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2014年01月15日 イイね!

Vieni Fiatの思い出

Vieni Fiatの思い出最初に断っておくが、これは今から19年前から
15年の昔に私が個人的に開いていた、Fiat車に
限定したツーリング&パーティーイベントの
思い出である。

私は写真にかぶせを入れるのが好きでないので、
自分なりの価値判断で、写真は記録と考えて
撮影した画像は原則そのままで行く。
もしも不都合な理由があれば言って頂ければ
削除なりひっこめる判断をする。

また、長い間に音信のつかなくなった人も多いので、記事を見て喜んで頂けるなら
連絡が取れるとうれしい。



今回の記事を書こうという気になったのは、阪神の大震災からもうすぐ19年になると
いう事実。私の夫婦が今年でついに55歳になる。

予告編にコメントいただいた方は、第1回参加以来の友人で、最年少だったその方が
今年、先日で不惑の40台になられた。
当時の21歳のクルマ好きが、今やイベント時代の私の年を超えられて、子どもたちの
よき父親であること。

元々頑健でない私は、ある程度の子育てが終わり、さっさと世間を引退してしまった。
いつまでも好きなことが出来るのか。
昨年小林彰太郎という星が消えたことも頭にある。

第1回の記念写真を掲載させてもらう。



撮影場所は、最初の開催地、福井県小浜市の市外にある海浜公園駐車場である。

写真ストーリーを説明しながら、なんでこのようなマニアックなイベントを当時やること
になったのか、平行して書いて行こう。
前記事にも書いたが、ある雑誌誌上で、一人のフィアット好きと出会ったことがある。

その前に90年代に家庭を持つようになった私は、87年から乗り始めた850クーペを媒介に
あたらしい一つの趣味の世界が、構築出来ないかと、案を練っていた。
創刊したばかりの、クラシックカーを自分で整備する雑誌に投稿したのは、自分の存在と
仲間を呼びかけるPRだった。

すでにX1/9の詳細記事を書き、自らクラブを作って活動するMさん、今も124スパイダー
アバルトに乗るSさんらとは、電話や手紙のやり取りをする親交が始まった。



当時の状況を説明しておくと、80年代を経て、市場には中古のfiatが転がっていた。
バブルは終わったが、まだ今よりは景気の良かったなかで、fiatはディーラーが不安定で、
決して「買い」のクルマではなかった。
でもフィアット好きと言うのは、少し昔の良いイメージが尾を引いており、
さらに私のように60年代から70年代初めの”黄金時代”に思いを寄せる人間もいる。

そんな中でX1/9や124Spiderより、コアなフィアット好きを探していたら、偶然出くわ
してしまった。

愛知県にいたfiat128セダンに乗る男性から、熱血な手紙を頂いたのだ。それには
オールドタイマー誌から、勝手な判断で、紹介させてもらったことをお詫びしますという
書き添えも着いて。



私は大学と仕事で東京と関東方面の縁がない。fiatという文化を語るには、それは大いなる
ハンディキャップなのだが、まだ若い頃の私には未知の領域に怖いものはなかった。

その足りない部分を補ってくれたのが彼で、古いファンは覚えているFLMC、フィアット・
ランチア・メンバーズクラブの初期からを知る友人は、ガレージ伊太利亜や、クイックト
レーディングなどの周辺部の話をとても面白く教えてくれた。

JAXとチェッカーモータースでさえ、行ったことのなかった私には、それは面白い趣味の
始まりを予感させたのである。

彼の夢はFIAT車だけのイベントをやることであった。
私は仕事が休みが取りにくいのと、家庭はタフな妻が働きながら維持してくれたが、
長男が誕生する頃から、血液が作れない病気を発症した父が九州に居て、気がかりで
その夢にうまく応えられないジレンマを抱えていた。

94年に、前述のSさんや、いま愛知の500ミュージアムを運営する方たちが集まって、
箱根の富士高原サーキットで、第1回FIAT FESTAが始まった。
私は飛び出して行きたかったが、固唾を飲んで見守るしかなかった。
小さな子ども二人に、病身の父が入退院を繰り返していたからである。



94年の9月の始まった頃に、3年間の闘病があったが、私の父は亡くなった。
喪に服していた年末・正月が明けた1995年1月17日に、私の住んでいた兵庫県西宮市
は直下地震の衝撃を受けて、借家であったが私の家は大きく傾いた。

震災の写真は封印していたが、もう出しても良いかと思う。我が家のすぐ近所の
震災翌日の光景である。






この時に、たくさんの人から過大な支援を受けた。とくに愛知の友人はトラックを
運転して駆けつけてくれた。
物心がついて落ちついて、やっぱり彼の気持ちに対する恩返しは、夢を叶えさせて
あげるしかないと、私は決心した。


この年の暮らしは、震災から1週間は避難所で暮らし、その後は妻の実家の南大阪で
家族4人、子どもが小さかったので一つの部屋で生活した。

震災から100日、前年から建築の始まっていたすぐ近所のマンションが完成して、
幸運にも入居が出来て、私たち一家は西宮市に戻ることが出来た。

その夏は震災の瓦礫の中を駆け抜けてくれた850クーペを陸送して、いまのしまなみ
海道に当たる区間の7つの島を船に車を乗せて旅をした。いよいよ秋に向けて
私たちの初めての試み、フィアット車オーナーのための、フィアット車だけの
イベントをやると言うことを決意して、11月開催に向けて準備を始めたのである。





つづく

Posted at 2014/01/15 02:18:22 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ

プロフィール

「変わり行く年に〜2025〜 http://cvw.jp/b/176891/48571345/
何シテル?   07/30 07:43
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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