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2013年06月15日 イイね!

水上から下仁田を経て麦草峠へ

水上から下仁田を経て麦草峠へ今回の旅を通じて、5月がしまなみ海道、
6月は信州軽井沢という対比になれた。

カラダも車もお金も酷使し過ぎか。
60代で、ドロップアウトだったら、
これだけの苦しい旅はしないだろう。

それにもう、人生に変な余裕感ができて、
精神的に限界まで走り込めない。

今を生きよう、今を楽しもうの50代である。



昨夜は立ち飲みで、常連客の50代終わりから60代に囲まれて
エロい話に散々付き合った。
おとこもおばさんみたいになり、やるエロでなく口で言うエロになっている。
現役じゃなくなりつつあると、昔を偲んで口ばっかりの「記事」になる。
そこに一抹の寂しさを憶えての、話をきくのである。



僕のブログは2013年の現在進行形で書いている。
2013年に1971年のクルマに乗って、奇跡のようなツアーを広げている。
お飾りでなく、行くと言ったらバンバン走る。



朝の宿を出発する前の車たちを、少し絵画タッチにしてみた。



画心は、センスの問題だ。
コンピュータでどう遊ぶのか。



文章中心に、展開する日もある。
評判の良い今の、ジャケット写真は大胆にトリミングをしたもの。
仲間や友だちなら、ひとが入ってもいいのじゃないか。
むしろ人が入ることで、画は命が吹きこまれる。写真もそうだ。



思い切り遊ぶと、こんなこともできる。

フェスタの会場宝台樹までは、1時間ほどで着いた。

宿から出発したのは10台以上の124スパイダーと850が2台、いつも代車で
来ているアウディTTと、出発前に合流されたScorpioneさんの126だ。
それと代車のトヨタノア。



フェスタ会場では、今年は特別な計らいで、124ツーリングの人たちは、
駐車場は一般と別に、固まって目立つところに置かせてもらえた。

昨年私が、盛り上げる意味でも珍しい旧い車は、目立つように配置したら
どうだろうという願いが通った感がある。



しかし着いたのが10時半を過ぎたので、私は実質1時間ほどで会場を
後にした。
後で聞くと、他の仲間たちも、けっこう早く出発されたようである。

今年でやっと20回に達したフィアットフェスタだが、会場に木陰が無く、
だだっ広い場所でラリーウェポンらが、ジムカーナをされている。
それは良いのだが、一般の人も折角1000円払って入場しても、すぐに飽きて
退場してしまうのは、何か工夫が要らないだろうか。



今年はX1/9のクラブも来ておらず、会場の広さだけが目に余った。

もう一寸こじんまりとした場所でアトホームな、イベントを目ざす。
毎回会場が変わっても、私は変化があって面白いと思うのだが、西の
フィアットは、もう数に入っていないのかもしれない。



会場を後にして、真昼の白日夢のようなデイライトの下を、大阪に向かいながら
独り、哲学者は、イベントの幸福論に着いて、車を走らせながら考えていた。



水上から関越道に乗り藤岡から、上信越道へ大きく西に舵を執る。
この高速は、下仁田で再び進路を変えて、軽井沢や小諸の方を回って
迂回してしまうので、今回は下仁田で下りてみて、内山峠を越えて
佐久に出てみることにした。国道254号である。



下仁田と言う町には、昔から興味があった。
上信電鉄という地方私鉄が、高崎から出ており、その終点に当たる町であり
関西にはこういうまとまった中距離の準大手の山の中の終点型の私鉄が無い。
強いて言うと湖西線の前身の、江若(こうじゃく)鉄道という非電化の私鉄が
浜大津から近江今津まで1969年まで結んでいた。



関東には、よく似たシチュエーションの私鉄がいくつかある。
埼玉の秩父鉄道もそうである。
でもこういう事実を関西人は知る由もなく、都市圏連絡で儲けて、あまり変化や
努力をしない関西の大手私鉄は、徐々にその地位と品質価値が下がって行った。



下仁田は群馬のアイドル、バラドルと言った方が適当な井森美幸の故郷である。
こんにゃくと下仁田葱のふるさと、田舎臭さを売りにした彼女は、群馬の観光大使
を長く勤めており、「グンマの休日」とか、笑えるポスターにくすっとくる。



上信電鉄のオリジナル電車、デハ200型。東洋電機もしくは西部所沢工場製。
1964〜以降に数次に増備され、井森嬢の年代と重なる。近年廃車が進み
非冷房のためあまり使われていないようだが、頑張って欲しい。それにしても
垢抜けないデザインだと思う。通風器はグローブだし、代車はDT21そのままだし。



駅前を歩いてみる。写真館の駐車場がこんなにだだっ広いのと屋根がある。
正月の晴れ着の撮影の頃には、雪が深いのだろうか。



貨物兼業鉄道の駅横に必ず残る大きな農業倉庫。白い塗装が目に眩しく映った。



民家の庭先でもなく駐車スペースの、ど真ん中に温室ガーデンがあった。
背景の峨峨たる峰の山容に目が止まる。このあと荒船山の圧巻に峠で衝撃を
受ける。



昼下がりの終点駅前。非常にいい。何が好いと言ったって、馬鹿みたいな空間が
取っていないのである。大型バスとかの結接点として不要なターミナルも無いし
その慎ましやかさが最高に良いと思う。今の日本が忘れた良さの残る駅前である。



昼下がりの改札風景。



駅を正面から見る。



さらに建物の中を撮る。



カラーで撮ると、非日常から少し日常的な「いま」に戻る。



駅前には、懐かしい日通の営業所の建物が残っていた。

昭和の時代には、宅急便が普及する50年代までは、鉄道で小荷物は
運ばれて、そこから日本通運とその子会社が、独占的に運送していた。



あとは、郵便局の小包だが、これも麻紐で括るなどの独特の技法があった。

鉄道の切符を買い、一緒に荷物を送る「チッキ」というやり方を覚えている
だろうか。
こんな昭和の古い記憶は、今のように爆発的に流通がさかんになる
以前の古い古い話だ。

今はノスタルジーの話をしているのだが、昔の時代に憧れて溺れている
訳では無いのだが、手順と儀式があって、その流れや本質を理解すれば
学歴が無くても普通に生活はできた。
仕事もそうであったのである。



駅前に、こんな時代がかった水飲み場が残っていた。
山奥から荷車を牽いて来た博労や、東京や遠くから帰省して来た人たちが
電車を降りて、ほっと、一息を吐く。

自動販売機も無い時代に、ここで空や山の青さを見上げては、
ふるさとは良いものだと思ったに違いない。そんな時代が私は愛おしくて
しようがない。
タイムマシンのような旧い車で、この場所に来ては、また旅を続ける。
旅って、そんなものではないだろうか。



駅のそばに車を停めて、こういうシリーズ写真を写していると
今は、いったい時代がいつで、ときどき自分が嵌り込んだ時空間のことが、
わからなくなる。

私の旅は、ソロで走っている時はいつも、時間を飛び越える不思議な乗り物、
空飛ぶ絨毯のようだと、よく思う。


このあとは、町外れで、下仁田こんにゃくを用いた冷し中華を、昼食に食べて
内山峠を駆け上った。

峠のトンネル手前で見た風景は、子供の頃に集めていた、記念切手
そのままの図柄で、その圧倒的な存在感に、驚いた。(上の図柄)




荒船山を後にして、佐久に下りて、今度は小海線沿いの細い道を
走って、八千穂という駅前に出る。
ここで井筒長という造り酒屋を見つけて、車を降りて見学などする。

この辺りの写真は、デジカメが不調で、フィルムで写しているが割愛する。
八千穂から299号線に入り、今まで経験したことの無い、標高2200mの
麦草峠を越えた。

850もよく走ってくれた。山頂の方は白樺や高山の植物だけの別世界である。

ここで午後も4時近くになり、蓼科を抜けて、茅野に下りて、思い切って
早めの夕食休憩。
諏訪から高速に乗ったのが5時過ぎで、岡谷のジャンクションから伊北に
かけて車線規制の工事でかなり渋滞にまきこまれて、疲れが倍増。
座光寺で休んで、屏風山、養老と休み休みで行き、最後は滋賀県の
菩提寺かどこかで休んで、吹田の出口を出たのは、夜の10時頃になった。

今回の旅は、最後は疲れてしまい、いけなかった。
この前のしまなみ海道の時も、夕方以降に走り過ぎた。
カーナビやETC、その他で補えても、車も人間も古い。
旅の記事をアップするのに、こんなに時間が掛かったのは、気力より
疲労が残ってしまい、気温の変化に着いて行けないからである。

夜半に最後の部分を書き上げながら、それでもまた次の旅をしたいと
密かに考えているのである。
850の今年の前半イベントは、これで終わりとしておこう。



Posted at 2013/06/15 11:03:02 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2013年06月15日 イイね!

旅の栞

旅の栞軽井沢から帰って旅日記を書いているのだが、
暑くて投げ出したいくらいです。

ちょっと趣向を変えよう。

30年前は、国内旅行がぴかぴかに輝いていた。






それは、当時の僕のように、20歳そこそこの若い旅人、
とりわけ若い女性が、信州や軽井沢のような高原に憧れて、
東京から列車でわんさと押し掛けたことである。


これは歴史的事実なので、そんな世相を書いてみる。


1981年、石毛礼子「旅の手帖」



この曲の前にも、こういったヤングの旅行の歌はあったと思うが
この曲は彼女のデビューソングであったので、印象的であった。

ちなみに石毛と言う芸名は、鼻の穴の大きかった野球選手の大型新人に
あやかってである。

時代を感じるでしょう。



1984年、松田聖子「ボンボヤージュ」
作詞 松本隆 作曲 呉田軽穂(松任谷由実) 編曲 松任谷正隆



シングル「ロックン ルージュ」のB面であるが、
これぞ、いたいけな青春、親にナイショ旅行ソングの
最高傑作だと思う。

Bサイドなのに、彼女も好きでときどきテレビで歌っていた。
彼女いない歴20年ちょっとの私も、この曲は刺さりました。

こういうソングから、当時の世相を感じ取っていただけたら、
1980年代って、どんな時代であったか、想像頂けるであろうか。

高原、リゾート、ペンション、若いカップル。一泊の旅に行くのに
当時のお嬢さん方は、いろんな理由をつけて、大変であった。

「親バレ」というキーワードが、けっこう意味があったくらいだから。

最初の「旅の手帖」は、恋を秘めた女性が、たぶんシングルで、
ユースホステルか、安全な宿に来ている感があるが、ロマンチックの
入り口かな〜 といった感じである。

「ボン・ボヤージュ」は、もう意を決して、彼氏についてきた若い
女性の微妙な心理が上手く描かれている。舞台は軽井沢でなく清里辺りの
ペンション。

松本隆の旅行ソングには、木之内みどりの「グッドフィーリング」、
太田裕美の「ひぐらし」などがあるので、参考に聴いてみると若い男女間の
恋愛観の変遷がよく判る。


翌1985年に、松田聖子のいるCBSソニーから新人の、松本典子がデビュー。
松○○子という名前を名乗らせたように、完全に聖子ちゃん路線のフォロー
なのだが、ファーストアルバム「Straw Hat」は、満を持したリゾート
ソング的な内容の満載したLPであった。その中から「グリーンの夏」



今度は、松田聖子より若い女性(聖子は昭和37年生れ、松本典子は43年)
が、一人で汽車に乗って旅をする。高原の駅で、彼と待ち合わせして、
駅で降り、彼の車がやってくるのを待つ心境の歌だ。

今考えれば、東京からいっしょに車に乗って出かけたら良いのに、と思う
だろう。
ところが、当時のお嬢さんは、そんな端ないことはしなかった。

純潔という言葉が、まだ生きていて、「お母さんご免なさい。きょう
少女にさようならするかも〜〜〜」
というようなテーマが、こういったアイドル歌謡のキモであったのである。

書いてて俺もキモイが、この「ストローハット」というアルバムは、
本当に良かった。
グリーンの夏が終わると、すぐにセカンドシングルの「青い風のビーチサイド」
につながる。この曲は誰が聴いても松田聖子の「渚のバルコニー」を意識して
つくられたアンサーソングだと判る。



アレンジ、爽快感、バツグンの80年代アイドル歌謡の傑作だと思う。
あまりに意識し過ぎて、売れなかったが、彼女もかなり可愛い。

「ストローハット」の詞の半分以上は麻生圭子が書いている。女性の微妙な
心理描写がうまい。ちなみに松本典子は元ヤクルトの苫篠の奥さんになって
別れていない。志村けんの「だいじょうぶだア」に出ていた頃は人妻である。

松本(旧本名 佐藤美和子)は昭島生まれの伊勢佐木市育ち。苫篠兄弟は
大阪の上宮高校だが、東村山の志村に可愛がられたあたりは微笑ましい。





そんな30年前の世相のことを思い出しながら、今の軽井沢や小海線を
旅する。

それも当時から生き残っている輸入クーペに乗って。



シビアな現実チックな話題に身を置くより、たまにはこういう
メルヘンチックなことでも考えながら、昔を偲んで旅をする方が、
楽しいことでは、ないだろうか。

(Fin)



Posted at 2013/06/15 02:39:09 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ

プロフィール

「変わり行く年に〜2025〜 http://cvw.jp/b/176891/48571345/
何シテル?   07/30 07:43
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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