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2011年12月30日 イイね!

しんどい時代こそ、夢や希望を大切にしよう

しんどい時代こそ、夢や希望を大切にしよう









3月11日の午後2時45分頃、
私が今勤めている市役所のフロアが、ズズ、ズシンと揺れた。
若い課員たちが「地震だ」と言った。
その瞬間、1995年1月17日に起きたことに、脳内のリンクが走る。
「これは遠いな、遠いということは、随分大きな地震が起きたな」
その数日前にもニュースが複数あり、私は「東北」の二文字が
頭の中に点灯していた。

5時の退庁時間の頃には、テレビは置いていないが、ネットや他の
ニュースでかなり大きな地震と被害が想像を始めていた。
テレビのニュースをみるために、池田から当時は豊中にいた家族の
家にクルマを走らす。
「父さん」
津波に飲み込まれる各地の録画映像を見た高3の娘が絶句している。
それからの数日間、日本は深い悲しみに包まれた。
大阪の、池田という小さな町にも衝撃は伝わっていた。

16年前と、最大の違いは、地震の範囲と規模がさらに広かったこと。
ボルネオ地震のときのような海沿いの町が、より戻しの津波で
甚大な被害に覆いつくされてしまったこと。
そして今も続いている制御機能を失った原発の暴走に、一国の総理大臣が
阿鼻叫喚しても、何の抵抗にもならなかったことだ。

その他の地域、民間は16年前に比較して、パソコンと携帯電話が普及
したのが最大の違いだ。
ネットは想像はしていたがその話題一色になった。
トゥイッターが役立ったとか、新聞記者が原発汚染地帯に入らなかった
とか、みんないろんな反応があった。
小人物はこういうときに、本能的に察知したのか犬のように吠える。
かつてはメディアにいた私は、入って来た情報を「ちぎっては投げ、」
そのことの繰り返しに、麻痺する感覚が恍惚に似ていることを知っている。
だから今回はあくまでも、違う立場にいることを、忘れないように試みた。



東北の石巻にある女川駅の終列車近い夜の画像である。
1981年の晩夏に旅した際に撮影した。
持参の三脚の上に、カメラを固定して、1分くらいバルブを開いて。

この駅も跡形も無く、流失してしまったらしい。
その付近でもたくさんの人命と、人生が失われたようである。
悲しみは、誰かのために、表現するものでもない。
怒ったように「募金」を命令したり、「お前ら今がどんなときだか
わかっているのか」と叫ぶ者には、なにも判っていない。

12月の暮れに、上野から帰省する、故郷が失われてしまった者たちや
歳暮を届ける相手がいなくなった人の心の上に、白い雪が悲しみのように
降り積もる。
テレビなんか見ない方が良い。
高額な収入を吸い取っているタレントや、年収も明日の生活を考える
必要のないキャスターたちが、たとえ感情移入しようと、ほんとうの
悲しみには到達出来ないのであるから。

ただ、地震に遭わなかった僕らは、暮れのひと時でも、明日が有ることを
感謝して、生きて行くことが責務だ。


最初の写真は、1996年の暮れの初雪だろうと思う。
青い車はフィアット131 4ドアセダン。
口を開けているのは長男で、車の上に降り積もった雪を集めて
これから雪だるまを作ろうとしているのは、妻と長女だ。
1995年1月の阪神の地震の時に住んでいた家のガレージが崩れ、この車は
半分以上ががれきに埋まった。奇跡的にリアの窓ガラスが割れなかったので
引っぱり出し、満身創痍の傷跡はパテで埋めて、その後も傷跡が残ったまま
数年間使用した思い出の車である。

今年は3月で1年が終わったように、心が凍ってしまった方も多いであろう。
私の家は1995年に全壊したが、妻も当時二人であった男の子と女の子も
大きな怪我もなく、翌年の暮れを迎えていた。
あれから10数年、私の人生も、家族の人生も山も谷もあったが、何とか
2011年を越せそうである。
こういう辛い時代だからこそ、それだけで十分な毎日を生きることが
一番大切な目標なのではないか。

16年経ったら、多少は世の中も景気も良くなるかと当時浅はかに考えたかも
しれないが、間もなくこの男の子も成人を迎える。高い目標を持ち、収入増を
どこから取ってくるかというと、他人の幸せをかすめないとしようがない。
だから私はそこそこで充分。足るを知れば由しなので、自分は早めに隠居する
ことにした。

来年はどんな年になるのであろう。子どもたちが大きくなるに連れて
月の満ち欠けのように、わたしは隠れて行くのかもしれない。
当時のように毎年年末になると、帰省が一大行事だったことも、もうない。
私には今は、故郷に帰る土産を満載した車に乗り、九州行きのフェリーに
家族全員が乗ることも、母が待つ九州の家のにぎやかな正月もない。
それでも、ほんの30分車で走れば、妻や子どもの顔を見ることができる。

この年末は、静かに静かに、関わりのある人たちの来年の幸せを
願うことにしよう。






Posted at 2011/12/30 08:04:19 | トラックバック(0) | 思うこと | その他

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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