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2013年06月13日 イイね!

軽井沢から猿ケ京温泉

軽井沢から猿ケ京温泉関西人に判らぬ関東の風習が2つある。

一つは毎朝納豆を食うという生活習慣。

もう一つが軽井沢という避暑地をなぜ、
東京人が有り難がるかである。




これは歴史と都市圏成立の背景が異なるので、積極的な知識を
包括吸収しようとする人にしか判らない。

東京の箱根に対して、西には六甲山があるではないか。
涼しい保養地といえば、六甲に有馬温泉で十分だ。
乱暴な比定だが、昔の関西人は、贅沢だが、努力をするのがもともと
嫌いであった。

熱海に代わり、西には別府がある。瀬戸内海の船旅は雄大だし、
小旅行にはちょうど良いとは、思う。

関東対関西が、バランスが取れていた時代は、関西人は
わざわざ関東の人が行くリゾート地に行って、見聞する必要が
無かったと思う。

ところで関西は、大阪中心で京都、神戸以外はあとは田舎だ。
大阪から放射状に出て行っても、1時間も行くと緑豊かな
郊外と言うより昔の田舎になる。

東京から、160キロ。昔の信越線の特急で2時間の郊外に
軽井沢というプレミアムな観光地があることは、関西人には
到底理解できない。

関東のスケールの大きさが、旧い関西人には理解しにくいし
無理に勧めると「ええし」、「(遠過ぎて)いややわ」になる。

棲めば都の関西には、昔は何でも揃っていたが、この30年で
ずいぶん東京との格差が開いた。
それは僕が思うのには、大阪人は滋賀や奈良・和歌山を見下して
いたら、自己アイデンテティが保てたのである。東京が2倍努力する
間に、何の努力もせずに、大阪万博の成功以来、自分の住む都市は
素晴らしいと自惚れていたのではないか。




今回の旅は、大阪から、名神〜中央自動車道、岡谷から旧中山道で
軽井沢、約420kmの旅をした。
旧中山道、有賀さつきアナが「1にちじゅうやまみち」と読んだ迷文句
のルートである。
実は軽井沢と六甲山は似ている。
明治の初めに日本に来た外国人が、「これは良いところだ」と価値を
見いだしたのである。
湿度の高い日本の夏に、外国人は馴れておらず、どうやって過そうか
そんな時に乾燥低湿で、高冷な標高差の高い平地が無いかと探して
軽井沢という中仙道の宿場付近、新港神戸の裏山である六甲山の
山上などが、適していると価値を発見されたのである。

軽井沢の友人に案内されて、追分と御代田は軽井沢盆地より、
空気が乾燥して過ごしやすいことなどを、教えてもらった。
写真の一里塚は、旧御代田宿の外れに残るものである。



信越本線時代には、御代田はスイッチバック駅であった。
その名残の引込線に今はD51が保存されている。



これは水を少しずつ貯めておきながら、流して温める、一種の貯水
運河である。こういうものがあるのが、いかにも軽井沢らしい。



信濃追分駅。国鉄、JR時代のままの佇まい。
「風立ちぬ」の舞台の駅。



追分駅より、遥かに望む浅間山。もう少し伸び過ぎた雑木を剪定すると、
もっと画になる。惜しい。



小諸方面行きの電車が入って来た。元国鉄の115系が色だけ塗り替えて
払い下げられている。

随分、不便になった信越路の旅であるが、横川まで高崎線で行って、バスで碓氷峠を越える。
そしてしなの鉄道で長野へ。そんな旅も挑戦したい気持ちになってきた。



写真家の友人の愛車で、案内された軽井沢近辺の探訪を終えて、宿に戻る。
道中の足は、この地味な色のプントであるが、良い色だと思った。

時間が来たので、ツーリングの仲間たちと合流することに、出発する。



昨夕も見た、元ドライブインの昭和モダンなデザインがもったいない。
現役時代に、立ち寄りたかったなあ。



佐久に向かう道は、ずっと旧中仙道を選んでくれた。プントのあとを付いて行く。
良い風景が続いている。



佐久インターの前にある大きなドライブイン。このツーリングではお馴染みだが
おぎのやは、昔は横川駅の「峠の釜飯」で名をあげた老舗だ。
変わる時代への対応に成功して生き延びた、珍しいケースだ。



松井田安中まで、一同は高速を使って飛ばして行く。
このあたりから調子の悪い車も、少し出て来る。



一般県道を使って、榛名湖まで駆け上がる。この道で、やっぱり
“しんどい”車は、ついていけないな、と感じてしまうのだろう。



榛名湖にて。隣の850スパイダーが何度も停まる。
オーナーは、パーコレーションと分析したが、実際は原因は違っていた。



榛名山をバックに。頭文字「D」の世界だ。



クーペの中からスパイダーを望む。こういうシーンに邂逅したいがために、
長く乗ってきたのだが、良いものだと思う。



中之条町の中心地、大字伊勢町付近で。
昔から、この場所にイタリア車の好きな友人がいて年賀状をずっともらっている。

一度もお会いしたことがないので、今回は首を伸ばしてランチアデルタがいないか
みていた。20年続く親交なのだが、ちょっと後ろ髪を引かれて町を後にした。



JR吾妻線の単線の線路。この辺りの路線は戦後に引かれた電車線で、最初から70系
あたりの旧型国電で開通した路線と記憶する。
福田、中曽根、小渕と、戦後の3宰相を出した地区でもある。

今回走って知ったのだが、吾妻町と、中之条町は、谷川を挟んで向かい合う自治体で
ライバル意識が昔から強いのだろう。広域合併でも生き残り、伊勢町のような大字が
中心の田舎町は、非常に珍しく、特殊なところのように思えた。
毎年年賀状で書くアドレスだから、知っているのである。



日が西に傾き始めた。中之条から月夜野、猿ケ京に向かい、進路を変更する。
この辺りでスパイダーの調子が悪く、遅れ気味に成る。



先を行く、赤い弁当箱、131ラリー。このツーリングでは常連のメンバーの
愛車だ。私も131に乗っていたので、とても懐かしい。



サービスで、もう2カット。



そんなことを言っているうちに、猿ケ京まであと数キロというところで、
850スパイダーが最後のダウン。これはパーコレでなく、コイル不良でないかと
いう推理になった。



何台かの車を先に宿に行ってもらい、残りのベテラン5台くらいで、850Sを挟み
護送船団で、猿ケ京に向かう。



仲間同士の旅の良さは、ここにあるのだろう。
私のように、肚の据わったベテランがいることが、こういうとき大した
ことはないが、頼りになる。





18時ちょっと過ぎに、猿ケ京温泉に到着。ホッとする一瞬である。



旅館の前に着いた。
長い一日のゴールイン。
頭を掻く850Sオーナー。



手持ちの中古コイルを持っていた人がいたので、晩飯前に交換する。



我輩はさっそく足湯にて、長い旅の、疲れを癒したのであった。



本日はここまで。
温泉は良いものです♪






Posted at 2013/06/13 13:15:10 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「参院選の行方と自動車社会 http://cvw.jp/b/176891/48551942/
何シテル?   07/20 05:33
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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