
完全に体調を崩しました。
相性が悪いのかな、このイベント。
途中で中座することさえ考えつかず、
わがままな私も最近は気弱な一老人予備軍。
結果から言うと、表彰されることない表彰式に、
最後迄いたことで、後になって体調を崩し
ボロボロの夜になりました。
中座してクルマに戻ることができなかった
私の判断ミスでしょう。
私は、我が儘が強く、それが個性的な性格の特徴でもありました。
短所のようで、実は武器であった我が儘と判断力が衰えたことに、
このままでは先が無いなと、昨夜は布団の中で苦しんでいました。
非体育会系な考え方をすることは、悪く言えば“中二病”であり、
苦労は尽きません。
それでも負け惜しみを、それ以上に昇華させながら、僕はこれまで
生きてきました。
就職でも苦労しましたが、拾ってくれる会社があった。
家族に、子供が出来たことも、この性格から言うと奇蹟だったのかも。
それでも若くて元気な頃は、補ってあり余るくらいの、男の魅力と
いうヤツが、あったのかもしれません。
このような状態で終わったイベントでしたが、老舗の企画ということもあり、
昨日は悪天候に関わらず、多くの車交の方との交誼に、久闊を叙しました。
行きのR173細工所付近のコンビニで休憩中には、黄色いミジェットのPさんに
追い付かれて合流し、会場までの道程を一緒しました。
会場で真っ先に声を掛けてくださったのは、セリカのTさんに、もちろん先着の
ローバーP6で登場の紺の豚さん。
そして米国から戻って来られる時に、赤いジャガーEクーペを颯爽と連れて
初参加のパパンダさんにも、初対面のご挨拶と、愛車を拝見させてもらいました。
少し遅れて3輪ホイール・バークレーのNさんが到着し、小雨と言え大変だったよう。
駐車場で積車で登場の戦前型アルビスに見とれていたら、追って同じく戦前型
アストンで、亀岡のM先生登場。さっそくアルビスの構造に付いて質問します。
駐車場組では、豊能からリトモで関西凱旋参加のR君、高雄ではミジェットなどの
オープンカーで来ていることの多い駄洒落仲間のN君は、昨日は“偽”カントリーマンで
来場していました。
私の隣には奈良からお越しの白い850スパイダーの元NHKの池上解説員ならぬ
Iさんが並びます。
一段上がった国産車勢の並ぶワイン工場の高さには、12月にシトロエンクラブ
ミーティングで滋賀でお会いしたキャルルック風のカルマンギアの男性氏と、
むかし春日町(現丹波市)の中兵庫CCFで知り合った、ボルボ122“アマゾン”に
乗られる年下の男性君と再会。この彼の愛車も濃い金属光沢を持つグリーンメタリック
かつ、プレーンなホイルキャップと白い内装がキャルっぽいテーストになっており、
カルマン氏と共通する雰囲気には、米国帰りなのか、50年代アメリカンに対する
オマージュが流れていると思いました。
さて、天候に恵まれず、無理して春から夏にかけての明るい服装で
お出かけした私の心と裏腹に、冷え込んで行った残念な4月の第一日曜日でしたが、
一つだけ面白いシーンに遭遇できました。
それは、フェラーリ車中でも人気のあまり出なかったディーノ308gt4に
最近、乗るようになったIさんが、会場に現れて、その車を皆で見に行こうと
いうことになりました。
おっさんゾロゾロくっついて、ですが、気分は若い頃のままのようです。
広い駐車場の一番外れの方に、フェラーリ勢は居ました。ただしチョいっと古い
ヤツらです。
フェラーリという車も価値観のキャパシティの広いクルマで、最新の599XXとか、
六本木ヒルズに並ぶ壮観もあるのでしょうし、反対にデイトナ以前のヴィンテージ
フェラーリ、私の好きな275あたりの天文学的なお値段のコレクションを、密かに
抱える人もいるでしょう。
しかし自営業と言え、それほど贅沢な車に乗ることも無く、車に関する苦楽を
長年知っているIさんというよりI君の彼がついに、Fバッジは付いてないと言え、
ディーノ308gt4に乗り出したと聞いた時には、ほうっと、思いました。
車は70年代調のええかんじのスーパーカースタイル。その白に近いベージュの
交じった直線的なボディに、よく似合ったパステルトーンの布製の内装が、時代の
雰囲気をかき立てます。
この車は直接の伝授ではなく、ランチアテーマ832もお好きな「池上さん」が元の
オーナーで、何代かの持ち主の手を経て、Iさんの所有に変わったのでした。
その間、“サーキット仕様”になり、内装もシートも、ハンドルもオリジナルが
失われていたとのこと。
しかし昨日の、この車を入れ替えている時のIさんの表情の、嬉しそうなはにかんだ
顔が、とても良かったです。
何となく、齢をとった最近の近藤マッチに似ている、丸顔ハンサムなIさん。
いつの間にか池上解説員も、嬉しそうに、元愛車のコクピットに座り、復元された
車の出来映えと、一時は諦めていた状態からの、路上復帰に喜んでおられます。
池上さんからマッチへと、オーナーの受け継がれた308は、いま嬉しそうに
40年近い時を経て、路上に春を迎えています。
その瞬間、生憎の冴えない一日でしたが、この場所だけ一筋の光が射したように
僕は思えました。スーパーカーの好きな世代って、いつまでも夢が有るのだなあと。
表題は、私から捧げたい、オトコの元気にです。
最近は全くブログ記事を更新されなくなった、スーパーカー世代の方のこととか、
いろいろなことを想起しながら、みんカラを続けては、書いています。
B級スーパーカーだって、いいじゃん。僕は今いろんなことが重なって
襤褸ぼろに草臥れてしまいました。でも、こういうのも有りだなあ。変な仕事に
就いて、変に人目を気にして、その間心が傷ついてばかりの3年間が終わり、
今の私には、軽自動車は妥協もいい所で、残っているのは1台のクーペだけです。
こんな嵐のような爆弾低気圧の日に、強行したイベントで、参加した方も
無理を強行したので、最悪の体調での週明けになってしまいました。
「私が遅刻せずに来た」というだけで軽いニュースになったくらい。
分かると思いますが、今の私は弱い羊のような生き物です。
反骨心の牙も力も無くなってしまいましたが、今日の記事をきっかけに
少し立ち直りたいと思います。隣の赤い500の女性は可愛かったなあ。
それでは!