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2012年06月06日 イイね!

驀走1300キロ -2012 FIAT FESTA at MINAKAMI-

驀走1300キロ -2012 FIAT FESTA at MINAKAMI-昨日の夜半、宴会の途中から激しい雨になった。
雨は、朝に上がったが、表に停めた車にこびりついた
小昆虫の屍骸をすっかり洗い流してくれたであろうか。
水上に来たのは、今回で2回目である。
2010年のフィアットフェスタのときの印象は、関東の
外れだということ。
朝の散歩の跡で、もう一度温泉に入り、少し冷えた
体を温めた。





旅館の壁に貼ってあった観光ポスターにニヤリ。
この女性は、たしか下仁田の出身だったなあ。



朝食後、ひと呼吸置いて出発した。私はまだ眠気が残っている。



30分ほどで奥地のスキー場を借りた会場に到着する。
今年は結論から言うと、一昨年の半分以下だったのではないか。
その中で、気を吐いていたサークルは、X1/9のランナバウトである。
コマ写真でご覧あれ。


全部が同クラブのクルマではないと思うが、これだけ集まると
壮観である。特に1300の時代は、私のクーペの直ぐ後だ。
その頃のフィアットという車の親しまれ方が、想像できるであろうか。
西武からバトンタッチされたロイヤルが頑張って、この車の人気を
不動の物にした。
品質的には「もうひとつ」の感がある1970年代のフィアットをここまで
ポピュラーにしたのは、若い人にも乗れそうな、親しみやすさと
X1/9という車のコンセプトの素晴らしさ+女性にもモテそうなカッコ
良さである。

この車の整備は、当時のロイヤルは苦慮した。
この時代、石油ショックもあったし、排ガス規制もあった。
私の大好きだった、今は無きロイヤルモータース直営の大阪の整備工場
の初代代表の人には、若い頃、一方ならないお世話になった。
私のフィアット好きは、この恩人がなくては始まらない。
日本に入ったX1/9の第1号車を横浜の税関から受け取り、青山にあった
ロイヤルのショールームまで運転して回送したのもこの方である。
私の手元には、門外不出だが、日本に入った最初の100台の
顧客リストがある。
このコマ写真の1番下の白は、初代登録S49年。63年に一旦車検を切り
20年間眠っていたという。
ナンバープレートは一度も切っていないようなので、このファイルに
ある車だろうと思う。
車の趣味とは三位一体で、本体の維持、走る技術と身体力、そして蘊蓄や
資料の収集である。

41年間、一度も長期間車検を切っていない私のクーペは、稀に見る個体
だと言うことの説明は要らないと思う。それは持って生まれた運だったのかも
しれない。もの事を大事にするというのは、余計な説法は要らない。
ただこの遠い会場まで無事に走れたことの喜びを、一番誇っているのは
私より愛馬である850クーペの方だということを、知っていただければ幸いである。

                ◆

午後2時前に、少し早めに会場を後にした。
今日の宿が、遠い富山県の予定だからである。
水上のインターまで関西勢2台に関東の2台の124スパイダーの
最も初期の1600cc時代のが、着いて来て見送ってくれた。
もちろん西欧自動車のディーラー車であろう。
1968と69モデルという。



これは嬉しかった。私の850も西欧(西武)ものであるから、僚友と
再会できたのも、フェスタに来た功徳である。
スタンドで4台並べてちょっとした記念撮影。車は長く乗り続ける
ものである。





関越道に乗り、新潟県を目指す。その前にトンネル入り口手前にある
サービスエリアで、簡単な打合せして、この後の休憩ポイントなどを決める。
狭い休憩所に車が犇めいている。
きっとイタリアやフランスの国境トンネル付近でも、こんな風景が展開して
いるのであろう。



湯沢を通過。異常なリゾートバブルの代(よすが)を一瞬視てしまう。
空を突くような高層ホテルに人が満員になったこともあったのだろうか。



長岡ジャンクションで進路を北陸道富山方面へ。
新潟県に車で足を入れるのは1979年夏の旅以来だから、33年ぶりか。
その時は友人のホンダZ360である。

米山で休憩。



当時8号線を走った親不知の難所も、高速のトンネルでは味気ない。
糸魚川付近の工場群。



黒部滑川区間で建設中の北陸新幹線の工事区間と並走する。
完成すれば、富山東京間は5時間くらいになるのであろう。



立山が見えて来た。あと一息だ。



小矢部で高速からゲットアウト。エンジンをシェイクダウンしながら南砺市の
高窪という村にある鄙びた1軒宿温泉まで、ゆっくりと走って行く。
宿のある村の遠景が見えた時は嬉しかったなあ。それと一本道が細くて
日暮れ前に辿り着けたことは、この日一番の幸運である。



同行の友人が動画で撮影した、高窪鉱泉までの道。



宿は古いが、情緒はたっぷり。江戸時代以来のこの地方の隠れ家的な
温泉地だったようだ。
女将が心尽くしの山菜料理を天ぷらにしてくれた。





これで1泊2食で7000円である。
寝る前に、部屋の窓を開けて蛙の大合唱を聴こうとしたら、
一匹の蛙が部屋の中に飛び込んで来た。



風流や蛙と寝たり月の宿


Posted at 2012/06/06 12:49:31 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年06月06日 イイね!

驀走1300キロ -2012 FIAT FESTA RUN-

驀走1300キロ -2012 FIAT FESTA RUN-小さな勲章です。私の27年目になる愛車に股がって、
大阪の池田市から上州水上までひとっ走りして、
無事に長旅から帰ることが出来ました。

今のクルマの排気量の半分以下の、903ccの
スポーツクーペで、航続距離は1350キロ。
3日かけて、最長走った1日目は550キロほど
走りました。


若い頃のような、大袈裟な感想も無く、快挙を次々成し遂げて行く
私と愛車の二人旅。今年1月の真冬の東京NYM旅行のような
悲壮感はありません。ただひたすら、風に乗り、ひゅんひゅんと
居並ぶクルマを追い越して行く、老練な愛馬は、サラブレッドでなく
ポニーです。
高速レーンでは、左車線をキープして、追い越す時だけウインカーを出す
走行スタイルは不動です。

山道を駆け上がり、駆け下りる時の走りは軽量のRR車特有の
腰の振り方を使って、天狗のような韋駄天走法です。
もちろんもっと早い車が無理矢理走っていたら、道は譲ります。
今回もツーリング時に後ろを走った何台かのオーナーから
「思ったより速い」「侮れないなあ」の賞賛を頂きました。
それでは旅日記に入ることにいたしましょう。

6月2日、京都の桂川サービスエリアに5時過ぎに到着。(トップ写真)
今回の長い旅には伴走の124スパイダーが関西からずっと着いてくれました。
みんからにも登録されたT3さんの愛車です。
彼とは1999年の富士高原を会場にした時のフィアットフェスタ以来の
長い付き合いになります。その時はこのイベントもまだ5回目でした。
私は96年の第3回から不連続ですが、顔を出しています。


養老で2度目の休憩。ここで夏の朝らしくなってきました。



その後は名神、東名から中央道に入り、恵那峡で小休止後、諏訪で中央道を下ります。



高速出口でクルマの順を入れ替えて、集合場所のおぎのやドライブインへ。

到着目標の9時半より少し遅れて、関西組2台は先行車に合流。ここで後続の何台かと
1時間ほどの間に合流しました。





ここで1台の124スパイダーが「ブレーキの戻りが悪い」と時々引き摺る兆候。
これは現状走れそうということで、大問題にせず。ところが最後に着いた850
スパイダーが、高速を下りる時にワイヤハーネスがショートして白煙が出るという
事態に陥っていたので、トラブルシュートの診断をして、キーシリンダーと
ヒューズボックスの結線に問題有りと判断。ヒューズから出ているオーディオ、
ETC配線がどこかに接触して短絡していることを突き止めて、これを繋がないことで
解決いたしました。これを看たのは同じ850系に乗る私です。

さあ出発です。諏訪から茅野を抜け新緑の蓼科方面に向かいます。この愛車で3度目の
訪問になります。最初の旅が2004年の春、2度目が2010年秋のフレンチブルーの
時でした。この季節は信州でなくても、日本中何所に行っても心がウキウキするもの
ですが、それでも特にこの地方の春は美しいものだと思います。



蓼科から車山高原の方を通って白樺湖へ。この分かれ道がいつも判りにくい。



狩人の歌のような唐松林を走ります。



美しい風景があると、つい、集団から離れて、写真を撮りロスタイムするのが
私の悪い癖。でもこういう瞬間も、人生二度と帰らぬと思えば、愛しいです。



白樺湖付近の駐車場にて。本日のドライブの参加車両たち。
124Sが4台。850がSとC1台ずつ。あとはナローポルシェとか、友人および足車で参加が数台。



白樺湖を出発する参加者たち。



遅くなった昼食を佐久インター出た所の、おぎのやドライブインで取りました。

ここは横川駅の「峠の釜飯」の駅弁屋が時の流れでこういう旅行サービス業に特化
したと言えます。店の品格、扱っているもの、出て来る食事とかは1級だと思います。

500円のざるそばが「旨い!」と思いました。



時間が押して来たので、松井田まで再び高速道路を使います。
現代の碓氷峠は、自動車で越えると言っても、それなりの峠です。









この峨峨たる岩の峰が、このあたりの峠の峻険さを、印象付けさせます。
「小諸、軽井沢過ぎれば、上州の空っ風よ…」と幼い日に読んだ鉄道雑誌の
名文が、一瞬頭をよぎりました。







松井田妙義で高速を下りて、今度は普通の山道を榛名湖へ向けて駆け上がることに
しました。松井田の地名に、ここで奮戦した大道寺政繁の勇名に、現代の武士が
独り敬意を表します。



政繁は、蕗のほろ苦きに、人生を重ね合わせたのでしょうか。





山道をかっとばします。



あれが榛名山。イニシャルKは笑いをこらえながら、ジモティの奔り屋の車たちを
横目に、すいすい飛ばします。聖地か観光地になったおかげで、道路は変な起伏が
付けられ車高の低い車には走り辛そう。タイヤのスクラブ(研磨剤)になっていました。



宿に6時を過ぎた7時到着に変更し、一瞬の小用休憩後、隊列は発進。
伊香保温泉を下ります。



出た時が20,000km(120,000km)だったので、航続距離は540kmを超えました。



伊香保から水上まで関越道を走ります。本日最後の高速区間。



連休に悲しいバス事故が起きたので、道路会社の業務車両が、安全運転を
啓発する文字を表示しながら、ゆっくりと走っていました。
心には戒めを。でも安全確認して、しっかりと最終区間は「気分はフルスロットル」
です。


前を走るスーパー7の男性とは、夕食の宴会に胸襟を開きました。
紀和商会までこの車を買いに行くために、高校生の頃から貯金していたそうです。
貯金が貯まって、買いに行った時に、登録費用や諸経費で足りないことが判り、
奥さんに手を就いて、不足分を貸してもらったそうです。
何年掛かったのか。こういう面白い男たちが居るから、車の趣味は止められないと
思いました。

夕方7時半からの宴会は、14名。楽しくフェスタの前段ツーリングの夜は
更けて行きました。




Posted at 2012/06/06 07:12:57 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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