久しぶりにパンチの効いた
ジャズの生演を聴いた。
面白かった。
歩いて数分の駅前広場である。
この街には社会人ジャズオーケストラを
育てて行こうという気風があるらしい。
偶然の通りかかった幸運だが、なかなかノビも有り
上手い演奏だった。
それも結成して初の、本番だという。
しかも駅前広場に、春の交通渋滞で、何名か遅刻。演奏開始が遅れるという
そのアクシデントを吹き飛ばす、素晴らしいプレイであった。
ご覧になって、気が付くと思うが、半分近く、いや以上が
女性である。「スウィング・ガールズ」を見て育った「樹里ちゃん世代」が
大学を出て、社会人になって、それでも本気(マジ)で彼女らは
ジャズっているのである。バンマスは男だったけれど、ここからたくさん
恋愛が生まれるのだろうなあ。いや何よりも、知り合いのトウの立った
ミュージシャンの刺激の無い演奏ばかり聴いていた最近のワタクシは、
ピリピリきちまった。 やっぱり若さだよ!!!
ということで、きょうはジャズのハナシになる。
まずジャズを聴かない人、判らない人でも、この文を読んでいるかも
しれないので、そこからはじめてみよう。
ジャズと言うのは、テーマがあって、それをジャズ風に演奏する
音楽のことなのである。何を以てジャズ風というか。そこがオモシロイのである。
ジャズは「崩しの美」なのである。
えっ、積み木を「崩し」て「ハンパしちゃって」
いきなり裸になった誰かさんもいてましたが(笑)、崩れ方には元々、味があるのだ。
ジャズ用語には、大切な秘伝の篭薬「アドリブ」という成分がある。
お、アドリブが利いているねえ、と心地よく聴く音楽に体がゆらりゆらり、くること
がありますね。あれをもって、「スウィングする」というのだけれど、
スウィングは体だけではイケナイ。それでは路上の酔っぱらいと同じだ。
スウィングは体と心でするものなのである。魂のスウィングなどと、俗に言いますが。
で、アドリブとは自由演奏の定義なのだけれど、ここが難しい。
基本ベース(低音)、ルート(音の通り方)などは、守らなきゃいけない。
最初のテーマフレーズは何だって良い。ディズニーの「いつか王子様が」だって
「Someday my prince will come」といって、ビル・エヴァンスが
至高の芸術品に磨き上げて、聴けるようにしてくれている。
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これは晩年ね。序盤の演奏と、中盤の「自由な」遊び方にエヴァンス一流の品と
炎のようなパッションを感じてみて、ください。
アドリブは「いざ、演れ」と言われて、これはムズカシイ。
今どきのテレビでは、台本無し、ぶっつけ本番の意味に転用されるようになった。
そこで少し、アドリブの解釈が出来るような人が増えたとも思われる。
例えば、アドリブは「空気が読めない」とイケナイ世界の典型ともいえる。
ぶちこわしと味のある崩し書きは、似て全く異なるからである。
ただぶちこわしスレスレでも、セーフの時がある。これを面白がるヒトもいる。
しょっ中ぶちこわしていては、誰も面白がってくれない。
ジャズ用語にもう一つ、最近は使われなくなったが、インプロビゼーション=即興演奏
というのがある。くどくど書くより、一曲聴いてみましょう。
これはオーネット・コールマンね。
VIDEO
聴くのは5分くらいでいいけど(笑)、解説は
このチャンネル でね。
興味があればユーチューブの枝をいくらでも辿って行くと良い。
2、3曲でこういうのを掛けると、後戻りする人もいるだろうから、このあたりで
やめておく。フリージャズはむずかしい。難解だと取られては元も子もない。
今回どうしてこのような話題を書こうかという気になったのは、先日ある人が書かれて
短時間で消された、ジャズ=芸術論を読んだからである。
その中に書かれていたことを読んでから私は、自分の中にある思いに付いて考えていた。
消されるより、むしろ私は肯定したい、私観がそこにはあったのであるが、
世間的にはジャズは今は、マイナーな世界の芸術になっている。
なぜそうなったのかについて、解説はしない。だが反証を書く。
先日ここでも取り上げた森博嗣さんが、「作家という生き方」という別の著書で
どのような読者を想定し、ある程度の手応えを探りながら人気作家になった経緯を
系列的に分析しながら書いている。
中でも元々小説家の世界とは門外漢であったこと。いわゆる一発屋が多いことの
理由と後が続かないことの観察は意義に富み面白い。
だが、森さんはある程度の資産も出来た、家作りなどの夢も実現出来た、等の理由で
ライトノベルを書くことは、一旦止めたという。
私はこの新書が、たまたま妻の本棚に置いてあり、「読め」と言わんばかりの内容
であったので、するすると短時間で読破した。もうちょっと頑張らないといけないの
かもしれない。(苦笑)
ただ9割5部納得出来た内容であったのに、何%かの引っかかりも読後に残った。
ライトノベルなる範疇に普段全く接することがなかったのと、ほんとうにそれでいいの?
森さんが好きな世界は、架空の戦士たちが、架空の次元で闘うことが、ゲームのような
世界に叙事詩として繰り広げられるとしてもである。
この違和感がやっと某氏のジャズ藝術論を読んだ時に氷解した。
マーケティング的な考え方、それをどうあしらうかである。
森さんはまたまた反対に、文章や書籍の世界に後から参入し、一般社会の「常識」が
全く通じないことを、批評的に書いている。
そして作家と金と言うのは後から着いて来るものなのか、と書き残している。
さあどう取るかである。
できれば人間は、お膳立てされたものに感動はしたくない。だが実際にテレビから
ベストセラーまで世の中は「感動した」に充ち溢れている。
私はかなり捻くれたものの見方をする方である。その私でも森さんの世界は面白いと
思った。本格なのであろう。
ジャズの演(や)り方の中でもかなり高度に完成された即興と言うのは高い技術に
裏付けられている。
ウエザーリポートのジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターの双頭コンボに
後半、NYの暴れん坊、ジャコ・パストリウスが絡んだ時代のリハーサルなどは
火の出るような真剣勝負であったらしい。
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僕はくりかえすが、ジャズが好きだ。成人してジャズの世界が判った時に
初めて大人になれたと思った。
クルマの話題を書くブログに何故ジャズのことを書いてみようと思ったのか。
それは出番にメンバーが集まらなくて遅れたフルバンドの演奏が、とても光る
プレイでそれを取り戻したからである。
人生にはアクシデントはつきものである。その時に遅れを取り戻そうと
焦って運転したり演奏することでなく、結果に満足出来るプレイが伴ったら
それでいいのではないか。
10年前の軽自動車の中に付いているカセットオーディオで、今夜も僕は
きっと昔のテープを聴いていることだと思う。
録音媒体は古くても、聴いている人間はいつも新しい耳を持ち続けて
おれば、何の不満もないからである。