
このところ、イベントに足が向かなくなり、久しい。
愛車FIAT850coupeが、板金レストアに入って半年が
過ぎて、初めの頃は、まだあがらないのか、不満も
あったが、次第に状況が判って来ると、あきらめ半分
これまでカーイベントに入れ込んで来たのが、
不思議に感じられるようになってきた。
何だか興奮してたのが、何十年か続いていたのが、冷めて来ちゃったのである。
少しやばいという感覚なのだろうか。でも今年で私は55歳になる。
旧車の世界は面白い。だから旧車のイベントがあれば行く。行くとクルマと顔を覚えて
もらえる。
顔でパスが通る訳ではないのだが、珍しい愛車に乗ることで、大きな顔も出来る。
カンチガイが当たり前になると、何で自分が大事にあつかわれないの?
さすがにそう思ったことはないが、他人の評価が気になったりする。
ちょっとどうなのだろう。
栄養失調と栄養過多は、紙一重かもしれないが、世間を随分狭いものにしていたの
ではないか。
倦怠期とか、不感症と言う言葉を持って来て説明することだろうか。
旧車だけでなく、珍しいフランス車あたりを手に入れて、フレンチ・フレンチとか
遠路フレンチブルー・ミーティングに「行かなくては」と思った日もあった。
10年弱前までは、タルボサンバという珍しいフランス車を持っていたので、
自意識は強かったが、土日連休が取れないので、あきらめて燻った気持ちでいた。
でも、今なら暇なんだけれど、私にとりそれが人生の一大事か、という気持ちの方が
強い。
クルマに乗ることは、相変わらず好きだ。
先日の日曜日は、朝学習会で、今宮戎にある南海辰村ビルの府立大ギャラリーまで
アルファ75TSを俊足に走らせて、快調に走って来た。特に行きの阪神高速に入る
ランプ区間の加速は、自分でも思わず「いいなあ」とほくそ笑みたくなるダッシュだ。
75TSは今年で23年前の車になる。
私の乗った愛車たちで、乗り出し時のヒストリック度を、比べてみることにする。
850クーペは1971年式で87年に乗り始めたから、16年落ちの旧車。
タルボサンバは、1983を95年に手に入れたから12年前のクルマ。
ローバーP6は1975年で1997年に手に入れたから、22年前の車だった。
850とローバーは、1970年代製造だが、設計が60年代なので、「昔の車だなあ」
という乗り出し時の印象が強かった。
75TSも結構昔のクルマと言う、相対的な相関図になるのだが、あまり古いと思わない。
むしろ集中ドアロックとか、パワーステアリング、パワーウインドウと言う快適装置で
「今の車だなあ」と大ボケな感想で、普段乗っている。
こんなふうに、クルマと少し距離を置いて、乗るようになったのは、どのあたり
からだろう。
普通の車が我家に来始めた頃。軽自動車に時々乗るようになったことが大きい。
とくに2012−13年の1年間乗った「2000円ミラ」は面白かった。
あんな体験はもう2度と出来ないだろうと思う。
旧車、レア車、ヒストリックこそ「価値」があると思っていた私の信条がぐらついた。
気取らなくて、意識しなくて、そこそこ実用的。それこそクルマのあるべき姿は
今の平成デフレ日本では、最上の選択であったのではないだろうか。
長い間、非日常的な感動や興奮を求めて、走って来た。
自分の車に乗ると、20年、30年と昔にタイムスリップ出来るのが、楽しかった。
それは愛車オーナーだけの祝祭カーニヴァル。
スポーツカーや外車に乗ることも、日常からの逃亡や逃避が、最大の目的であった
からではないか。
僕は若かったし、老後に「ごほうび」なんて考えずに、「いま」を気持ちよく
生きたかったからである。
しかし世の中が豊かになったのか、この世界も深化した。
やおら珍しい車が持て囃されるのも、“ルール違反”だ。
そのくせ、実物の新車は、どうにもこうにも、好きでないクルマばかりになってきた。
飢餓や焦りでもない。もう僕はなにがしたいのか。
この1年近く850の無い生活に慣れて来ると、レア車ばかり何台も所有して、とっかえ
引っ替え、どこかで開かれているイベントに、自分のクルマを持って行けば、ウケる
だろうと血眼でイベント欄を探していた頃が、遠くなったことを感じた。
憑き物が落ちて来たのだろう。
今は静かに生きている。
カー雑誌に半生記を載せてもらい、さらに加速したり、エヴォリューションするのか
期待していただいた方には、申し訳ない。
レストア趣味はやりたいと思う。
時間と場所は見つかった。
まだ走れると、僕は体力以上に、体調は安定して、長年のロングランで成らした
持久力も自信がある。
安いキャンピングカーを買い日本一周するのも悪くないが、様式には凝らない。
普通のセダンで旅をする方が、性に合っているし、何となく粋だ。
これから何をどうやって生きるのだろう。
最近見つけた遊びは、偶然だが、カー雑誌の取材で、過去の自分の状態が
わかる写真が必要になり、保管している30年分以上のネガを、大量にスキャナーで
デジタル化して取り込むことをやってみた。
劣化したプリントより、遥かに多くの情報量が、フィルムの底から浮かび上がって来た。
面白さにハマって、数日置きにスキャナーを立ち上げてランダムに取り込んで整理
し始めた。
あとレコードも最近復活して聴いている。
昨年漸く、プレーヤーを買い直した。
これの変換は、私はミニディスク(MD)方式でデジタル化して、クルマの中で
よく聴いている。
今の時代における音源は、まだCDが多いが、LP時代の情報量は音だけの比較でなく
アルバムを買った時の記憶から、時代の空気とか、ジョイの部分はこちらの方が
大きい。また、本物のような気がする。
結局の所、自分の育った時代や体験出来た時間というのが一番尊い。
必要に応じて現代的な生き方もしないといけないが、コンピュータとデジタル技術は
解決するためのソリューションなのだと思う。
ソリューション事業というのは、企業のためだけのものでなく、個人生活においても
取り入れて使って行けば良い。テクノストレスに成らない程度に。
そうやって、物事の本質を見つめて行けば、何も最新のテクノロジー一辺倒に
合わせなくても生きて行けるし、不満やボヤキも言わなくて済む。
たまに、人の不幸を願うような人間がいるが、自分の幸福追求が不満足なだけで
そういうのが、一番いけないと、私は思うのである。