体験が出来た。



クルマの話に戻れば、一時期の百花繚乱になる以前は、雑誌も高かったし
その時代に貪るように読んだ経験のある人、50代以上は同感するであろう。
初めて見聞きする情報の価値は、当時はうんと高かった。

だから海外に特派員を置き、「本場」という所からのニュースに飛びついた。
モーターショーもそうである。
今のように暇を持て余した趣味の読者以上に、クルマを作って開発する
プロたちも情報を欲しがったからである。だから1960年代、70年代までは
何の雑誌媒体でも、外国の情報などには高い価値が付けられた。

さて、
自動車趣味の進展と、作る側、乗る側が平行して走っていた時代、
やがて、価値に違う角度から光を当て始め、クルマをいじる、改造する、
カスタマイズする時代がやってくる。
そのあたりから雑誌(情報元)は、読者目線に媚びるか、それをやらないこと
を是とするかで分かれて来る。

私はファクトはあるまでもファクトであると思うので、媚びるのはなんか
情報の価値が下がるような気がする。
こんな21世紀の中近くなると、ファクトの方が媚び始めて、鉄道の世界
みたいに、アニメや萌えを要素に取り入れ、カスタマーに合わせるように
さえなってしまった。これは分析をまた別の時にする。

もう一度情報に戻ると、コンピュータ源以前は紙印刷媒体が、強く、
その最後の優位だった時代を思い出してみよう。
クルマで言うと、カーセンサーが制覇した時があり、中古のエンスー情報は
カーマガジンの個人売り買い欄。さらに、そこに金鉱脈が眠っていると
見抜いたNEKOパブは、「QUANT」という売り買い、紙のフリマ雑誌を
作っていたのを記憶しているだろうか。

あれは面白かったと思う。そしてあっという間にやって来たコンピュータ時代、
「クアントの世界」は、すぐにヤフオクに取って代わられた。
しかしこの流れを記憶し、正確に分類整理出来ていないといけない。



今度はヤフオクが面白かったのに、ややピークを過ぎてしまったことを
考えてみる。
ひとつは「飽きられた」という不変の真理定義である。
もう一つは、トラブルや詐欺の続出で、評判を下げたことにより、規制など
の「縛り」がきつくなったと思う人も多いだろう。
これは感想のようなものである。

市場(マーケット)はどんなものでも自由原理であり、成長と発達で
細かなルール作りは補足が増えて来る。社会主義的実権市場は、発達しない
ことも、過去の歴史で人類は学んだ。

しかしヤフオクが沈静した理由は、私はSNSの浸透と、もう一方は、
ヤフオクが競合ライバルを意識して、成長をひょっとしたら阻害し
潰したからではないかと、考えている。
例えは変だが、今のジャニーズ事務所系男性タレント、歌手が強すぎて
テレビが面白くないのと、似ていないだろうか。

SNS時代は、情報の発信+共有化が主目的である。
だから、この数年で「ネタ社会化」が大きく進んでいる。

モノは苦労して、買ったり売ったりしなくても、「ああ、あのネタね。」
とみんなの頭の中にあれば良い。
だから、ぽいっとシェアすれば外国のどんな珍しいクルマの話題でも
立ち所に、世界中の人を巻き込んで、盛り上がれる。

今はそんな時代なのである。
私のように、さんざんいろんなクルマに乗って来て、苦労をしたことは、
一面しなくても、済むのである。

しかしネタ社会。私は苦労したことを、ネタにして、このみんカラを
書いているのである。
これからの時代は、そんな時代になって行くだろうと思う。
古い写真や思い出が、立ち所にデジタルアクセス出来る。
脳内のメモリーが、コンピュータ蓄積と、置き換えるのでなく、
シンクロに近いような。
そんな時代はもう、そこまで来ているのである。

だからこれからの時代も、記憶力勝負は続くと思う。
オタッキーに知ったかぶりすることよりも、記憶を整理し磨いておく。
それと、口だけでなく、実証資料をできれば自前で揃えておく。
そういう時代が、これからの主流になるのでは、ないだろうか。





Posted at 2014/03/22 05:30:57 | トラックバック(0) | 哲学する気持ち | クルマ
2014年02月23日 イイね!

デフォルト

デフォルト先週の日曜日に友人の紺の豚さんがやってきた。
おじさん二人で鉄道模型のHOゲージで
盛り上がっていたら、もう一人仲の良い友人も
やってきて、面白くなった。
後から来た友人は、一段落着いたあと、MGを
走らせに山に帰って行った。じゃなかった、走り
に行った。

我らは片付けをして、家内の実家のある南大阪まで
行きたいと言うと、今日乗って来たゴルフ4に乗り
ませんか、と誘っていただいたので

真っ赤な女の子仕様の真っ赤なゴルフにいざ、おじさんトゥーが乗り込んだ。


「どうです、感想は」
「うーん、これといった色気もないけどこれはこれで良いのでは」

友人はゴルフ1から知っている、西ドイツ車の大衆車通だ。
だからゴルフが時代に巻き込まれながらも、続く理由を知っている。

「初代の3速オートマに、とても似た味付けなんです。
これがデフォルトなんです」



defaultというと、アメリカがいつ、債務不履行になるかと僕はいつも気にしているので、
そっちの意味をまず頭に浮かべてしまう。
不履行、何もしないことだから、彼が言っているのは、何も要らない、余計なものは
欲しくないの意味だ。

本当の所有者氏が、このクルマを乗ってくれる人を捜しているので、紳士的な
紺の豚氏に預けた理由はよく判る。
しかしこのクルマに維持費を出して乗ってやろうと言う人は、どういう人だろうか。

赤い塗装は綺麗だし、エンジンも普通にスムースだ。オートマは耐久範囲内か。
エアコンもおかしくない。だがこの普通車といっても5ナンバー級2リッターでも
維持しようとすると、39,500円の税金にもうすぐ1割増がアドオンされる。

大体消費回転の一巡したものに高負担をかける発想は、非常にいやらしい。
中学生でもその理由が、新車を買わせるために、中古車を増税したことくらいわかる。
それもハイブリッド車というくそ野郎が(下品、失礼!)世に出た当たりから、奴らの
減税と引き換えにこうなった。



本来は、古本の値段みたいにうんと安くして、売って、財布の軽い人に乗ってもらい
余生を送るだけの車である。
自民も民主も、今の自民も、グリーン税制度と言う悪政を放置したままだ。
この人口減で、社会富の減り行く時代に全く逆行している。

アベノミクスもおかしな話で、本来は上を目指すことがとても無理なことにきづき、
仮に10万円の収入が5万円に下がっても、暮らせる社会を目指さねばならない。
未だに近隣諸国のGDPばかり意識して、社会富を増やすことばかり、好景気、
高満足度社会の幸せ実現みたいな、古くさーいことを主張している。

このレッドゴルフに乗る人を想定すれば、自動車税50%カット、任意保険料搭乗者
限定設定で、大人しい高齢者か、静かなドライバーを歓迎するクルマだろう。
そうしなければ、このヴィンテージでもないエイジドの車に乗る人は出て来ない。

それがやりにくいから、車の入門編にたどり着くニューカマーも減って来ている。
必要としている人に安く乗りやすく、維持費だけはかかるけれど修理しながら
気に入ったものを長く続けてこその、維持社会だ。

私は今、とても古い家に住んでいる。不便はあるが固定資産税が年間で、1ヶ月の
駐車料金より安い。
10年以上前に新築のマンションを買った時は、固定資産税を毎年20万円以上払い
続けなければならず、いつもボーナスの半分が飛んでしまっていた。
しかもそのマンションは住んでなくて、他人に貸していたけれど、阿呆らしくなって
結局売却してしまった。後悔もしていない。ステータスだけであったからである。

身に過ぎたものを持ってもしようがないが、デフォルトの中古ゴルフは贅沢品ではない。
それを維持出来るように解決するのが、ひとつ政治だと思う。
毎月の生活費を安くても暮らせるように工夫して、社会制度を活用し、生きてゆく。
努力しない人は、放っておいても良いが、そうやって引き下げたものを活用して
暮らせるような社会を構築する。
畢竟、悪名高き最低生活費や、最低賃金に関する考え方まで変わって行くことも
できないものか。



デフォルトの語源は、フランス語のde faultから来ている。
faultは欠点という意味だが、致命的なミスのことでない。

僕らはまだ、比較社会的に考える構造をし、基準は数字だと思っている。
しかし日本は逆立ちしても、数字所得や稼働的経済は、増やせない環境に入ってきている。
デフォルトな車から、通常や標準の座標軸を思い切って動かしてみて
新しい価値観作りにそろそろ取り組んでみても、良いのではないだろうか。




Posted at 2014/02/23 14:28:07 | トラックバック(0) | 哲学する気持ち | クルマ
2013年11月18日 イイね!

70年代はウラカッコいい。

70年代はウラカッコいい。土曜日に貝塚市民ホールで
元はっぴいえんどの鈴木茂を
見てきました。
小坂忠をリーダーに完熟トリオ
と名して、中野督夫
(センチメンタルシティロマンス、
名古屋中心の古参バンド)
とこういうユニットでツアーをしています。


僕はこれを見て感じて思ったのだけど、クルマでもそうだけれど
当時から40年間たち、若者はいつの間にか60代、子供だった
僕でも50代の半ばに達して、立ち回りが少し難しいと感じることも
ある。

ところで昔の映像と音響を見て欲しい。
(ブログアップ当時の映像が凍結されていたので、代わりの動画を上げておきます)



(ギターを弾いているのは、当時の鈴木茂で23才、細野晴臣で26才くらい
だろう。)※新しく貼った動画には当時の小坂忠も出ています。




ファッション界のだて男、キクチタケオ先生でも、40年前は、こんな
感じである。



なにも、こちらが関西だから、笑いを取ろうと思い、こんな記事を書いて
いるのではなく、今日言いたいのはいくつか要点がある。

鈴木茂が写っている1974年頃の貴重な動画を見て思うことは、
演奏も歌も粗削りだなあ、と思う一方、あの時代の空気感にある
スピードが、なんとも懐かしくうらやましい。

これは、歳を取り若い頃に帰りたいのではなくて、たとえば録音機器の
進化で今は、音響の効果やクオリティーが、比べ物にならないくらい
良くなっている。

古くなったミュージシャンが、演奏も円熟しているということに加え
市民ホールレベルでも、小規模な機材で、かなりPAが良いのに
嬉しく思った。





いま、70年代クオリティーと、2010年代クオリティーのことを
較べれば、話に成らないくらい開きがあると思う。
しかし音楽というのは、録音が悪いからといって、ほかす(捨てる)人は
いてるかもしれないが、真の音楽好きはそんなことをしない。

楽譜とサウンドがあれば、現代で再現してみようとする。
若くて新しい才能が演奏するのも良いが、往年のミュージシャンに
演奏させて聴いてみたい。

クルマについて今度は考えてみると、新しいクルマに魅力のある物が
やっぱり減って来た。この2ディケードくらいの旧車ブームは、理由が
他にも感じられるが、僕は一番にらんでいることは整備力の上昇である。

これにより本来の性能や、もしかして昔より向上した走りをするクルマが
増えて来たことに、気がついている。
クルマのアンチエイジングなのかもしれない。

ところが70年代の“カッコ良さ”について、理解が足らないと、
オーバークオリティーなレストレーションを掛けようとする。

これはやっては行けなくて禁じ手である。



古い写真をよく見ると、昔は世相、風景がシンプルである。
どうしようもなく、プアに見える昔のスタンダード車は、昔の風景には
普通に映えていた。



僕は、カッコいい物を、いじり過ぎてかっこ悪くさせるくらいなら
オリジナルスペックを大切にして、最低限の外観内装チェンジで
現代風に乗るのがカッコいいと思っている。

音楽でもそうなんだけど、原曲を超えるアレンジというのは
中々出てこない。
ただ現代サウンドマネジメントや音響のような効果のある物。

クルマだったらタイヤやガソリンにオイル類。磨く光沢類。
サスペンションやエンジンのきちんとした整備は、現代クオリティーに
引き上げてやると、クルマはもっと輝くと思う。

70年代の生活文化は、当時だから通用していたファッションに過ぎない。
しかしそこにあるスピリットを理解して、自分なりに翻訳すると
「これは今でもやりようによれば、逆カッコいいのでは」と閃くことが
ありそうである。

今の社会に行き詰まっている人は、昔のやり方を盲目的に見るのでなく
なぜこれがイケてたか。さらに現代だったら「どう聴く」を一度考えて
面白そうだったら、どんどん採用したら良い。


これが僕の考える温故知新でなく、日本社会の再生処方箋なのである。




Posted at 2013/11/18 03:23:25 | トラックバック(0) | 哲学する気持ち | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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