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2012年11月19日 イイね!

望郷九州へのGT旅行

望郷九州へのGT旅行先週の火曜の夕方から土曜日の朝まで、出かけていました。
行き先は思い出の多い九州の地。
私が九州に住んでいたのは、小学校1年の入学時から、
高校を卒業し、大学に入る直前の1年間の浪人時代まで。
6歳から19歳までの、たった(、、、)13年間に過ぎません。

それでも今でも引き付けて止まない魅力がなぜあるのか。
そんな個人の思い入れを、今回は雄大な旅行(グランツーリング)
で、ノウハウ含めて紹介することにしましょう。

1日目は、神戸港から北九州行きのフェリーに乗りました。
これは毎夕18時30分に出航します(金-日曜は20:00)。
乗り込むときには、乗船事務所に車検証を提示し、車体長を
mきざみで料金が変わるので、4m未満の車両を持っている人は
片道5000円、往復で1万も違いますので、ミニマムな車を勧めます。

たとえばリトモ125TCとか、カデットEなら18000円、リトモ130TCだと
たぶん4m5cくらいなので22200円に跳ね上がるのです。
これがツインとか昔の360軽なら3m未満なので、13800円まで下がります。
よく知っておいてくださいね。


フェリーに乗るのは出航1時間前までに港に着いて手続きするのが
マナーです。しかし、ぎりぎりの15分前くらいでも乗れます。
予約はビギナーは必ず確認してください。しかし内海フェリーが大混雑
して積み残しや、キャンセル待ちまでしていたのは、昭和の終わり頃まで
でしょう。
今の平日は大抵当日でも乗れますが、連休やカレンダーシーズンに
うっかりしていると、アウトと言うこともあります。北九州航路は2社4便、
別府大分航路も2社あり、緊急の予定変更したことや、帰省の便をやっと
確保して、幼い子らとほっと乗り込んだ思い出も何回かあります。



夜明け前の響灘です。こんな風景を僕は何度見たことでしょう。

新門司港に予定通りの朝7時に着きました。以前は12時間の便でしたが
最近は燃料の節約で、少し足が落ちました。でも時間帯到達は充分で
ないかと思います。船会社も集客に苦労して実際の料金は様々な予約
割引しています。僕は2等のベッドですので追加2500円要りますが、
平日割引適用で20500円が16900円で乗船できました。

新門司港は北九州のはずれにあり、そこから山越えをして門司駅近くに
出ました。大里(だいり)地区には、かつてサッポロビールの古い工場が
ありましたが、今では、門司港レトロ地区の一環となって整備されたようです。



北九州地区は50年前は7大都市のひとつで、メインの国道3号線のほかに
もう一つの国道、199号線を昔から持っています。阪神間の43号線にあたると
いえ、「産業道路」の名で呼ばれていますが、殺風景な風景だったのが、
半世紀すると面白い味が出て来ました。今回は門司から小倉駅の裏、戸畑と
通り、若戸大橋を渡ってみました。この橋は北九州市が発足する前年の昭和
37年に開通、今年でちょうど50年。北九州市民にとり、まさに「東京タワー」の
ような懐かしいシンボルとなりました。
通行料金を今でも取りますが、普通車100円、安い! これは市民に聞いたら
メンテナンスの塗料代だそうです。
私が100円玉を差し出すと、50円お釣りが還って来ました。いまだ有人の橋、
こういうのが、旅の楽しさを盛り上げてくれるのです。軽は自転車並みです。



若戸大橋を渡ると、旧と言えそうな元市街地だった若松駅前。
二島付近まで筑豊本線に沿って走り、そこから芦屋に抜けました。
九州に芦屋と言う地名が有り、歴史的には中世以来の町ですが
今ではボートレースが行われているくらいしか知られていませんが
茶釜の製造で名を馳せたところです。

この日は遠賀川の河口は強い風が吹き、雲がちぎれて飛ぶような
気象でしたが、何か記念撮影したくなり、セルフタイマーが2秒できれたのが
ご覧の失敗写真です。



芦屋から海に近い、岡垣、玄海、津屋崎と言うルートをとりました。
取りあえず西に向かい、長崎県まで行ってやろうと決めて。実は高2の時に
サイクリングで北九州ー福岡ー唐津と言うコースを1日で走っています。
福岡から先は、その跡も辿りたかったのでしょうか。



岡垣付近にて。雨の翌日で、まだときどき残り雨が降っているのに
散水車が出動していました。



宗像神社で知られる福間と津屋崎が合併して今は福津市。
福岡近郊のこのあたりから天気が雨まじりに戻りました。それから
下船時からきょうの九州は真冬並みの寒い日という覚悟はしていましたが
空模様も「なんだかなあ」の天候です。



香椎の手前から福岡市近郊になり、道路も混雑してきました。
思い切って都市高速に初めて乗りました。旧公団の一般ハイウエイや
若戸大橋には、軽自動車料金があるのに、都市高速は普通車料金600円を
払い「納得いかないなあ?」の気分です。



福岡県のバブルの象徴、百道(ももち)付近のシーサイドタウンです。
ソフトバンク球団のヤフードームもここです。1977年に自転車で通った頃は
長閑な博多の町外れの室見川河口の、しらうお料理漁で知られる郊外だったのに。

姪の浜で高速を下りて、そこから202号線で唐津に出ることにしました。
姪の浜も、大昔は国鉄の筑肥線が海沿いに出る辺りでした。福岡市内の
西鉄の路面電車が郊外の終点で、連絡するローカルな情緒の有るターミナル
でした。福岡市に地下鉄が出来て、筑肥線が天神に乗り入れるようになった
昭和55年頃から風景が一変しました。福岡市が大変貌したのは昭和50年代。
天神に地下街が出来て、北九州市と主役が交替した。それは新幹線が50年に
博多まで伸びたことの影響が圧倒的でした。
海援隊の武田鉄矢やチューリップの財津和夫らの活躍も、その頃の少し前から。

福岡が誇らしく“青春”を謳歌する一方で、筑豊が斜陽に苦しみ、北九州の重厚
長大産業に翳りが訪れかけていました。



福岡と言えば西鉄バス。一時は日本一のバス会社と言われて、冷房化100%も
一番乗りではなかったかしら。これは姪の浜で下りて道に迷った西区野方付近です。
壱岐営業所というのでしょうか。

昭和の頃は就職先でも安定して人気のあった西鉄バス運転手の職業でした。
平成に入り、一時は事故が毎日のように多発。あの頃は西日本新聞を大阪で
手に入れて読んでいましたが、背景に何があったのか。
職員構成の二重化、相次ぐローカルラインの分社化、いろんな塗炭の苦労が
そこにありました。
小泉改革より遥か以前に福岡で起きた事件は、地方の方が中央より速く始まった
格差の問題でした。

士気やモラルの問題だけではなかったでしょうが、県内格差が露骨になり、
きのうまでの賃金一律が崩れ始めました。東京や関西ではわからないニュース
でしたが、僕は大阪でこのニュースは何が起きているのだろうと推理しました。

その後10年ほどの間に僕の故郷の行橋駅前から四方八方に網の目のように
出ていた西鉄路線バスは、ほぼ全廃しました。過疎地の交通はそこの町営か
マイカーになり、高齢者は軽に乗れなかったら、介護の交通機関というふうに。

この15年間ほどの事実は、全国のローカルバスも同じでしょう。
クルマ好きの皆さんにも知っておいて欲しい歴史なので、ここに一項を
書きました。





脇見運転はいけませんが、なんじゃらほい。旧ポロのイエローも安いなあ。



さあ懐かしい国道202号線と筑肥線の並行区間。これは私立大学の駅でしょうか。
こういうお馬鹿でポンチな風景が、今の日本の田舎にいくとあちこちに見られます。
「バカ建築」といって、そういう浮いてるストラクチャアを集めたサイトもあります。

福岡から唐津に向かう道は、遠ざかるに連れて昔はローカル度が増したのですが
今は博多郊外のサバーブ(郊外)を形成しています。途中に糸島半島という
なだらかな山の有る地形が有り、魏志倭人伝に出て来る伊都国がここにあったと
言われていますが、以前は前原(まえばる)が中心の町で町だったのが、前原市に
なり、近年さらに広域合併して糸島市になっていました。(2010年)

博多が都会になり過ぎて、郊外でスローライフがしたい人のタウンみたいに
近年なっています。陶芸とか手作り野菜とか。それは博多と言う富があるから
できるのでしょうが、もうひとつは唐津と言う魅力ある観光地が有り、そっちに向かう
ベクトルが人気を博す原因になっているのでは。

昔は福岡ー小倉(北九州)が軸でした。だから東郷とか福間あたりが、香椎や
箱崎に家が建てられなくとも、人気の分譲地だったのが、たぶん今は逆転して
福岡は西海岸線が人気でしょう。
今宿とか周船寺は福岡市の「いなか」って感じだった30数年前から変貌は
していますが、その先の方が人気があると言う現象は面白い。



道路脇できれいな、お宮を見つけました。深江神社です。
前原には波多江と言う地名も有り、今回は秦氏の渡来について、ここにも
足跡があるのかと思いました。
昭和51年のサイクリング時には、道中休み休み走ったのですが、この神社には
立ち寄っていません。リンクには秀吉の伝説が出て来ますが、それは朝鮮に
出兵した時の、名護屋(唐津の先の呼子付近)に秀吉が行った時のことでしょう。



佐賀県に入りました。これは筑肥線の浜崎駅です。湾鉄(博多湾鉄道、筑肥線の
前身の私鉄)時代の駅家が残っているのは、ここだけではないでしょうか。
昔は東唐津と西唐津が別々の終点で、昭和43年に急行「平戸」で平戸に
遊びに行った時には、列車は東唐津で“スイッチバック”して山本に出て、
さらに西唐津まで再び北上して、ターン。山本を2回通過して、伊万里に向かい
ました。
「なぜ?」って、小3の私は父に聞きましたが、「線路配置がそうなっちょるから」
だけ。このときの旅で時刻表を見る解読力を付けました。
9年後のサイクリングでは、東唐津が別の私鉄時代の終点で、あったことは
何となく理解が出来、この駅の裏手にあった国鉄購買部でキャンプの食糧を
買いました。

そんな思い出が、一瞬のうちに脳裡を過ぎれば、虹ノ松原の松林が始まりました。



唐津から先は「九州1日目の第2部」にします。
黙読お疲れ様でした。
(ほっ)

Posted at 2012/11/19 11:59:16 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2012年11月19日 イイね!

ふれふれに行ってきました

ふれふれに行ってきました









日曜日、朝からエンジンが、かからず(人間のコト)
やっと12時に「朝食」を食べて、出掛けかけたのですが、
気になるコトが1点2点。

家の前でキビスを返して、また電話したり、放置した洗いモノを
洗ったりして、尼崎のカルフルに2時に行きました。

まだいました。DSにCX、XMとあと2CVも4台残っていました。
先日高雄に来ていたフジ色のヤレたクルマのカレと再会。

残り福のようなイベント見学ですが、僕はこう言うのキライじゃ無い。
ツワモノたちと、こゆーいフランス車トークをしてきました。
中でも西武時代のタルボサンバのカタログを見せていただいたのは、
感動でした。

フランス車ブームはとっくに終わった2012年の冬近い日ですが、
クルマ好きたちと、会話して1990年頃の、シトロエンクラブの雰囲気を、
思い出していました。

ああイイナと思った1時間ほどの幸福なひとときを終えて、ワタシは
会場を後にしました。
帰り道近くのサンキューオートで、何年かぶりに、皮のドライビング
グラブを、購入したのは、何となく運転が楽しくなる予感がしたからに、
違いありません。

本屋さんでブルータスのカーライフ特集も、その後買いました。
(^O^)

Posted at 2012/11/19 05:32:42 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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