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2012年05月23日 イイね!

男たちのエンブレム



相模湖で開催された、トライアンフの全国ミーティング。
シュンさんやスピットさん、いつも彼らを支援している英国車乗りの
ぺんじゃみんさんらが、一生懸命準備して天候にも恵まれ5月13日の大会は
71台(直前発表)ものトラキチが集まった盛会であったらしい。
今は祭りの終わった後の興奮が徐々に冷めて、後片付けと、ネットの公表や
報告など、少しずつ体に貯まった力が抜けていることであろう。

お目出度うございました。
きっと「やって良かったイベント」となるであろう。
また今後年に1回の定例化するのか、持続するのは不可能でも
無いだろうと思います。

イタリア車乗りの私が遠くから、彼らにエールと支援を送っていたのは
自らも30代の頃に、同じようなことをやったことがあるからである。
21年前に創刊したオールドタイマーで私はひとりの熱心なフィアット乗りに
知り合った。彼は愛知の人で128セダンが好きで乗っていた。
当時128セダンは、再評価される以前の時期で、新車で輸入されたものが
払底する時期であり、90年代に知り合えたオーナーは彼を加えても
2人だったと思う。

その愛知の友人が夢であったのは、「フィアットオーナーだけのミーティング」
である。知り合ったきっかけは読者投稿欄の彼の記事に私が返事を書いたから
である。編集部の計らいで私たちはよく手紙をやりとりするようになった。
同時期に私もこういうクルマに乗っていると、当時は所有5年に満たない
850のことを書いた。そこで知り合った人たちは、X1/9のクラブの
「ランナバウト」の創設者で、今は北海道にいるM氏。124スパイダー乗りの
Sさんなど、錚々たるフィアットオーナーたち、筋金入りのイタ車ファンたちと
知り合えた。金も力も無い私が今でも、いろんな人から声を掛けていただくのは
そういった前段の時代があったからである。




当時の私は幼い子供がいることと、闘病中の父が九州にいることで、富士高原
で始まった第1回のフィアットフェスタには、涙を飲んで見送っていた。
私の父が皮肉なことにFFの開催日の4月29日生まれということもありました。
1994年秋に父が亡くなり、この日は六甲山で開催のアルファロメオの今は亡き
クラブスフィラータの大垣さんのイベントの前夜と言うことも有り、これもキャンセル。

そんな94年が明けて忘れもしない95年1月の成人の日連休が明けた未明、
兵庫県東部は激しい揺れに、大地が割れ、新幹線や高速道路が倒壊しました。
当時兵庫県西宮市に住んでいた私の家も大きく壊れ、家族全員の無事のみが
救いという状況になりました。2台持っていた愛車のうちフィアット131は
瓦礫の下に半分埋もれましたが、満身創痍で掘り起こしました。知人マンション
1階に置かせてもらっていた850は無事。幸運なクルマは瓦礫の山を踏み越えて
夙川の妻の友人を救いに行ったり大活躍したのです。

そんな時に会社の同僚たちより早い時期に愛知の友人は連絡がつくと早速
駆けつけてくれました。もうその頃は既に131の部品を融通したり、イタリア
旅行の際に850の部品を頼んだりと、行き来する仲になっていたからです。



震災から100日。私たち一家は疎開していた妻の実家の大阪府藤井寺市から
西宮に戻りました。この時の胸にあったのは大きな決意でなく、これからは
心に歌を持つように、いつも好きなクルマに乗り生きて行こうという選択でした。
愛知の友人の熱い思いにも答えようと、その年の夏から準備を始め、11月に
第一回のヴィエーニ・フィアットが福井県の小浜市を舞台に約20台のフィアットが
集まりました。前夜から泊まり込んでイタ飯屋のない地方では、フランス料理店で
パーティー。趣向を凝らしプレゼント交換会や、愛車披露の挨拶。翌日は
当日参加組も加えてツーリングをいたしました。

このイベントは毎年秋に95ー99年と5回続き、翌年は京都府舞鶴、97年は
メンバーの1人の地元福井県敦賀市、98年は気分を変えて和歌山市、最後の
99年は福井県武生市と鯖江市を舞台にしました。



内容にやたらとこだわったのは、中心の二人の性格で、実家が食べ物屋の友人ゆえ
開催地のパーティー会場のレストランには前もって足を運びランチを食べて
店をチョイス。これこれという趣旨でやりたいと予算と内容をシビアに交渉し
ましたが、どこにいっても「外車好きが沢山やってくる」というだけで厭な
顔されずに楽しくことが運びました。



また、秋の開催月は11月を選びました。これは友人の主張で、日本海のカニの
解禁日に合わせ、ほんのチョットでも良いから、蟹を料理に加えてくれとオーダー。
プレゼント1つは必ずクルマ関係のグッズを持参。この頃はまだ景気も良いので
不要品市にはならずに、神戸にあったCGに広告の出ているような店の素敵な商品
が集まり、中にはヨーロッパで買って来たものなども。パーティー出席だけのために
東京から飛行機で来る人までいました。



参加者の年齢の幅も20代前半から60代まで。関西と中京圏中心に、参加しやすい
エリアを設定し、それは楽しいイベントでした。女性が来ても楽しいイベントに
しようという趣向も、私ともうひとりの男もそういう気配りのできる男だったから
でしょう。
それから、このイベントの時代はインターネット前夜からです。
どうやって告知して、人を集めたか。それは雑誌「NAVI」に友人の後輩がいたので
告知原稿を書いて載せ、だから何ケ月も前から打合せをしました。
僕個人がずっとやっているびわ湖バレイのミーティングは、その目的で来てもらった
名残なのです。



あとは口コミです。これを「ナンパ」と言って街角で見掛けたフィアット車を
追っかけて行って、直接口説いた剛の者もいました。
スゴいと思ったのは、当時開館中のギャラリーアバルトの駐車場に居たクルマの
ワイパーに僕の後輩がイベントがあるという手描きのメモを挟んでくれて、新潟から
800km走って来てくれたカップルが居たと言うこと。
滅茶苦茶アツいでしょう(笑)。



でもね、そういう時間を共有したから、50代になっても僕は元気なのだと思います。
昨夜一緒に飲んだ紺の豚さんも、和歌山で開催した98年の参加者の友人で
99年の最後の大会に来てくれたから、友人となり得たのです。
先週の写真展にもトウイッターでキャッチしてくれた友が来ました。彼はこの中に
家族で写っていますが、名のあるカンパニーの本部長までなられました。
手描きでいつも素敵なポスターを描いてくれた共同開催者の友人だけが、今は
どうしているのか、彼だけが、連絡が着きません。それが心残りです。



ただあのアツい季節が有り、30代の後半にこれをやっていたこと。連休も殆ど
取れない企業に勤めながら、開催直前の週は参加者の確認に、電話や手紙、ファクス
に忙殺されました。
一緒に行こうよと誘っても一度も来なかった私の奥さん。でも文句は一度も言わな
かったと思います。手伝わさせられることを避けたのか、二人の性格で夫婦ケンカに
なると、お客さんが白けると思ったのかもしれません。


男たちは何のために、夢中になるものがあるのか。

忘我の時間が終わって、家に帰るために駐車場に戻ると、そこにある
1台のクルマに光っているエンブレム。それだけなのかもしれません。




Posted at 2012/05/23 08:39:33 | コメント(5) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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