• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2012年04月11日 イイね!

井上鑑と80年代モーターシーン

井上鑑と80年代モーターシーン













オールマイティーの天才と言うのは突然登場することがある。

80年代が面白くてしようがなかったのは、その幕開け期に
松田聖子(とその世界を創った人たち)とか、野球でいえば2軍から
1軍に上げてみたところ、あれよあれよで3冠王を取ったロッテの落合
とか面白い人が次々と出て来たことがある。
YMOの3人衆と電子ゲーム音という人も居るだろうし、ウオークマンの
発明だ、ビートたけしに糸井重里と、何を取り上げても、今の時代より
ずっと面白い。

イチローのような努力型天才に比べると、何もかもがエピキュリアンな
人たちであふれていたのが80年代の特徴だ。その中でもこの人はすごく
面白い。
いぶし銀みたいな存在ではなく、嚢中の錐のように才能が突き出して
いたのが井上鑑(アキラ)だ。





サウンドだけであるが、グラヴィテーションズ(引力)のシングルと写真の
「予言者の夢」という内容の濃いアルバムを引っさげて登場したマルチ
ソングライターである。

それでは横浜ゴム・アスペックのCM、いってみましょうか。




1980年、81年頃というと、まだ外車は夢のような存在であった。
E21、初代BMW3シリーズのイメージと憧れを徹底的に印象づけたのは
横浜ゴムのラジアルタイヤ、アスペックのCMと宣伝広告である。

豊田とか、日産とか、漢字をイメージするメーカー名に、カローラとか
サニーとか60年代風のカタカナ外国語の車名の組み合わせも、何だか
ダサく感じていた。
父ちゃんのクルマとか、そんな雰囲気だね。そこに出て来たのがBMWで
ある。

男の子たちは「バイエルン・モーター・ヴァルケ」とその語源をさり気なく
憶えて披露したり、ただの3シリーズ、「シリーズ」という単純な
ネーミングに新しさとカッコ良さを覚えたのであった。
「320i」って何だよ? 3シリーズ、次の20は2000cc、iは
インジェクションの意味。

へえー、西ドイツ人って、知的だなあ、とみんな感心したり、言葉の虚飾を
排した自動車の名前に、何でも良いからマイカーさえ持てればという、
時代を卒業したかった人々は、このクルマが「海の向こうから」到来した
ことに飛びついたのであろう。
日本人の舶来信仰は可愛らしい(笑)。


アキラさんの話に戻ろう。
1953年生まれだから、この頃は20代後半。スタジオミュージシャンと
いう職業が脚光を浴び出した頃である。
音楽理論と実演の出来る人は、鉄板で、数々のソングのアレンジに頭角を
現していた。

たとえばこんな曲とか



で、これで一躍音楽プロデューサーとして名をあげました。

ルビーの指環でなく、きょうはこっちを聴いてみましょう。



横浜ゴムのアスペックというタイヤは、モータースポーツ本命派の人には
当時アドバンというブランドがあり、人気を博しましたが、とにかく
この頃はまだ走り屋=街道レーサー=暴走族=警察が出てくる、といった
一般人の認識が強く、実際、アドバンは族にはもの凄い人気がありました。

そりゃー良からんだろうというわけで、もうちょっとソフトなスポーツ
ブランドを出して来たのが、アスペックです。

都会派、知性的、オトナのクルマ好きに、という位置づけであったので、
横浜銀蝿、ウ○コ座り、シャコタンハの字大好き!といった人たちとの
マーケットの棲み分けが図られました。

CMイメージはどうしよう、といったら、この人が良いのでは、と
電通マンかどこかの企画営業員が、東芝EMIに属していた、井上鑑を
出して来たと思います。
僕も当時は、マスコミのそういった仕事もしましたので、今よりずっと
楽しい仕事が多かったと記憶します。

特筆すべきは井上鑑自身が、結構モータースポーツの世界が好きであり
自分のソロアルバムに、コンセプトを入れたいと願った曲が2つあります。

ユベスキューレ




これは当時一部の人しか知らなかったWRCの舞台、「1000湖ラリー」の
世界を歌ったものです。間違えても10000(万)じゃ、ありませんからね。
ミルピステ、ミルマスカラス。💦



ウオーターロールのFIAT131が空を跳ぶシーンが彷彿しますが、これは
マルク・アレンがモデルなんでしょうね。
オムニバス形式で映像をお届けいたしましょう。



1981年同ラリーのメモリアル。
5分過ぎに幻のランサーEX WRCが出て来ますが、これはシムカ
(タルボット)ークライスラールートで出場に漕ぎ着けましたって、
知っていました?。
東本昌平の「SS」に出てくるスタリオンWRCに繋がる楽しい夢でした。

こうして当時のサンビーム・タルボットや、エスコートラリーの走りっぷり
が卓上で見られるなんて、30年前は想像もつきません。
もうチョット懐かしい、1973年の映像も見てみましょう。



こういう映像を見ていると、今の私たちの生活やカーライフは、もう
ちょっと昔のことをレスペクトしてみても良いのでは、という気になります。
当たり前に快適な環境を受け入れているだけでは、つまらない人生に感動も
無いままに、生きているという気がしませんか。

当時のボルボやサーブに交じって、日本代表のZやギャランが気を吐いて
います。

さて、もうひとつの「サファリ オスティナート」という曲は、ユーチューブには
見当たりませんでした。これは世界一速い婦人と謂われた、ミシェル・
ムートンのことを取り上げた曲です。i-tuneで、触りは聞くことが
出来ました。

(追記)その後見つかりました。



なんといっても、彼女と言えば、ラリー・クワトロですね。




あの頃は、カッコイイお姉さんでしたが、今もカッコいいです。





ということで、井上鑑と80年代、クルマと音楽、社会の動きも
ずっとしなやかに一つの話題を追いかけて行くことが楽しかった
時代のことを、きょうは書きました。

一番今と違うことは、中間コストのカットだと思うのです。
当時は全く不可能に近かったユーチューブのようなツールで、昔の北欧の
ラリーのシーンも見られる一方、憧れや夢に対して、疑似体験してしまう
程度で入り口で帰ってしまうことも多いと思います。

こういう報告(レポート)をパソコンを使い、他人の2次情報を掻き集める
ことで、こういったところに書いて、ある程度の人数に読んでもらい、
満足感を得ることも可能になりました。

しかし私の基本は、前回の記事に書いたように、実際に昔の車を今運転して
同じような時代のディーノや328を追いかけ回すことが、面白いのです。

「知ってる」だけじゃ、どうかな?。
もう少し、クルマというものを使って、どう遊ぶか。

そしてパソコンツールを通じて、啓蒙みたいなことを若い人にも伝えて行く。
こんなところで、もう少し頑張ってみようと思います。



Posted at 2012/04/11 13:17:11 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2012年04月11日 イイね!

関西アズーリと この1週間

関西アズーリと この1週間









4月7日に参加したイベントの報告である。

まず最初に、みんからのライバルでカークルという世界があり
そこはどちらかというと「イタ・フラ」系のイベントが多い。
今回の主催者、チンクェチェント博物館がポータルのサイトを
持っており、そことの完全連動企画である。
また、今回参加して知ったのであるが、ボンジョルノ西川氏
(西川りゅうじんでなく西川淳さん)らが立ち上げた、ペーパー外
メディアの「カージー」というのがあり、そこも思い切りタイアップした
企画をこれから打ち出して行くそうである。

カー爺?、いや笑いそうになったが、カークレイジーの略だそうである。
カークルというのもカー狂ともとれるし、昔はカーキチって、普通に
使いましたよね。いまはキチガイと言うと本物の人に「失礼」だから
使っちゃいけないそうですが、ちょっとエッジの立った文章を書くと
いろんな人が突っかかってくるが、今日はこの辺で許しといて下さい(笑)。



こんな感じで、六甲山の西側、山の街にある弓削牧場というところから
スタートして、428の小部峠から六甲を縦走し、山上から次に三宮方面へ
降りて行きます。



桜が綺麗です。



エエ感じでしょ。
何で写真が大きくならないのか、その理由は判りますよね(笑)。



おっと、鯨クラウンと一瞬遭遇しました。



メリケン波止場からモザイク方面へ。このくらいの写真ならナンバーが見えない
から大きくいってみよう。



これ、遅れてしまったが、真ん中に古いマスタングが写っています。

旧居留地付近。栄町通を通っています。



大林組支社跡(元毎日新聞)



元住友銀行神戸支店(中之島の本店と同じ肌色の凝灰岩で造られています)



大丸神戸店



今度は北野の坂を登って異人館街方面へ。





北野では、チャイナの観光客に「珍しいクルマ!」と喜ばれました。

この後は「再び」から裏六甲の急峻を駆け上り、反対側まで下りて
お昼過ぎに牧場に戻りました。





ご覧の通りの一日でした。
戻った後は食事を牧場でいただき、午後は割合ゆったりしたタイム。
親交を深めたりと、そういうところです。

参加台数は30台程度。
直前までエントリーが少なかったのですが、蓋を開ければ
ちょうど良いくらいだったのでは、ないでしょうか。

今回の企画は、久しぶりの有料、クイズゲーム式のタイムラリーでした。
これは速過ぎてもポイント減になるのですが、抑えめに走ったつもりの
私でも、6分くらい早着しました。

裏六甲からの上り道あたりになると「片山伝説」やロータリーの
片山、従野兄弟が、腕を磨いたのはこのあたりかと、運転に力が入ります。
フェラーリや、マセラッティを煽りまくっていた生意気な850ccフィアットには
ちょっと顰蹙だったかもしれませんね(お詫び)。

今回のイベントは、同じフィアットの124スパイダーに乗られる古い友人
からのお誘いでした。
無料のオフ会が流行りのこのご時勢に、1万円級のイベントはどうかなあ
という挑戦が肝だったと思います。
僕は満足しました。食事も良かったし、神戸というエキゾチィックな街を
ほぼ主要観光ポイントを網羅して走れたという醍醐味、達成感はあったのでは
ないでしょうか。

思い起こせば1985−89の5年間、この街だけを舞台に「モンテ・ミリア」という
日本が贅沢ゾーンに突入するきっかけになった、旧車(ヴィンテージ)イベントが
ありました。
それは、ある年突然消えてしまい、大震災があり、その後で復興を願った後続の
ポンテペルレという版図を広げたイベントもありましたが、これも終わりました。

今の神戸には、バブルはありません。慎ましやかな元の港町に戻りましたし
それでも明るい観光資源はたくさん残っています。
こういう観光地ラリーって、いいんじゃないでしょうか。

みんからについてですが、ここはゾーンが広過ぎて、その割には過熱気味な
マス(集団)もいくつかあると思います。
私も少し疲れを感じているところがあります。
その空気が伝染せねば良いかと、しばらく鳴りを潜めたいと数日間思いました。

ポータルを提供しているサイト側からみれば、大したことはないのでしょうが、
人間の感情が磁場のエネルギーになっていたとしても、それで踊ったり
攻撃的にムキになっても、所詮は空回りのような気がしてなりません。
自分自身が言説っぽい投稿をよくすることが有りますが、一応はある程度の
影響や反応は計算して書いております。

それでも時折、びっくりするような文章や文字を読んで、かなり減退感に
襲われることがあります。それは何故かというと、同じ土俵の上に上がって
しまっているというショック、落差をひどく感じるからでしょうか。
この数週間は、ここを継続するのにかなりのためらいがありました。
それでも気を取り直して、新しい投稿を、ご覧にいれることにいたしました。






Posted at 2012/04/11 02:32:52 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/4 >>

1234 567
8910 111213 14
1516 17 181920 21
2223 24 2526 2728
2930     

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation