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2012年02月22日 イイね!

続鉄道少年(初めての筑豊探訪記)

続鉄道少年(初めての筑豊探訪記)またまた鉄道の思い出に戻る。

生まれて初めて子供だけで鉄道旅行をしたのは、多分中1のときで、中3の姉を伴い、大分と小倉の間を日帰り往復した。
乗ったのは気動車急行「フェニックス」か何かで、キハ58の室内と広い窓の思い出がある。これは家族で大分ー宮崎を旅行した時にも利用した。



さてこの写真は、先の記事と同年(昭和48年)7月、先の城野付近のSL撮影で舞い上がった子供心に火が付き、同クラスメートに連れて行ってもらい、初の筑豊地区を訪ねて行った日の最初に写したコマ、急行「天草」のDD51と先頭の指定ハ座のスハフ43+スロ62+オロネ10、+ハネたちずらりという往年の旧客急行豪華編成である。

所属は名ナコ(名古屋客車区)であり、天草は唯一の筑豊線回り寝台急行。呉線回りの「安芸」はもう無かったが、昔は地方にもそれなりの一流の家庭があり、それらの名士たちが上京するための列車の需要があった頃の一コマである。筑豊の直方や飯塚にもセメント企業の麻生や元石炭関係の三井や三菱、住友といった企業の重役、それに類する人の家があったのである。
隣に半分反射して映っているのは伊田線のキハ58+28の2連で色がカナリヤイエローの修学旅行用の800番台である。


これは懐かしい。筑豊の鉄道拠点都市、直方のシンボル、大型の石炭搭載機である。
この真下にSLの9600やD51とD60、少し前はC55にD50、昭和40年頃はC51が下に駐泊して石炭のご飯をいっぱい詰め込んでいたのである。
昭和49年12月にSL全廃後いち早く解体撤去されたので写真があまり残っていない。
こんな一コマも写していたのは後で判明したが非常に嬉しい。

この日の一番の大冒険は、直方の次の勝野まで行き、そこから宮田線に乗って終点の筑前宮田(現宮若市の中心、鉄道は既に廃線)まで足を伸ばしたことである。

そこに何が待っていたかというと、炭坑の専用鉄道の珍しいSLたちである。



貝島の「大コッペル」と呼ばれた貝島炭鉱専用鉄道の、ドイツコッペル社製Cタンク、31号機。



ロッドの溝に赤い色が入れられ美しい。SLブーム以降被写体になることが多くなったので、意識してやっていたのかもしれない。でも筑豊はとにかく煤けてあまり綺麗な町ではなかった。

その中で、掃き溜めの鶴みたいな飯塚と直方の一部の金持ちたちが住む町や住宅があった。そんな所に住むのは東京からきた高給サラリーマンの家族で、「数年間の赴任」というのを我慢すれば後に出世。僕らのいた北九州の学校にもそういった「落下傘子弟」たちがいて、僕らは遊びに行った家庭で見たことも無いチェロといった楽器や、外車に遭遇したものである。



旋回窓を開け、夏の風を入れながら、筑前宮田をバック運転で発車する31号機牽く空の貨物列車。
いいなあこんな風景。遠くに見える明治時代に立った竪坑の煉瓦煙突。右下の崖の下に少し見える煤けた炭坑住宅。これがみんな昭和48年の真実だったのである。

僕らはこんな風景を見ながら、かつ賑わう小倉の街角や、たまに上京する東京の銀座の繁栄をみて育った。いつしかジャーナリストになろうと少年の心に芽生えた幼い憧れは、社会的矛盾を抱えた昭和の少年の日記だったのである。



夏のひかりに晒されて炎天下を行く貨物列車。荒涼たる風景の下を歩く中2少年。

「筑豊は怖い所」という忠告も、ものかわ、冒険少年は奥地にある炭坑の現場に向かって歩いていくのであった。まるで引き寄せられるかのように。



しばらく行くと、反対側から違う形の機関車がやってきた。
サイドに付けられた大型水タンクの形状から「弁当箱」のあだ名を持つアメリカのアルコ製タンク機関車22号機だ。前と後ろに変な控えの貨車が着いているが、これは機関車のバッファー式連結器を自動連結器の着いた貨車に連結する為の「カプラーアダプター」なのである。

コンピュータ機器ならいざしらず、こんな面白い機械が着いた機関車もいたのである。



終点の大之浦六鉱にはこんなものが残っていた。昔の通勤輸送に使った客車の車体である。
木造車体の客車を見るのはこれが初めてで、国鉄線路上には昭和20年代まで木造車があったことは知っていたが、胸のボルテージがひときわ高鳴る出合いの瞬間であった。



この日のとどめは、大之浦六鉱から石炭を積み込んだ貨物列車が発車するシーンをお目にかける。
夏の一日、多分日曜日だったと思うが、当時の炭坑には休みがなかったと思う。
働く男たち。こういう人たち、坑内作業の作業員たち、全ての人たちの労働という貴重な仕事の上に日本の成長と繁栄が、信じられていた。

この年の秋、暮れには石油ショックが勃発し、北九州の住宅街でもトイレの紙が無くなるという騒ぎが起こった。僕はラジオを聴きながら、大好きな桜田淳子に胸をときめかせ、その年がゆっくりと暮れようとしていた。

1973年という年は三菱ランサーが1月に出て、そろそろ本格化する排気ガス規制が目の前にやって来ていた。
デビューしたランサーGSRが国際ラリーで大活躍して、この時代のラリーカー、ランチアフルヴィアから、ストラトス、アルピーヌA110、フィアット124ラリーといったファナティックな車が好きな中年は多い。だがこの時代の日本の現実を知りつつ、歴史のおさらいの勉強をしてみるの良いのではないか。

僕はクルマが好きだが、現実から浮いた趣味は嫌いだ。
その辺りが上っ面な記事を書いているだけのライターとは違う。
鉄道の写真ばかり載せても、ブログ読者が増えることはないだろうが、たまにはこういった「検証的」な記事も書いてみたい。
新聞社奉職26年だった男の、本心である。






Posted at 2012/02/22 05:51:38 | トラックバック(0) | 鉄100% | 趣味

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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