
友人のFujiiクンは、ブルースマンである。
彼のやっているお店にいくようになり、
かれこれ、10年以上になる。
大阪でソウル系の音楽をやっている人だったら、
東通りにある
サードストーンという
店の名前は、知られていると思う。
店のオーナーの彼が、古い車が好きで、ポルシェの912という車種に
乗っていることは、知っていたが、今まで実車を見たことが、無かった。
それは、彼は24時間働いているような男で、好きなことを形にする、
仕事にする人の典型で、休みが無いからだ。
先週の金曜日に、天満の天満繁盛亭で、桂しん吉の落語を見に行ってきた帰り、
ここでまた(注)であるが、桂しん吉というのは、人間国宝の桂米朝一門の
弟子で、若手の落語家である。
近年になり、鉄オタであることをカミングアウトして、嫁さんももらって、何とか
食って行けるようになり、鉄っちゃん落語家を売りにしている痛い人でもある。
なぜしん吉を知ったかというと、彼の友人のバンジョー弾きに、宮村群時クンと
いう大阪で5本の指に入るのではないかと、私が勝手に思っているミュージシャン
がいる。
私は群ちゃんとは、もっと昔から、ある縁があって知り合いになり、友だち
なのである。
群ちゃんとしん吉が、コンビを結成して
「ぐんきち」なるバンドみたいな
パフォーマンスを、やりだしてから、しん吉の落語も行くようになったのである。
しん吉さんも、高座をピンでつとめるようになり、アトラクションでぐんきちの
パフォーマンスをやってくれたので、満足して帰路についた。
金曜日の夜も少し寒かった。
天神橋筋辺りには、群時クンの事務所のある店も、たまに開くのだが
仕事で繁盛亭に来ているのだから、そこは開いてないだろうし、近くにも
行きつけはあるのだが、自由な身空の今だから、サードストーンを覗い
たれという、気分になった。
ところが東通りのいつもの場所のある辺りに行くと、勝手が違っている。
あれ、閉店したのかな。でも、他に店を数軒経営する優秀な経営者で
あるから、移転したに違いないと、検索すると、やはりそうであった。
今度は堂山の、大東洋やボートピアの向かいのビルと言うから、
ジャズオントップのあるビルだろうと、見当をつけて行くと当たりで
あった。
店の中では狭いスペースで、太った黒人男性と、小太りの女性が
ソウルデュオを演っている真最中である。
「きょうはライブの日で…」、めざとくFujiiクンが私を見つけて、申しわけ
なさそうに言うが、いいよいいよと、ライブの途中から席に腰を下ろして
音楽と酒に浸ることにした。
kotaroさん、お久しぶりで。ところでクルマのことなんですけどね。
という話の相談を受けて、大分くたびれている個体らしい、彼の愛車の
912を一度を、私の行く工場で、見てもらおうということになった。
じゃ、月曜日のお昼12時に、阪急宝塚線の曽根駅前で、という約束をした。
私は10分前に到着。最近メンタルが大分普通に戻ったので、ちゃんと
動ける。そろそろ現れるかな、と思ったら空冷4発の懐かしい音を
させながら、これはまた傷んでいるなあという状態で、青の912がやってきた。
ところが修理工場まで走って行くと、今回はアポも入れていたのだが、
大将も出かけていて、息子さんも車検に出たままで、不在である。
私は連絡を入れており、12時から12時半の間に来ると言っていたのだが
これでは、彼に申し訳が立たない。
電話番の人が、あちこちに連絡入れて、30分もすると大将が戻って来ること
が分かった。
コーヒーでも飲んでいようと言うので、茶店も良いが、緑地公園の中を
歩きませんかと、Fujiiクンがいう。
缶コーヒーを飲みながら、入り口付近の広場のベンチに腰掛けながら
雑談をして待つことにした。
この写真がその時の目の前のシーンである。月曜日の平日の12時台。
あと少しすると、野外音楽堂で「
祝・春一番」が開かれる。
しかし30分待つと大将も戻ったので、工場に戻ると、大将は植木を
剪定していた。
こんにちは。ということで新客を紹介する。
これは…
ということで、大将は僕らが待つ間に、少しこのクルマの現状を見たようだが
何ぶん、簡単には答えられない状態のようだ。
「これ、直してホンマに乗りますのか?」
敢えてそう言う言葉を、避けて話してくれたが、ホンネの所は、そういう風にも
受け取れるように聞こえたのである。
さて、しばらく男3人で唸っていたのを、ショップの通信員である、
娘さんがさっそく
レポートにしてくれていた。
あとでFujiiクンの口から、驚くべき事実が分かるひと言が出て来た。
これ、昭和42年登録の、国内ものだったのです。
ミツワのディーラー車だったのか。この1967年式のポルシェ912は。
だったら勿体ないよなあ。彼が手に入れて10年弱、故郷の淡路島で
半分隠していたとはいえ、雨と風に晒されて、すっかり傷んだ個体に
なってしまったのか。
それでもことある度に、クルマは動かした方が、いいよと私が説法したので
店の経営が安定した5年ほど前から、大阪市内で再び路上に復帰したのである。
車検証も確認した。まさかのディーラーもん。完全にレストアすると紺の豚さんの
計画中のあの話並みになるやろうと、板金屋のプロの大将が言う。
エンジンはそんなにかかりませんから、と。
僕もミツワのナロー912と知っていたら、もっと大切にしておくように、10年前から
声をかけるか、ボランティアを勝って出ただろうと思う。
まさかのミツワもの。その往年の塗装はシルバーで、白に塗られてさらに青に。
下張りの板金ツギハギは、そりゃ酷いモノの上に、雨ざらしではねえ、と
大将が困惑している。
あいや死んだ筈だよ、ミツワのお富み(912)さん。
生きていたとは、淡路の鳴門の渦も、知らぬ存ぜぬの、玄、やぁ〜だぁ〜な〜(嫌だな)
チョチョチョンチョンチョン。
あいや〜、運命は如何にぃ〜〜〜〜〜〜〜。。
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参考までに下のリンク先に辿っていただければ、新車当時の写真が拝観できます。