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2013年03月27日 イイね!

大輪の華

先日、紺の豚さん(同学年)とカセットの付いた車の中で
1977年以降の桜田淳子の曲ばかりを収録したテープをかけていた。



懐メロチックな歌だが、結構良い曲も多かったのじゃないかと思って
80年代前半に、シングルを集めていたのである。

オープニングは、覚えている人もあるだろう。「夜のヒットスタジオ」CX
(フジテレビ)系の番組冒頭のアイデアで、登場歌手が他人の持ち歌を歌って次の
歌手にリレーする企画のうち、桜田淳子の映像を、数年に渡りコレクトしたものである。

ちなみにこの前になる1974−77年の3年分の映像はこちら


この曲、好きなんだよねえ。

初めて一人で東京に遊びに行って、山手線の103系のドアに立ち、
渋谷、原宿、新宿と窓に映る建物風景を、眺めていたときに、
唯一の松本隆の詞になるこの曲のことを思っていた。



1973年から1980年くらいまで、桜田淳子と山口百恵と言う
時代があった。デビューの順で、淳子を先にしよう。

桜田淳子は1958年生れ。同じ学年の百恵と森昌子と同世代で3人娘と
言われたが、この学年は、後に岩崎宏美や伊藤咲子など、空前のアイドル歌手
(今で言えば10代の女性歌手)のあたりの豊作の年であった。


私は一つ下の学年だが、中2くらいで1学年上というのは
大人びて見えるものである。

伝説のオーディション番組「スター誕生」の秋田大会の予選会場に
彼女が現れた時のビデオを見た記憶があるが、その瞬間会場がどよめくような
可愛らしさなのである。



10代のブッキッシュ(Bokkish)な少年は、ニヒリズムに浸っている場合で
ないと、早速彼女を今で言うフォロー。テレビ画面から伝わる彼女のオーラに
ノックアウトされてしまったのである。

今でも屈折した心理を持つ私が、10代の頃に、後の時代のナイフ少年、バスジャック
少年みたいな心理にならずに済んだのは、彼女の太陽のような輝きがあったからだと、
後年思い返したことがある。

デビューからずっと「スタ誕」プロデューサーであり、作詞家の阿久悠の曲ばかり
歌っていた。阿久悠ー森田公一時代は、「黄色いリボン」「17の夏」「夏にご用心」
「気まぐれヴィーナス」といった、軽快な夏ソングばかり歌っていた。

「去年のトマトは青くて硬かった」と言う歌詞に、今は亡き人生幸朗師匠が
ぼやき漫才のネタに使っていたことが、可笑しかった。



やや陰気な少年のボクでも、夏が待ち遠しかった。ヘンな話だけど、やっぱり
夏が来るということは、いまのガンジガラメと違って
10代も20代も、おじさんもみんなウキウキしていた。

今はテレクラや出会い系、援交などから万年発情の時代を経て、みんな男は
勃たなくなってしまった時代だと思う。そりゃ当たり前だと思う。「シーズン」
を無くすことは、セックスや性に対する冒瀆だと思うし、スキーが冬に流行らなく
なったのも、その瞬間に賭ける瞬発力を無くしてしまったからだと思う。


天真爛漫を絵に描いたような桜田淳子。
日本人の陰の部分を実に見事に表現しきった山口百恵。

百恵が伸びたのは、「横須賀ストーリー」以降の阿木燿子ー宇崎竜童コンビの
半歩先の既視感のような現実世界を、昇華できたからだと思う。

淳子は古い秋田生まれの、70年代にしか棲息できなかったアイドル歌手だった
から、77年の石野真子や、それさえ過去にしてしまった80年代組の松田聖子の
登場で、ものすごくトップアイドルとしての内面葛藤があったと思う。

80年になると、もうキャンディーズもいないし、ピンクレディーはアメリカ進出で
こけて過去の恐竜になった。山口百恵は三浦友和と結婚する道を選び、芸能界は
衝撃以上に、新しい音楽ビジネスの時代を迎えていた。



あれだけの美人が20歳を過ぎると、次の生き方がうまく見つけられなかった。

そんな芸能界の片隅で、かつてのトップアイドルは、CBSソニーに対する邦楽の雄である
ビクター音産の看板を、同僚の岩崎宏美らと背負いながら迷っていたのだと思う。

その頃の彼女の歌は、次第に歌番組にも登場して聴ける機会も少なくなっていったが
僕は80年代もまだ、チェックしていた。



今見ても疲れた顔をしているなと思う。まだ20代の前半で、裏も表も知ってしまう
世界の現実。しかし1ファンに何が出来るのだろう。もしもそんな場面のマネージャー
だったら、楽屋裏で疲れた彼女にそっと声をかけるだけだろうな。

私がやれた車が好きだというのは、ぴかぴかの時より哀愁に愛おしさを感じる性(さが)
なのだからと思う。

まだ走るの?って、ピットに辷り込んできたジャガーに、
もう1ステージいきましょう!と、送り出す裏方をやってみたかったなあ。





トシちゃんや石川秀美にヒット曲を書いた小田裕一郎のナンバー。
誰も知らないだろうなあ(苦笑)。

ということで、あまり思い入れたっぷりに語るものでも無し。
1970年代の日本って、石油ショックだとか、いろいろ低成長と言われたけれど
伸び代がまだあったのでしょう。
ある青春日記みたいな記事になりました。



彼女はその後、ある宗教に救いを求めて行き、完全に芸能界からというより
批判的なマスコミから、これだけの行跡も消されて行きました。

僕ら一般のファンは、21世紀になり、個人で収集した映像やグラビアを少し
ずつ、同好のもの同士でこうして、見ることが可能になり、偲べたら、それだけで
うれしいと思う。

体制国家だとか、陰謀の歴史とか、みんな他国のことを自由に語るけど
この国にあった数十年前の記憶も、散逸してしまえば誰も体系だって語れない。

私はそう言う消された歴史の裏を、とぼとぼ歩きながら、きょうも光るもの探して
夢を見ているだけなのでしょうね。


最後は、一番可愛いというオーラのあった頃の、この曲でしめくくります。



また次回。





Posted at 2013/03/27 12:30:47 | トラックバック(0) | うんちく | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「参院選の行方と自動車社会 http://cvw.jp/b/176891/48551942/
何シテル?   07/20 05:33
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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