2012年1月29日 極寒
朝は荻窪から出発した。
前夜は西郊ロッジのご主人に荻窪とプリンス自動車のお話を伺った。
中央線沿線がまだ武蔵野の時代から、軍人の町になり、戦中派になじみの深い
中島航空機から富士重工(スバル)と富士精密(プリンス)が生まれたのである。
このガレージの2台隣には、なんとグロリアが寝ているのだよ。

(参考写真)
さて、首都高に乗るのに、高井戸に出ようとしたらご主人は「新宿に出た方が近いですよ」
と事も無げに言われる。ままに青梅街道を走って行くと高円寺中野と過ぎ、朝の新宿に
程なく出たので、本当に荻窪は都心に近いのに静かな町なので驚いた。
お台場には、個人エントリー車は朝の7時から8時の間に入るのがルール。
7時過ぎに荻窪を出て8時前には難なくお台場到着。結構私も首都高や東京を
走る回数が増えてきた。道に迷っていらいらすることもない。
会場周辺は早朝から、エントリー、非エントリーの2派が異様な空間を演出している。
エントリー車は、真面目くさった旧車、もしくは少数だが外国製の本物のクラシック。
非エントリー組は、ヤンジャンや、ヤンマガの漫画からそのまんま出て来たみたいな
落ちこぼれブルース、いや私は否定はしていないのだよ。むしろこれはエスノロジー
(民俗学)だと思っている、興味ある「標本」がたくさん集まって、そこら中を旋回
してたり、朝から爆音を鵞鳴り上げている。
こういうときにそっちに反応する人も多くて面白い。
「まあ、ええんじゃないの」と私も見に行きたいのだが、今年は寒くて、さらに
再入場が面倒くさい方式に変わったので、行きそびれてしまった。
一般入場前の時間帯は、会場の空気が澄んでいて、エントリーと関係者だけなので
挨拶がしやすい。
私もこの時間が一番好きだ。常連のあの車はは来ているか。面識は無くともお互い
人生まだ生きていて、好きな車に乗れている。これが新年の賀詞なのである。
だからニューイヤーミーティングなのであり、浪速からわざわざ走って参加する、
意義はそこに最大のポイントがあるといえよう。
今年も来ていた大阪ナンバーのワンオーナーのジャガーXJ6のシリーズ2モデル。
まだ三角窓の残っている時代の70年代後半あたりの車だ。
非常に当りの悪い個体の多かったシリーズ2を、ここまで維持するとは並大抵でないと思う。
一度ベテランオーナー氏にインタヴューしたら、「買った値段の数倍かけて、普通に走る
車にしあげた」と仰られた。その通りだと思う。「その後は楽ですよ」、頭が下がる。
私はイベントにエントリーしている車というのは、見てもらいたくて出しているのである
から、ナンバーを不必要に消す理由はないと判断するので、そのままピックアップします。
必要が有る人はコメントいただければ修正します。
隣に124スパイダーがやってきた。この方も何度か会場で並んでいる。
これが2つ前のオールドタイマーに乗っていたサーブ99である。
一見非常に900の初期に似ているので、改名しただけかと思っていたが、実のところは
結構別のモデルのようで在る。
こういう、地味な、平凡な、(不人気な/笑、御免)すっぴんの輸入車を選んで乗り、
もちろん「ディーラー車」の誇りを矜持しつつ、乗るオーナーは、俺は漢(おとこ)
だと思う。「花の慶次」に出て来る漢というのは、そういう野郎たちのことではないのか。

サーブ99の“たまらない”ところを、何パートかピックアップしておく。
今年気になったのは、いすゞフローリアンである。
この横浜ナンバーのグリーンの綺麗な個体は、記憶では10年以上前から来ている。
この車が、「だんだんと仲間を」集めてきて、今年は3台の花(フローリアン)が咲いた。
岩5ナンバーは前照灯が変形角2のオリジナルデザインに近い初期の後期モデルである。
ところで、東北には昔はフローリアンがたくさん走っていた。なぜだろう。
駅前タクシーには非常に多くて、私は1981年に初の東北旅行をした時に考えた。
その答えは、天然ガス車よりディーゼルの方が、寒冷地では強いからでは、と
推理した。
その頃ディーゼルを日本で作っていたのはいすゞである。
鈍重で不格好なフローリアンタクシーが、そう思った瞬間、実に頼もしく思え、
一度学生旅行なのに乗ってみた。まさにこれだ。それが「来ていた」のである。
構内タクシーの標章。「仙」は仙鉄局。日本国有鉄道仙台鉄道管理局の管轄駅に
乗り入れの可能な登録車両だ。
何か、当時物の補修ペイントとか、新聞や雑誌から構内タクシーの写真とか転載して
室内に並べておられました。こういうプレー(遊び)も有りなのが、このお台場の1日
なのである。へんたいプレーといったら失礼であろうが、根はコミケに近いものがある。
◇
日記も中盤に移ろう。これはTIMEKEEPERさんが「イイネ」の100オシをしていたセミ
ドロップハンドルの通学自転車マニアの方が、Y10の屋根から下ろすところである。
実は自転車のほうは全く目がいかずに、KEEPERさんの記事で知った次第である。
写真を整理していて今やっと、自転車の方にも気が付いたところである。
それにしてもコンドーマッチがこんなもの(失礼!)集めてんの?変な奴だなー(^^
今年のテーマ車は久しぶりに「イタリア車」で2台の旧いビンテージフィアット
スポーツが特別展示されていた。その内の1台を紹介しよう。
これは近年割と有名な個体で、戦前のフィアットの508という形式の小型快作のスポーツ
カーである。私は「バリッラ・スポルト」と認識しているがオーナー氏はシアタのミッレ
ミリア車であることを強調されているがそれはそれで良いであろう。
ただ正面グリルのエンブレムの文字が欠けていて、パリッラになっているのには苦笑した。
そんなことを面白がっている日本人のフィアットマニアは私くらいだろう。
私の車の真っ正面にドイツ車BMWで有名なショップのスタンドが在った。
これはTYPE120さんの記事で良く見掛ける2000CSの、「地味な妻」ともいえる2000
セダン。これ、私は大好きなんだよね。
もう一台持ってきていたのは、新車当時もの凄い高級車であったのに、中古になり
何10年も経つと誰も振り向かなくなった初代7シリーズセダンのフラッグシップ
745i。 値段の付け難い車であるが、今見ると一番威風堂々としている。
「どうだ、渋いだろう」。マルニや初代6シリーズばかりがカッコ良いなんて口先で
言っているだけの「ケツの蒼いガキは来なくていい」と言わんばかりのチョイスに、
私はニヤニヤ。
「不人気車」という言葉を逆説的に取る自虐な表現も嫌いだし、良い車はもともと良い。
私はこういうスタンスで、或る意味判っている人だけを対象にするのが本来の外車屋で
あったと記憶する。
こんなもの誰が探しているんだ!と2000セダンTiiのグリル。(ツーリング
インターナショナルインジェクション)
これが最高、745のふっくらしたドイツ製のモケットのシート。ババリアンの
エッセンス見たり。革シートとバカの一つ覚えみたいに言っていると恥を書く。
しかし745は本来当時憧れのアイテムであった、ヘッドライトウオッシャーが
標準装備であったと思うのだが、現車にはなかった。聞いてみたかったが、
軽薄そうな青いイタリアクーペから降りてきたオッサンが相手にされることは
ないだろうと思い、やめときました。
◇
平凡なシビック4ドア。前夜にいた荻窪で飲みに行った鶏料理屋のおやじが
懐かしそうに話していたっけ。

三菱ギャランGTOとトヨタセリカ この二つは新車当時、2派に分かれるライバルで
あったと記憶する。
そうするとカリーナ2ドアGTやSR、ギャランA2(2はギリシア文字)HT GSが
脇役配置の好敵手同士、そうして27レビン・トレノに敢然と挑んだ“鉄騎兵”が
A73ランサーGSRだというシンボライズが、よく判るでしょう。
大トヨタの尾を踏んででも、真っ向から仁義無き戦いに挑んだ三菱。
最大手の企業が一番給料が良いだろうから、そこを選ぶ。そんな若者が大半の
今の社会に敢えて言いたいのは、45年くらい前の日本には面白いヤツがいっぱい
いて、三菱もホンダも、マツダでさえ眼をギラギラ光らせた狼であった時代が
あったということ。それを知って欲しい。
僕らも子どもの世代や若者に伝えて行く。そのために旧車に乗り続けているのだと。
そろそろ振り返りをまとめてみよう。
NYMは、何のために開催され続けているのかと考えると、この国の車好きは
ある程度歳をとった。
クルマが無くても生活ができるし、社会も脱自動車を進めているようにも
思える。それは正しい。
ただ、車を持ち、それに乗り、何がしらかの行為をする。
音楽を聴く。ドライブに行く。
そういった時間の合間合間に、いろんなインスピレーションが湧く。
恋人のことを気にする。次はどうやって誘おう。
歳をとれば古い思い出の詰まったタイムマシンが恋しいのかもしれない。
人間の人生なんて、長い歴史のヒゲのほんの先っぽにも満たない。
でも、ここにある、なにかを求めて人は生きている。
車の興亡は社会の歴史の一瞬に過ぎない。
俺はあれに乗った。
あの車には、こんな思い出がある。ただそれだけなのに。
こんなイベントは止めてしまえば、あとには何も残らないかもしれない。
でもここにくれば、話したい話題がある。友もいる。初めて知り合う
人もいる。
今年も私のクーペの後ろに立ち、初老の婦人が殿方に対し、
「私18の時に850クーペに乗っていたのよ」と懐かしそうに話して
おられた。
来年も元気だったらここに来よう。
私も積極的に皆さんの姿を探す努力を怠っていたかと思います。
お会い出来なかった方々、また次回はよろしくお願いいたします。
最後に、
今年は何かもらえるかなー、と虫の良い期待が空振りになった私を最後に
訪ねてきた大阪時代からの友人が、こんなものをてみやげに。
あのねー(^^;;;;;;
でも家に持って帰ったら、ふ女子の高3とジャニオタの中2にウケました。
オタクの友人に見送られながら、お台場をあとにいたしました。
イタタタタターーーー、イタ車の祭典とは、このことだったのかー(苦笑)