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2012年02月01日 イイね!

GT紀行2012を振り返る

GT紀行2012を振り返る会った、観た、走った!の4日間、大東京旅行を終えて
浪速の町に帰ってきました。
大目的はNYMの出場、今年のエントリーNo.は8と若く、
イタリア車がコンクール対象だったことを思い出したのは
出発直前でした。
結果は、もっと珍しいクルマやヒストリーのあるクルマに叶わず。
それでも26年維持してきたことや、大阪から雪道を走ってきた
ことを、讃えてくれれば、と密かに思いましたが、
たった2週間前に買ったクルマが賞を取り、日本に41年間帰化した
クルマ、ナンバープレートも最初のまま、ずっと税金を払い続けている
ことなどは、審査の対象ではなかったようです。
JCCAの会員ではありませんが、これだけ日本を愛したイタリア車も
残って無いのでは!と私は思っているのですけどねえ。
審査員の人たちの見る目は、単なる珍奇さとか、御宅的興味しか
無かったのかと思いました。ジャーナリストとモータージャーナリストの
資質の違いはそこなのじゃ、ないでしょうか。
悔しいのでまだぶつぶつ言っていますが、そろそろ旅行を振り返りましょう。



「お江戸日本橋七つ立ち」という唱歌を我らの世代は未だに覚えていますが
そのあとの綴りは「初上り」。江戸の時代は東京から京都方面に来ることが
都へ行く上りだったようです。
それから150年以上、7つには出発出来ませんでしたが、大阪摂州・池田のガレージを
出発したのは金曜日の9時過ぎでした。
いつもの通勤時間帯、週中の水曜日の休みを金曜日に振り替えての旅、
車を取ってきたのは直前の土曜日で、前夜も遅くまでカーナビの取付けに
かかっていました。

東京まで450キロくらいと思っていましたが、実際は550キロ。
その距離を1日に一気に走ります。
しかも愛馬は26年乗った41歳馬。騎乗する騎手は52歳。
この季節は1年で最も厳しい真冬です。
最近のベンツに乗ってでも、大阪から東京まで行ってくれと言われれば、ためらう
人も多いでしょう。
でも自分が走りたい旅なら、苦になってはいけません。
こうして真冬の空の下、空色のクーペは東に向かって走り出したのでした。


平日朝なので交通量が多く、なかなかペースが摑めません。
京都、大津をふだんなら「ここまで」と思うのですが、今回はマラソンです。
一瞬で走り抜くような感覚で走り去りました。
この鍛錬ができれば、東阪ランが可能になるのです。
わたしもこの感性を身につけたのは、やっと40歳を回ってからの技術です。
繰り返し言いますが、旧車で不可能を可能にするのは体力ではありません。
「脳」の構造を変えないと、マラソンで言う42.195キロは、走り抜けられないのです。

写真は栗東の競走馬輸送車。米原の手前、彦根辺りからごっつう周囲の風景が
白くなり、「やばいなー」と大雪で泣かされた2001年の記憶が蘇ります。


今回の寒波は半端じゃありません。
毎年、冬の東京行きは天気の長期予報とにらめっこ。
嫌なことと楽しいことが両方まざった旅って想像出来ます?
そんな時、僕は楽しいことの方を考えてしまうのです。
だから、こんな風に生きて来れたのかもしれません。
結構ウエットで根に持つ性格の方ですが、ハンドルを握ればラテンの血が湧き立ち
「さあ行こか、愛馬よ」と大胆に変身します。
イタリア車に巡りあってなかったら3人の子どもの父さんにもなって
いなかったかもしれません。





周囲は「ウッソー」と思うような銀世界に。
ついにチエーン規制ぎりぎりの50キロ制限になり、前の方を2台の道路会社の作業車が
「壁」を作り追い越しさせません。こんなペースカー初めてみました。
当然大渋滞のなか、わたしは伊吹のPAに文字通り滑り込みました。



ガソリンはまだあるので、出発してすぐの桂川の一瞬休憩につづいての2度目の休憩に
しました。養老でガスは入れなくても良さそうなので、11時半の早めの昼食で体を温め、
凍った頭と心をほぐします。熱いじゃこめしうどんの美味かったこと。



関ヶ原を駆け下りると、雪は晴れて青空が広がりました。
「さあ行けるぞ」と体内のアドレナリンも駆け上がります。
東京まで本日の内にいけると確信することで、旅を続ける勇気が湧いて来るのです。


愛知県下の上郷にて。ここまでおよそ200キロ弱。
最初の給油をいたしました。



愛知を越え長い静岡県下に入りました。名神が終わり東名高速に変わります。
東名を運転するプロドライバーの人も、この静岡という温かい風景の県のことは
良い印象とひたすら長いという二つのイメージがあるのではないでしょうか。



1979年にトンネル大火災があり、新車のスポーツカーの焼けた姿を見て
「あーもったいない」と思った日本坂トンネル。この事故で名を覚えました。






ついに「東京」と書かれた標識が見えるようになりました。
長い旅をしていると、こういう目的地の地名が見えたときの
嬉しさは格別です。遠いヨーロッパ紀行でもあったなあ、あれは何時のことか。



三ヶ日から「新東名」がこの夏には開通する今年は平成24年。
私も長いこと走っていますね、人生という車に乗って。




由比のあたり。




愛鷹で最後の本格的休憩。名前が良い、あしたかは茶の名前で近年有名になりました。
80年代に20代の相乗り旅行の時に、初めて使った記憶があります。
あの時は初代アコードの中古だっけ、それとも先輩のクレスタスーパールーセント?



御殿場から海老名にかけて、この日最高の6000rpmまで回して鬼神のように
韋駄天奔りします。



旅の空で見掛けたはぐれ雲に子犬の姿を思い、、、、



海老名到着16時台。うおおおおおーー。
興奮してるので中に入らず。


があああああーーーー。


冬の日の明るいうちに東京に着いたので、用賀で東名を降りてみました。
ホントによく走ってくれました。

このマクドはその昔、「イエスタディ」だった所ですね。
なんだか切ない。児島未散の曲を思い出してしまう。




渋谷駅前。ホントによくこんな所まで走ってきました。
前を行くジャガー。



青山辺りで見掛けた未確認物体な乗り物に乗る国籍不明の年齢不詳のおばちゃん?それも謎。



六本木ヒルズが見えてキター。前に来たときはこんなもの無かったぞ!



ギ、ロッポン。車のエンジン、ボーボボー(^^;



国会前。この時間に仕事をする同年代も居れば、クルマに乗ってるこんなおっさんも。
いるノダ。



宮城前だよおっかさん。まだ生きてるけど認知症だよ。
でもアンタは天皇嫌いだったな。
私ゃおかげで、こんな変なイタリア車に乗っている。



東京駅前、丸の内側の夜景。綺麗。
ここには富も欲望もあるかもしれぬ。
でも私は、こんなちっぽけな車でここまで旅して来た。



御茶ノ水。山の上ホテル到着なう。午後6時半。



全てが終わった1日目の深夜に。
流石に疲れましたねー(苦笑)

Posted at 2012/02/01 05:34:43 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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