
日本人はよく、モノマネ技術が上手い国民と言われる。
今はそれは過去形で、だったという方が、正しい。
なぜかというと、日本は経済と技術力で、一時世界のトップクラスに位置しかけたことがあり、もう諸外国に学ぶものは無いという発言も聞かれた。
しかし、本当は少し違うと思う。
きょうはそれを書くことで説明する。
おそらく昔の日本人は、もの事の本質を見抜く力に今より長けており、外国の技術と文化まで理解し、良いところは積極的に取り入れた。
明治維新後の蒸気機関車や戦艦の建艦技術がそうであり、盲目的なコピーでなく、「なぜ、それが良いのか」という、本質的な意味を含めたところまで、短期間に理解する能力を兼ね備えていた。
それがいま、どうなったかということを含めて、書いていってみよう。
1.6リッター=1600ccという排気量のエンジンに思い入れのある人は、最近かなり減って来たのではないか。
私が子供の頃は、セリカ1600GT、カローラレビン、スプリンタートレノ、
三菱ギャランGTO、ランサー1600GSR、ブルーバード1600SSS(P510型)、
ベレットGT(前期)、同GT-R、117クーペ(ハンドメイド時代前半)など高性能スポーツカーの代名詞は「1600cc」であることであった。
子供の頃には家に自動車が無く、税金も払ったことが無いのに、なぜ1500cc以下と、それを超えた上のクラスで1600が持て囃されるかの意味が半分くらいしか判らなかった。
当時1500以下はマイナーツーリングカー(レース)と呼ばれ、そのクラスのチャンピオンは110サニーとパブリカ(2代目)スポーツ、トヨタは後を受け継いだKP47スターレットがずっと2強であった。
1600の往年のスポーツカーというと、今の日本人はたぶん、アルファロメオ・ジュリアスプリントのエンジンと、ロータスエランの熟期のエンジンを思うであろう。コルチナにも積まれた1600である。
日本の1600エンジンの名機が出揃った理由も、実はヨーロッパのツーリングカーレースに対する「憧れ」からきている。1500や1400のエンジンをボアアップして「良く研いだ刃物」を作るように、1.6リッターエンジンを完成させて行ったのである。
まずトヨタの2T-Gは、T型1400が基本形で、これはカローラに積まれて人口に膾炙した。
20系カローラは1400のツインキャブ、SRとSLが兎に角良かった。ツインキャブは形式にBがつくのでT−Bである。この時代は基本形に1が付かなかったので1Tとはならなかった。1が付いたのはクレスタ(1980年)の1Gエンジンからである。
このT-Bをベースに2T(1600)が作られた。そしてトヨタは「お家の事情」で高性能エンジンはヤマハに技術を頼らざるを得ない貸し借りがあった。日産が伸び伸びと技術志向だったのに対し、トヨタは「より売れる車」作りが使命だったのである。
ちょうど買って来た「オールドタイマー」124号171頁のブルコロ戦争の記事に、トヨタ技術者の屈折について載っているので、お持ちの方は読んで欲しい。
ヤマハはT型OHVの技術に「屋根を貸す」形で見事なツインカムを作り上げた。
R型でも1600GTとマーク2GSSで9Rを作って、2000の18R-Gという完成型を見事に作り上げた。それは後にセリカLBに積まれたが、1600の2T-Gの方がエンジンとしては、夢や広がりがある。
このエンジンは最初セリカ1600GTとシャーシが共通のカリーナ2ドアGTに積まれ、セリカは人気を博す強力な武器となった。
同時期に三菱は、サターンOHCエンジンの名機4G32型を作った。
セリカと真っ向勝負したギャランGTOは当初1600で、シングルキャブ、ツインキャブ、ツインカムの3段仕掛けのエンジンバージョンで対抗した。
MRのDOHCは三菱としては「早過ぎた背伸び」で、三菱が実力を付けたのは普通のSOHCのツインキャブである。ランサーはラリーフィールドで大いに暴れ、GTOの不名誉を雪辱した。
快進撃ランサーGSR(1600)に「ちょっと待て!」と凄みを利かせたのが1400SR(デラックス仕様はSL)が最上級であったカローラに2T-Gを積んだレビンと、スプリンターの兄弟車トレノである。
本当のことを言うと順番はレビトレは47年9月の発売だから、ランサーの48年初頭より早い。しかし売れなかったので、人気が出たのはカローラ20系マイナーチェンジ後の48年後半からであろう。
国内ラリーはブルーバードが610(ブルーバードU)で、車体が大きくなり、まだ510の人気が長かった。510は昭和43年に登場の車だから、そろそろ古くさい印象も有り、捻った人は三菱ギャランのA2GSでもラリーをしていた。
ランサーは基本が1200と1400(実際は1450cc程度)なので、1600を積むとそれは速い車に変身する。ツインキャブのグロス110PSでも、800kgちょっと、全長4m弱なら、これは面白かろうと今でも想像出来るであろう。
実はカローラ20系の方が、ちょっと重いのである。1600ccでも、4m強ではツインキャブのままでは対抗できない。(実際にレビンジュニアという1600の非DOHCモデルも一時期存在した)
だから、2T-Gが要ったのである。セリカGTでもラリーは走ったのだが、当時の三菱の「じゃじゃ馬ぶり」には歯が立たなかった。だから「レビン」「トレノ」なのである。
ここまで長い文を読んでいただくと、「じゃ、なぜ『テンロク』エンジンがそれほど良いの?」と素朴な疑問が、半分理解出来ていただいたと思う。そう、当時の車は、エンジンの出力アップも命題だが、エンジン本体はできるだけコンパクトに。プラス車体の軽さが命だったのである。
そのギリギリのかけ算引き算で出て来た答えが、1600cc、今で言う「コンパクト」スポーツなのである。自重は700〜900kg台。全長は4mまで。エンジンは100PS〜120PS、ただしグロスである。
この「千六百」にこだわったレスペクトは、1983年のカローラ86や1989年のユーノス・ロードスターまでは、なんとか続くことが出来た。CRーXやファミリア4WD-GTまでそうだったかな。
なぜテンロクスポーツは省みられなくなったか。
ご想像の通り、車体の大形化と安全基準の際限なき引き上げの繰り返しである。
スカイラインが3500や3700でGTという時代に、苦々しさを感じている人も、きっとかなり居るだろうと思う。あれでは、GTでなくただの「ファットカー」だろうと。
日本人は、ジュリアスプリントや、ロータスコルチナあたりをみて、1600の良さに開眼した。
より小さなクルマにギリギリの排気量を積めば、大きな2000ccクラスをカモれる「イーター」が作れるのである。その走りっぷりをみて、きっと「すばらしい」と思ったに違いない。
テンロクは税制上はメリットが少ない。
なのになぜテンロクのスポーツカーはカッコ良かったのか。
それは「テンロクで十分」という禁欲さが、日本人の心情にフィットしたからである。
私も初めて乗った車は、ランサーの1600、シングルキャブである。
360ccの軽自動車の中古でも良いと言ったが、親がもうちょっと大きなのにしなさいといい、もちろんカッタルイ大きなセダンにする訳が無く、迷うこと無く1600の2ドアセダンとした。
その後2000年頃に、オペルカデットの1.6、自重1トン以下、全長4mというのにも乗った。
今でもふと思うのだが、クルマに乗ると言うことで、一番大切なのは、余分なスペースは持たないという、必要最小限の「思想」ではないだろうか。