• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2012年06月09日 イイね!

33年目の北陸縦貫走破 ー驀走1300キロ最終章ー

33年目の北陸縦貫走破 ー驀走1300キロ最終章ー1979年夏と言えば、私は九州から上京し、京都の
大学に入った年のことである。
お金もバイトもないのに、2つの自動車旅行をして
いる。
ひとつが、大阪南港までフェリーで出て来た高校
時代の友人と4泊くらいキャンプ泊しながら、山陰
を5日間かけて北九州まで帰ったこと。
もう一つは中学のつれがホンダZで北陸に行きたい
と言うので、またも九州からフェリーに乗り、京都
の下宿を出発、北陸や能登半島、新潟県境まで走って
再び富山に戻り、最後は岐阜に出た。

その時に、能登半島の輪島の海岸や、山中山代温泉の奥の山の中で野宿したり、
滑川付近の宿屋に泊まったりしながら最終日は、庄川に沿って合掌造の集落や
御母衣ダムの淋しい山道を通り、北濃、美濃白鳥に夕方に出て郡上八幡に夜
泊まろうと主張したのだが、つれが夜通し走ることを主張し、一瞬憮然とした
が、真夜中のうちに京都についた。高速は北陸はないし、東海北陸道も全く無い。
名神も乗らずに何キロ走ったのだろう。

今回の旅の最終は、それ以来の、相倉や白川郷の合掌建築の村探訪、庄川峡に
沿った国道の旅になった。個人的には懐かしくてしようがない。



その前に朝起きて、友人と昨夜から泊まっている南砺市の高窪という村の建物と
風景が気になってしようがないので、散歩に出た。これらの写真を見て驚くだろう。
1軒1軒の家の大きさが半端でない。







散歩から帰って朝飯を食べながら、この村は昔から何をしていた所なのかを
聞いたのだが、はっきりと教えてくれない。それでも農協の貯蓄で1、2位の
高所得だったという。元々が福光町の一部で、小さな城下でもある。城下の外れ
の隠れ里は、元々加賀忍軍の忍びの里だったのではないだろうか。耕地も少ないの
に特別の石高が下知されていたのか、女将さんは思わせぶりな微笑みしか返してくれない。



宿の中には⇅こんなものが置いてあるしなあ。



朝風呂を諦め、早起きしたのだから早立ちする。まだ8時になる前である。
同行のT3氏に少し借りて支払いを済ます。日曜の宿は北陸の名湯旅館を最初、
予定していたのに、この旅館の安さに彼は笑っていた。ニンニン。



散居村である。知ってるかなあ。砺波地方ならではの美しい日本風景に心が和む。
福光から井波に行きかけたが、コースを取り直して城端(じょうはな)を抜けると
ここからは、延々と上り道になる。越中五箇山に向かう城端からの旧往還である。

動画で先行する850クーペを同行車が押さえてくれている。



峠の頂上に五箇山トンネルが有り、それを抜けると同じ越中と言っても、実質
別の国である。しかし昨夜の宿のひとは、このあたりまで食べられる山菜を
摘みに来るらしい。雪山が見えて来ると、郷に入ったことを知らされる。



庄川沿いの南下する国道と合流し、一気に走ろうかと思ったがT3氏のたって
の希望で「世界遺産」の合掌造集落を見て行くことにした。まずは相倉の集落である。





アヤメであろうか。こんな風景に出会うのが日本の旅であろう。





相倉の先には菅沼の集落もある。こちらは駐車場が開門前で、立ち寄らなかった。
トンネルが連続して、富山と岐阜の県の表示が4回くらいころころ入れ替わる。
カーナビを持っていたら、五月蝿いだろう。

白川郷の道の駅で小休憩する。今年最高の紫外線の強さだ。
帽子とブルーカラードの眼鏡で、体への直接影響を和らげてる私だが、
同行の友人は、屋根無しで強い光線を浴びて、大丈夫なのだろうか。
アイスクリームが朝から美味しい。



白川郷到着。ここは集まっている家屋の軒数も100近いし、観光基盤の
ベースも桁が違う。一度は見ておく価値はあるのだが、少しずつ記者の目で
感想を書く前に、写真を見て欲しい。







33年前にホンダZで来た時は、重要文化財であったが、いまは世界遺産に昇格
している。その頃は雨上がりの峠を下りると、すぐに村が見えて白川郷に着いた
ことが、わかった。33年間に国道は村を迂回するように付け替えられた。
これは「配慮」というものか。多用途の大型駐車場も川向こうを切り拓いて
作られた。しかし村内には公共と民間の駐車場が混在していることの問題を
後で、住人から聞かされることになる。




気が付くと、お昼前である。村内で食べて行くことにして、カレーセットの
文字が出ていた「落人」という1軒の合掌造の家に入る。中は表の初夏の炎天が
他所のことのように涼しい。何も気付かなければ「冷房が入っている」と
勘違いしそうなくらいで、私が感心してみせると、他の客が主人に確かめて
驚いていた。その客人が四国の善通寺から来た親子連れであると判ると、ご主人が
隣の家に来ているお嫁さんの出身が同じ所で、たちまち客の一行の父親と彼女の
母親とが知り合いという所まで突き止めた。さらに隣家の奥さんまで呼んで来た。



こういうリレーションを皆さんはどう思うだろう。私もこのご主人に感じは近い。
私の母がボケる前はもっとだったかな。苗字と出身で大体の親戚を突き止めるのが
彼女の趣味だった。



ただ、私の妻は大阪の人だが、こういう「類推」を非常に嫌う。
出自や家柄で人間性まで決められてたまるかという、反発心があるからである。
そう言うとき以前は「ああどうせ俺は田舎の出身よ」と開き直っていたから
妻はもっと激高していた。もうそんな無益なリアクションは止めてしまったが
今は隣家のお嫁さんを優しく気遣いつつ、この村に歓迎した村人たちの
結いの心を大切にしたい。
傾斜の強い屋根の下には、何世紀も生き延びて来た、家族たちの物語が今も
息づいているからである。



「御馳走になりました」と民家を出る。四国の一行とまだ、奥さんと子供が
話していた。外に出るとまた、初夏の強い日射しが、若い緑を色濃くさせるように
降り注いでいた。

どこかの家先でこんなレストア中の軽自動車を見つける。33年前はこんな車で
我らも旅をしてここに辿り着いた。今は国際的な観光地になり、確かに有名になった。
あの頃は土の畦道ばかりだったのに、家と家の間にもアスファルトが敷き詰められ
どの民家も、民宿か何か商業目的な用途を前面に出すようになってしまった。

昼食をとった店の主人が嘆いたように、田んぼを潰して駐車場にする。現金収入が
入るのを止めさせるのは、至難のことである。



ナショナルトラストの看板もみかけたが、この場所を真の世界遺産に押し上げるなら
田んぼに戻せる所は自然に戻して、あとはアスファルトを剥がしてもっと自然の道に
近い方法を捜して欲しい。石畳が似合わないのなら、現代の技術で、出来るだけ昔の
風景に返して欲しいものである。外国から訪ねて来る人たちに、日本人はちょんまげで
革靴を履くような国民でないと、理解してもらいたいからである。



村全体を俯瞰できる丘に上がる。喧噪が嘘の様にそこにあった。さあ行こうか2台の
クルマよ。旅もそろそろ終わりに近い。
あとは岐阜県側を御母衣ダムに沿って下がる。





流石に旅に疲れて来た。ちょうどそのとき、そろそろ高速に乗ろうかと
検討中の私のクルマの前を黒い物が駆け抜けた。
えっ、クマ?
長らく自動車を運転して、キツネ、タヌキ、シカ、カモシカにイノシシにサルと
大抵の野生動物には遭遇して来たが、クマは初めてだ。

詳しいシーンは、私の後ろを巡航中のT3さんの車載カメラが、撮影してくれているので
それをご覧になって、いただけると幸いである。
時間にして3分6秒目あたりかな。

白鳥で高速についに乗る。しかし体力の消耗激しく、運転中に眠気を
催すので、古城山のパーキングでストップし、7時までに帰りたいT3氏と
ここで旅の道中を、別にすることに決める。
私は高速を下り、休み休み帰ることにした。
美濃から再び156号線に乗り、関で長良川沿いの道を取る。岐阜の市内、
金華山の裾のトンネルを抜けて、少し迷って北方町、池田町方面に出て
関ヶ原に抜ける道が広くなっていたので、21号線を走っているつもりが
長浜に抜ける365を走っていたので、伊吹山ドライブウエイ入り口の先で
分かれて、近江長岡駅に出てみた。



駅前を北国街道が走っている。



曾良と分かれた芭蕉の旅の最後に相応しいではないか。
諏訪の湖から佐久に抜けて、妙義榛名の山裾通り上越国境へ。
越後から越中への長い海沿いの道。そして美濃を過ぎくれば
北国の街道も近江に辿り着く。



醒ケ井の古い町並みを抜けるときに、あっと言いそうになる古い宿場の町並みも
残っていた。
米原から余力を残し名神に乗り、池田に帰り着いたのは夜の7時半過ぎであった。
1300キロ余りを走り抜いた愛車の健体と、同行の友の友情に感謝したい。
長旅の記事を読んでいただきました、皆様ありがとうございました。





Posted at 2012/06/09 01:47:00 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/6 >>

      12
345 678 9
1011 12 1314 15 16
17 18 19 20 2122 23
24 2526 272829 30

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation