オールマイティーの天才と言うのは突然登場することがある。
80年代が面白くてしようがなかったのは、その幕開け期に
松田聖子(とその世界を創った人たち)とか、野球でいえば2軍から
1軍に上げてみたところ、あれよあれよで3冠王を取ったロッテの落合
とか面白い人が次々と出て来たことがある。
YMOの3人衆と電子ゲーム音という人も居るだろうし、ウオークマンの
発明だ、ビートたけしに糸井重里と、何を取り上げても、今の時代より
ずっと面白い。
イチローのような努力型天才に比べると、何もかもがエピキュリアンな
人たちであふれていたのが80年代の特徴だ。その中でもこの人はすごく
面白い。
いぶし銀みたいな存在ではなく、嚢中の錐のように才能が突き出して
いたのが井上鑑(アキラ)だ。
サウンドだけであるが、グラヴィテーションズ(引力)のシングルと写真の
「予言者の夢」という内容の濃いアルバムを引っさげて登場したマルチ
ソングライターである。
それでは横浜ゴム・アスペックのCM、いってみましょうか。
1980年、81年頃というと、まだ外車は夢のような存在であった。
E21、初代BMW3シリーズのイメージと憧れを徹底的に印象づけたのは
横浜ゴムのラジアルタイヤ、アスペックのCMと宣伝広告である。
豊田とか、日産とか、漢字をイメージするメーカー名に、カローラとか
サニーとか60年代風のカタカナ外国語の車名の組み合わせも、何だか
ダサく感じていた。
父ちゃんのクルマとか、そんな雰囲気だね。そこに出て来たのがBMWで
ある。
男の子たちは「バイエルン・モーター・ヴァルケ」とその語源をさり気なく
憶えて披露したり、ただの3シリーズ、「シリーズ」という単純な
ネーミングに新しさとカッコ良さを覚えたのであった。
「320i」って何だよ? 3シリーズ、次の20は2000cc、iは
インジェクションの意味。
へえー、西ドイツ人って、知的だなあ、とみんな感心したり、言葉の虚飾を
排した自動車の名前に、何でも良いからマイカーさえ持てればという、
時代を卒業したかった人々は、このクルマが「海の向こうから」到来した
ことに飛びついたのであろう。
日本人の舶来信仰は可愛らしい(笑)。
アキラさんの話に戻ろう。
1953年生まれだから、この頃は20代後半。スタジオミュージシャンと
いう職業が脚光を浴び出した頃である。
音楽理論と実演の出来る人は、鉄板で、数々のソングのアレンジに頭角を
現していた。
たとえばこんな曲とか
で、これで一躍音楽プロデューサーとして名をあげました。
ルビーの指環でなく、きょうはこっちを聴いてみましょう。
横浜ゴムのアスペックというタイヤは、モータースポーツ本命派の人には
当時アドバンというブランドがあり、人気を博しましたが、とにかく
この頃はまだ走り屋=街道レーサー=暴走族=警察が出てくる、といった
一般人の認識が強く、実際、アドバンは族にはもの凄い人気がありました。
そりゃー良からんだろうというわけで、もうちょっとソフトなスポーツ
ブランドを出して来たのが、アスペックです。
都会派、知性的、オトナのクルマ好きに、という位置づけであったので、
横浜銀蝿、ウ○コ座り、シャコタンハの字大好き!といった人たちとの
マーケットの棲み分けが図られました。
CMイメージはどうしよう、といったら、この人が良いのでは、と
電通マンかどこかの企画営業員が、東芝EMIに属していた、井上鑑を
出して来たと思います。
僕も当時は、マスコミのそういった仕事もしましたので、今よりずっと
楽しい仕事が多かったと記憶します。
特筆すべきは井上鑑自身が、結構モータースポーツの世界が好きであり
自分のソロアルバムに、コンセプトを入れたいと願った曲が2つあります。
ユベスキューレ
これは当時一部の人しか知らなかったWRCの舞台、「1000湖ラリー」の
世界を歌ったものです。間違えても10000(万)じゃ、ありませんからね。
ミルピステ、ミルマスカラス。💦
ウオーターロールのFIAT131が空を跳ぶシーンが彷彿しますが、これは
マルク・アレンがモデルなんでしょうね。
オムニバス形式で映像をお届けいたしましょう。
1981年同ラリーのメモリアル。
5分過ぎに幻のランサーEX WRCが出て来ますが、これはシムカ
(タルボット)ークライスラールートで出場に漕ぎ着けましたって、
知っていました?。
東本昌平の「SS」に出てくるスタリオンWRCに繋がる楽しい夢でした。
こうして当時のサンビーム・タルボットや、エスコートラリーの走りっぷり
が卓上で見られるなんて、30年前は想像もつきません。
もうチョット懐かしい、1973年の映像も見てみましょう。
こういう映像を見ていると、今の私たちの生活やカーライフは、もう
ちょっと昔のことをレスペクトしてみても良いのでは、という気になります。
当たり前に快適な環境を受け入れているだけでは、つまらない人生に感動も
無いままに、生きているという気がしませんか。
当時のボルボやサーブに交じって、日本代表のZやギャランが気を吐いて
います。
さて、もうひとつの
「サファリ オスティナート」という曲は、ユーチューブには
見当たりませんでした。これは世界一速い婦人と謂われた、ミシェル・
ムートンのことを取り上げた曲です。i-tuneで、触りは聞くことが
出来ました。
(追記)その後見つかりました。
なんといっても、彼女と言えば、ラリー・クワトロですね。
あの頃は、カッコイイお姉さんでしたが、今もカッコいいです。
ということで、井上鑑と80年代、クルマと音楽、社会の動きも
ずっとしなやかに一つの話題を追いかけて行くことが楽しかった
時代のことを、きょうは書きました。
一番今と違うことは、中間コストのカットだと思うのです。
当時は全く不可能に近かったユーチューブのようなツールで、昔の北欧の
ラリーのシーンも見られる一方、憧れや夢に対して、疑似体験してしまう
程度で入り口で帰ってしまうことも多いと思います。
こういう報告(レポート)をパソコンを使い、他人の2次情報を掻き集める
ことで、こういったところに書いて、ある程度の人数に読んでもらい、
満足感を得ることも可能になりました。
しかし私の基本は、前回の記事に書いたように、実際に昔の車を今運転して
同じような時代のディーノや328を追いかけ回すことが、面白いのです。
「知ってる」だけじゃ、どうかな?。
もう少し、クルマというものを使って、どう遊ぶか。
そしてパソコンツールを通じて、啓蒙みたいなことを若い人にも伝えて行く。
こんなところで、もう少し頑張ってみようと思います。